水無瀬恋十五首歌合(群書類従本)


群書類従第十二輯を底本に作成した。日本大学図書館蔵親長自筆本(笠間影印叢刊)と校合し、誤写または誤植と見られる部分は改めた。校異等につき詳しくは注釈付き本文を参照されたい。


水無瀬殿恋十五首歌合 建仁二年九月十三夜

 題
春恋  夏恋  秋恋  冬恋  暁恋
暮恋  羇中恋 山家恋 故郷恋 旅泊恋
関路恋 海辺恋 河辺恋 寄雨恋 寄風恋
 作者
左馬頭藤原親定 後鳥羽院     左大臣 良経
前大僧正 慈円          権中納言公継
俊成卿女           宮内卿
大蔵卿藤原有家        左近衛権少将藤原定家
上総介藤原家隆        左近衛権少将藤原雅経
 読師   家隆朝臣
 講師   定家朝臣
 判者   皇大后宮大夫入道釈阿
  当座付勝負追書判詞


一番 春恋
   左          左大臣
鴬の氷れる涙とけぬれどなほ我が袖はむすぼほれつつ
   右           俊成卿女
おもかげの霞める月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に

左歌は「雪のうちに春はきにけり鴬の」といへる歌をとり、右歌は「月やあらぬ春やむかしの」といふ歌の心なり。ともにえんにはみえ侍るを、左、「なほわが袖はむすぼほれつつ」といへるすがた、殊によろしく見え侍れば、左ヲ以テ勝ト為。

二番
   左           親定
月残る弥生の山の霞む夜をよよしとつげよまたずしもあらず
   右            宮内卿
さても又慰むやとてながむべきそなたの空も薄がすみつつ

右の歌、「さても又」とおけるより、すがたをかしくは見え侍るを、「うす霞みつつ」といへる末の句や、旧くもいひならはしても聞えずや侍らん。左、「弥生の山のかすむ夜を」などいへる心すがた、いみじく見え侍り。もとも勝とすべし。

三番
   右           有家朝臣
夢にだにみぬ夜な夜なを恨みきて衣はる雨しをれてぞふる
   右            雅経
人しれずおさへてむせぶひまごとに涙打ちいづる袖の春かぜ

左、「衣春雨しをれてぞふる」といへる詞、よせおほく見え侍り。右、又、彼の「とくる氷のひまごとに」といへる歌の心を、恋に引きなして、「涙打ちいづる袖の春かぜ」といへる。左はよせおほく、右はえんにみゆ。仍て、なずらへて持とすべし。

四番
   左           定家朝臣
忘れめや花にたちまよふ春霞それかとばかり見えし明ぼの
   右            家隆朝臣
恨みても心づからのおもひかなうつろふ花に春のゆふぐれ

左は「それかとばかり見えし明ぼの」、右は「うつろふはなにはるの夕ぐれ」とよめるすがた、心、ともによろしくは見え侍るを、勝負此のつがひは時の衆儀にや侍るらんと申すを、左の勝と定められ侍りしなり。

五番
   左           前大僧正
恋もせでながめましかばいかならん花の梢におぼろ月夜を
   右            権中納言
思ひきや匂ひを送る梅がえの移りがをのみみにしめんとは

左、「ながめましかばいかならん」とおきて、「花の梢に朧月夜を」といへる心、すがた、いみじくをかしく見え侍り。右、「おもひきや」とおきて、すゑに「何とせんとは」などいへる事、常の事にやと人々申され侍りしかば、左をもて勝と定め申し侍りしなり。


六番 夏恋
   左           親定
さてもいかに岩かき沼のあやめ草あやめもしらぬ袖の玉水
   右            俊成卿女
はかなしや夢も程なき夏の夜のねざめばかりの忘れがたみは

「寝覚ばかりの忘れがたみは」といへるも、優ならざるにはあらず侍るにや。しかあれども、「さてもいかに」とおきて、「あやめもしらぬ袖の玉水」といへる、物のあやめしるばかりの者の、いかがよろしからずとは思ひ侍るべき。左ヲ以テ勝ト為。

七番
   左            宮内卿
みに余る思ひをさても夏虫のわれひとりとや色にいづべき
   右           有家朝臣
しのびあまりなくや五月のあま雲のよそにてのみや山郭公

左は、「みにあまる」といひ、右は、「忍びあまる」といへるこころは、ともにいうならざるにはあらず侍るを、左は、「我ひとりとや色に出づべき」といひ、右は、「よそにてのみや山ほととぎす」といへる文字つづき、すこしはまさるべきにや侍らん。

