万葉集より、人麻呂作歌75首、および柿本朝臣人麻呂歌集を出典とする歌25首、計100首を載せる。また付録として、拾遺集と新古今集に人麻呂作として採られた歌より18首を抜萃して併載する。訓は主に伊藤博『萬葉集釋注』、佐竹昭広ほか校注『萬葉集』(岩波新古典大系)に拠った。カッコ内の数字は万葉集の巻数と旧国歌大観番号である。
万葉集の人麻呂作歌(羇旅歌 相聞 雑歌 挽歌)
万葉集の人麻呂歌集歌
付録:勅撰集に採られた伝人麻呂作歌
※注釈の付いたテキストはこちら。
柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌 (七首)
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ(3-250)
淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す(3-251)
荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を(3-252)
稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ(3-253)
灯火の明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず(3-254)
天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(3-255)
飼飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)
柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治川の辺に至りて作る歌一首
もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも(3-264)
柿本朝臣人麻呂の歌一首
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(3-266)
柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に、海路にして作る歌二首
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は(3-303)
大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ(3-304)
柿本朝臣人麻呂の歌
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも(4-496)
柿本朝臣人麻呂の歌三首
をとめらが袖振る山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は(4-501)
夏野ゆく牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや(4-502)
玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも(4-503)
柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 并せて短歌
石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 和田津の 荒礒の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共 か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山(2-131)
反歌二首
石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか(2-132)
小竹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば(2-133)
つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒礒にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は 幾だもあらず はふ蔦の 別れし来れば 肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大舟の 渡の山の 黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる吾も 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ(2-135)
反歌二首
青駒が足掻を速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける(2-136)
秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む(2-137)
近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いや継ぎ嗣ぎに 天の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて 青丹よし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも(1-29)
反歌 (二首)
楽浪の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(1-30)
楽浪の志賀の大曲淀むとも昔の人にまたも逢はめやも(1-31)
吉野の宮に幸す時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも 多にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし 水激く 滝の宮処は 見れど飽かぬかも(1-36)
反歌
見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む(1-37)
やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 山神の 奉る御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり ゆきそふ 川の神も 大御食に 仕へまつると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも(1-38)
反歌
山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも(1-39)
伊勢の国に幸す時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂の作る歌 (三首)
嗚呼見の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか(1-40)
釧つく答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(1-41)
潮騒に伊良虞の島辺榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻を(1-42)
軽皇子、安騎の野に宿します時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて(1-45)
短歌 (四首)
安騎の野に宿る旅人うち靡きいも寝らめやもいにしへ思ふに(1-46)
ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し(1-47)
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(1-48)
日並の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ(1-49)
天皇の雷岳に御遊びたまひし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも(3-235)
長皇子の猟路の池に遊びし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
やすみしし 我が大君 高光る 我が日の皇子の 馬並めて 御狩立たせる 若薦を 猟路の小野に 鹿こそば い匍ひ拝め 鶉こそ い匍ひ廻れ 鹿じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひもとほり かしこみと 仕へまつりて ひさかたの 天見るごとく 真澄鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも(3-239)
