藤原道経 ふじわらのみちつね 生没年未詳

大納言道綱の曾孫。顕綱の息子。母は美濃守経国の娘。
従五位上和泉守に至る。藤原忠通家の歌壇で活躍。鴨長明『無名抄』によれば、俊成基俊に紹介し、これが機縁となって俊成は基俊に入門したという。永長元年(1096)の師時家歌合、永久四年(1116)の八条太政大臣家歌合、同五年五月の内大臣忠通家歌合、元永元年(1118)の中院入道右大臣家歌合、同二年の内大臣忠通家歌合、長承三年(1134)の中宮亮顕輔歌合などに出詠。金葉集初出。勅撰入集十九首。

題しらず

夕されば玉ゐる数もみえねども関の小川の音ぞ涼しき(千載211)

【通釈】夕暮になったので、岩間に浮かぶ玉のような泡の数も見えないけれど、関の小川のせせらぎの音は涼しげだ。

【語釈】◇玉ゐる数も… 源経信の歌「照る月の岩間の水に宿らずは玉ゐる数をいかで知らまし」に拠る。◇関の小川 逢坂の関の小川か。または不破の関の近くを流れる藤川(関の藤川)か。

法性寺入道前関白太政大臣家歌合に

庭に生ふる夕かげ草の下露や暮を待つ間の涙なるらむ(新古1190)

【通釈】庭に生える夕影草の下葉に宿った露は、夕暮を待つ間に流した女の涙なのだろう。

【語釈】◇夕かげ草 万葉集の笠女郎の歌に初見される語(本歌参照)。夕暮の光の中に見える草。朝顔やムクゲとする説もある。

【本歌】笠女郎「万葉」4-594
我が屋戸の夕陰草の白露の消けぬがにもとな思ほゆるかも


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日