角川学芸出版よりの御案内/ 新編国歌大観 CD-ROM版 Ver.2 /現ユーザーの取り替え特価期間は2003年12月までです。


Last Up Date 2003.11.01          

日記を物語る 2003年10月INDEXホームに戻る             


10月29日(水曜日)

終日車で移動。蔵前通り〜国道20号は比較的空いていました。でも夜の環状八号線は、荻窪あたりが工事のため慢性的に混んでいるので、迂回した方が早い気がします。

10月30日(木曜日)

快晴。水戸市内の大学付属高校で進路講話。新築の講堂で保護者のみなさんも含めて420名ほどの一年生を対象に「動機付け」を主眼においた話を。組織行動の5類型の図表をもとに話をしたら、部活のリーダーとおぼしき生徒さんが身を乗り出して聞いてくれました。帰りはせっかくだからと茨城県立歴史博物館へ。常陸の国の古代から近代までを俯瞰できました。水戸光圀のコーナーでは、日本に古琴を再生させた東皐心越像に、原さんが米子の河本家で発見した『礼儀類典』の国立国会図書館本の複製を見ることができました。でも帰宅してから徳川博物館にも寄るべきだったと後悔する。また呼んでいただいた時にしましょう。

10月31日(金曜日)

快晴。学園祭前のため、講義は休講および休暇。慶応で『小右記』の会を都合4時間。実資の日常世界を堪能しました。


10月01日(水曜日)

上野の東京国立博物館の「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」。ギリシャ神話を復習して来るんだったと著しく後悔する。ただ、後半部の「図像の東漸」コーナーで、ヘラクレスが日本では執金剛神として変身していたと言う事実を学んだだけでもたいへんな収穫でした。

10月02日(木曜日)

『入江相政日記』(朝日新聞社、1994年)昭和29年11月19日金曜日条に「二時一寸より三時迄源氏の御進講。庁舎の御進講室に於て。品定めが終わって中川の宿にかゝる。…夜源氏の下読みを続け帚木をすべて終わる。随分長いことだったが再開されてからは割にはかどるやうな気がする。隔週にはなったのだが。」とありました。昭和天皇の源氏物語講読が再開されてからしばらくの記事のようです。歴史の進講は、先ほど亡くなられた家永三郎さんの担当だったこともこの日記から知られます。

10月03日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」。こちらでは手書きの日記を読み、次の『大学生のための日本語』シリーズに入る。産能短大編集のこのビデオ。出演者の真摯かつくさい芝居に毎年お世話になっています。秋の気配の表参道を抜けて、青山学院女子短期大学へ。「古典演習」は「幻」巻の紫の上一周忌の条に、「御法」巻の紫の上逝去のシーンを加えて注釈をレポートしてくれました。自由発表は、「若菜」下巻で、光源氏に自らの人生を、「のたまふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪えぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」の引用に質問が集中。紫の上はほんとうに幸せだったのか、と言う主題を考えていたようです。「古典講読」は「宿木」巻の二回目。藤花宴に登場する故六条院の書き遺した「琴の譜」と言うことで、「碣石調幽蘭」を提示装置でスクリーンに映すと、見たこともない漢字で綴られた「楽譜」に視線が集中。「中指で徽の上半寸を押さえつつ、食指で弾いて…」と言う僕の解読に大いに関心を持ってくれたようです。帰宅すると学校法人青山学院から、中長期の学院のあるべき姿の答申書が届いていました。大学冬の時代の模索が格調高く綴られています。

謹告。我が「知音」、伏見靖先生が東京FMで琴を演奏なさいます。明日の早朝、みなさん早起きしてお聞き逃しなきように。

10月04日(土曜日)

快晴。第一土曜日は「古典に親しむ会」。「蛍」巻から「常夏」巻へ。丁寧に原文を読むことがすべての始まり。帰宅して河添房江氏編『源氏物語の鑑賞と基礎知識/梅枝・藤裏葉』(至文堂)を執筆者のみなさんともども連名で頂戴していました。最新の成果を盛り込んだ注釈もさりながら、既存の注釈書等に見られぬ図版が多数掲載されています。

