平群女郎 へぐりのいらつめ 生没年未詳

系譜等未詳。平群氏は大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)付近を本拠地とした豪族で、武内宿禰の後裔氏族と伝わる。姓は初め臣、天武十三年(684)以後朝臣。
大伴家持の傍妻あるいは恋人。万葉巻十七に「越中守大伴宿禰家持に贈る歌」十二首がある(17-3931〜3942)。左注に「時々に使に寄せて来贈せり。一度に送れるにはあらず」とあり、家持の越中守任官(746年)後、何度かに分けて贈られた歌を集成したものらしい。

平群女郎の越中守大伴家持に贈る歌 (十二首より六首)

君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも(万17-3931)

【通釈】貴方との一件で、私の名は世間に立ってしまいました。その「立つ」に因む立田山ではありませんが、途絶えてしまった恋が、しきりと心を占める今日この頃です。

【語釈】「龍田山」は大阪府と奈良県の境にある山。「(名が)立つ」を掛けている。同時に、二人を隔てる障害物の暗喩ともなり、「絶え」を導く役割を果たす。「恋の繁き頃」は恋心にしきりと襲われるこの頃、といった心。

 

須磨ひとの海辺常去らず焼く塩の(から)き恋をも(あれ)はするかも(万17-3932)

【通釈】須磨の海人がつねに海辺を離れずに焼くという塩――そんな塩のように辛くつらい恋を私はしているのです。

 

ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ(万17-3933)

【通釈】時を経て後にはお逢いしようと思うからこそ、こんな露のように果敢ない命でも、辛うじて繋ぎ止めながら暮らしているのです。

 

万代(よろづよ)と心は解けて我が背子が()みし手見つつ忍びかねつも(万17-3940)

【通釈】心はゆったりとほどけ、そんな気分が永遠に続くかのようだったあの夜、あなたがつねった私の手。それを見ていたら、耐えきれなくなりました。

【補記】手をつねるという行為が、当時いかなる意味をもったか、よくわからない。源氏物語の「紅葉賀」の用例などを見ると、親しい者どうしの戯れの行為だったように思われる。

 

鶯の鳴くくら谷に打ち嵌めて焼けはしぬとも君をし待たむ(万17-3941)

【通釈】鶯が鳴いて渡る峡谷に身を投げ入れ、死骸を火葬されたとしても、それでも私は(骸を離れた霊魂として)ひたすら貴方のお帰りをお待ちしましょう。

【語釈】◇くら谷 峡谷。◇鶯の鳴く 谷を渡って鳴くウグイスの習性から、谷を特に意味もなく修飾している語。◇焼けはしぬ 火葬に付されること。「しぬ」は「死ぬ」でなく、動詞「す」と完了の助動詞「ぬ」の結びついたもの。

【補記】肉体が滅びても魂としてあなたを待ち続けよう、という心。

 

松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ(万17-3942)

【通釈】松の花は花の数にも入らない。その程度にしか思われていないのに、私は松の花よろしくむなしく咲きつづけている。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日