反歌一首
ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり(3-240)
或本の反歌一首
大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも(3-241)
七夕の歌一首
大船に真楫しじ貫き海原を漕ぎ出て渡る月人壮士(15-3611)
右は柿本朝臣人麻呂の歌。
日並皇子尊の殯宮の時に、柿本人麻呂の作る歌一首并せて短歌
天地の 初めの時し ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り はかりし時に 天照らす 日女の命 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かきわけて 神下し いませまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥の 清御の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上り 上りいましぬ 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満はしけむと 天の下 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし 御殿を 高知りまして 朝言に 御言問はさず 日月の 数多くなりぬる そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも(2-167)
反歌二首
ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも(2-168)
あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜渡る月の隠らく惜しも(2-169)
或本の歌一首
島の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず(2-170)
柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女と忍壁皇子とに献る歌一首 并せて短歌
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 夫の命の たたなづく 柔膚すらを 剣大刀 身に添へ寝ねば ぬば玉の 夜床も荒るらむ そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて 玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉裳は湿づち 夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君ゆゑ(2-194)
反歌一首
敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎゆくまたも逢はめやも(2-195)
右は、或本には、「河島皇子を越智野に葬りし時に、泊瀬部皇女に献る歌なり」といふ。日本紀には「朱鳥の五年辛卯の秋九月、己巳の朔の丁丑に、浄大参川島薨ず」といふ。
高市皇子の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の 行宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひ 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御軍士を 召したまひて ちはやぶる 人を和せと まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任けたまへば 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き響せる 小角の音も 敵見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに 差上げたる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に 旋風かも い巻き渡ると 思ふまで 聞きのかしこく 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 去く鳥の 争ふはしに 度会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 奏したまへば 万代に 然しもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を 神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着て 埴安の 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣じもの い匍ひ伏しつつ ぬば玉の 夕へになれば 大殿を 振りさけ見つつ 鶉なす い匍ひ廻り 侍へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいませて あさもよし 城上の宮を 常宮と 高くまつりて 神ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 振りさけ見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏くあれども(2-199)
短歌二首
ひさかたの天知らしぬる君ゆゑに日月も知らず恋ひわたるかも(2-200)
埴安の池の堤の隠沼の行方を知らに舎人は惑ふ(2-201)
或書の反歌一首
哭沢の神社に神酒据ゑ祈まめども我が大君は高日知らしぬ(2-202)
明日香皇女の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折り挿頭し 秋立てば 黄葉挿頭し 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に せむすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 思ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見にここを(2-196)
短歌二首
明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし(2-197)
明日香川明日さへ見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ(2-198)
柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟して作る歌二首 并せて短歌
天飛ぶや 軽の路は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉づさの 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる(2-207)
短歌二首
秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも(2-208)
黄葉の散りぬるなへに玉づさの使を見れば逢ひし日思ほゆ(2-209)
うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世の中を 背きしえねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝発ち行して 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば(2-210)
短歌二首
去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る(2-211)
衾道を引手の山に妹を置きて山道を往けば生けりともなし(2-212)
或本の歌に曰く
家に来て我が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕(2-216)
