紀皇女
きのひめみこ
- 生没年 未詳
- 系譜など 天武天皇の皇女。母は蘇我赤兄のむすめで、同母兄妹に穂積皇子・田形皇女がいる
- 略伝 伝記は全くと言っていいほど不明で、『日本書紀』天武二年二月条から、生母と同母兄妹が知られる程度。兄穂積皇子の推定生年などから推測して、天武年間の生まれであることはほぼ確かである。万葉集には、持統天皇代(または文武初年)、異母兄弟である弓削皇子の「紀皇女を思ふ歌」(02/0119〜0122)がある。また同書巻三の「同石田王卒之時、山前王哀傷作歌」(0423)の「或本反歌」(0424・0425)の左注に、「或云、紀皇女薨後、山前王、石田王に代りて作れり」とあり、これは万葉集の排列からすれば平城遷都以前の作。すなわち紀皇女は和銅三年(710)以前に薨去したかとも考えられる。また巻十二の3098番歌の左注には「昔紀皇女が高安王と密通して罪を責められた時の御作で、高安王はこのため伊予国守に左降された」旨の聞き書きが記されている。高安王は初叙の年齢からして天武末年または持統初年頃の生まれと推定され、紀皇女とは年齢差が大きいことから、万葉の記事は「多紀皇女」の誤りであろうとする説もある(吉永登)。この時の歌を除けば、万葉には譬喩歌が一首伝わるのみである(03/390)。
関連サイト:紀皇女の歌(やまとうた)
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