海量 かいりょう 享保十八〜文化十四(1733-1817)

近江国犬上郡の一向宗(浄土真宗)の寺に生まれる。江戸に出て賀茂真淵に師事し、国学・和歌を学ぶ。寛永年間、彦根藩主井伊直中の命を受けて藩校創設のため諸国を視察し、寛政十一年(1799)、弘道館を開いた。文化十四年十一月二十一日没。八十五歳。同門の村田春海本居大平らと親交があった。
日本各地で詠んだ旅の歌からなる家集『ひとよばな』があり、旅日記『東遊日次記』にも多くの旅歌を残す。他の著書に『続万葉集異本考』『国意考弁々』、歌論『偲種(しのぶぐさ)』などがある。当時数少ない万葉調の歌人。
以下には『ひとよばな』(和文和歌集上)より一首を抄した。

阿武隈川のほとりをすぐるとき

みちのくの阿武隈川のももくまの道ゆく旅のかぎりしらずも

【通釈】陸奥の阿武隈川は何度も曲がりくねって流れ、その川に沿う道も数知れない曲がり角がある――そんな道を行く旅がいつ終わるとも知れないことよ。

【語釈】◇阿武隈川(あぶくまがは) 福島県白河市の山中に発し、仙台湾に注ぐ。古今集以来の歌枕で、霧が多く詠われた。◇ももくま 百隈。数知れない曲がりくねり。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
もののふのやそ宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへしらずも
  刑部直三野「万葉集」巻二十
ももくまの道は来にしをまたさらに八十島すぎて別れかゆかむ


公開日:平成19年12月21日
最終更新日:平成19年12月21日