水無瀬恋十五首歌合 ―山家の恋―


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〔山家恋〕「山家」は山里の住まい。出家者にとっては世を遁れて住む庵を指すが、在俗の貴族にとっては、都の本宅に対する郊外の別荘である。都の恋人と交渉も途絶えた寂寥を詠む。先例としては、藤原忠通の家集『田多民治(ただみち)集』、『万代集』の源顕国作、『藤原隆信集』に各一首見える。


三十六番 山家恋
   左             俊成卿女
人とはぬころだにつらき山里の松に心のあきかぜのこゑ
   右              家隆朝臣
わすらるる人めはつひにかれにけり誰山里の冬とまつらん

左、「比だにつらき山里の」といへる心よろしく侍るべし。右、「人めも草も」といへる歌を思へるにやとはみゆれど、いといひおほせられても聞えざるにやとて、左の勝になり侍りき。

左(俊成卿女)
人とはぬころだにつらき山里の松に心のあきかぜのこゑ


【通釈】人の訪れが絶える今頃の季節でさえ、あの人はつれない――私が待ち暮らす山里では、松に吹き付ける秋風の声が寂しく聞えるばかり。「あの人の心はもうおまえに飽きたのだ」と告げるかのように…。

【語釈】◇つらき―態度が冷淡だ。仕打ちが辛い。◇松―待つを掛ける。◇あきかぜ―飽きを掛ける。

【校異】親長本、下句は「月に心の松風のこゑ」。

●右(家隆)
わすらるる人めはつひにかれにけり誰山里の冬とまつらん


【通釈】捨てられた人である私には、人の訪れもすっかり間遠になってしまった。それなのに誰が虚しく待っているのだろう。「さびしさまさる」という山里の冬だからと…。

【語釈】◇人め―人が逢いに来てくれること。前句「わすらるる」は「人」に掛かり、「忘れられた人に、人目は…」という文脈。また「め」に芽を掛け、「枯れ」と関連づけられる。◇かれにけり―(か)れにけり。訪問が遠ざかってしまった。◇山里の冬と―寂しい山里の冬だから、せめて情けをかけて人が来てくれるかと。むなしい期待を込めているのである。

【本歌】源宗于「古今集」
山里は冬ぞさびしさまさりけり人目も草もかれぬと思へば

【校異】親長本は第二句「人めはいつも」。「壬二集」も同じだが、末句は「冬となるらん」。

【他出】「壬二集」2804。

■判詞
左、「比だにつらき山里の」といへる心よろしく侍るべし。右、「人めも草も」といへる歌を思へるにやとはみゆれど、いといひおほせられても聞えざるにやとて、左の勝になり侍りき。


【通釈】左は、「比だにつらき山里の」といった風情が結構でしょう。右は、「人めも草も」という歌を思ったのだろうかとは見えますが、とても言い遂げられたとも聞えないのでは、ということで、左の勝になりました。

【語釈】◇いひおほせられて―「おほせ」は動詞の連用形について「…しとげる」「きちんと…しこなす」の意になる。

▼感想
家隆の歌は、判詞に「いひおほせられても聞えざる」と指摘されている通り、特に下句が言葉足らずで、解釈に苦しむ。



三十七番
   左             左大臣
山がつの麻のさごろもをさをあらみあはで月日や杉ふける庵
   右              定家朝臣
風吹けばさもあらぬ峯の松もうし恋せん人は都にをすめ

左、「あはで月日や杉ふける庵」、ことのほかにまさりて、勝に申し侍りき。

左(良経)
山がつの麻のさごろもをさをあらみあはで月日や杉ふける庵


【通釈】山人の着る麻の衣は、筬の使い方が粗いので、織り糸の目が合っていない。そのように、私はあの人と離れ離れのまま月日が過ぎてゆくのかなあ、杉板で葺いた山小屋に住んで…。

【語釈】◇山がつ―山または山里に住み、山でとれるもの(木や獣)によって生計を立てていた人々。木こり・炭焼など。◇をさ―筬。「織機の付属具。経(たて)糸の位置を整え、緯(よこ)糸を織り込むのに用いる。竹の薄い小片を櫛の歯のように列ね、長方形の框(わく)に入れたもの(竹筬)であった」(広辞苑)。◇をさをあらみ―筬を使って織る、その織り方が粗いので。ここまでは「あはで」を導く序。◇杉―「過ぎ」を掛ける。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
すまのあまのしほやき衣をさをあらみまどほにあれや君がきまさぬ