八番
   左           権中納言
よそにては軒の橘かをる夜にむかし語りをしのぶとやみむ
   右            雅経
きかじ只人待つ山の郭公我もうちつけのさよの一こゑ

左歌、心かすかには侍れども、すがた詞いうに侍るを、右歌、始めに「きかじただ」といへるは、あまりなるやうに侍れど、末の句など、今すこし心有りて聞え侍るにや。なぞらへて持とすべし。

九番
   左           左大臣
草ふかき夏野分け行くさをしかの音にこそたてね露ぞこぼるる
   右            家隆朝臣
時ぞとや夜半の蛍をながむらんとへかし人のしたの思ひを

左歌、よそへいふすがた詞、誠にをかしくこそ見え侍れ。右歌、「とへかし人の下の思ひを」といへる、またよろしくは侍るを、句のはじめの「と」の字、ふかき難には侍らねど、歌合には只なるよりは耳にたつやうに侍るうへに、なほ左の「音にこそたてね露ぞこぼるる」もとも勝つべきにや侍らん。

十番
   左           前大僧正
夢にだにかさねぞかぬる夏衣かへすとすれば明くるしののめ
   右            定家朝臣
郭公空につたへよ恋ひわびてなくや五月のあやめわかずと

左、「かへすとすれば明くる東雲」、まことにをかしく見え侍るを、右、「空につたへよ恋ひわびてなくや五月の」などいへる、文字つづき、あしからずはべるにやとて、れいのおのおの定め申し侍りて、持にまかりなりにしなり。


十一番 秋恋
   左            親定
よしやさは頼めぬ宿の庭に生ふるまつとなつげそ秋の夕かぜ
   右           前大僧正
野べの露は色もなくてやこぼれつる袖よりすぐる荻の上風

左歌、「よしやさは」といへるより、「待つとなつげそ秋の夕かぜ」、心詞まことにをかしくは見え侍るを、右歌又、「色もなくてや」といひ、「袖より過ぐるをぎのうはかぜ」、いみじくをかしく侍るを、猶勝負申すべきよし侍りしかば、左劣るべしとは覚え侍らずながら、右の勝つべきにや侍らんと、めづらしからん為に、殊更に申し侍りしなり。まことにかたはらいたくこそ侍りしか。

十二番
   左            権中納言
わが心いかにかすべきさらぬだに秋の思ひはかなしき物を
   右           定家朝臣
今宵しも月やはあらぬ大かたの秋はならひを人ぞつれなき

両首ともに秋のおもひに堪へざる心はおなじきを、左は、潘岳が秋興賦の心にても侍らん。「悲しきものを」といへるや、やすらかならんと聞ゆるを、右は心猶あるさまにやと聞え侍りしかば、勝になり侍りしなり。

十三番
   左           俊成卿女
なき渡る雲ゐの雁の涙さへ露おく袖の夜半のかたしき
   右            雅経
ながめしや心づくしの秋の月露のかごとも袖ふかきころ

左、「雲ゐの雁の涙さへ」などいへる、心すがたよろしく侍るを、右又、「露のかごとも袖ふかきころ」といへる末の句など、をかしく侍れば、持とすべきにや。

十四番
   左            左大臣
せく袖に涙の色やあまるらんながむるままの萩の上の露
   右           有家朝臣
物思はでただおほかたの露にだにぬるればぬるる秋の袂を

両首の心すがた、ともにいとをかしく見え侍るを、しひて委細に申すべきむね侍りしかば、左、「せく袖に」と侍るや、末に「萩の上の露」と侍るに、しひてかなはずやと申し侍りし。右は「ただおほかたの露にだに」といひて、「ぬるればぬるる秋の袂を」といへる、よろしくや侍らんとて、勝になされしにや侍らん。

十五番
   左            宮内卿
物思ふたもとはいはず鹿のねはただおほかたのね覚なりけり
   右           家隆朝臣
思ひ入る身は深草の秋の露たのめし末やこがらしの風

左歌、心すがたやさしくは見え侍るを、右歌、「みは深草の秋の露」といひ、「たのめし末やこがらしのかぜ」といへる心、なほよろしく侍らんとて、勝になり侍りしなり。


十六番 冬恋
   左            左大臣
芦鴨のはらふ翅に置く霜のきえかへりてもいくよへぬらん
   右           雅経
霜ははや布留の中道中々にかれなで人を何したふらん

