秋園古香 あきそのひさか(しゅうえん-,-ふるか) 生没年未詳

本名は升子。秋園・古香はいずれも号。信州松本藩士鈴木正大の娘として生まれ、同藩士である神方新五左衛門の養女となる。松本藩の奥向や京の公卿に仕えた後、故郷で習字の師などをしていたが、のち幕府に召されて江戸に出、大奥で源氏物語や伊勢物語を講じたという。天保の頃、京都に在り、天保二年(1831)に香川景樹の門人となった記録が残る。晩年は江戸に在り、家集によれば明治五年(1872)まで生きていたことが知られる。生涯独身であったらしいが、家集には娘に子が生まれたことを祝う歌があり、養女をとったかともいう。
柳原安子・高畠式部と並び称される桂園派の女流歌人。家集に『秋園古香家集』がある(女人和歌大系三・歌文珍書保存会叢刊)。以下には同集と桂門の秀歌選『桂花余香』より計八首を抜萃した。

 

物思ひける頃、夕月をよめる

夕月の射し入らぬまでかたぶきし軒端のつまぞ悔しかりける(秋園古香家集)

【通釈】夕月が部屋に射し込まぬまで傾いてしまった古家の軒廂――その端っこのところが口惜しいのだった。

【補記】月の歌で「かたぶく」と言えば普通は月が西へ沈みかけること。しかし掲出歌では、ぼろ家の軒が傾いて、月を隠していることを悔しがっているのである。

〔題欠〕

大空にみちてさやけき月見れば神代なりけり神代なりけり(秋園古香家集)

【通釈】広い天空にさやかに満ちた月を見ると、神代そのままであったよ。

【補記】月の光に神代を偲んだ歌は古来夥しいが、かくも端的に大胆に詠んだ歌は無二である。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻七
久方の天照る月は神代にか出でかへるらむ年は経につつ

〔題欠〕

初霜にあたらぬ(かげ)を分かつらむ今宵の月のかたへさびしき(秋園古香家集)

【通釈】庭に降りた初霜――その半分には当たらないよう、月の光を二つに分けているのだろうか。今夜の月の片割れが寂しく感じられる。

【補記】晩秋あるいは初冬の半月を詠んだ歌か。庭に降りた霜の半ばが闇に隠れている眺めに寂しさを感じ取った、特異な発想の歌。

雪中友

とひゆけばとひ来る友に逢ひにけり天霧(あまぎ)る雪の中道にして(秋園古香家集)

【通釈】友を訪ねてゆくと、訪ねてくる友に出くわしたのだった。空を掻き暗して降る雪の中、道の半(なか)程で。

【語釈】◇雪の中道 「雪の中」「中道」を言い掛けている。「中道」は道の半ば・途中の意。

【補記】雪の中をわざわざ訪ねてくれる友こそが風流の友であり、真の友であるという考え方が古人にはあった。互いの思わくが一致して出逢った驚きと喜びが偲ばれる。

寄碇恋

横浜にもろこし船の碇おろしいかにすれども去らぬ我が恋(桂花余香)

【通釈】横浜に碇を下ろした異国の船ではないが、いかにしようとも去ることがないほど私の心深く下りてしまった恋よ。

【補記】「碇(いかり)」から「いかに」を導く序詞、その題材を当時のニュースに求めた歌。我が恋心は黒船の碇に負けぬほど深く重いというのだろう。『桂花余香』は香川景樹が撰した門人の秀歌集に、のち氷室長翁が補撰したもの。結句「しらぬ我が恋」とする本もある。

異国にものおくる事はじまりける頃、十三夜

長月の今宵の月の影みれば足らでもことは足る世なりけり(秋園古香家集)

【通釈】長月の今宵十三夜の月の光を見ると、完全に満ち足りていなくても、ものごとは十分足りるのがこの世なのであった。

【語釈】◇今宵の月 詞書にあるとおり九月十三夜の月を指す。宇多天皇の頃からこの夜の月をめでる宴が始まったらしい。我が国独自の風習である。

【補記】安政五年(1858)六月、幕府は米国と修好通商条約を締結し、同年秋にはオランダ・英国・フランスと次々に条約を結んだ。詞書の「異国にものおくる事はじまりける」はそのことを指す。長く鎖国が続いていた当時にあって、国の産物を海を越えてやり取りすること自体人々の想像に余ることであったが、「なぜ自国にあるもので満足しないのか」との思いを、十三夜の月に託して詠んでいるのである。作者は当時の政治状況に敏感に反応し、国の行く末を憂える歌を少なからず残している。

安政六年、寄花懐旧 景樹大人十七回忌

桜花散りても残ることの葉にいますがごとく我はつかへむ(秋園古香家集)

【通釈】桜の花が散っても残る葉――そのように、師が亡くなっても残る言の葉――それをたよりに、生きておられる如く私は師にお仕えしよう。

【語釈】◇残ることの葉 師の残した歌文を指す。

【補記】安政六年(1859)、師であった香川景樹の十七回忌に「寄花懐旧」の題で詠んだ歌。同じ時のもう一首は「ともに見し春を思へば桜花色も匂ひもなき心地して」。

家のなきを打ちわびて

老いらくは住む宿もなし久方の(あめ)にや行かむ海にや行かむ(秋園古香家集)

【通釈】年老いた身には住む家もない。天へ行こうか。海へ行こうか。

【補記】作者は晩年江戸で放浪生活を送ったらしい。「信濃国のふるさとにかへれと人いひければ」の詞書では「信濃なる姨捨山の奧はいや隅田川原に捨てば捨てなん」と詠み、故郷に帰ることを強く拒んでいる。


公開日:平成20年01月24日
最終更新日:平成20年01月24日