10月05日(日曜日)

快晴。横浜まで伍芳さんのライブを観に行きました。二胡のウェイウェイ・ウーさんとの競演でしたが、なんとウーさんは青短の卒業生で、文化祭中の凱旋演奏会も決まっているそうだ。仕事でいけないのが残念。二人とも上海出身で歳も近いので、意気投合したのかもしれません。ウーさんはホームシックにかかると横浜の港を眺めていたと言う話をしていました。ところで、僕の琴の先生も上海の人なのだが、あちらもブームらしく、帰ってくるはずの今も音信不通。オイラのことも忘れないで頂きたいものです。。。。

帰宅して伏見靖先生の東京FMの演奏を録音で聴く。静謐な雰囲気。早朝に流れた「酒狂」も、文人の琴境としては、ひとつの有り様なのかも知れません。

10月06日(月曜日)

曇天から雨。明治大学。「国語」は敬語法のあれこれと漱石の『一夜』、「論文演習」は日記を終えて、こちらも『大学生のための日本語』。タイトルは「ノートを取る」ですが「話し方」の方がふさわしい。二人の先生が「睡眠」と「グリット理論」に付いて講義をし、両者の話の間の取り方、話し方、板書などから学ぶという内容。後者の先生の理論は、進路講話にも有効なものだと思いつきました。

10月07日(火曜日)

曇天。渋谷の國學院で『うつほ物語』の会。「国譲」上巻。めずらしく本文にも乱れが少なく、注釈もすんなりと思ったら、会話主体の待遇者の問題で論議。次次回のレポーターのため、じっくり耳を傾けました。

10月08日(水曜日) Special Thanks 139,000 Hits

新学期二回目の三条市内の高校の小論文講座。そろそろ、推薦・AO入試が近づいてきたため、真剣味を帯びてきました。外では稲刈りも終わりつつあるようです。でもお昼にしたのはうどんだった。今度はコシヒカリのご飯にしたいと思います。

10月09日(木曜日)

明日発売の小町谷照彦先生編『必携 源氏物語を読むための基礎百科』(学灯社・\1400)が届きました。僕は「音楽・舞楽/遊戯・娯楽」の担当ですが、ずらりと並んだ執筆者のラインナップは壮観。ぜひ御高架をお願いします。

10月10日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」。滞りなし。表参道右手の元・同潤会アパート前の大きなフェンスの広告が垢抜けた雰囲気。青山学院女子短期大学の「古典演習」は「幻」巻の「菊の綿」の和歌と「御法」巻の紫の上臨終のシーンを加えてのレポート。教材提示装置で絵巻を解説してくれました。「古典講読」は「東屋」巻へ。髪を洗う中の宮が三回出てくるので、当時の洗髪の風習を解説したらこんどはこの話に耳目を寄せてくれました。夕方からは、六本木ヒルズを横目に慶応で『小右記』の会。たくさんのメンバーに会えました。

10月11日〜13日(土〜月曜日)

