商長首麻呂 あきおさのおびとまろ 生没年未詳

駿河国の人。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。商長氏は交易に携わった氏族らしい。「首(おびと)」は姓(かばね)か名の一部か不明。

 

忘らむて野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせのかも(万20-4344)

【通釈】忘れようと野行き山行き長い道のりを俺はやって来たけれども、俺の父と母のことは忘れることができないなあ。

【語釈】◇忘らむて 忘れてしまおうと。「忘ら」は四段活用動詞「忘る」の未然形。「む」は意志をあらわす助動詞で、「忘らむ」は「意識的に忘れよう」の意(因みに「忘れむ」は「自然と忘れてしまうだろう」の意になる)。助詞「て」は「と」の訛り。◇忘れせのかも 「忘れせぬかも」の訛り。

【補記】駿河から難波へ向かう道中か、あるいは難波に着いての作であろう。「溜め息をそのまま詠み上げたような純情な歌である。感のある歌である」(窪田空穂『万葉集評釈』)。

【主な派生歌】
草枕ゆふべゆふべに数ふれば野くれ山くれ我は来にけり(契沖)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年12月2日