水無瀬恋十五首歌合 ―羇中の恋―


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〔羇中恋〕旅の途上にあっての恋。都に残してきた妻や恋人への恋慕の情を、寂寥たる風情を以て詠むのが本意(題に相応しいとされた情趣)である。万葉集以来、好んで詠まれた題材であるが、「羇(羈)中恋」の題は先例が少なく、『藤原教長集』に一首みえる程度。もっとも、ほぼ同じ内容の題「旅恋」は例が多く、『六百番歌合』にも出題された。当歌合でことさら「羇中」の字を用いたのは、このあとに「旅泊恋」という題が用意されているためであろう。
以前の六題は「時」にかかわる恋であったが、ここからは「場所」にかかわる恋が七題続くことになる。


三十一番 羇中恋
   左            定家朝臣
君ならぬ木のはもつらし旅衣はらひもあへず露こぼれつつ
   右           家隆朝臣
篠原やしらぬ野中のかり枕松もひとりのあきかぜの声

左歌、「木のはもつらし旅衣」といへる、すがたよろしく侍れど、右歌、「まつもひとりの秋風の声」といへる、今すこし心こもれるやうにやとて、勝に申し侍りしや。

●左(定家)
君ならぬ木のはもつらし旅衣はらひもあへず露こぼれつつ


【通釈】あなたの心もそうだが、そればかりか木の葉もつれない。(木の下で都のあなたを思いつつ野宿する私の)旅衣には、払いきれないほどの露がこぼれ続けて…。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
夜をさむみねざめてきけばをしぞなく払ひもあへず霜やおくらん

【他出】「拾遺愚草」2542。

右(家隆)
篠原やしらぬ野中のかり枕松もひとりのあきかぜの声


【通釈】ああ、篠ばかり生える、見知らぬ野原の真ん中、松の根もとで野宿する。松も一本寂しげに立っているが、私も独りぽっちで、待つ人もなしに、わびしく聞くばかりだ、松の梢を吹く秋風の音を。

【語釈】◇かり枕―仮の枕。ここでは野中の松の根元を、仮の枕として借りている。◇松もひとりの―松に待つを掛ける。「もひとり」は、私もひとりぽっちだが、松も孤立している、の心。

【他出】「壬二集」2803。

■判詞
左歌、「木のはもつらし旅衣」といへる、すがたよろしく侍れど、右歌、「まつもひとりの秋風の声」といへる、今すこし心こもれるやうにやとて、勝に申し侍りしや。


【通釈】左の歌の「木のはもつらし旅衣」と詠んだのは、姿が結構ですが、右の歌の「まつもひとりの秋風の声」と詠んだのが、今すこし情感が籠もっているようではないかということで、勝と申したのでしょうか。

▼感想
両首ともやや俗調で、口ずさむには快い歌。定家の歌では特に、その調子の軽さが「旅先での侘しい恋情」という本意に叶っていない。家隆の歌が比してまさっているとも思えないが、「まつもひとりの」などに少しは侘しい情感がこもっていると見なされ、勝になった。



三十二番
   左            有家朝臣
武蔵野やひとり思ひにむせぶかなきつつなれにし妻も籠らで
   右           雅経
草枕むすびさだめんかたしらずならはぬ野べの夢の通ひぢ

左は「むさし野や」とおき、「つまもこもらで」といへる、「けふはなやきそ」の歌の心にやと聞え侍るに、「ひとり思ひにむせぶかな」といへる、すこしききわけず侍るにや。右はただ「ならはぬ野べの夢のかよひぢ」といへる、いうにきこえしかば、右を勝のよし申し侍りし。

●左(有家)
武蔵野やひとり思ひにむせぶかなきつつなれにし妻も籠らで


【通釈】ああ、武蔵野でひとり物思いをし、涙にむせぶのだなあ。何度も着てはヨレヨレになってしまった衣の褄(つま)――そのような懐かしい妻は、一緒に泊り籠もることもなくて。

