玉作部広目 たまつくりべのひろめ 生没年未詳

駿河国の人。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。玉作部は名の通り玉造りに従事した部民。

 

()ろ旅は旅と(おめ)ほど(いひ)にして子()ち痩すらむ我が()悲しも(万20-4343)

【通釈】おいらは、いくら苦しくとも旅は旅と思って諦めるけど、家にいるのに子を抱えて窶れる妻が悲しくてならねえ。

【補記】農事などで妻を助けてやれないことを歎く。「おめほど」は「おもへど」、「めち」は「もち」の訛り。「こめち」(原文は「古米知」)を「子を孕んで」と解する説や、「顔持(こめち)」と解し面持ちの意とする説などもある。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日