生部道麻呂 みぶべのみちまろ 生没年未詳

駿河国の人。助丁(すけのよほろ)。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。生部は「壬生部」「生壬部」などの略。皇子の養育料を負担する部民。

 

畳薦(たたみけめ)牟良自(むらじ)が磯の離磯(はなりそ)の母を離れて行くが悲しさ(万20-4338)

【通釈】牟良自の磯の離れ岩のように、母を離れてゆくことの悲しさよ。

【語釈】◇畳薦(たたみけめ) 「畳薦(たたみこも)」の訛り。真薦(まこも)で作った敷物。「むらじ」の枕詞に違いないが、かかり方は未詳。◇牟良自が磯 未詳。作者の故郷駿河国のどこかの岩礁であろう。◇離磯 離れ岩。「離磯の」までは実景を写しつつ、第四句の「離れ」を起こす序詞のはたらきをする。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日