中古文学会出席のため、伊丹の大阪国際空港〜大阪青山歴史文学博物館〜梅田〜四条烏丸経由で同志社へ。遷都1200年の1994年から九年を隔てて再びのお世話になりました。西の名門の威信というか自信に裏打ちされた運営の手際の良さを感じた三日間でした。とりわけ、二日目の冷泉家のお庭見学は、立蔀や遣水、部屋の奥に置かれた琵琶、さらに御文庫まで、たっぷりとそのしつらいを堪能できました。あいにく警報まででて土砂降りの幕開けとなった、陽明文庫の展観は、前回の数倍の古典籍をウィンドー越しではなく、実際に閲覧できたのでした。とりわけ僕には、正倉院にある五絃琵琶のための譜である、巻子本「五絃琴譜」がありがたく、巻頭の目録のみならず、「王照君」の譜まで実見できたのは幸いでした。また、御文庫では、巻子本「和漢抄」が、宮内庁の粘葉本「和漢朗詠集」と同一の料紙に同一筆者であるという話に、1053年頃の「草子」形態の過渡期に思いを馳せました。この「和漢抄」も料紙の継ぎ目に字が被っており、巻子装に仕立てたところに直接書写したものです。また、帰りも飛行機を使ったのですが、事前にホテルのネットで入手した「路線情報」の乗り換え時間が気密に過ぎて、大阪〜梅田駅の移動に倍の時間を要して一本乗り遅れ、搭乗手続きをしたのはぎりぎり。僕の手続きを待つかのようにアナウンスがありました。飛行機は羽田の雷雨のため、空港が一時閉鎖されて千葉県上空を旋回。ほとんど車両の通行のない、東京湾アクアラインや海ほたるを眺めました。まるで回り道ばかりの今回の旅を象徴する出来事であったかのようです。一緒に旅行に同行してくれ、あれこれと直言してくださった諸氏と、いつもながらの好意と配慮をしてくださる関西・名古屋の古代研メンバーにも心からの感謝を。

関根賢司・高橋亨編『竹取物語』(おうふう)を頂戴しました。注釈のみならず、竹取事典に文献目録まで付載された即研究に役立つ本です。

帰宅して角川学芸出版の高橋さんより、現ユーザーの取り替え特価期間が12月に迫った新編国歌大観 CD-ROM版 Ver.2の告知の依頼がありました。特価期間を有効に使ってくださいますように。年内トップにリンクを張り付けます。

10月14日(火曜日)

雨。めっきり冷え込み、京都の暑さが雷雨で吹き飛んでしまったかのような一日でした。午後、ゆっくりと再始動して、先日話題になっていた『別冊宝島880 あさきゆめみし源氏物語 Perfect Book』(宝島社)を入手しました。これは確かに面白い。講義の小ネタもここに詰まっている感じ。それにしても寒い一日でした。

10月15日(水曜日)

月曜日の振り替え授業のため明治大学へ。さすが他の出講日と被っている先生も多いらしく、教員室は普段の1/4程度しかいらっしゃいませんでした。最初から今日の「国語」は、月一回抜き打ちで行う小テストを予定していましたが、半年のつきあいでそれとなく予期していたものか、電子手帳で該当個所の予習怠りなき人若干。廊下で僕とすれ違ったとき、すぐさま折り返した人も居ましたね。成績不良者と欠席者は歌舞伎のレポートをお願いします。「論文演習」は、先週の「話し方」の分析を口頭で報告する。わかりやすく、強弱をつけて。最初の人から辛口で批評したため、全体に厳しめでしたが、次回はもっと上手になれると思います。こちらも話し方は「充分勉強しなくては」とは思っています。

10月16日(木曜日)

快晴。季節の変わり目はいつもそうなのですが、目に異変を感じます。コンタクトを変えても同じ目なのが不思議ですが、理由は幾つかあるような気もします。ただ、永い眼疾と闘われた萩谷先生が「同じ方向からのライトで勉強していたことも影響があるかも知れない」とお送りする際の車中でお話になっていたことを思い出しました。僕の周辺にも眼病に苦しむ方が何人かいらっしゃいますが、これは職業病と言うべきか。

吉海直人さんから『源氏物語の新考察 人物と表現の虚実』(おうふう)を頂戴しました。『源氏物語研究 而立編』(影月堂文庫《私家版》、1983)、『平安朝の乳母達』(世界思想社、1995)に次ぐ、節目の本で『乳母』を「不惑篇」、本書を「知命篇」、さらに十年後には「耳順篇」を書きたいとのこと。僕も前著から九年。これは二十代に書いたものをまとめたもので、三十代に書いたものはなんとか来年度には、と思っています。常に研究の意欲と指針を与えてくださる先達・吉海さんに感謝。

