ゲストブック(やまとうた・はるのゆき芳名帳)

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 歌仙の饗宴(出光美術館)    ..招き猫    
      2006/02/13(月) 09:44  No.967
 
 
 建国記念日に出光美術館に出かけてまいりました。
「古今和歌集1100年記念祭・歌仙の饗宴」と題された企画展は、最終日の1日前、また祭日ということもあってか大賑わいで、老若男女を問わない来場者に、和歌の人気の高さをまたしても感じてまいりました。

 やはり業平や小野小町の歌には花があって、ひきつけられましたが、

しのぶるに心のひまはなけれどもなほもるものはなみだなりけり
(九条兼実とされていました)

など記された「時代不同歌合」の書にも目が留まりました。

 帰宅後、『やまとうた・歌学・歌論』の「時代不同歌合」を読ませていただきました。「時代不同歌合」と「百人一首」について、後鳥羽院と定家がそれぞれどの勅撰集からどのくらいの数の歌を撰出しているのかパーセンテージに換算して比較した表グラフや、それについて分析された水垣様の考察など、とても興味深かったです。

 追伸 「とか」という副詞について、以前ゲストブックで質問・解説がなされましたね。そのときのやり取りを何気なく拝見させていただいておりましたが、

  新古今和歌集・769・高陽院木綿四手

 おさなきこのうせにけるがうへをきたりける昌蒲を見て、よみ侍りける

 あやめ草 たれしのべとか うえおきて 蓬がもとの露ときえけん

という歌に出会い、以前の質問・回答を再読、復習させていただきました。土岐筑波子(ブログ&千人万首)も読ませていただきました。ありがとうございました。




 Re:歌仙の饗宴(出光美術館)    ..水垣    
        2006/02/13(月) 22:56  No.971
 
 
「歌仙の饗宴」展のご感想、ありがとうございます。
私も先週末できれば行きたかったのですが、来客があったりして、諦めざるを得ませんでした。盛況だったのこと。歌仙絵がこれほど広く関心を集めるなど、一昔前では考えられないような話で、嬉しいことです。
時代不同歌合絵も展示されていたのですね。見逃したのがなおさら惜しまれます。
「とか」の例歌もありがとうございました。



 立春に寄せて    ..紫草    
      2006/02/04(土) 16:02  No.941
 
 
軸 雪月花 (紫野第418世 宙宝宗宇)
花入れ    民芸陶磁器手桶
花      菜の花  河楊(かはやぎ)(ねこやなぎ)

立春とは名ばかりの今冬一番の寒波襲来とか、寒さの続く日々ですが、花屋さんの店を覗きましたら春の草木が満ち溢れ馥郁とした香が匂っておりましたので三種ほど買い求め花入れに挿してみました。                            「万葉集」の巻頭を飾る有名な歌に。

籠(こ)もよ み籠もち 堀串(ぶくし)もよ み堀串持ちこの岳(をか)に菜摘ます児家聞かな 告らさね・・・(雄略天皇 巻1−1)

陽のさす明るい丘で、娘たちが籠とヘラを手に若菜を摘んでいる。長い荒涼の冬籠りから抜け出たよろこび。春を待つ心もひとしをであったろうに。・・・

河楊 山の際に雪は降りつつしかすがにこの河楊は萌えにけるかも。作者未詳

訳、山にはまだ雪が降っているというのに、ほら御覧なさい、この河楊はもう銀色の芽をふくらませていますよ。

若菜 明日よりは春菜つまむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ(山部赤人)

訳、明日から春の若菜を摘もうと野にしるしのしめをつけておいたのに、ああ、昨日も
  今日も雪が降りつづいているよ。

雪月花については(日本人の自然観と芸術)栗田勇の論文が下記サイトに掲載されておりますのでご参照して下さい。

http://www.moainter.or.jp/japanese/setsugekka/setsupic05.html



 Re:立春に寄せて    ..招き猫    
        2006/02/13(月) 22:13  No.970
 
 
 栗田勇氏の論文、「雪月花」―日本人の自然観と芸術―
を大変興味深く読ませていただきました。

「日本の特殊性は、人類の最も起元的で根元的な古代世界の考え方をそのまま我が物として消化しつつ生き続けているところである」(栗田氏)