【語釈】◇きつつなれにし―下記本歌を踏まえる。「なれ」は穢れ(着古してよれよれになる)・馴れ(親しむ)の掛詞。◇妻も籠もらで―下記本歌を踏まえる。「こもり」はここでは武蔵野の果てしない草叢の中にひそんで野宿する、ということ。

【本歌】「伊勢物語」第十二段
武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり
  同第九段
から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

【補記】これは伊勢物語の情趣を背景に取り込んだというよりは、一首のうちに二つの歌を本歌取りしてみせたという技巧に眼目がある。

右(雅経)
草枕むすびさだめんかたしらずならはぬ野べの夢の通ひぢ


【通釈】草の枕をどう結んで寝ればよいのか、わからない。馴れないこの野辺の夢の通い路よ――(旅寝の夢で、あなたに逢えるためには、どんな結び方をすればよいのだろう…)。

【語釈】◇草枕―草を結んでつくる枕。万葉集では「旅」にかかる枕詞。◇夢の通ひぢ―恋人との間を往き来する時、魂が通ると考えられた、夢の中の道。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
よひよひに枕さだめむ方もなしいかにねし夜か夢に見えけむ
(雅経本古今集では第三句「かた知らず」)

【校異】親長本は第四句「ならはぬよはの」とする。底本の群書類従本は新古今集に同じ。

【補記】古今集の本歌によれば、枕の置き方などによって夢見をコントロールできるという「まじない」があったらしい。雅経の歌は、枕を草枕に置き換え、野辺の仮寝を「夢の通ひ路」という決まり文句に流麗に繋げて、旅人の夢に託する心情を趣深く詠んだ。当歌合秀逸の一つ。

【他出】「若宮撰歌合」六番右勝、「水無瀬桜宮十五首歌合」六番右勝、「新古今集」1315。ほかに「続歌仙落書」「自讃歌」など。

■判詞
左は「むさし野や」とおき、「つまもこもらで」といへる、「けふはなやきそ」の歌の心にやと聞え侍るに、「ひとり思ひにむせぶかな」といへる、すこしききわけず侍るにや。右はただ「ならはぬ野べの夢のかよひぢ」といへる、いうにきこえしかば、右を勝のよし申し侍りし。


【通釈】左は「むさし野や」と(初句に)置き、「つまもこもらで」と(末句で)詠んだのは、「けふはなやきそ」の歌の心を取ったのだろうかと思えますが、「ひとり思ひにむせぶかな」という句が、少し得心がゆかないのではないでしょうか。右はなだらかに「ならはぬ野べの夢のかよひぢ」と詠んだのが、優美に聞えますので、右を勝とする旨、申し上げました。

▼感想
この番は非常にはっきりと勝負がついた。有家の歌は、全くの引き立て役になっている。



三十三番
   左           親定
君ももしながめやすらん旅衣朝たつ月をそらにまがへて
   右            左大臣
うつの山うつつかなしき道たえて夢に都の人はわすれず

左の歌、「朝たつ月を空にまがへて」と侍る心すがた、源氏物語の花のえんの歌など思ひ出でられて、いみじくえんにみえ侍り。右の歌は「うつの山うつつかなしき」など侍る、此のころうつの山あまた聞え侍るにや。左勝ち侍るべし。

左(後鳥羽院)
君ももしながめやすらん旅衣朝たつ月をそらにまがへて


【通釈】あなたももしや(旅先で)眺めているだろうか。旅衣を着て出発する朝、有明の月が、空の色にまぎれるほどうっすらと現れているのを…。

【語釈】◇朝たつ月―朝、旅立つ時に見る月。「たつ」には、月が「あらわれる」意を掛ける。

【本歌】源氏物語「花宴」
世に知らぬ心地こそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて

【補記】源氏物語の本歌は、紫宸殿での花の宴のあと、有明の月の下で出逢った女(朧月夜の君)が忘れられず、翌日、女と交換した扇に光源氏が書き付けた歌。名も知れぬまま別れた女を「有明の月」に喩えている。後鳥羽院の歌は、旅立った男を都から想いやる女の立場で、離れ離れの心細さを「空にまがへ」そうな幽かな月に託しているように思える。