10月17日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」こちらも「ノートの取り方」。グリッド理論の講義に惹かれるのはなぜなのかを話し合ってみました。表参道の欅並木もすこし秋色。青山学院女子短期大学の「古典演習」は「幻」巻の神無月。「大空をかよふ幻」の和歌と「御法」巻の巻頭を加えてのレポート。今回も教材提示装置で「雁」「樺桜」を丁寧に解説してくれました。関連自由報告は「平安時代の化粧」を引用してくれましたが、これは僕の関連サイトだとは知らずに引用していたようですね。「古典講読」は「東屋」巻の二回目。薫ってやっぱりかなり変な男だという話。来週はレポート提出です。僕の目の辺りがおかしいことに気付いて声をかけてくれた人もいましたが、来週は大丈夫でしょう。

10月18日(土曜日)

曇天から小雨また曇天。清泉女子大学で『小右記』長元四年七月条。相撲の節の勝敗について楽しい時間があっと言う間に。雨濡れた開かれたお庭が美しい土曜の昼下がりでした。

10月19日(日曜日) Special Thanks 140,000 Hits

快晴。充電もたっぷり。これからしばらく溜まった原稿が書けそうな精神力が回復してきました。夕方のジムは久しぶりだから明日筋肉痛かも知れません。

10月20日(月曜日)

曇天。明治大学。「国語」は漱石の『一夜』を終える。「論文演習」は『大学生のための日本語』三回を学習して「話し方」をテーマに各自三分のプレゼンテーション。内容・話法・総合の五点満点の採点をしていただきました。電車内の化粧とか留学生の話、友達とのコミュニケーションなど話題も尻上がりに盛り上がる。潜在能力の高さを実感しました。5時限目を終えて大量に移動した大教室を覗いてみると、司法試験対策の予備校の講義に備えて僕の履修者が大挙して先生の来るのを待っていました。折しも月9ドラマは、僕の家の近所にある司法研修所が舞台で、真っ赤な煉瓦状のビルが映っていましたね。みんな見ているようです。

10月21日(火曜日)

曇天。『うつほ物語』の会は来週レポーターのため、諸注釈を入力してひと休みにテレビをつけたら、同い年の有名歌人のおめでたの話にただただ驚く。僕は生活のために仕事をしているが、あちらは勉強のために新宿の居酒屋でアルバイトまでしていたという。人生には余裕がないとだめですな。夕方からは渋谷に向かい「国譲」上巻。レジュメ22枚。至れり尽くせりの丁寧な編成に舌を巻く。時間をもう少しとってキャリアに見合うレポートにしないと。。。暢気にソファに横になっている場合じゃなさそうですが、明日は新潟に遠征。

10月22日(水曜日)

またまた三条市内の高校の小論文講座。土砂降りの埼玉・群馬もトンネルを抜けると、爽やかな秋空。車窓からは懐かしい藁を焼く香りがこぼれてきました。小学校の頃、帰り道に落ち穂拾いをして、促成のポップコーンを食べながら歩いたことなどを思い出しました。来月はいよいよ推薦入試。みな志望校は倍率が高いので真剣そのもの。念願のお昼はコシヒカリの御飯で満腹に。明日は消費カロリー分だけ汗を流しましょう。

10月23日(木曜日)

早朝の雨から快晴へ。小泉総裁、衆議院73歳定年制を理由に、中曽根・宮沢元総理に引退勧告するも、中曽根氏は拒否。73歳は参議院の立候補制限が70歳で、任期満了時76歳のため、衆議院の平均任期03年を差し引いて規定した数字だと言う。僕の母校も在学時は73歳、駒沢が75、二松学舎は77歳と言う定年制切り下げの過渡期で、今回と同じような問題を体験したものです。当時、僕の母校は大学院担当の先生には年齢制限の定めはなく、博士課程設立に関わった学界でも著名な先生方は、設立から十有余年を経て、80代前半を迎えられ、現役を通されつつ物故なさったりしたその最中の出来事でした。以前にも鈴木俊一東京都知事に小沢一郎幹事長が引退を迫って老人パワーの前に失敗、自身が退陣すると言う事件もありましたが、中曽根元総理はぜひ小選挙区で官房長官を撃破していただきましょう(注、元総理の憲法及び教育基本法改正に賛同しているわけではありません。念のため)。