※(私の見解)日本はいま、個人主義を基盤とする資本主義経済社会の中にありますが、その中にあっても、この「もののあわれ」に強い意識をもって着目する人が最近頓に増えて、それが公然と庶民の間で行われている、あるいは行われようとしているところが、世界的にも見ても傑出しているところだと思います。ドナルド・キーン氏のコメントにもそのようなことが言われていたのを目にしたことがあります(サントリーや出光興産など活動が見えやすい企業を筆頭に、このサイトを運営する水垣様をはじめ、参加されている方々もすばらしいと思います。他にも検索すると、芸術文化に対する意識の高いサイトがたくさんあって驚きます)。
 資本主義社会の中にあっては矛盾が生じるとも思える私たち日本人のこうした特殊な国民性を、一人一人がどこまで意識しつつ包括できるかです。それによって、伝統文化、美術、芸術を守り育てようとする意識を養い、破壊的な考え方から人々を遠ざけて、世の中を平和に導くと思います。
 特に集客力が高かったり、購買力があったりする力のある企業人にこそ、こうした日本人の理念や倫理観に敏感に気づいて、包括的な考え方のもとにさまざまな企業経営や人生設計への努力がなされることを望みます。
 美しい日本であって欲しい。国を動かす政治家の方々にはぜひとも認識していただきたい。選挙ではそういった意識の中で一票を投じようと、私は思います。でもそういった次元の話をする政治家の方には、なかなか出会わないですね。



 北陸道の読みについて教えてください    ..曲学の徒    
      2006/02/11(土) 20:18  No.959
 
 
はじめまして。
北陸地方の古名について調べております。

貴兄の歌枕紀行に『北陸道』と書いて、『きたのくがつぢ』という読みがふってありますが、一般的には五畿七道の一つ北陸道は『くぬがのみち』という読みがふってあります。
『きたのくがつぢ』という読みが、何に由来するものか教えていただければ幸いです。


 北陸道の読みについて    ..水垣    
        2006/02/12(日) 12:09  No.964
 
 
はじめまして。
「きたのくがつぢ」は、「北陸道」をそのまま和訓したらこう訓める、ということです。別段何に由来するものでもありません。
むろん北陸道の古名をこういうわけではないのですが、誤解されても仕方ない書き方だったかもしれません。



 はじめまして    ..樂々 [URL]    
      2006/02/08(水) 20:20  No.958
 
 
もう何年も前からこちらのサイトのお世話になって勉強させいただいて
まいりましたが、当方のサイトにリンクいたしましたのを機会に御挨拶申し上げます。おふざけ中心のサイトですが一度冷やかしのおつもりで御訪問いただけたら幸いと存じます。
水垣さまのサイトがますます充実していくことを願ってやみません。

リンクは下記のページにございます。http://www.tcn.zaq.ne.jp/akbop902/raku/link.html


 Re:はじめまして    ..水垣    
        2006/02/12(日) 12:08  No.963
 
 
はじめまして。ご挨拶ありがとうございます。
長く見て下さっているとのこと、大変励みになります。
貴サイト拝見しました。風雅な和歌からきわどい短歌まで、幅広い作風を楽しませて頂きました。