左歌、心ことばよろしく、とがなく侍りけるを、右、「ふるの中道中々に」などいひ、「かれなで人を」といへる、すがたをかしくやとて、勝にまかりなりにしを、けさしづかにみ給へ侍れば、冬草ともあさぢともなくて、只「中道かれなで」といへる、いかがと申すべくやと見え侍れども、勝に定まり侍りにけり。

十七番
   左           宮内卿
落ちつもる涙の露はさよ衣さえても袖にみえけるものを
   右            有家朝臣
しばしこそよそにみぎはの薄氷とけではやまじ結ぼるるとも

左、「さえても袖に」などいへる、すがたふるまひ、まことに勝に侍りけり。

十八番
   左           親定
うつり行くまがきの菊も折々はなれこしころの秋をこふらし
   右            権中納言
冬の夜は幾度ばかり寝覚すといふもまどろむひまやなからん

左歌、「まがきの菊も折々は」など、よせおほく侍り。すがたまことに有りがたくのみ覚え侍るを、右歌、増基法師が歌の心もをかしく侍るを、上の句残りなくなりて見え侍る上に、恋の心もすくなくや侍らんとて、右の負になり侍りにし。

十九番
   左           前大僧正
いたづらに千鳥鳴くなる河風におもひかねても行くかたぞなき
   右            家隆朝臣
恋をのみ菅のねしのぎふる雪の消えだにやらず山もしののに

左、「おもひかねてもゆくかたぞなき」、いみじくをかしくみえ侍るを、右、「すがのねしのぎ降る雪の」といへるは、よろしく侍るを、末の句「山もしののに」や、ふるき詞に侍れど、しひて庶幾すべからずや侍らんとて、左かち侍りしなり。

二十番
   左           俊成卿女
かよひこし宿の道柴かれがれに跡なき霜のむすぼほれつつ
   右            定家朝臣
床の霜枕の氷消え侘びぬむすびもおかぬ人のちぎりに

左歌、心すがた、よろしく侍るべし。右歌も「床の霜枕の氷」などいひて、「むすびもおかぬ」といへるも、いうには侍れど、左猶よろしく侍れば、勝になりき。


二十一番 暁恋
   左           家隆朝臣
忘れずよいまはの心つくばねの峯のあらしに有明の月
   右            雅経
涙さへ鴫の羽がきかきもあへず君がこぬ夜のあかつきの空

左は「いまはの心つくばねの」といへる心よろしく、右は「しぎのはねがきかきもあへず」といへる、彼の「君がこぬよは我ぞ数かく」といへる歌をおもへるも、いうには侍れど、左の「峯の嵐に有明の月」、猶まさり侍るべし。

二十二番
   左           親定
白露のおきてわびしき別れをも逢ふにぞかこつ有明の月
   右            有家朝臣
またこんといひて別れしなごりのみながむる月に有明の空

左は「逢ふにぞかこつ有明の月」、右は「ながむる月に有明の空」、いくほどのことには侍らぬを、上の句こそ殊の外に侍りければ、右、彼の「今こんといひしばかりに長月の」といへるは、いみじくこそ侍るを、「又こん」といへるは事の外に劣りて聞え侍るなり。左、「しら露のおきてわびしき」など、勝侍るべし。

二十三番
   左           前大僧正
たのめつる夜半もいまはの袖の雨に月さへ曇る有明の空
   右            俊成卿女
をしみかね別れしよりも数々におもふかたみの暁の空

此の右の歌、すがた詞いとよろしく侍るを、左、「夜半もいまはの袖の雨」とおきて、「月さへくもる有明の空」こそ、上下始終ことによろしく聞え侍れ。仍て勝に定め申し侍りしなり。

二十四番
   左              宮内卿
今はただかぜやはらはんうき人の通ひ絶えにし庭の朝霜
   右             定家朝臣
俤もまつ夜むなしき別れにてつれなくみゆる有明のそら

左の歌、心すがたいうに侍るを、「うき人の」といへるや、近ごろも人よみて侍りしかど、いかにぞよわきやうに聞え侍るを、右の歌よろしくや侍らんとおもひ給へしを、「有明の空ばかりにて、月なきやいかに」とさたの侍りしを、作者やがて「此の本歌も月は侍らぬなり」と申し侍りしかば、まことにさこそ侍りけれとて、勝になり侍りしなり。

