行遍 ぎょうへん 生没年未詳

熊野別当行範の第六子(『熊野別当代々記』)。若い頃西行に歌道を習ったという。『明月記』によれば、元久元年(1204)六月十五日の夜、藤原定家邸を訪問している。勅撰入集は新古今の四首のみ。

月のあかき夜、定家朝臣にあひて侍りけるに、歌の道に心ざしふかき事はいつばかりのことにかとたづね侍りければ、わかく侍りし時、西行にひさしく相伴ひてききならひ侍りしよし申して、そのかみ申しし事などかたり侍りて、かへりてあしたにつかはしける

あやしくぞかへさは月のくもりにし昔がたりに夜や更けにけむ(新古1550)

【通釈】帰り道はあやしいまでに月が曇って見えました。西行上人の昔話に耽るうち、すっかり夜が更けてしまったのでしょうか。

【補記】「いつから歌の道に志を深くもったのか」と訊いたのは藤原定家で、行遍がそれに対し、「若い頃、西行の供をして聞き習ったのだ」と答えたのである。定家にとっても西行は青年期に浅からぬ縁のあった歌人であるから、昔語りは尽きなかったことであろう。その翌朝、定家に贈った歌。大意は時の移るのも忘れ、晴れていた月もいつしか曇っていたか、とあやしむふりをしているが、月を曇らせたのが懐旧の涙であることは言うを俟たない。西行・定家という新旧二大家が登場する歌話としての関心に重点を置いて新古今集に採られたものであろう。「逢友恋昔」を題とした西行の歌を本歌取りしているのも気が利いている。
定家の日記『明月記』元久元年(1204)六月十五日条に「入夜熊野行遍法橋来談、歌人也」とあり、詞書の「月のあかき夜」は当日の夜と思われる(川田順『西行研究録』)。

【他出】定家十体(幽玄様)、落書露顕、正徹物語

【本歌】西行「山家集」
今よりは昔がたりは心せむあやしきまでに袖しをれけり


公開日:平成14年04月18日
最終更新日:平成16年04月06日