今後ともご愛顧頂ければ幸いに存じます。



 歌の昔    ..さんごかく    
      2006/02/07(火) 22:25  No.957
 
 
こんばんは、早速の返信ありがとうございます。
きょう、折口信夫の『國文學の發生』を発注いたしました。

すこし歌から離れますが、これも歌から気になったところですし、出来るだけ多く読んで、それから歌に戻ります。


写真  ーー越の白根ーー   


 どういたしまして    ..水垣    
        2006/02/12(日) 12:07  No.962
 
 
歌の発生、あるいは発生以前のありよう、実に刺激的なテーマだと思います。歌だけでなく、日本文学のおおもとを尋ねることになりますからね。
越の白根の写真は、美しいだけでなく、力強さを感じました。
越の白根と言えば、最近ブログでちょっと話題にしたことがありました。
http://yamatouta.blog10.fc2.com/blog-entry-166.html



 小野篁が陸奥で詠んだ歌は?    ..武隈里 [URL]    
      2006/02/05(日) 16:36  No.943
 
 
東北の武隈です。
たまたま小野篁の話題が続きます。小野篁は隠岐から帰京したあと、陸奥守となって陸奥へ赴任したという。もう晩年で、隠岐の次は陸奥に左遷。何故、この話題になるかと言いますと、うちの竹駒神社の創始者なんです。
まあ、神社縁起に書いてあるそうですけどね。 もし、あれほどの歌人が陸奥に来れば、一首くらいは残っている? 。千人一首
も見ましたが、小野篁は陸奥に行ったことは書いていませんね。本当は陸奥なんぞ行っていないのかも? なにか手がかりあれば教えてください。 


 Re:小野篁が陸奥で詠んだ歌は?    ..水垣    
        2006/02/05(日) 21:58  No.950
 
 
興味深い情報をありがとうございます。
小野篁が陸奥で詠んだ歌――残念ながら当方全く手がかりなしです。
どなたかご存じの方いらっしゃいましたら宜しくお願い致します。


 Re:小野篁が陸奥で詠んだ歌は?    ..武隈里 [URL]    
        2006/02/06(月) 13:59  No.955
 
 
早速のお返事ありがとうございます。 小野篁の陸奥についてインターネットで検索して調べました。 歌はなかったですけど、
陸奥には少年時代も一度来ているようですね。竹駒神社と小野氏はなにか縁があるのかも。 
(1)
小野篁 815年, 父岑守が陸奥の守として奥州に赴任するのに同行 ということは13歳のころかな。 815年、弘仁6年正月10日(日本後記)
(2)
小町生誕の土地伝説
福島県小野町:小野篁が陸奥守として赴任のおり、土地に娘との間に生まれた子が小町
(3)
亘理の昔話
ここにも登場 同じ842年 尊久老稲荷神社ここでは白狐ならぬ「黒狐」 穴は竹駒までつながっているとか?<BR>
(4)
840年京に召還され,翌年本位に復し,刑部大輔,陸奥守,東宮学士,蔵人頭,左中弁等を経て847年参議に昇進し弾正大弼を兼ねた。852年に左大弁となり同年病没した
 とりいそぎ。


 Re:小野篁が陸奥で詠んだ歌は?    ..水垣    
        2006/02/12(日) 12:06  No.961
 
 
引き続きご教示ありがとうございます。
小野篁と陸奥には深い縁があるのですね。そう言えば、小野小町は篁の子とも孫とも伝わりますが、東北出身との伝説がありましたね。
竹駒神社の創始者との言い伝えも、単なる附会ではないのかもしれません。



 お知らせ    ..水垣    
      2006/02/05(日) 22:07  No.952
 
 
上にも書きましたが、当掲示板に返信機能を付けました。今後、特定の記事にコメントなさりたい時は、タイトルの右の「返信」をクリックしてご投稿下さい。どうぞよろしくお願いいたします。