二十五番
   左             左大臣
もりあかす水のしら玉今はとてたゆむもしらぬ袖のうへかな
   右            権中納言
明くるまを何恨みけむ逢ふ事のなごりに今は恋しき物を

左、「水のしら玉いまはとて」といひ、「たゆむもしらぬ」などいへる心をかしく侍るを、右、末の句やすらかに侍るべしとて、右の勝につけて侍りにしなるべし。


二十六番 暮恋
   左             親定
いかにせんこぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空
   右              定家朝臣
ながめつつまたばと思ふ雲の色をたが夕暮と君たのむらん

左歌、「こぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空」といへる、いみじく侍りて、勝になり侍る。

二十七番
   左              宮内卿
今こんと只なほざりの言の葉をまつとはなくて夕暮の空
   右             雅経
あぢきなくそへし心のかへりこでゆくらんかたの夕暮の空

両方の「ゆふぐれの空」、心すがたともによろしくこそ侍りけれ、「待つとはなくて」といひしより、「ゆくらんかたの」といへる、いささか心のまさりて見え侍れば、右の勝になり侍るにこそ。

二十八番
   左             左大臣
何ゆゑと思ひもいれぬ夕だに待ち出でし物を山のはの月
   右              前大僧正
いかにせむ待つべしとだに思ひよらで暮れ行く鐘に打ちしをれつつ

左、「まち出でしものを山のはの月」と侍るを、右、「待つべしとだにおもひよらで」といひて、「暮れ行くかねに」といへる文字つづき、これもいみじく侍れど、左の「やまのはの月」、なほたちのぼりて侍れば、勝と定め申すなり。

二十九番
   左             俊成卿女
身にぞしむ人なき床の夕まぐれ涙の露をはらふ秋風
   右              家隆朝臣
今はただまたれしあとの夕暮の曇るばかりぞかたみなりける

左、「人なき床のゆふまぐれ」といひ、「涙の露をはらふ秋風」、よろしく侍るを、右、「曇るばかりぞかたみなりける」といへる、又えんに侍れば、持にてなん侍るべし。

三十番
   左              権中納言
荻の葉に風うちそよぐ夕ぐれや人を恋しと思ひそめけん
   右             有家朝臣
おもふ事みにしみまさるながめかな雲のはたての空のあき風

左、「荻のはに風うちそよぐ」といひ、「人を恋しとおもひそめけん」といへる、やすらかに聞え侍り。右、「雲のはたての空の秋風」は、かの「あまつ空なる人をこふる身は」といへる歌を思へるなるべし。「雲のはたて」もつよきやうに侍れば、勝になりにしなり。


三十一番 羇中恋
   左              定家朝臣
君ならぬ木のはもつらし旅衣はらひもあへず露こぼれつつ
   右             家隆朝臣
篠原やしらぬ野中のかり枕松もひとりのあきかぜの声

左歌、「木のはもつらし旅衣」といへる、すがたよろしく侍れど、右歌、「まつもひとりの秋風の声」といへる、今すこし心こもれるやうにやとて、勝に申し侍りしや。

三十二番
   左              有家朝臣
武蔵野やひとり思ひにむせぶかなきつつなれにし妻も籠らで
   右             雅経
草枕むすびさだめんかたしらずならはぬ野べの夢の通ひぢ

左は「むさし野や」とおき、「つまもこもらで」といへる、「けふはなやきそ」の歌の心にやと聞え侍るに、「ひとり思ひにむせぶかな」といへる、すこしききわけず侍るにや。右はただ「ならはぬ野べの夢のかよひぢ」といへる、いうにきこえしかば、右を勝のよし申し侍りし。

三十三番
   左             親定
君ももしながめやすらん旅衣朝たつ月をそらにまがへて
   右              左大臣
うつの山うつつかなしき道たえて夢に都の人はわすれず

左の歌、「朝たつ月を空にまがへて」と侍る心すがた、源氏物語の花のえんの歌など思ひ出でられて、いみじくえんにみえ侍り。右の歌は「うつの山うつつかなしき」など侍る、此のころうつの山あまた聞え侍るにや。左勝ち侍るべし。

三十四番
   左           権中納言
我妹子が家路にかへる心かなかさなる山をしひてすぐれば
   右            俊成卿女
わすれじの契り結びし枕さへあらぬかりねの夢ぞはかなき

左、羇中の心はたしかに侍るべし。右は「わすれじの契りむすびし枕さへ」といへる、いうには侍るにや、左猶「かさなる山をしひて過ぐ」などいへる、さまさへたしかに侍るにやとて、左勝にしるし侍るにや。

