成助の曾孫。賀茂神主重継の息子。嘉応元年(1169)、従四位下。治承元年(1177)、賀茂神主となる。子の重政も勅撰歌人。
俊恵の歌林苑の会衆であり、また経済的な支援者でもあったという。仁安二年(1167)の太皇太后宮亮経盛歌合をはじめ、嘉応二年(1170)の左衛門督実国歌合、承安二年(1172)の広田社歌合などに出詠。治承年間(1177〜1183)以後、別雷社・賀茂社・自邸で歌会・歌合を主催した。寂蓮・二条院讃岐ら当代歌人三十六人に対し賀茂社に奉献する百首歌の提出をもとめ(寿永百首)、これに基づき寿永元年(1182)までに『月詣和歌集』を編纂した。千載集初出。勅撰入集十八首。
時鳥の歌とてよめる
ほととぎすしのぶる頃は山びこのこたふる声もほのかにぞする(千載150)
【通釈】ほととぎすがまだ忍び音にしか鳴かない頃は、山彦の応答する声もほのかに聞えるばかりである。
【語釈】◇しのぶる 忍び音に鳴く。初夏、鳴き始めて間もない頃の鳴き方。
【参考歌】能因法師「詞花集」
山びこのこたふる山のほととぎす一声なけば二声ぞきく
【補記】時鳥の初音を求めて山に入ったという状況設定で詠む。まだ忍び音なので、上記参考歌のように「一声鳴けば二声ぞ聞く」と言うには「ほのか」に過ぎる声なのである。
題しらず
夕まぐれすがる鳴く野の風の音にことぞともなく物ぞかなしき(風雅1538)
【通釈】夕暮、鹿の鳴く野に風が吹く。その音を聞いていると、これということもないのだが、何か悲しくてならない。
【語釈】◇すがる 本来はジガバチ(腰の細い蜂)を言ったようで、万葉集では美女のくびれた腰の喩えに用いている。平安期以降は鹿の異称(歌語)と理解されていたらしい。
【参考歌】作者未詳「是貞親王家歌合」
ひぐらしのなく秋山をこえくればことぞともなく物ぞかなしき
夏にいりて恋まさるといへる心をよめる
人しれず思ふ心は
【通釈】人知れずあの人を思う心はあまりに深いので、深見草の花が色濃く咲くように、その思いがおもてに出てしまったよ。
【語釈】◇深見草 牡丹。「深み」(「深いので」の意)を掛ける。
【参考歌】橘俊綱「大納言経信集」
君を我がおもふ心のふかみぐさ花のさかりにくる人もなし
賀茂社歌合とて人々すすめてよみ侍りける時、述懐の歌によめる
君をいのるねがひを空にみてたまへ
【通釈】君の栄えを祈る願いを、大空いっぱいに満たして叶えて下さい。別雷の神であられるなら、神よ。
【語釈】◇君をいのる 歌合では「すべらきの」とあり、この「君」は天皇を指すのが本意であろう。◇別雷の神 賀茂神社の祭神、賀茂別雷命。雷神を父に、玉依姫を母に生まれたとされる。
【補記】治承二年(1178)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂社)で重保が主催した「別雷社歌合」に出詠した歌。三十番右勝。
【他出】歌枕名寄、雲玉集
【参考歌】能因「金葉集」
天の川なはしろ水にせきくだせ天下ります神ならば神
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年08月01日