 今晩は    ..一人静    
      2006/02/05(日) 20:11  No.945
 
 
紫草様
 御花に掛け軸、それから歌数首。
 お茶席に招いていただいたような気持になりながら読ませていただいています。

 立春の寒さを忘れる思いです。


 Re:今晩は一人静    ..紫草    
        2006/02/06(月) 00:34  No.953
 
 
茶の湯を嗜まわれておられますご様子ですね。
菜の花は利休忌が終わってから使うものとされておりますが
春の息吹をと思い、季節の移ろいを込め花入れに挿してみました。お気軽に観賞して頂ければ宜しいのですが、拙宅の茶室の床に飾り
ましたが、手桶は春の小川を流れる雪解け水を汲む様を表した気持ちですのですが、!
これでは席主の挨拶に成ってしまいますね(笑い)

まだ寒さも続くようですのでお健やかでありますように。



 万葉以前    ..さんごかく    
      2006/02/05(日) 16:50  No.944
 
 
はじめまして。万葉集を読み始めて2年足らずの初心者です。

万葉集を読んでいて何か現代の短歌との違いを感じ、万葉以前の歌も古事記などで伝えられてるのですが、知るところではすべて漢字です。
わが国の歌は漢字が伝えられてから発達したのでしょうか。
漢字以前に書き表す手段がなかった時代はどうであったか。
すべて暗唱であったかもしれない、歌は自然と調子を持ったのか。そんな風に思うと、現代の短歌と万葉集の歌の内容(必要性)が大いに違うと思ったりしています。

そんなことから最近は漢字の渡来、渡来以前の日本語に興味が出てきました。何を読んだら良いのか分からないのですが、素人向の出版物など教えてください。最近木簡についての本は1冊手に入れました、これも漢字前提で有りました。しかしおおいに満足いたしました。
               




 Re:万葉以前    ..水垣    
        2006/02/05(日) 22:05  No.951
 
 
ようこそおいで下さいました。ご投稿もありがとうございます。

おっしゃるとおり、漢字渡来以前、歌等はおそらく口誦で伝えられていたのでしょうね。五七五七七の形式は口誦の中で練られていったものか、あるいは漢詩の影響下に定型化したものか。興味深いところだと思います。

渡来以前の日本語についてですが、「素人向の出版物」は存じないのです。私が興味深く読みましたのは、例えば折口信夫の『國文學の發生』(中公文庫や全集に収録)のような著作でした。



 無題    ..じんた    
      2006/02/04(土) 17:57  No.942
 
 
はじめまして。じんたと申します。

千人万首の「思いきや、、」の項に使われている小野篁流謫地付近の写真を私のブログで使わせていただけないでしょうか?
と、申しますのは、篁が都へ召し返される折に上陸したという
伝説のある若狭の田烏(古表記は多烏)の浦と海士の景色が
余りにも極似しているのです。

そのことに関してちょっとした想像が膨らんでおりまして、その感慨を近くブログに書きたいのです。

以上、よろしくお願いいたします。

ちなみに下記が私のブログです。

http://moon.ap.teacup.com/jinta3/


 画像の件    ..水垣    
        2006/02/05(日) 21:56  No.949
 
 
はじめまして。ご訪問並びにご投稿ありがとうございます。

>伝説のある若狭の田烏(古表記は多烏)の浦と海士の景色が
>余りにも極似しているのです。

面白い話ですね。画像はどうぞご自由にお使い下さい。加工、当方へのリンクの有無なども、すべてご自由にどうぞ。


 Re:画像の件    ..じんた    
        2006/02/06(月) 10:35  No.954
 
 
水垣様

ご配慮ありがとうございます。
では、遠慮なく使用させていただきます。


 Re:画像の件    ..じんた    
        2006/02/06(月) 14:22  No.956
 
 
水垣様
下記の様に写真掲載/リンクさせていただきました。
http://moon.ap.teacup.com/jinta3/99.html
ありがとうございました。



 今年初のお邪魔です。    ..紀州の姫    
      2006/02/04(土) 10:15  No.940
 
 
水垣さま、お久しぶりです。
昨日の節分、今年の恵方「南南東」に向かって恵方巻きの丸かぶりされましたか?って、これは関西式でしょうか?^_^;