三十五番
   左            前大僧正
蔦の色に袖をあらそふ旅ねにはうつつもかなし宇津の山ごえ
   右             宮内卿
廻りあはん程をばいつといふべきぞ便りだになし宇津の山越え

左右の宇津の山ごえ、おなじくは侍れど、左は蔦の色あるやうにみえ侍り。右は「たよりだになし」といへるばかりは、ことなる事なきにやとて、左の勝とす。


三十六番 山家恋
   左             俊成卿女
人とはぬころだにつらき山里の松に心のあきかぜのこゑ
   右              家隆朝臣
わすらるる人めはつひにかれにけり誰山里の冬とまつらん

左、「比だにつらき山里の」といへる心よろしく侍るべし。右、「人めも草も」といへる歌を思へるにやとはみゆれど、いといひおほせられても聞えざるにやとて、左の勝になり侍りき。

三十七番
   左             左大臣
山がつの麻のさごろもをさをあらみあはで月日や杉ふける庵
   右              定家朝臣
風吹けばさもあらぬ峯の松もうし恋せん人は都にをすめ

左、「あはで月日や杉ふける庵」、ことのほかにまさりて、勝に申し侍りき。

三十八番
   左             親定
身をしれば思ひもよらで杉の庵に猶さりともと松風ぞふく
   右              有家朝臣
おもひわび涙ふりそふ嶺の庵にかたしく雲やうちしぐるらん

左歌、「杉の庵になほさりともと松風ぞふく」、をかしくは聞え侍るを、右の歌「かたしく雲のうちしぐるらん」ほど、いかがときこゆ。もとも左をもて勝とす。

三十九番
   左             前大僧正
山陰や山鳥の尾のながきよを我ひとりかもあかしかねつつ
   右              雅経
君しるや都もよそに嶺の雲はれぬ思ひにながめわびつつ

左、「山鳥の尾のながき夜を我ひとりかも」など侍るすがた、高く聞ゆるを、右、「君しるや」とおけるは、及びがたくきこゆ。

四十番
   左            権中納言
ひとりふすまやのすきまの雨そそき落つる涙の数そへんとや
   右             宮内卿
物思はぬ人はたえける山里に我が身ひとつの秋のゆふぐれ

左、「まや」ばかりにては山家の心なくや。右末の句、こぞの百首のうちに、有家朝臣の歌をなぞらへて、持たるべし。


四十一番 故郷恋
   左             親定
里はあれぬ尾上の宮のおのづから待ちこし宵も昔なりけり
   右              左大臣
末までと契りてとはぬ故里にむかしがたりのまつ風ぞふく

左、「尾上の宮のおのづから」ことに珍しくみえ侍るなり。右、末の句よろしく侍れども、猶左をもて勝とす。

四十二番
   左             有家朝臣
あだ人の心よりまづあれそめて庭もまがきも野べの秋かぜ
   右              家隆朝臣
さざ波や志賀の古郷いくかへりわすれがたみの袖ぬらすらん

左歌、「あだ人の心よりあれそむらん」いかが。右歌も、「志賀の古郷」に「袖ぬらすらん」もいかが。持ト為可シ。

四十三番
   左             前大僧正
色にみよ袖にしぐれの故里のみかきが原の秋のおもひは
   右              俊成卿女
飛ぶ鳥のあすかのさとに秋ふけぬ出でにし人は音づれもせで

左歌、「みかきが原の秋の思ひ」よろしく侍るべし。右、「飛ぶ鳥の」とおける、ことごとしくや聞え侍らん。「秋更けぬ」といへる、よろしく聞ゆるによりて、又持とすべくや。

四十四番
   左                権中納言
まがきには鹿もなれきて妻とふをきくに袂ぞいとど露けき
   右               宮内卿
契りしもあらずなりけり面影はありしながらの渡りなれども

左、「まがきには鹿もなれきて」といへる心、とがなく侍るを、少し俗の詞けにや侍らん。右、「ありしながらのわたりなれども」といへる、ことなる事なく侍れば、勝つべくこそ侍らめ。

四十五番
   左               定家朝臣
つれなきを待つとせしまの春の草かれぬ心のふる里の霜
   右                雅経
人ふるす里をも何かいとふべき我が身ひとつのうき名なりけり