【他出】「後鳥羽院御集」1601。

●右(良経)
うつの山うつつかなしき道たえて夢に都の人はわすれず


【通釈】宇津の山を越える峠道――道は細くなり、やがて繁みのうちに途絶えてしまう。現実はそのように悲しく、都で待つ人との間は断絶してしまっているけれども、夢ではあの人を忘れずに見るのだ。

【語釈】◇うつの山―今の静岡市と志太郡岡部町の境をなす峠。東海道の難路。伊勢物語の東下りの段で名高い。◇道たえて―道が途切れて。旅先にあって都の人との関係が断ち切られている状態を暗示している。

【本歌】「伊勢物語」第九段
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

【補記】「伊勢物語」には「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心細く…」とあり、良経の歌の「道たえて」はこうした情景描写を背景においている。山の名「うつ」から「現(うつつ)」を導き、夢とセットにして詠んだのも伊勢物語の轍を踏んでいるが、本歌とは異なって現実と夢とを対比させ、夢にのみ一縷の希望を託している。

【他出】「秋篠月清集」1441。

■判詞
左の歌、「朝たつ月を空にまがへて」と侍る心すがた、源氏物語の花のえんの歌など思ひ出でられて、いみじくえんにみえ侍り。右の歌は「うつの山うつつかなしき」など侍る、此のころうつの山あまた聞え侍るにや。左勝ち侍るべし。


【通釈】左の歌の「朝たつ月を空にまがへて」とあります心・姿、源氏物語の「花の宴」の歌などが思ひ出されて、大変風情あるように見えます。右の歌は「うつの山うつつかなしき」などとあります、最近「うつの山」を詠んだ歌はたくさん聞えるのではないでしょうか。左が勝って当然でしょう。

【語釈】◇此のころうつの山あまた聞え―新古今時代には「宇津の山」が歌枕としてもてはやされた。たとえば建仁元年(当歌合の前年)三月の「新宮撰歌合」には宮内卿の「古郷のたよりおもはぬながめかな花ちる比のうつのやまごえ」があり、また建仁二年三月の「三体和歌御会」には家隆の「旅ねするゆめぢはゆるせうつの山せきとはきかずもる人もなし」がある。

▼感想
源氏と伊勢を本歌取りした歌の合せとなった。なかなかの好勝負。旅の情趣と直接は関係ないが、微妙に響き合う源氏の歌を背景に置いて余情深い後鳥羽院の作と、伊勢を背景にしつつ、夢と現実を鮮明に対比させ、旅人の夢に託する心情を陰影濃く歌い上げた良経の作。右の敗因を述べる判詞は遁辞に近い。なお、宇津の山を詠んだ歌はこのすぐあとにも二首出て来る。当時それほど好まれた歌枕であった。



三十四番
   左           権中納言
我妹子が家路にかへる心かなかさなる山をしひてすぐれば
   右            俊成卿女
わすれじの契り結びし枕さへあらぬかりねの夢ぞはかなき

左、羇中の心はたしかに侍るべし。右は「わすれじの契りむすびし枕さへ」といへる、いうには侍るにや。左猶「かさなる山をしひて過ぐ」などいへる、さまさへたしかに侍るにやとて、左勝にしるし侍るにや。

左(公継)
我妹子(わぎもこ)が家路にかへる心かなかさなる山をしひてすぐれば


【通釈】心はひたすら妻の待つ家をめざし、帰ってゆくのだなあ。重なる山を、無理しても過ぎてゆくのだから。

●右(俊成卿女)
わすれじの契り結びし枕さへあらぬかりねの夢ぞはかなき


【通釈】「忘れはしない」と約束を交わした枕さえ、仮のもので、在るとも言えない。そんな仮寝に見た夢のような――はかない情事だった。

【校異】親長本、右第五句「夢ぞかなしき」。

【補記】旅の宿での一夜かぎりの情事。百人一首で名高い「難波江のあしのかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋ひ渡るべき」などと同じ設定である。