ブログの早梅を拝見し、今年も北野天満宮の梅花祭(25日)での舞妓さん達によるお茶会が近づいてきた事、実感しました。(こちらにもその様子を載せたことがあります)

また、冬の歌四首のお写真と
“黄金(こがね)より濃き紅へ 光より耀ふ闇へ 楓森ゆく”
のお歌とがピッタリだなぁ・・、と思ったり、ブログも楽しみながら拝見させて頂いております。

1月は、私に取りまして色々思うことや悩むことが多くあり、そんな時やはり慈円の
“わが心奥までわれがしるべせよわが行く道はわれのみぞ知る”
を思い、
“山路ふかく憂き身のすゑをたどり行けば雲にあらそふ峰の松かぜ”
に支えられておりました。

同じ思いの歌に出会える事は、支えになり心も落ち着き嬉しいものですね。

いつまで経っても和歌には初心者の私ですが、今年も水垣様皆様のお話に心の安らぎを得たいと思います。

写真は、松の内に行きました一力茶屋の芸妓さんの舞です。黒紋付で舞うのはこの時期だけの珍しい写真です。
ちょっと遅いですが(と言いますか、だいぶん遅いですが(^_^;))、新年のご挨拶代わりです。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
(パソコン新しくなり、調子良くなりました!(^^♪)


 今年もよろしくお願い致します    ..水垣    
        2006/02/05(日) 21:55  No.948
 
 
>紀州の姫様
お久しぶりです。パソコン新調されたのですね。

節分の日の恵方巻き丸かぶり、近頃よく耳にするようになりましたが、まわりの人がやっているとの話は聞きませんねぇ。太巻き自体、たぶん関東人は関西人に比べてあまり食べないのでは。私は結構好きで、関西へ行くとよく頂きますが。

ブログの記事へのコメント、ありがとうございます。あの写真は一昨年、近くのハイキングコースの楓の森を映したのですが、大変印象的で、今でも夢に見る程です。昨年はとうとう行く機会を逸してしまいました。

お悩みの時、慈円の歌が支えになっているとのこと。そんな歌をまた他にもご紹介できたら幸いに存じます。

黒紋付きの芸妓さんとは珍しい画像を見せて頂きました。金の扇が眩しいですね。
私のは今日お参りした浄妙寺のお庭です。老母と抹茶を頂いて参りました。

私こそご挨拶が遅くなりました。今年もどうぞ宜しくお願い致します。



 返信 一人静様    ..招き猫    
      2006/01/31(火) 11:54  No.939
 
 
 いえいえ、そのようなお気遣いは無用かと。私の近しい人2、3人に訊いたところ、みな言葉通りに理解していましたから。お御歌が穏やかで暖かなものだったので、母子の愛を感じて思い込んだのではないかと、自分では解釈しています。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。かしこ


 返信 招き猫様    ..一人静    
      2006/01/31(火) 10:59  No.938
 
 
招き猫様、誤解させてしまったようで・・・ごめんなさい。

子供は三人おりますが、みな成人しております。年相応、分相応・・という言葉が好きな私ですが、こちらのサイトの若い皆さんとやりとりするうちに、不用意な言葉使いをしてしまいました。

以後気をつけますので、今後ともどうぞ仲良くしてくださいね。



 和歌の被講    ..紫草    
      2006/01/30(月) 20:19  No.937
 
 
お知らせまでに ポスターを写真に撮りましたが解かりにくいのではないでしょうか。

日本文化財団の主催による伝統文化鑑賞会 万葉秀歌を歌うと題して催されるそうです。
ご興味のお有りの方は下記へお問合せして下さい。
日本文化財団ー100-6031 千代田区霞ヶ関3-2-5 霞ヶ関ビル31F
tel 03-3580-0031 fax-03-3593-0810
以上お知らせまでに


