1997年11月 長谷から多武峰、三輪へ

長谷寺 仁王門
Nioh-mon of Hase-dera Temple

長谷は「隠国(こもりく)の」の枕詞どおり、初瀬川流域の峡谷地帯にある。「泊瀬」は「太泊瀬雅武天皇」雄略天皇の拠点でもある。「倭の五王の武」が雄略天皇だとすれば、彼が三輪山麓を中心とする大和政権を確立したことになる。「日本書紀」には「天下は天皇を誹謗して大悪の天皇だと申した」とあり、猜疑心に満ち、殺戮の限りをつくした生涯が書かれている。一方、万葉集巻頭の歌、「籠もよ み籠持ち みぶくし持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ 吾こそは 告らめ 家をも名をも」(万葉集巻一、1)からは大らかで子供っぽさも残った率直な性格が窺える。残酷と無邪気は両立するものらしい。
以上は長谷寺とは何の関係もない、「初瀬」からの連想に過ぎない。
門前に辿り着いて仁王門をくぐると長い登廊が伸びる。   次へ
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