左、「まつとせしまの春の草」などはをかしかるべきを、「かれぬ心の」など、いかがいへるにか、こころえず侍るなり。右、「里をいとひてこしかども」といへる歌の心にや、とはみえ侍れども、愚老及びがたくのみ侍れば、持とすべくや。


四十六番 旅泊恋
   左              俊成卿女
都おもふ心のはてもゆくへなき芦やの沖のうきねなりけり
   右               宮内卿
いまはとてあかで出でにし曙にゐなのみなとも月ぞかはらぬ

右、「あかで出でにし」、すこし心かすかなるにやときこえ侍るを、左、「芦屋の沖」も、さまできこえられて侍らねば、持となんかし。

四十七番
   左             権中納言
しるらめや風のたよりをまち侘びて袖に波たつ梶まくらすと
   右              定家朝臣
わすれぬは浪路の月に愁へては身をうしまどにとまる舟人

左、「かぢまくらす」とはてて侍る、いかがなど侍りしを、右の「身をうしまど」も、さまでも侍らぬにやとて、又持と定め侍りしなるべし。

四十八番
   左             親定
おもふ人をうきねの夢にみなと川さむる袂にのこるおも影
   右              有家朝臣
おもひねの夢路に人をみなと川さむればもとの浮きねなりけり

左右の湊川、「さむればもとの」といへるもよろしくはきこえ侍れど、左の「さむる袂に残るおも影」、いみじくをかしく侍れば、左ヲ以テ勝ト為。

四十九番
   左              前大僧正
ふねとむるむしあけの磯の松の風たが夢路にか又かよふらん
   右             家隆朝臣
うき枕なみに波しく袖のうへに月ぞかさなるなれしおも影

左、「たが夢路にか又通ふらん」も心をかしく侍るを、右、「波になみしく」といひて、「月ぞ重なる」などいへる、よろしくやとて、勝になり侍りしなり。

五十番
   左             左大臣
まてとしもたのめぬ磯のかぢ枕虫あけの波のねぬよとふなり
   右              雅経
片しきの袖もうきねの浪枕ひとりあかしのうらめしの身や

左右の上の句は、ともによろしくきこえ侍るを、右の下の句「うらめしの身や」、ことの外よわくみえ侍り。左、「虫明の浪のねぬ夜とふなり」、もとも勝に侍るなり。


五十一番 関路恋
   左            前大僧正
東路やひとり旅ねの日数へて涙せきあへぬあしがらの関
   右             権中納言
いかで云はんかくこそ有りけれ関守もいづら勿来のなを答へけん

左歌、とがなくみえ侍り。右歌、「いかでいはん」など、珍らしきやうには侍れど、こころえず侍れば、左勝に定め申し侍りしなり。

五十二番
   左             家隆朝臣
わすらるるうきなもすすげ清見がた関の岩こす波の月影
   右              雅経
みし人のおも影とめよ清見がた袖に関もるなみのかよひぢ

左右の清見がた、ともによろしき様にはみえ侍るを、左の「うきなもすすげ」、いかにぞや聞え侍る。「なみのかよひぢ」は、すこしまさるべくやとはみえ侍れど、持に付け侍りにけり。

五十三番
   左            俊成卿女
相坂の木綿付鳥よなれをしぞ哀れと思ひねになきてこし
   右             宮内卿
たえはつる人やはつらき心からなさへうらめし相坂の関

両首の相坂、いくほどの勝劣有りがたきやうに侍れど、ふるき心も故なきにあらず侍れば、左の勝にこそ侍らめ。

五十四番
   左             左大臣
我が恋やこのよを関と鈴鹿川すずろに袖のかくはしをれし
   右              有家朝臣
誰も又関もれとやは清見がたみせばや袖のなみの月影

左歌の「こよひを関とすずか河」、珍らしくこそ侍れ。右の歌、「みせばや袖の」など優によろしく侍るを、上句いかにぞや聞え侍れば、左のかちたるべきなり。

五十五番
   左             親定
恋をのみすまの関屋の板びさしさして袖とも波はわかじを
   右              定家朝臣
すまの浦や波におも影立ちそひて関ふきこゆる風ぞかなしき

左右の須磨の関、左は「さして袖とも」など珍らしく侍る。右は「関吹きこゆる」などは、よろしく侍るべきを、「風ぞかなしき」、あまりにやと聞え侍るうへに、左誠にえんにみえ侍り。尤モ勝ト為可シ。


五十六番 海辺恋
   左              俊成卿女
契りしを我がみひとつに松島やをじまの浪の音ばかりして
   右             有家朝臣
松島や恋せぬあまのぬれ衣ぬれてもしばしほさぬ物かは