 Re:和歌の被講    ..水垣    
        2006/02/05(日) 21:35  No.947
 
 
四月二十三日 国立劇場(大劇場)ですね。
お知らせありがとうございました。



 教えてください!    ..額田    
      2006/01/30(月) 14:19  No.936
 
 
ちょっと和歌に興味があると言ったら友人から質問されてしまいました。葛の葉が風に揺れて葉の裏を見せ、そこから色白の恋しい人を「裏白の君」と呼ぶというような内容の「句」が知りたいと・・・万葉集や新古今などかなり捜したのですが葛というと恨みや裏切り等のあまり良いイメージの句がありません。ご存知でしたらお教えください。

 Re:教えてください!    ..水垣    
        2006/02/05(日) 21:34  No.946
 
 
「葛の葉が風に揺れて葉の裏を見せ」る様を詠んだ歌は数知れずあるのですが、「裏白の君」云々を詠んだ歌は存じません。お役に立てず残念です。


 え、そうなのですか?    ..招き猫    
      2006/01/30(月) 05:20  No.935
 
 
一人静様

 「まんまじゃーん」って、「そのまんま」という意味なのですか? 私はてっきり言葉が出始めたくらいの小さなお子様がいらして「ママちゃーん」と呼びかけているものとばかり。「手厳しい批評家?水垣様は何を言っておられるのだろう」と、最初全く理解不能でした。こんな解釈をした人って、私だけなのかな? 古語の前に、現代語の読解力を身につけなければなりませんね。失礼があったかも知れません。お許し下さい。かしこ

 書き込む機会に恵まれましたので、大阪城梅林の写真をもう一枚。前掲の寒梅と同じ日です。




 ご訪問ありがとうございます>まあち様    ..水垣    
      2006/01/29(日) 22:40  No.934
 
 
はじめまして。ご投稿お礼申し上げます。大変励みになります。
万葉集がお好きだったのですね。お探しの歌が見つかって幸いでした。
まだまだ充実させたいところが多く、理想までははるか遠い道のりですが、今後ともご活用頂ければ嬉しく存じます。



 紫陽花の歌>一人静様    ..水垣    
      2006/01/29(日) 22:39  No.933
 
 
いつもありがとうございます。

> あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あさねさす昼
>の最後の「あさねさす昼」は美しい紫陽花を見て朝寝坊して気が引けている気持・・で
>いいのでしょうか。

面白い解釈ですね。私はどういう読み方が正当なのか、よく分かりませんけれども、そういう読み方も「あり」ではないでしょうか。
「ぬばたまの夜あさねさす昼」、枕詞を用いたリズミカルな句で、夜から昼へ、また夜から昼へと、美しく時が移り変わって行く――私はそんな風に感じておりました。

> よき歌に触れて今年も過ぐさむと胸に小さな灯りをともす

お子さんはなかなか手厳しい批評家ですね(笑)。私は御歌を拝見して、それこそ「胸に小さな灯り」がともったような気持です。



 RE:「歌仙の饗宴」展>山桜様    ..水垣    
      2006/01/29(日) 22:35  No.932
 
 
こんばんは。観覧のご報告をありがとうございました。私もこれはぜひ観に行きたいと思っております。斎宮女御の展示があるとのお話を伺い、後半に行こうと決めた次第です。もう明後日からとなりますね。
ブログの記事は興味深く、また共感を覚えつつ拝読。お蔭様で、展覧会がますます楽しみになりました。私も観覧しましたら、こちらかブログの方でご報告したいと思います。



 「雪の玉水」の御作>招き猫様    ..水垣    
      2006/01/29(日) 22:33  No.931
 
 
ご挨拶が遅れ失礼しました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

>春近く月澄み渡る梅が枝にとどめて咲き添ふ雪の玉水

春近いけれど、まだ寒い季節、月の光は冴え渡り、咲き始めて間もない梅(私は白梅を思い浮かべました)を照らしている。そこには雪融けの水滴がとどまって、もう一つの花のように咲き添っている。……まさに「雪月花」の風景ですね。
逸爾散士様のご指摘にもありましたが、私も第四句が一番気になりました。「とどめて」「咲き添ふ」と動詞が重なってくどい感じがします。また「とどめて」は意味の上からすると正確には「とどまりて」でしょうか。しかしこれでは調べが悪くなりますね。私なりの改案ですが、

