菅原孝標女 すがわらのたかすえのむすめ 寛弘五〜没年未詳(1008-?)

常陸守従四位下(上?)菅原孝標の娘。道真の六代孫にあたる。母は藤原倫寧(みちやす)の娘。歌人の長能は母方の伯父、藤原道綱母は母方の伯母である。兄に文章博士定義・安楽寺別当基円がいる。甥に在良がいる。橘俊通との間に仲俊らをもうけた。
後一条天皇の寛仁元年(1017)、十一歳の時、父が上総介となり、任国に同行する。上総国では物語を愛読し、等身の薬師仏を作って、京へのぼりあらゆる物語が読めるように祈ったという。同四年暮、帰京を果すが、以後父は官途に恵まれず、一家は不如意な生活が続いた。治安元年(1021)、十四歳の時、おばから念願の源氏物語全巻をもらい、「后の位も何にかはせむ」と耽読する。万寿元年(1024)、姉が死に、以後二人の遺児を世話する。未婚のまま二十代を過ごし、長暦三年(1039)頃、後朱雀天皇第三皇女祐子内親王家に宮仕えを始める。しばらく後、橘俊通(としみち)の妻となる。長久二年(1041)、夫は下野守となったが、任国に同行せず、再出仕する。同三年、右中弁源資通(すけみち)と春秋の優劣を語る。その後も資通と会う機会をもったが、ほのかな恋に終わったらしい。天喜五年(1057)七月、夫の俊通は信濃守に任ぜられ、任国に赴任。作者は再び京に留まった。翌康平元年(1058)四月、夫は上京したが、同年秋に発病し、十月に亡くなった。この時孝標女は五十一歳。その後、養育した甥なども離散し、孤独のうちに過ごしたらしい。
晩年、生涯を回想した『更級日記』を著す。同書定家自筆本の奥書によれば、『よはの寝覚』『みつのはま松(浜松中納言物語)』などの作者であるという。歌人としての公的な場での活躍は見られない。新古今集初出。勅撰入集は十五首。

祐子内親王藤壺にすみ侍りけるに、女房うへ人などさるべき限り物語りして、春秋のあはれいづれにか心ひくなどあらそひ侍りけるに、人々おほく秋に心をよせ侍りければ

浅みどり花もひとつに霞みつつおぼろにみゆる春の夜の月(新古56)

【通釈】春と秋とどちらに心が惹かれるかと申しますと、わたくしは薄藍の空も、桜の花も、ひとつの色に霞みながら、朧ろに見える春の夜の月のすばらしさ、それゆえ春と申します。

【語釈】◇祐子内親王 後朱雀天皇第三皇女、高倉一宮と号す。母は中宮嫄子(もとこ)◇浅みどり 浅葱色。薄い藍色。夕空の色。

後朱雀院御時、祐子内親王藤壺にかはらず住み侍りけるに、月くまなき夜、女房むかし思ひ出でてながめ侍りける程、梅壺女御まうのぼり侍りける訪ひをよそに聞き侍りて

(あま)のとを雲ゐながらもよそにみて昔の跡をこふる月かな(新勅撰1074)

【通釈】天上界への扉を、雲の上にいながらも遠くから見て、亡き人の往き来した跡をなつかしがる…今夜は月もそんな風情だし、私たち女房も月を眺めてはそんな思いに耽っている。

【語釈】◇天のと 天界へ通ずる門。尊貴の人々を暗喩する。ここでは、具体的には後朱雀天皇と梅壺女御を指す。◇梅壺女御 後朱雀天皇の女御、藤原生子。教通の娘。長暦三年(1039)十二月、入内。◇昔の跡をこふる 祐子内親王の亡母で朱雀天皇の中宮であった藤原もと子(げんし)に対する追想を言っている。「故宮のおはします世ならましかば、かやうにのぼらせ給はましなど、人々いひ出づる、げにいとあはれなりかし」(更級日記)。

甥どもなど、ひと所にて、朝夕見るに、かうあはれに悲しきことののちは、所々になりなどして、誰も見ゆることかたうあるに、いと暗い夜、六郎にあたる甥の来たるに、珍しうおぼえて、

月も()でで闇に暮れたる姨捨(をばすて)になにとて今宵たづね来つらむ(更級日記)

【通釈】我が家はまるで、月も出ずに暮れてしまい、闇に包まれた姨捨山のよう。そんな叔母の家に、またどうして今夜訪ねて来てくれたのでしょうね。

【語釈】◇甥ども 孝標女は姉の遺児の育ての親のようなものであった。◇かうあはれに悲しきこと 康平元年(1058)十月に夫の俊通が亡くなったこと。◇姨捨 信濃国更級の歌枕。月の名所。「叔母」を掛けている。

【補記】この歌が『更級日記』の名の由来となった。

浜松中納言物語の歌 藤原定家撰『物語二百番歌合』の『拾遺百番歌合』より

帰朝の後、筑紫にて、送りに()で来たる唐人の帰るにつけて、河陽県の妃の女王の君に   中納言

何にかはたとへて言はむ海のはて雲のよそにて思ふ思ひは

【通釈】何に喩えて言ったらよいだろう。海の遠い彼方、雲の遥か彼方にいて、あなたを思うこの思いを。

【語釈】◇河陽県の妃の女王の君 唐太宗の子「しんの親王」が来日中に日本人に生ませた子であるが、唐に渡って皇帝の后となった。浜松中納言と恋に落ち、一子をなした。

【補記】唐から日本に帰国したのち、浜松中納言が恋人の河陽県后を思慕して詠んだ歌。

唐人の帰るにつけて、一の大臣の五の君のもとに   中納言

あはれいかでいづれの世にか巡り逢ひてありし有明の月を見るべき

【通釈】ああ、どうしたら、いつか転生してあなたに巡り逢い、ともにあの時の有明の月を再び見ることができるだろうか。

【語釈】◇一の大臣の五の君 「唐の一の大臣」の五女。浜松中納言の父の生まれ変りである三郎の妹にあたる。

【補記】この歌は続古今集巻十五恋五に題不知・菅原孝標女の作として載る。初句は「あはれまた」。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日