【補記】序詞の使い方といい、第三句のいわゆるミ語法といい、これも古調をめざした歌である。ア音とサ音の繰り返しによる調べは洗練され、下句の凝縮された語法も見事。

【他出】「若宮撰歌合」八番左勝、「水無瀬桜宮十五番歌合」八番左勝、「秋篠月清集」1442、「新古今集」1108。

●右(定家)
風吹けばさもあらぬ峯の松もうし恋せん人は都にをすめ


【通釈】風が吹くと、いつもは左程でない峯の松も、無情に思える。恋している人なら、都に住むがいい。(こんな山里に住むものではない。)

【語釈】◇松もうし―松を響かせる風の音は寂寥を催すものとされたので、「憂し」と言う。松に「待つ」を掛ける。◇恋せん人は―この助動詞「ん(む)」は、当面の話が仮定であることを示す用法で、意志や推量の意味はない。もし恋をする人であったら、ほどの意。◇都にをすめ―この「を」は普通間投助詞と説明されるはずである。一般の助詞のように語と語の関係付けをせず、単にある種の気分を表出したり、音数をととのえたりするために投入される辞。

【他出】「拾遺愚草」2543。

【補記】軽みが魅力の歌か。

■判詞
左、「あはで月日や杉ふける庵」、ことのほかにまさりて、勝に申し侍りき。


【通釈】左の「あはで月日や杉ふける庵」、格別に優れており、勝に定め申しました。



三十八番
   左             親定
身をしれば思ひもよらで杉の庵に猶さりともと松風ぞふく
   右              有家朝臣
おもひわび涙ふりそふ嶺の庵にかたしく雲やうちしぐるらん

左歌、「杉の庵になほさりともと松風ぞふく」、をかしくは聞え侍るを、右の歌「かたしく雲のうちしぐるらん」ほど、いかがときこゆ。もとも左をもて勝とす。

左(後鳥羽院)
身をしれば思ひもよらで杉の庵に猶さりともと松風ぞふく


【通釈】身の程はよく分かっているので、あの人が来てくれるなどとは思いもよらずに過ごしてきた、杉板葺きの小屋――そこへ(夕暮になると)松風が寂しい音をたてて吹きつけるのだ、「やはり来てくれるかもしれない。待ってみようか…」と思わせるように。

【語釈】◇杉の庵に―「杉」に「過ぎ」を掛ける。◇猶さりともと―それでもやはり(あの人が来てくれるかもしれない)と。◇松風ぞふく―「松」に「待つ」を掛ける。

【他出】「後鳥羽院御集」1602。

●右(有家)
おもひわび涙ふりそふ嶺の庵にかたしく雲やうちしぐるらん


【通釈】峯の上の庵で、恋しさに嘆き、涙さえ加わって私の袖を濡らす。雲を片敷くような所で独り寝しているので、その雲がしぐれるとでもいうのだろうか。

【語釈】◇涙ふりそふ―時雨が降るうえに、涙までが添わる。◇かたしく雲―「かたしく」は、自分の衣だけを敷いて独り寝する。山の上の庵で寝ることを、「雲をかたしく」と誇張して言っている。参考例「月さへに旅の空とやおもふらん雲の衣をかたしきてけり」(『源有房集』)、「山ふかき雲の衣をかたしきて千里のみちに秋かぜぞふく」(良経『西洞隠士百首』)。

■判詞
左歌、「杉の庵になほさりともと松風ぞふく」、をかしくは聞え侍るを、右の歌「かたしく雲のうちしぐるらん」ほど、いかがときこゆ。もとも左をもて勝とす。


【通釈】左の歌、「杉の庵になほさりともと松風ぞふく」、興趣深く聞えるのに対し、右の歌、「かたしく雲のうちしぐるらん」あたりが、どんなものかと思えます。当然、左を勝とします。

【語釈】◇かたしく雲の―「かたしく雲や」が正しい引用。底本のままとした。◇いかがときこゆ―不審の表明。



三十九番
   左             前大僧正
山陰や山鳥の尾のながきよを我ひとりかもあかしかねつつ
   右              雅経
君しるや都もよそに嶺の雲はれぬ思ひにながめわびつつ

