観音寺への道
The approach to Kannon-ji Temple

近鉄京都線の三山木駅を下りて府道65号を西に向かうと、同志社大学のあたりで普賢寺川に出会う。川を上流に10分ほど歩くと右手に観音寺が見えてくる。
古代、この辺りに仁徳天皇の皇后、磐之媛が住み、筒城(つづき)宮で生涯を終えた。寺の背後の小山が筒城の岡。
仁徳天皇が八田皇女を妃に迎えたいと言い出したのが、皇后との長い不和と別居状態の始まりだ。
仁徳の歌 
「貴人(うまひと)の 立つる言立 儲弦(うさゆづる) 絶え間継がむに 並べてもがも」 誓って言うが、八田媛は予備の絃で、本物の絃であるあなたの代わりにすぎないのだよ。
磐之媛の答歌
「衣こそ 二重も良き さ夜床を 並べむ君は 畏きろかも」 衣なら二つ重ねて着てもいいでしょうが、夜床を並べようとは、恐ろしい方ですね。
仁徳は、磐之媛が紀国旅行中に八田媛を宮中に入れ、それを知った皇后は難波には戻らず、仁徳35年の夏にこの地で薨じ、37年に乃羅山に葬られた。
息長山観音寺はそういう場所に建っている。   次へ