吉備津釆女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居れか 栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕へは 消ゆといへ 霧こそば 夕へに立ちて 朝は 失すといへ 梓弓 音聞く我も 髣髴に見し こと悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣大刀 身に添へ寝けむ 若草の その夫の子は 寂しみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと(2-217)
短歌二首
楽浪の志賀津の子らが罷り道の川瀬の道を見れば寂しも(2-218)
そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しくは今ぞ悔しき(2-219)
讃岐の狭岑の島にして、石の中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 満り行かむ 神の御面と 継ぎ来たる 那珂の港ゆ 船浮けて 我が榜ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に 自臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは(2-220)
反歌二首
妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや(2-221)
沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕とまきて寝せる君かも(2-222)
柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て悲慟して作る歌一首
草枕旅の宿りに誰が夫か国忘れたる家待たまくに(3-426)
土形娘子を泊瀬の山に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首
こもりくの泊瀬の山の山の際にいさよふ雲は妹にかもあらむ(3-428)
溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首
山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく(3-429)
八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(3-430)
柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首
鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ(2-223)
天を詠む
天の海に雲の波立ち月の船星の林に榜ぎ隠る見ゆ(7-1068)
雲を詠む
あしひきの山河の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ち渡る(7-1088)
山を詠む
鳴神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも(7-1092)
河を詠む
ぬば玉の夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾き(7-1101)
葉を詠む(二首)
古にありけむ人も我がごとか三輪の檜原に挿頭折りけむ(7-1118)
ゆく川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の檜原は(7-1119)
覊旅にて詠む
大穴牟遅少御神の作らしし妹背の山は見らくしよしも(7-1247)
所に就けて思ひを発ぶ
巻向の山辺響みて行く水の水沫の如し世の人吾等は(7-1269)
行路
遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒(7-1271)
物に寄せて思ひを発ぶ 旋頭歌 (四首)
夏蔭の妻屋の下に衣裁つ我妹 うら設けて我がため裁たばやや大に裁て(7-1278)
梯立の倉梯川の石の橋はも 男盛に吾が渡してし石の橋はも(7-1283)
春日すら田に立ち疲る君は悲しも 若草の妻なき君が田に立ち疲る(7-1285)
青みづら依網の原に人も逢はぬかも 石走る淡海県の物語せむ(7-1287)
木に寄す
天雲のたなびく山に隠りたる我が下心木の葉知るらむ(7-1304)
花に寄す
この山の黄葉の下の花を我はつはつに見てなほ恋ひにけり(7-1306)
弓削皇子に献る歌
さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空を月渡る見ゆ(9-1701)
舎人皇子に献る歌
泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門に近づきにけり(9-1775)
春の雑歌
久かたの天の香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも(10-1812)
秋の相聞
誰そ彼と我をな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ吾を(10-2240)
冬の雑歌
巻向の檜原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る(10-2314)
相聞 旋頭歌 (二首)
新室の壁草刈りにいましたまはね 草のごと寄り合ふ処女は君がまにまに(11-2351)
新室を踏み鎮む子が手玉鳴らすも 玉のごと照らせる君を内へと申せ(11-2352)
正に心緒を述ぶ歌 (三首)
たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに(11-2368)
人の寝る味寐は寝ずてはしきやし君が目すらを欲りて嘆くも(11-2369)
朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに(11-2394)
物に寄せて思ひを陳ぶ歌 (三首)
月見れば国は同じそ山隔り愛し妹は隔りたるかも(11-2420)
【通釈】月を見れば、いるのは同じ国なのだ。山を間にへだて、いとしい妻と遠く隔てられているのだなあ。
大野らに小雨降りしく木のもとに時と寄り来ね我が思ふ人(11-2457)
遠き妹が振りさけ見つつ偲ふらむこの月の面に雲な棚引き(11-2460)
奈良のみかど龍田河に紅葉御覧じに行幸ありける時、御ともにつかうまつりて
龍田川もみち葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし(拾遺219)
題しらず
あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん(拾遺778)
大津の宮の荒れて侍りけるを見て
さざなみや近江の宮は名のみして霞たなびき宮木守なし(拾遺483)
題しらず
奥山の岩垣沼のみごもりに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ(拾遺661)
我が背子を我が恋ひをれば我が宿の草さへ思ひうら枯れにけり(拾遺845)
朝寝髪われはけづらじうつくしき人の手枕ふれてしものを(拾遺849)
たらちねの親の飼ふ蚕の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて(拾遺895)
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道ゆき人にことづてもなき(拾遺937)
荒ち男の狩る矢のさきに立つ鹿もいと我ばかり物は思はじ(拾遺954)
山科の木幡の里に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば(拾遺1243)
なく声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の影にかくれて(新古190)
さを鹿のいる野のすすき初尾花いつしかいもが手枕にせむ(新古346)
秋萩のさき散る野辺の夕露にぬれつつ来ませ夜はふけぬとも(新古333)
秋されば雁の羽風に霜ふりてさむき夜な夜な時雨さへふる(新古458)
垣ほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなへに雁ぞなくなる(新古497)
秋風に山とびこゆる雁がねのいや遠ざかり雲がくれつつ(新古498)
やたの野に浅茅色づくあらち山峯のあは雪さむくぞあるらし(新古657)
みかりするかりはの小野の楢柴のなれはまさらで恋ぞまされる(新古1050)
奈良のみかどををさめ奉りけるをみて
久方のあめにしをるる君ゆゑに月日も知らで恋ひ渡るらむ(新古849)
最終更新日:平成15年03月20日