タイトルのない夏
Trinity
両谷承

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 店の奥の『エイリアン・スター』のまわりを、カズたち三人がぐるりと取り囲んでいる。カズはテキーラのグラスを手に左側に、シンジはラムを手に右に。煙草をくゆらせながら、キョウは少し離れたカウンターの端に座ってプレイの行方を見守っている。

 リプレイを告げるアナログな打撃音が、黙ったままの男たち三人の間に響く。『エイリアン・スター』の正面に立ったミキが、プレイ・フィールドを凝視したまま息を吐く。男たちを従えたまま、ミキは気付かなかったようにプレイをつづける。

 まだ、一ボール目だ。シンジがカウンターのキョウにちらりと視線を送るのが、カズには見えた。なぜか、キョウはふっ、と目をそらす。その仕草にカズは少しひっかかるものを感じたが、むりやり顔をピンボール・マシンに向け直した。

 ピンボールをほとんどプレイしたことのないカズから見ても、ミキのプレイはぎこちない。膝と肩に妙な力が入った立ちかたからして、シンジやキョウに比べるとどこか不自然に見える。ただ、カズにもはっきりと分かるのは集中力と反射神経の鋭さだ。シンジの優雅さもキョウの力強さや勢いもないけれど、ミキのフリッパーさばきは結果として精密でミスがほとんどない。

 ハイ・スコア二百七十三万点。キョウの記録した第二位のスコアと比較しても、二十万点近く上回っている。シンジはなぜかこのマシンと相性が悪くて、二百万点をやっと超えるぐらいのポイントしか取ることが出来ない。――いずれにしてもこの状況は、カズにとっては興味深かった。いつも一台のピンボール・マシンを中心においてぐるぐる回っていたふたりの男のプライドが、ミキの存在のせいでその流れを変えられてしまっている。カズにとって、そのことは泣きたいぐらい悔しいことでもあるのだけれど。

 カズはピンボール・マシンのそばを離れ、ミキの背中をすりぬけてキョウの横に座った。小声でキョウに話し掛ける。

「彼女、絶好調だね」

「そうみたいだな。このぶんだと、レコードも更新になるかも知れねえ」

 思いがけないあっさりした口調で、キョウが答える。

「なんだか気のない返事だなあ。悔やしいんじゃないの」

 カズがつつくと、キョウはピンボール・マシンから目を離して苦笑いの出来損ないみたいな表情をカズに向けた。

「そりゃそう、だけどさ。あの子はきっと、ピンボールの妖精みたいなもんなんだろうよ」

「よーせいぃ? あ、ごめん」

 思わず軽く吹き出してしまったカズはキョウの顔色を窺う。いつもならにらみつけているはずのキョウの表情は、さっきと変わっていない。

「笑わねえでくれよ。そうとでも考えなきゃやってらんねえじゃねえか」

 云って煙を吐き出す。その悟ったような顔が、なぜだか気に障った。

「そうかい。キョウさんともあろうものが、大人になっちゃったんだねえ」

 云った言葉の薄っぺらな皮肉さが、自分でも嫌だった。言葉を切って、キョウの顔を覗き込む。線が太い、とでも云うのだろうか。吊り上がり気味の大きな一重の眼と太く高い鼻梁を中心に、キョウの顔は時代劇役者のように整っている。カズは一瞬見惚れてしまって、あわててテキーラを口に運んだ。

「そういうんじゃ、ねえだろ。やんねえやつには、わかんねえよ」

「へえ。そういう云い方、するの」

「ああ。わかんねえ奴は、黙ってろ。――マスター、ストリチナヤをおくれ」

 云ってキョウはカウンターの中を向いてしまった。頭にくる言い草ではあるけれど、キョウがこういうものの云い方をするのはなにかで相当煮詰まっている時だということをカズは知っている。それ以上キョウにちょっかいをだすのはやめにして、カズは『エイリアン・スター』を見やった。

 二ボール目はあまり活躍しなかったらしく、パネルにはいまフィールドを駆け回っているボールが三つ目であることが表示されている。

 ミキの意識はボールの行方に集中している。いつもはその人懐っこい表情で和らげられているミキの顔立ちは冷たく強ばっていて、はっとするほど綺麗だ。それをシンジがあたたかい、カズたち以外にはまず見せたことのない親密な視線で見守っている。

 何となく不愉快になる。自分が嫉妬しているのかもしれない、と思うとカズはたまらなく情けない気分になった。だとすれば、誰に嫉妬しているのか。やっぱり、ミキに、だろうか。なんて下らない。意味も出口もない感情なんて、抱くだけ無駄だ。自分が本当に何を欲しがっているのか分からないのに、ひたすらいろんなものを欲しがる馬鹿な女と同じだ。手に入らないものはある。自分が、それに値しないことだって、ある。

 目を閉じて、眉間を押さえて顔を伏せる。泣いたらいいんだか笑ったらいいんだか分からない。顔を上げると、キョウが覗き込んでいた。

「酔ったか」

 キョウの口振りは別段心配そうでもない。カズはそれが昔からの癖になってしまっているにやにや笑いを浮かべてみせて、明るくクールに答えた。

「酔うほど飲んでないって。マスター、もう一杯頂戴」

 片目を瞑ってみせるとマスターは口元に笑みを浮かべながら顔をしかめて、テキーラを取りにカウンターの奥に向かった。

「あんまし、強いほうじゃねえんだからよ」ピンボール・マシン越しに、シンジが声を掛けてきた。「自分で限度は分かってるんだろ」

「分かってるよ。大丈夫だって」

 カズはなんだか嬉しくなって、それから自分の単純さに少し呆れた。誰も自分のことを忘れてしまったわけじゃないようだ。

 隣のキョウに笑顔を向ける。キョウは鼻を鳴らしてウォッカを啜ると、ミキの方に見るともなく視線を泳がせる。その瞬間に、プレイは終わった。

 どうやら新記録はお預けらしい。ミキが大きな溜息をついて、シンジに笑いかける。

 ひょっとしてキョウにとっても、状況はそう変わらないのかもしれない。そう思うと、切なさがカズを襲ってきた。


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