陰陽頭天文博士従四位上賀茂保憲の娘。『池亭記』『日本往生極楽記』などの作者慶滋保胤は叔父。また歌人相模は従兄弟の孫にあたる。なお『続本朝往生伝』には賀茂保憲の孫で「賀茂女」を母とする縁妙という名の比丘尼の記事が見え、出家前、二条関白教通の侍女で監(げん)の君と呼ばれたとある。
正暦四年(993)に流行した疱瘡(天然痘)を患ったらしく(病を麻疹とする説もある)、その病床で書き集めたのが家集『賀茂保憲女集』(『賀茂女集』)の歌々であるという。宮仕えをした形跡はなく、歌合などに参加した記録もなく、その生涯はほとんど不明である。
風雅集初出。代々の勅撰集に採られた歌は三首のみ。ただし拾遺集と新古今集に読人不知歌として家集所載歌が入集している。
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この歌は、
春 3首 夏 1首 秋 4首 冬 2首 恋 4首 雑 1首 計15首
鶯は惜しむとや啼く朝ぐもり散りゆく雪の花のなごりに(賀茂女集)
【通釈】うぐいすは愛しく思って啼くのか。朝曇りの今日、散ってゆく雪のような白梅の花のなごり惜しさに。
【補記】散る白梅の花を雪に喩え、花のなごりを惜しんで鶯が鳴くかとした。
【参考歌】よみ人しらず「寛平御時后宮歌合」「新古今集」
霞たつ春の山べにさくら花あかず散るとや鶯の啼く
源重之「重之集」
散る花を惜しむとや啼く鶯の折しれりとも見ゆる春かな
ゆふつけのしだりも永き春の日の明けばうららに啼くぞ悲しき(賀茂女集)
【通釈】木綿付け鳥が、その垂り尾のように永々とした春の一日が明けると、のどかな様子で啼き声をあげるのが切ないのだ。
【語釈】◇ゆふつけ 木綿付け鳥。鶏のこと。◇しだり 垂り尾。「しだりも」で「永き」を導く。◇うららに のどかに。
うき世には花ともがなやとどまらで我が身を風にまかせはつべき(賀茂女集)
【通釈】浮世にあっては花でありたいものだ。いつまでも留まらずに、我が身を風にすっかり任せきってしまうべきだろう。
山里に知る人もなき時鳥なれにし里をあはれとぞ啼く(賀茂女集)
【通釈】山里に知っている人もいない時鳥は、ただ馴れ親しんだ里を愛しいと啼くのだろうか。
【補記】人なら普通恋人や友人を懐かしんで泣くだろうが、天涯孤独の時鳥は山里を愛しいと啼くのか。山里に独り暮す人の、我が身を時鳥に重ねた感慨。
秋風のさむき宵間にをぎの葉にそそのかされて人ぞ恋しき(賀茂女集)
【通釈】秋風が寒く吹く宵に目が覚め、荻の葉のざわめく音に誘い導かれて、人が恋しくてならないのだ。
【語釈】◇をぎ 荻。「起き」を掛ける。◇をぎの葉にそそのかされて 風が荻の葉をざわめかすのは、恋人の訪れの前兆とされた。荻のそよぐ擬音「そそ」を掛ける。
秋歌の中に
秋の夜の寝覚のほどを雁がねのそらに知ればや啼きわたるらむ(風雅549)
【通釈】長い秋の夜の寝覚がどれほど侘びしいものか、その程を、空飛ぶ雁はそれとなく知っているから啼いて渡るのだろうか。
【語釈】◇そら 空の意に「何となく」といった意を掛ける。
あえよとて菊の白露のごへども過ぎにし
【通釈】長寿にあやかって、こぼれ落ちよとばかりに菊の白露で身体を拭ったけれども、過ぎ去ってしまった年齢が甦ることはなかったよ。
【語釈】◇あえよとて 「あやかれと思って」「こぼれ落ちよとばかりに」の両義。◇菊の白露 重陽の節句に菊の露で身体を拭くことは、長寿あるいは若返りの効験があるとされた。
曇りつつ涙しぐるる我が目にも猶もみぢ葉は赤く見えけり(賀茂女集)
【通釈】曇っては時雨が降り過ぎるように、しょっちゅう涙に濡れる私の目――そんな目にも、いやそんな目だからこそ、紅葉した木々の葉はいっそう赤く、美しく見えるのだ。
【語釈】◇曇りつつ涙しぐるる 時雨は降ったりやんだりの通り雨。そのように眼が涙で曇ったり、しとどに濡れたりする。
【補記】悲しみに濡れた目にこそ、美しく映える紅葉。時雨が紅葉を美しくする、という当時の俗信が背景にある。通釈はかなり言葉を補った意訳。
冬ごもり人もかよはぬ山里のまれの細道ふたぐ雪かも(賀茂女集)
【通釈】皆が冬籠りして、人の往来もなくなった山里の淋しい細道――雪が降り積もって道を塞いでいるのだなあ。
【語釈】◇まれの細道 人通りが稀な細道。『源氏物語』浮舟の帖に用例がある。
冬の夜をひとり寝覚におきたればおなじ心に雁も啼くなり(賀茂女集)
【通釈】冬の夜、独り目が覚めて起きると、私と同じく淋しさ極まった心で雁も啼くようだ。
思へども我が身はよそに飛ぶ鳥のなど人なれぬ恋にかあるらむ(賀茂女集)
【通釈】いくら思っても、私自身はあらぬ所を飛ぶ鳥のようにあの人と疎遠なままで、どうしてこう人馴れのしない恋なのだろうか。
【語釈】◇よそに飛ぶ鳥の 関係のない所を飛ぶ鳥のように。◇人なれぬ 鳥が人に馴れない意に、恋人と親しくなれない意を掛ける。
恋歌の中に
思はじと心をもどく心しもまどひまさりて恋しかるらむ(風雅1031)
【通釈】あの人を思うまいと心を装うその心こそが、さらに混乱に拍車をかけて、一層恋しい気持にさせるのだろう。
【語釈】◇もどく ふりをする。装う。
逢ふことを雲ゐとほくて我が恋は命にかよふほどに悲しき(賀茂女集)
【通釈】逢うことは雲の彼方のように遥かで、私の恋は生死にかかわるほどに切ないのだ。
恋ひわびて面影にのみ恋ひをればひとつ身になる心地こそすれ(賀茂女集)
【通釈】恋しさに嘆き、あの人の面影ばかりを慕っていたので、その心象が常に身に添わるようになったと感じられるのだ。
【語釈】◇ひとつ身になる 一心同体になる。恋しい人の面影が、常に身に添わるようになった、ということ。
年ごとに人はやらへど目に見えぬ心の鬼はゆく方もなし(賀茂女集)
【通釈】毎年毎年、鬼に扮した人は追い払うけれども、目に見えない心の中の鬼はどこへも追いやる方途がない。
【語釈】◇やらへ 追い払う。大晦日の夜に行なわれた「鬼やらひ」(追儺)のことを言う。鬼に扮装した人を追いまわし、厄払いをした。◇心の鬼 疑心暗鬼・良心の呵責など、心の中でひそかに恐れたり恥じたりすること。『蜻蛉日記』『枕草子』などにも用例がある。
【補記】この歌は流布本系統の『賀茂保憲女集』には見えず、異本系統にのみ見える。
更新日:平成16年07月11日
最終更新日:平成21年08月28日