藤原長実 ふじわらのながざね 承保二〜長承二(1075-1133)

修理大夫顕季の息子。母は太宰大弐藤原経平女(通俊の姉妹で、金葉・詞花集に歌を載せる歌人)。顕輔・家保の兄。鳥羽后美福門院得子・為真の父。
応徳三年(1086)、叙爵。権中納言、正三位に至る。薨後、左大臣正一位を追贈される。
鳥羽殿北面歌合、右近衛中将雅定歌合などに出詠。八条亭と呼ばれた自邸でたびたび歌会を催す。保安二年(1121)閏五月には自邸に藤原顕輔・源俊頼ら著名歌人を招いて二度にわたる歌合を主催した(内蔵頭長実白河家歌合・内蔵頭長実家歌合)。金葉集初出。勅撰入集十九首。

野草帯露といへる事をよめる

真葛(まくず)はふ阿太(あだ)の大野の白露を吹きなみだりそ秋の初風(金葉157)

【通釈】葛が生えている阿太の大野――その葛の葉に置いた美しい露を吹き乱すな、秋の初風よ。

【語釈】◇真葛 マメ科の蔓草。初秋、赤紫色の穂状花が咲く。葉の裏は白く、秋風にひるがえるさまが好んで歌に詠まれた。◇阿太 奈良県五条市。

【補記】「まくずはふ」「阿太の大野」は万葉語彙。万葉ぶりを好んだ長実の作風がよく表れている。万葉集の影響は「あづさゆみ春のけしきになりにけり入佐の山に霞たなびく」「春ふかみ神奈備川にかげみえてうつろひにけり山吹の花」などにも顕著である。

【本歌】作者不詳「万葉集」巻十
真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る

【主な派生歌】
置く露も千種ながらにみだれゆくあだの大野の月かげはをし(*堀田一輝)


最終更新日:平成17年03月21日