■判詞
左、羇中の心はたしかに侍るべし。右は「わすれじの契りむすびし枕さへ」といへる、いうには侍るにや。左猶「かさなる山をしひて過ぐ」などいへる、さまさへたしかに侍るにやとて、左勝にしるし侍るにや。


【通釈】左は、題の「羇中」の情趣が明確でしょう。右は「わすれじの契りむすびし枕さへ」と詠んだのが、優美ではあるでしょうか。それでもやはり、左の「かさなる山をしひて過ぐ」などと詠んだのが、風体もしっかりしているのではないでしょうかということで、左を勝に記したのでしょうか。

【語釈】◇さまたしかに侍る―「さま」は見た目、風姿などの意。

▼感想
左のほうが「羇中」という本意(ほい)が明確で、また「さま」が「たしか」であるという理由で勝になった。歌合では、題の本意(題に含まれる本来的な性質であり、詠まれるのに相応しいと考えられた情趣)に叶っているかどうかが、評価の最重要ポイントの一つであった。俊成卿女のは「羇中恋」というより、むしろ「旅宿恋」に相応しい風情か。



三十五番
   左           前大僧正
蔦の色に袖をあらそふ旅ねにはうつつもかなし宇津の山ごえ
   右            宮内卿
廻りあはん程をばいつといふべきぞ便りだになし宇津の山越え

左右の宇津の山ごえ、おなじくは侍れど、左は蔦の色あるやうにみえ侍り。右は「たよりだになし」といへるばかりは、ことなる事なきにやとて、左の勝とす。

左(慈円)
蔦の色に袖をあらそふ旅ねにはうつつもかなし宇津の山ごえ


【通釈】紅葉した蔦の色と張り合うほど、袖を真っ赤に染める紅涙――旅寝の悲しい夢から覚めたあとの現実も、また辛いことだ。宇津の険しい山道を越え…。

【語釈】◇蔦(つた)―ブドウ科のつる性植物。秋には美しく紅葉する。伊勢物語九段に宇津の山道を「蔦かへでは茂り」と描いている。◇うつつもかなし―「も」は、夢だけでなく、という心を含める。

【本歌】「伊勢物語」第九段
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

【補記】「蔦の色」とだけ言って袖の鮮明な紅涙を匂わせ、「うつつもかなし」と言って、旅寝に見た夢の悲しさを暗示している。慈円らしく、きわめて知的な操作により余情効果を狙った歌。

【他出】「拾玉集」4952。

●右(宮内卿)
廻りあはん程をばいつといふべきぞ便りだになし宇津の山越え


【通釈】ふたたびあの人に廻り逢う時を、いつと言えばよいのか。そのことを告げやる手立てとてないのだ、宇津の山を越える旅路にあって…。

【語釈】◇便り―手づる・ついで。消息・手紙の意にもなるが、ここは「消息を知らせる手立て」の意であろう。伊勢物語第九段に、主人公が宇津の山で出逢った修行者に文を託したとあるのを背景とする。

■判詞
左右の宇津の山ごえ、おなじくは侍れど、左は蔦の色あるやうにみえ侍り。右は「たよりだになし」といへるばかりは、ことなる事なきにやとて、左の勝とす。


【通釈】左右の歌はともに(末句に)「宇津の山ごえ」を詠み、同じではありますが、左は蔦の色がありありと見えるような気がします。右は「たよりだになし」と言っただけでは、格別なこともないではないかということで、左の勝とします。

▼感想
宮内卿の歌も伊勢物語を背景に置いてはいるようだが、到底情趣を有効に用いているとはいえず、平凡な歌になってしまった。



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最終更新日:平成13年12月9日