天平五年(733)四月三日に出航した第九次遣唐使の一員の母。この時の大使は多治比広成、副使は中臣名代。留学生には大伴古麻呂らがいた。また興福寺僧栄叡・普照らが随行した。
天平五年
秋萩を 妻問ふ
反歌
旅人の宿りせむ野に霜降らば
【通釈】[長歌]秋萩を妻問う鹿は、独りしか子を持たないと言うが、その鹿の子のようにたった独りしかない私の子が、旅に出て行くので、竹玉をたくさん緒に通して垂らし、斎瓮に木綿を取り付けて、潔斎して神に祈りながら、私が身を案じる我が子よ、無事であっておくれ。
[反歌]旅人が宿をとる野に霜が降ったら、空飛ぶ鶴の群よ、我が子を羽の下に包んでやっておくれ。
【語釈】[長歌]◇秋萩を 妻問ふ 萩は鹿の妻と見なされた。◇鹿子じもの 吾が独り子の 「じもの」は「…のようで」の意。鹿はふつう一度に一匹しか子を産まないので、こう言った。◇竹玉 竹の輪切りに似た小円筒状の管玉(くだたま)という。◇斎瓮 神酒を盛るための甕に似た土器。底が平らでなく安定しないので、穴を掘るなどして据えたらしい。
[反歌]◇羽ぐくむ 親鳥が雛を羽の下でかばい、育てること。
【主な派生歌】
世の中の憂き人の子をはぐくまむ翅かしてよあめの鶴むら(加藤宇万伎)
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月05日