左、「山鳥の尾のながき夜を我ひとりかも」など侍るすがた、高く聞ゆるを、右、「君しるや」とおけるは、及びがたくきこゆ。

左(慈円)
山陰や山鳥の尾のながきよを我ひとりかもあかしかねつつ


【通釈】暗い山陰の庵で、長い長い夜を、ああ私一人きり、明かすに明かせぬ思いで…

【語釈】◇山鳥の尾の―「ながき」を導く序。下記本歌に拠る。

【本歌】柿本人麿「拾遺集」
あしひきの山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかも寝む

【補記】初句と末句以外は、人麿の本歌に少し手を加えただけの歌。しかしながら、初句「山陰や」は、「我」のいる場所に具体的な映像を付与するとともに、ヤ音を畳み重ねて声調においても一首の陰影を深くしている。また末句「あかしかねつつ」は、夜の長さに堪えきれぬ「我」の思いに、さらなる余韻を添えている。名人芸的な本歌取りと言うべきか。

【他出】「若宮撰歌合」十三番左勝(山かげや山鳥の尾の長き夜に我ひとりかはおきあかしつつ)、「水無瀬桜宮十五番歌合」十三番左勝、「拾玉集」4953。

●右(雅経)
君しるや都もよそに嶺の雲はれぬ思ひにながめわびつつ


【通釈】あなたは知っているだろうか。都を遥か遠く、嶺の雲のかなたに見て、晴れない気分でぼんやり過ごしては溜息をついてばかりいる私のことを…。

【語釈】◇嶺の雲―「はれぬ」を導くはたらきを持ち、また末句の「ながめ」の対象をも示している。嶺の「み」に、(よそに)「見」を掛ける。◇―◇―

【他出】「明日香井和歌集」1104。

■判詞
左、「山鳥の尾のながき夜を我ひとりかも」など侍るすがた、高く聞ゆるを、右、「君しるや」とおけるは、及びがたくきこゆ。


【通釈】左は「山鳥の尾のながき夜を我ひとりかも」などとあります姿、品格高く感じられるのに対し、右は(初句に)「君しるや」と置いたのは、(高さで)匹敵し難く感じられます。

【語釈】◇高く聞ゆる―丈高く感じられる。「高く」は、格調高く、大柄な感じを讃める。

▼感想
雅経の「君しるや」の歌も品のよい姿で、格調もあるが、慈円の作の丈高さには及ばない、ということであろう。



四十番
   左            権中納言
ひとりふすまやのすきまの雨そそき落つる涙の数そへんとや
   右             宮内卿
物思はぬ人はたえける山里に我が身ひとつの秋のゆふぐれ

左、「まや」ばかりにては山家の心なくや。右末の句、こぞの百首のうちに、有家朝臣の歌をなぞらへて、持たるべし。

左(公継)
ひとりふすまやのすきまの雨(あま)そそき落つる涙の数そへんとや


【通釈】独りで臥せっている小屋の、屋根の隙間から落ちる、雨だれ。こぼれ落ちる涙の数を、さらに増やそうというのか。

【語釈】◇まや―真屋。切妻造りの小屋。◇雨そそき―雨だれ。

【本歌】催馬楽「東屋」
東屋のまやのあまりのその雨そそきわれ立ちぬれぬ殿戸開かせ

【校異】親長本は第二句「まやの板まの」。

右(宮内卿)
物思はぬ人はたえける山里に我が身ひとつの秋のゆふぐれ


【通釈】物思いに耽らない人は誰ひとりいなくなった、それ程あわれ深い秋の山里で――私はたった独り迎えるのだ、わけても淋しい夕暮れ時を。

【参考歌】藤原有家「千五百番歌合」
袖のうへにたれかはかかるつゆはおくわが身ひとつの秋のゆふぐれ

【補記】全く同じ歌が『正治後度百首』(正治二年-1200-成立と推測される)にも宮内卿の作として見える。自作を転用したか。あるいは、当歌合が初出で、後度百首にはのち補入したか。不審。

【他出】「正治後度百首」865。

■判詞
左、「まや」ばかりにては山家の心なくや。右末の句、こぞの百首のうちに、有家朝臣の歌をなぞらへて、持たるべし。


【通釈】左は「まや」とあるだけでは、山家の風情がないのでは。右の末の句は、去年の百首の中にある有家朝臣の歌を模していて、持とすべきでしょう。

【語釈】◇こぞの百首―建仁元年(1201)六月頃詠進された後鳥羽院の第三度の百首。翌年歌合にされ、いわゆる『千五百番歌合』と通称される。◇有家朝臣の歌―上記参考歌。



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最終更新日:平成13年12月17日