長月 ながつき 寝覚月 Ninth month of the lunar calendar

有明の月

陰暦では晩秋にあたる九月は、異称長月。「夜が長くなる月」の意とするのが、古来の説である。

ところで、和歌に詠まれた月名で一番多いのは何と言っても五月(皐月)である。田植え月であり、ほととぎすの鳴く月であり、五月雨(さみだれ)の月であり、殊に「さ月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という古今集読人不知歌の影響により、懐かしい過去に結び付く月の名として、歌人たちに偏愛されたのが五月であった。

その次によく詠まれたのが長月なのである。やはり古今集の、

題しらず     素性法師

今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

(通釈:あの人がすぐ来ようと言ったばかりに、私はこの九月の長夜を待ち続け、とうとう有明の月に出遭ってしまったことだ。)

の影響が大きく、百人一首にも採られたこの歌によって、夜の長さを暗示する「長月」という名に辛い恋の情趣が纏綿することとなった。

もっとも、長月の名は万葉集でも相聞歌によく出て来る。長月と恋を結びつけたのは、なにも素性法師ひとりの手柄ではなかった。万葉集巻十の秋相聞(作者は不明)より例を挙げてみよう。

()そ彼と我をな問ひそ長月の露に濡れつつ君待つ我を

(通釈:あれは誰かと、私のことを問わないで下さい。長月の夜の露に濡れながら、いとしい人を待っている私のことを。)

長月のしぐれの雨の山霧のいぶせき我が胸(たれ)を見ばやまむ

(通釈:長月の時雨の雨が山霧となって立ち込める――そんな風に鬱いでいる私の胸は、誰を見れば晴れるのだろう。)

もちろん恋歌にばかり詠まれたわけではない。菊の咲く月、木の葉の色付く月、また時雨の降る月として、長月は季節の風趣豊かな月でもある。

それにしても、田植え月の五月と共に稲刈り月の長月が最も好んで歌に取り上げられたのは、面白い事実である。世の平和と豊饒を祈るという、和歌創作のおおもとに秘められたモチーフを暗示しているだろう。一見個人的な抒情をしているようでいて、和歌は常に、人々と共にある、大いなる祈りへの道に通じていた。

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  『万葉集』 (遠江守桜井王の天皇に奉らせる歌一首)
九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも

  『万葉集』 (詠黄葉) 作者不詳
九月(ながつき)のしぐれの雨に濡れとほり春日の山は色づきにけり

  『後撰集』 (九月つごもりに) 紀貫之
長月の有明の月はありながらはかなく秋はすぎぬべらなり

  『能宣集』 (詞書略) 大中臣能宣
かをらずは折りやまどはむ長月の月夜にあへる白菊の花

  『新古今集』 (題しらず) 藤原惟茂
しばし待てまだ夜はふかし長月の有明の月は人まどふなり

  『新古今集』 (九月つごもりがたに) 花山院
秋の夜ははやなが月に成りにけりことわりなりや寝覚めせらるる

  『蔵玉集』 (九 紅葉月 小田刈月 寝覚月) 藤原家隆
いく度かおなじ枕のね覚月秋にはたへぬ長き夜すがら

  『続後撰集』 (秋の暮の歌) 藤原定家
いかにせんきほふ木の葉のこがらしに絶えず物思ふ長月の空

  『新勅撰集』 (九月尽によみ侍りける) 八条院高倉
すぎはてぬいづらなが月名のみしてみじかかりける秋のほどかな

  『沙弥蓮愉集』 (宇都宮社の九月九日まつりの時よみ侍る) 宇都宮景綱
けふもまた夕日になりぬ長月のうつりとまらぬ秋のもみぢ葉

  『新千載集』 (詞書略) 後宇多院
長月や雲ゐの秋のこととはん昔にめぐれ菊のさかづき

  『砂玉集』 (応永廿三年九月尽に 暮秋雨) 後崇光院
なが月やすゑ葉の荻もうちしをれあはれをくだく雨のおとかな

  『賀茂翁家集』 (九月十三夜県居にて) 賀茂真淵
こほろぎの待ちよろこべる長月のきよき月夜はふけずもあらなん

  『桂園一枝』 (病にわづらひける年の十三夜に) 香川景樹
あらざらむ後と思ひし長月のこよひの月も此の世にてみし


公開日:平成18年10月11日
最終更新日:平成18年10月11日

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