両方、又松島なり。左、「我がみひとつに」といへるもよろしきを、右、「恋せぬあまのぬれ衣」と侍る、いたくたちまさるにこそ。

五十七番
   左             親定
いかにせん思ひありその忘れ貝かひもなぎさに波よする袖
   右              宮内卿
友とみて伊勢をのあまに宿からん物思ふみは袖もかわかず

左、「思ひありその」とおきて、「かひも渚に浪よする袖」、いとをかしくこそ侍れ。右、「友とみて」といへる、ことなることなくや侍らん。左尤もかちに侍るべし。

五十八番
   左             左大臣
打ち忘れもにすむ虫はよそにしてすまの余りに恨みかけつる
   右              雅経
契りきなさてやは頼む末の松まつにいくよの波はこえつつ

右、「まつにいくよの波はこえつつ」といへる、えんに侍るを、左猶心ふかく侍るにや。仍て勝と付け侍りしなり。

五十九番
   左             前大僧正
心あるいせをの海士のぬれ衣ほすべき波の折をしらばや
   右              定家朝臣
別れのみを島の海士の袖ぬれて又はみるめをいつか刈るべき

左右いく程の勝劣なく侍るとて、持に定め侍りしなるべし。

六十番
   左              権中納言
磯なつむいせのあま人我が袖をたぐひとみらんことぞ悲しき
   右             家隆朝臣
藻塩たれひるまもなきをわくらばにとへどもまたじすまの波風

左の歌、「類ひと見らん」など、古今の歌の詞出でくべしともみえ侍らぬにや。右の歌、「とへどもまたじすまの波かぜ」、尤も勝に侍るべし。


六十一番 河辺恋
   左             左大臣
泊瀬川ゐでこす波の岩の上におのれくだけて人ぞ強面き
   右              定家朝臣
なとり川わたればつらし朽ち果つる袖のためしのせぜの埋れ木

左の歌、「はつせ川ゐでこす波の」など、万葉集を引きて、またえんにもみえ侍るを、右の歌、「なとり川せぜの埋れ木」、事旧りて侍るべし。左歌勝ツ可ク侍らん。

六十二番
   左             親定
我が袂さて山河の瀬になびく玉もかりそめにかわくまぞなき
   右              俊成卿女
ながれての契りをよそに水無瀬川かげはなれ行く水のしら波

左、「さて山河のせになびく」とおきて、「玉もかりそめに」など侍る文字つづき、まことにみ所おほくこそみえ侍れ。右の「みなせ川」、ことなるとがなく侍れど、左尤もかちに侍るべし。

六十三番
   左             宮内卿
飛鳥川契りしことはむかしにてかはるなのみやせに残るらん
   右              雅経
篠のくまひのくま河にぬるる袖ほさでや人の面かげもみん

右「ささのくまひのくま川」、ふるき心よろしくはみえ侍るを、左「あすか川」、「かはるなのみやせに残るらん」といへる、心殊によろしく侍れば、尤も勝たるべし。

六十四番
   左             権中納言
しらざりつみはすゑまつる御秡河神さへうけぬ思ひせんとは
   右              家隆朝臣
千鳥なく河べのちはら風さえてあはでぞかへる有明のそら

左、「みはすゑまつるみそぎ川」などいへる、故ありてこそみえ侍れ。右、「有明の空」は、つねのことながらよろしく侍るを、「河べのちはら」など、いうにしもあらざるにや侍らん。左、「神さへうけぬ」などいへる、勝にや侍らん。

六十五番
   左             前大僧正
ともすればなき名立たの河波にげにぬれ衣をしぼりつるかな
   右              有家朝臣
音羽川せき入るる水の瀬をあさみたえ行く人の心をぞみる

右、本歌の心上下の句いくほどもかはらず侍るにや。左「立田川」はめづらしきさまにみえ侍れば、勝としるし侍りしなり。


六十六番 寄雨恋
   左             権中納言
雨ふれば軒の雫のかずかずに思ひみだれてはるるまぞなき
   右            俊成卿女
ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに

左歌、「雨ふれば」とおけるより、末の句まで、雨のよせ有りてはきこえ侍るを、右の歌、「時雨は袖に秋かけて」などいへる文字つづき、えんに侍るにや。仍テ勝ト為。

六十七番
   左              有家朝臣
あれまもる雨も涙もふるままにえならぬ床に水たまりつつ
   右             定家朝臣
ゆくへなき宿はととへば涙のみさののわたりのむらさめの空

