藤原保季 ふじわらのやすすえ 承安一〜没年未詳(1171-?) 法名:寂賢

六条藤家。従三位重家の息子。叔父季経の猶子となる。経家・顕家・藤原有家の弟。
承安四年(1174)、叙位。建久三年(1192)十月、中務権大輔。同六年二月、左馬権頭。建保六年(1218)正月、従三位に至る(この時散位)。承久三年(1221)十月、病により出家。
建久六年(1195)、「民部卿家歌合」に出詠。やがて後鳥羽院歌壇を中心に活躍をみせ、正治二年(1200)の「院当座歌合」「石清水若宮歌合」、建仁元年(1201)の「通親亭影供歌合」「新宮撰歌合」「千五百番歌合」、元久元年(1204)の「春日社歌合」などに参加した。順徳天皇の内裏歌合、承久二年(1220)以前の「道助法親王家五十首」などにも詠進している。新古今集初出。勅撰入集計七首。『続歌仙落書』には沙弥寂賢の名で二首採られている。

雨中藤花

咲きかかる軒端の藤のしづくより色ふかくなる春のむら雨(通親亭影供歌合)

【通釈】軒端に咲きかかる藤から垂れる雫――春の村雨が降るたびに、藤の花は色が深くなってゆく。

【語釈】◇しづくより… 藤の花から滴る水はすなわち春のむら雨である。それによって、藤の花の色が濃くなる。やや無理のある語法。

【補記】建仁元年(1201)三月。

杜間郭公といふことを

過ぎにけり信太(しのだ)の森の時鳥たえぬしづくを袖に残して(新古213)

【通釈】飛びすぎていった、信太の森のほととぎすは。絶えずこぼれ続ける雫を、私の袖に残して…。

【語釈】◇信太の森 大阪府和泉市葛の葉町の葛之葉稲荷神社の森という。時鳥の名所。◇しづく 涙を暗示。

【補記】千五百番歌合。

 

山ふかき秋を見るにも思ふかなこれより奧の夕暮の空(千五百番歌合)

【通釈】深山に入り込み、秋深い気色を見るにつけ思いを馳せることだ、これよりさらに奥の、夕暮の空のあわれ深さを。

【語釈】◇山ふかき秋 「ふかき」は山にも秋にも掛かり、「山深くの、晩秋のけしき」ほどの意味となる。◇これより奥の これも時間・空間両方について言う。さらに山奥の、さらに季節が奥まった時の。

【主な派生歌】
山ふかく又たがかよふ道ならんこれより奥の峯の梯(*鷹司冬平[玉葉])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日