 春をあさみ月影さゆる白梅に光添へたる雪の玉水

としてみました。改「良」かどうかは判りませんが…。

千人万首の油谷倭文子のご感想と大坂城の寒梅のお写真もありがとうございました。今にもほころびそうな紅梅の蕾に、一足早い春を味わいました。



 百人一首カルタの下句の画像について    ..水垣    
      2006/01/29(日) 22:32  No.930
 
 
>Harada Carmen様

はじめまして。メキシコよりありがとうございました。わかりやすい日本語をお書きになり、感心してしまいました。
百人一首カルタの「博物館」、気に入って頂けて幸いです。
やりたいことはどんどん増える一方、自由にできる時間はどんどん少なくなり、すぐにリクエストにおこたえできないのが申し訳ないのですが、カルタの下句の画像もなるべく近いうちに載せたいと思います。もうしばらくお待ち下さい。



 にひまなび    ..招き猫    
      2006/01/29(日) 01:45  No.929
 
 
逸爾散士さま

 コメントをありがとうございました。「言いつのって」いただいて、感謝感激です。
 私は「雪の玉水」にこだわって無理をしたと思います。翌日歩きながら「やっぱり違うな」と思いました。帰宅後すぐに逸爾散士さまからのコメントを拝読したのですが、所用にて返信が遅くなり、失礼いたしました。
 一人静さまの書き込みの中に、「油谷倭文子様の歌の万智ちゃん風・・・」とあったのを拝見して、こちらも読ませていただきました。油谷倭文子の歌はけなげに思えて、私も心が動かされました。


水垣さま

 賀茂真淵の和歌入門書『にひまなび』の
「その高く直き心を万葉に得て、艶(にほ)へる姿を古今歌集のごとく詠むときは、まことに女のよろしき歌とすべし」
という文言と、その教えに対する油谷倭文子のひたむきな姿勢が、ご教示いただいた歌からにじみ出ているように感じられて、とても感銘を受けました。

 安直に歌詠みしている自分が恥ずかしい・・のですが、詠むと見せたくなってしまうという愚か者にて、本当に恐縮です。

 写真は、ここ2日ばかり所用で大阪に出かけたのですが、その際に立ち寄った大阪城梅林の寒梅です。1月28日(土)夕方の撮影です。ほんの二輪か三輪咲きほころんでいました。  かしこ



 無題    ..まあち [URL]    
      2006/01/27(金) 23:59  No.928
 
 
 はじめまして。素晴らしいお仕事に敬服いたしました。
 大変なお作業と存じます。
 お蔭様で、高校生時代好きだった「勝鹿の真間娘子を詠む歌」を簡単に見つけ出せました。
 「貧窮問答の歌」も久々に音読できました。
 普通のサラリーマンですが、優しい、嬉しい、楽しいHPで感激いたしました。ありがとうございます。



 水玉と雪    ..逸爾散士    
      2006/01/26(木) 23:37  No.927
 
 
招き猫さま

 歌の詞となるといろいろ言いつのりましてすみません。
 前に書き残したようで気になっていたことですが、雪の玉水というのは水滴ですよね。木の枝に雪が積もっている、あるいは消え残っているのは花のように見えますが、水滴を花のように「咲く」というのは、比喩としては少し危ういかもしれません。喩えですからいいようなものですけれど、実際の景色とは離れます。
 枝に積もる雪を花に似ていると思うばかりでなく、風に舞う花びらを見て、一瞬、「雪かな」と思ったことがあります。散る花を雪と見る和歌はたくさんあるでしょう。その見立てはマンネリズムでしょうが、根底には「実感」もあっただろうな、と思いました。