左、「えならぬ床」は我が床にや侍らん。右、「佐野のわたりのむらさめの空」、ふるからずはよろしくも侍るべし。勝の字付け侍りにけり。

六十八番
   左             親定
おもふことそなたの空となけれども伊駒の山のあめの夕暮
   右              雅経
ながめわびたえぬ涙や雨とふるしぐるる空にまがふ夜の袖

左歌、「そなたの空となけれども」などいへる、誠にをかしくこそみえ侍れ。右歌、「たえぬ涙や雨とふる」などいへる、えんにはみえ侍れど、猶左の「雨の夕ぐれ」、あはれおほくこもりてみえ侍り。勝の字しかるべく侍るべし。

六十九番
   左            前大僧正
はれぬ雨の曇りそめけん雲やなに恋よりたてし烟なりけり
   右             宮内卿
年へたる思ひはいとどふかきよの窓うつ雨も音しのぶなり

左、「雲や何」とおきて、「恋よりたてしけぶなりけり」といへるすがた、めづらしくもをかしくもみえ侍り。右は上陽人などの心さこそは侍らめ。左なほ勝たるべし。

七十番
   左              左大臣
こぬ人を待つ夜ながらの軒の雨に月をよそにてわびつつやねん
   右              家隆朝臣
わびつつもうちやはねぬる宵の雨にやがて更け行く鐘の音かな

左右の歌ふるき心ともにて侍るを、左、「月をよそにて侘びつつやねん」といへる心、殊によろしく侍るべし。仍て勝に付くべし。


七十一番 寄風恋
   左             宮内卿
きくやいかにうはの空なる風だにも松に音する習ひ有りとは
   右              有家朝臣
打ちなびく草葉にもろき露のまも涙ほしあへぬ袖の秋風

右、「袖の秋風」、えんにみえ侍るを、左、心こと葉始終なほよろしく侍るにや。仍てかちとすべし。

七十二番
   左              権中納言
ひとりのみ富士の山風やむごなく恋をなどてかするがなるらん
   右             家隆朝臣
いかにせん身はならはしの物とても軒端の松に秋風ぞふく

左、「富士の山風やむごなく恋をするが」など、めづらしくこそ侍るめれ。右、「身はならはしのものとても」といひ、ちかきものよめり。□□□□□□□□□□□□みおよばず侍りけり。いかにも右勝に侍るべし。

七十三番
   左             親定
わくらばにとひこし比におもなれてさぞあらましの庭の松風
   右              前大僧正
いかにせんなぐさむやとてむすぶ庵に猶松風のみねに吹くなり

右の歌、「なほ松風の峯にふくなり」といへる心すがた、いとよろしくは侍れど、左歌、「わくらばに」とおき、「さぞあらましの」など侍るは、又及びがたく侍るべし。仍テ勝ト為。

七十四番
   左             左大臣
荻原や余所に聞きこし秋の風もの思ふくれは我が身ひとつに
   右            俊成卿女
きえかへり露ぞみだるる下荻の末こす風はとふにつけても

左歌、「よそにききこし秋の風」といひ、「物思ふくれは我が身ひとつに」といへる心、ことによろしくもえんにも覚え侍るを、右歌、「末こす風はとふにつけても」といへる、又よろしくは侍るべし。是は狭衣と申す物語の歌の心に侍るべし。左も劣るべきには侍らねど、右勝の字付け侍りしなり。愚老が面目にも侍るべし。

七十五番
   左              定家朝臣
白妙の袖のわかれに露落ちて身にしむいろの秋風ぞふく
   右             雅経
今はただこぬ夜あまたの小夜更けてまたじと思ふに松風の声

左歌、「身にしむ色の秋風ぞふく」といへる、よろしからざるにはあらざるべし。右歌、「またじと思ふに松風の声」といへる、まことにをかしかるべし。仍て勝に定まり侍りにけり。


親定           勝十四     負一
左大臣良経        勝九      負六
前大僧正慈円       勝九  持三  負三
権中納言公継       勝三  持三  負九
俊成卿女         勝五  持四  負六
宮内卿          勝四  持二  負九
大蔵卿有家        勝四  持二  負九
左近衛権中将定家     勝四  持四  負七
上総介藤原家隆      勝六  持三  負六
左近衛権少将雅経     勝四  持五  負六


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最終更新日:平成14年1月23日