橘朝臣嘉智子
たちばなのあそみかちこ
- 生没年 786(延暦5)〜850(嘉祥3)
- 系譜など 橘奈良麻呂の孫。清友の子。母は田口氏の女。嵯峨天皇との間に正良親王・正子内親王(淳和天皇の皇后)をもうける。檀林皇后と称される。
- 略伝 賀美能親王の妃となり、夫が即位(嵯峨天皇)した後、815(弘仁6)年、皇后に立てられる。嵯峨譲位後は、夫と共に冷然院・嵯峨院に住んだ。嵯峨上皇の崩後も太皇太后として朝廷に重きをなし、弟の右大臣氏公と図って橘氏の子弟のために大学別曹学館院を設立するなど、勢威を誇った。仏教上の業績も多く、嵯峨野に檀林寺を創建するなどした。人となりは寛和で容姿美麗、手は膝下に及び髪は地に届き、見る人その美しさに驚いたという。
関連サイト:橘嘉智子の歌(やまとうた)
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