信州大学の吉森佳奈子さんから『『河海抄』の『源氏物語』』(和泉書院、2003.10)を頂戴しました。論文10本の内、07本が『国語と国文学』『国語国文』『中古文学』と言った査読論文。これに東大の紀要『超域文化科学紀要』を除けば、『源氏研究』『むらさき』といった著名な雑誌への執筆から構成されています。緻密な文献への目配りと、文学史的な俯瞰が融合された、学術性の高い内容の一冊。手にしたまま他の作業を長らく中断して読みふけりました。著者・吉森さんに感謝の念を捧げます。初対面の時、なぜか僕を老人だと頭から決め込んでいたらしく、名乗って驚かれたのは四、五年前、奈良での学会でしたね。。。

10月24日(金曜日)

快晴。明治大学「論文演習」は「ディスカッションの仕方」。二部が募集停止となり、その分の定員枠が拡大される来年度の時間割について、同席の先生からご説明いただきました。昼間主・夜間主を区分けして申請する予定が、文科省側の方針変更による規制緩和で必要なくなり、時間割だけ07時限(09:00〜21:10)にまで膨らんだとのこと。週05コマ、青山の曜日がカリキュラム改革で移動するため、少し考えないといけません。帰りがけ、学生部の方から、田舎のご両親が連絡が取れないと心配していると言う男子学生について出席状況を尋ねられる。僕も秋は初回のみ出席して後は連続欠席のため、消息を級友に尋ねたところでしたが、どうしたんでしょう。。。表参道の欅並木は、日差しの当たる青山通りの向かって左側から黄色と赤になってきました。青山学院女子短期大学の「古典演習」は「幻」巻の五節の舞の条。教材提示装置は『豊明絵草紙』を。「古典講読」は「浮舟」巻。「このうき舟ぞ行方知られぬ」のあたり。レポートは13枚も書いてくれた人が二人も居ました。青山講堂と中等部の間に聳える六本木ヒルズはJ−WAVEのグリーンの波が、雲一つない夕映えに不思議な光を放射していました。

10月25日(土曜日)

曇天。かなり気温が下がりパソコンに向かっても、足先から冷え込んでくる感じ。ジムに行ってから本を読んでいたら、いつの間にか夢の中へ。武蔵野の森のなかで焚き火をしていたところ、森の外では大騒動になっており、「僕は煙草はやりません」と言いつつ、どこぞでお世話になった偉い先生(警察でも消防でもないところはむしろ悲しいが)にペコペコ。夢見が悪いので、珍しく丑三つ時に勉強したら、むしろよい原稿が書けた気がする秋の一日でした。

10月26日(日曜日)

快晴。新校舎建設で装い一新の母校にて研究会。歌語の現代語への置き換えに細心の注意を払っています。

10月27日(月曜日)

晴。明治大学。「国語」は『古典文学作中人物事典』から「かぐや姫」「五人の貴公子」を読み、関連する歴史・文化史的事項を確認する。入試が終わったらすっかり記憶がフォーマットされて真っ白では困ります。続けて『それから』を見る。かなり惹き込まれていたようですね。「論文演習」は「手紙を書く」。基本的な書式、書簡語彙のあれこれなど。ほとんど知らないと言うのは手紙を書いたこともないと言うことか。携帯メール文化の弊害を実感する。そこでここでは、手紙と電話が唯一のコミュニケーションであった時代の『愛と死をみつめて』を見る。こちらは僕も生まれる前の青春群像につき、違和感のあるシーンではことごとく反応がありました。時の流れ・ジェネレーションギャップを知るのに映画ほど便利なものはないようです。


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