歌枕紀行 常陸国

―ひたちのくに―

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奈良時代の常陸国 概略図

筑波山 鹿島



常陸の国の主な歌枕(五十音順)


阿自久麻(あじくま) 歌枕名寄などは常陸国の山とする。筑波郡筑波町平沢の北の子飼山、同町の平沢山とする説がある。

あど思へか阿自久麻山の弓絃葉(ゆづるは)のふふまる時に風吹かずかも([万葉]東歌)


葦穂山(あしほやま) 筑波山の北、現在の足尾山。

筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山あしかるとがもさね見えなくに([万葉])


鹿島(かしま) 茨城県鹿島郡。

霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍士(すめらみいくさ)に我は来にしを(大舎人部千文 万葉)


霞の浦 霞ヶ浦。

春がすみ霞の浦をゆく舟のよそにも見えぬ人を恋ひつつ(定家)


恋瀬川(こひせがは) 筑波山より霞ヶ浦に注ぐ。「雫の田居」のそばを流れる。

恋瀬川つれなき中にゆく水は年もせかれぬ涙なりけり(藤原家隆)


桜川 西茨城郡岩瀬町の鏡池に発し、霞ヶ浦に注ぐ。

常よりも春べになれば桜川花の波こそまなく寄すらめ(貫之[後撰])


(しづく) 筑波山の東裾。茨城県新治郡千代田村志筑。

草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ([万葉])


高間の浦 鹿島神宮の東方の鹿島灘を言ったらしい。海浜部は「高松浜」と呼ばれ、別名を高天原(たかまのはら)と称したらしい。

よそにみて袖やぬれなん常陸なる高間の浦の沖つしら浪(光俊[続古今])


筑波山(つくばのやま) 

筑波嶺に雪かも降らるいなをかも(かな)しき子ろが(にの)乾さるかも([万葉])


男女川(みなのがは) 筑波山から流れ出、桜川に合流して霞ヶ浦に注ぐ。

筑波嶺の峰より落つる男女の川恋ぞ積りて淵となりける(陽成院 後撰)




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©水垣 久 最終更新日:平成12-02-26
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