萩と鹿 Bush clover and deer

山萩 鎌倉市浄明寺の丘陵にて

万葉集で最も多く詠まれている植物が萩である。平安以後の王朝和歌では桜に王座を譲り渡すものの、萩の歌は途絶えることなく詠み継がれる。枝もたわわに咲き乱れるさまも、秋風に散りゆく風情も愛されたが、古来ことに好まれたのは鹿との取り合せであった。万葉集巻八より大伴旅人の歌を引くと、

我が岡にさ牡鹿(をしか)来鳴く初萩の花妻とひに来鳴くさ牡鹿

(通釈:私の住む岡に牡鹿が来て鳴く。萩の初花を花嫁に得ようとやって来て鳴く牡鹿よ。)

萩を花嫁に得ようと、牡鹿が啼いてプロポーズしている、と言うのだ。
鹿は、日が暮れると山から野に出て来て、草叢などに臥せって夜を過ごし、朝になるとまた山に帰って行く――実際の生態はともあれ、少なくとも和歌ではそんな風に詠まれている。秋であれば、萩の咲く茂みの中に寝ることもあったろう。しかも萩の開花時期と、牡鹿のよく鳴く季節は、ほぼ一致する。そうしたわけで、鹿と萩という異種の生物が夫婦と見なされたのに違いない。
動物と植物の結婚によって、大地の豊饒が予祝される。――鹿と萩を詠む和歌からは、古人のそんな神話的思想も読み取れそうだ。萩の咲き散る季節は、また稲の収穫期とも重なるのである。

もう一首、新古今集秋上の巻より。

和歌所歌合に、朝草花といふ事を  左衛門督通光

明けぬとて野辺より山に入る鹿のあと吹きおくる萩の下風

(通釈:夜が明けたというので、野辺から山へ帰ってゆく鹿――その後を慕うように、萩を靡かせて吹き送る風よ。)

秋風に靡く萩の花が、山へ帰る鹿を見送っていると見立てた。萩と鹿との、艶な後朝(きぬぎぬ)の別れである。優美に洗練を重ねていた和歌は、古来の趣向を伝統として引き継ぐことで、白呪術(ホワイト・マジック)の属性を辛うじて保持していたのであった。

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―萩と鹿を詠んだ歌―

  『万葉集』 (湯原王の鳴く鹿の歌)
秋萩の散りのまがひに呼び立てて鳴くなる鹿の声の遥けさ

  『万葉集』 (内舎人石川朝臣広成の歌)
妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく

  『万葉集』 (題詞略) 大伴家持
をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高円の野ぞ

  『古今集』 (是貞のみこの家の歌合によめる) 藤原敏行
秋萩の花さきにけり高砂のをのへの鹿は今やなくらむ

  『古今集』 (題しらず) よみ人しらず
秋萩にうらびれをればあしひきの山下とよみ鹿のなくらむ
秋萩をしがらみふせてなく鹿の目には見えずて音のさやけさ

  『後撰集』 (秋の歌とてよめる) 紀貫之
往き還り折りてかざさむ朝な朝な鹿立ちならすのべの秋萩

  『古今和歌六帖』 (鹿) 作者未詳
なく鹿の声うらぶれぬ時は今は秋とやいはん萩の花さく

  『後拾遺集』 (萩盛待鹿といふ心を) 白河天皇
かひもなき心地こそすれさを鹿のたつ声もせぬ萩の錦は

  『新後撰集』 (住吉社によみて奉りける百首歌中に) 藤原俊成
秋の野の萩のしげみにふす鹿のふかくも人にしのぶころかな

  『金槐和歌集』 (鹿の歌に) 源実朝
萩が花うつろひ行けば高砂の尾上の鹿のなかぬ日ぞなき

  『紫禁和歌集』 (草花徐開) 順徳院
小男鹿の涙ふるのの秋かぜに萩の下葉も色かはるころ

  『新千載集』 (詞書略) 伏見院
今よりやさきにほふらむさを鹿の声きく小野の秋萩の花

  『草根集』 (朝萩) 正徹
朝霧の野べ立ちわかれ行く鹿の跡に露けき萩が花づま

  『雪玉集』 (鹿交萩) 三条西実隆
咲きしより散らんまでとやなく鹿の花におきふす野べの萩はら

  『賀茂翁家集』 (詞書略)
を鹿なく岡辺の萩にうらぶれていにけむ君をいつとか待たん

   『杉のしづ枝』 (卯花を) 荷田蒼生子
うらぶれし鹿も心やなぐさまむなが花づまに月やどるころ


公開日:平成18年2月21日
最終更新日:平成18年2月21日

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