葛紅葉 くずもみぢ Autumn tints of kudzu

葛の黄葉 神奈川県鎌倉市

色づいたとて、誰が葛の葉に目を留めるだろう。しかし古来歌人たちはしばしば歌に詠んで来たし、今も「(くず)紅葉(もみぢ)」は俳句の季語として健在だ。

『万葉集』巻十 作者未詳

(かり)()の寒く鳴きしゆ水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)は色付きにけり

「雁がひえびえとした声で鳴いてからというもの、岡の葛の葉の色づきが目立つようになった」。
岡の斜面を覆い尽くすように蔓延った葛の葉が、いちめん秋の陽射しを受けて黄に輝くさまは、なかなかの壮観だろう。尤も上の歌を詠んだ万葉歌人は、どうやら葛の黄葉の美しさを愛でているわけではないらしい。

『古今集』 神の社のあたりをまかりける時に、斎垣(いがき)のうちの紅葉を見てよめる  紀貫之

ちはやぶる神の斎垣(いがき)にはふ(くず)も秋にはあへずうつろひにけり

黄葉した葛 神奈川県鎌倉市
「神社の垣にまつわりつく葛も、秋には堪え切れずに色を変えてしまったのだ」。
神社の神聖な垣根に這う葛であれば、神の力によって常緑でありそうなものなのに、秋という自然の力には抵抗できずに色を変え、やがて枯れてしまった、と言う。
やはり葛という植物に古人が特殊な関心を寄せていたことが窺われる歌だ。葉は家畜の飼料となり(色づいてしまえば餌にはなるまいが)、根は生薬となり、また粉にして料理に用いられ、蔓は布や行李などの日用品に利用された。ことほどさように、葛は捨てるところのない有用植物、神の恵みの植物であった。

『新古今集』 千五百番歌合に  顕昭法師

みづくきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風

上掲の万葉集の歌を本歌取りした一首。葛の葉は裏が白く、風に翻るとよく目立つが、その「うら」から「うらがなし」に転じた。ひややかな初秋の風が心の(うら)にまで浸みるようだ。

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  『万葉集』(寄黄葉) 作者不明
我がやどの葛は日にけにに色づきぬ来まさぬ君は何こころぞも

  『千載集』(野風の心をよめる) 藤原基俊
秋にあへずさこそは葛の色づかめあなうらめしの風のけしきや

  『拾遺愚草』(内裏名所百首 水茎岡) 藤原定家
みづくきの岡の真葛を海人のすむ里のしるべと秋風ぞ吹く

  『秋篠月清集』(西洞隠士百首 秋) 九条良経
霜まよふ庭の葛はら色かへてうらみなれたる風ぞはげしき

  『新撰和歌六帖』(くず) 葉室光俊
うらぶれて物思ひをれば我が宿の垣ほの葛も色づきにけり

  『伏見院御集』(秋) 伏見院
垣ほなる真葛が下葉色かれぬ夜さむもよほす秋風のころ

  『草根集』(葛) 正徹
露霜もあらしに散りて行く秋をうらみたえたる葛の紅葉ば


公開日:平成24年09月25日
最終更新日:平成24年09月25日

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