 雪の玉水ならば、「露」に喩えるほうがイメージは安定しますね。かりに
 月さえて梅の梢に宿るるは露と見ゆらん雪の玉水
なんて歌があって、「雪解の水を露と間違う者などいるわけない」と後代が論難したら楽しい。(なんて妄想)

 梅の幹はごつごつして、枝はつんつん斜め横に伸びて、雪の玉水が宿るのはかえって風情のあるところかもしれません。梅に取り合わせて「雪の玉水」という詞をお使いになりたくなる心持はわかるような気がします。
 「雲ゐより…」の御作は、天から見ている人が梅に雪の花を咲かせた、というようにとれればユニークで面白い歌になると思います。

一人静さま

万智ちゃんぶりっこ(?)の歌にお目をとめていただいて恐縮です。

平易簡明な歌いぶりですが、「胸に小さな灯りをともす」という矜持は、日常でなかなか得がたいものと思いました。



 返信    ..招き猫    
      2006/01/25(水) 13:37  No.926
 
 
逸爾散士さま

 丁寧に評していただいて、ありがとうございました。
「調べが苦しい」「初句が浮いている」とのご指摘、その通りだと思いました。そう思えた自分が、和歌に対して少し成長したように感じられて、とてもうれしかったです。「四句の字余りの必然性」については、そういった考え方があることを知り、さらに勉強しようと思います。
 といったことから再考して、よくわからないながらもまた詠んでみました。

 澄む月や梅つぼむ枝にまちわびて花とみゆるは雪の玉水
 雲ゐより梅つぼむ枝をまちわびてまづ咲き初むる白雪の花

逸爾散士さまの

 月澄みて蕾も固き梅が枝にまづ咲き初むる雪の玉水

にも習わせていただきました。かしこ


紫草さま

「老い木になるまで散らで残りしなり」という世阿弥の「風姿花伝」の芸術論、それが人生論にも通じるという紫草さまのご教示は、大変興味深く読ませていただいておりました。そして、そのような視点から能を鑑賞してみたいと考えて、数日前にチケットを購入しました。演目は「竹生島」です。湖上の春と竹生島の美景を織り込み、根強い女人信仰を持つ弁財天を主題にした佳作とのこと。楽しみにしているところです。世阿弥の『風姿花伝』も読ませていただくつもりでおります。

 紫草様の「生涯現役とか元気印老人も悪くは無いが、面白く萎れた花ある晩年を送る人々が増えた方が楽しく深みがある」とのコメント、とても共感いたしました。そうするためには、自分にはどんな花があるのか、知る必要があるのでしょうね。自分では「こんな花だ」と思っていても、本当は全く違う花があったりして。
 ほかの人が知りえない花が密かにあって、晩年ひっそりと愛しむことができたら、これはすばらしいでしょうね。「秘すれば花、秘せねば花なるべかざる」とは、そういった花こそが花といえるということなのでしょうか。

 そんなことを考えながら、逸爾散士さまから頂いたご教示をもとに、歌のヒントがないか、もう一度式子内親王に習ってみようと考えて眺めていたところ、この歌に出会いました。

 梅が枝の花をばよそにあくがれて風こそかをれ春の夕やみ

 刻一刻と過ぎ行く時を肯定するでも否定するでもなくあるがままに捉えて、いまこの時が未来永劫につながっていくことに思いを込めながら、それをあまり露わにせずに幻想的な芸術として表現している、とそんな風に感じました。

 私ごとですが、私は最近、人を好きになるという気持ちは、どこからどのようにしてやってくるのだろう、ということに思いをめぐらせることがあるのですが、ほんの少し、この歌に答えを垣間見た気がいたしました。余談です。

 紫草さまの深く尊いお考えに触れたことで、拙い思いをさまざまにめぐらせ、この歌にも出会うことができたことは私の喜びです。ありがとうございました。かしこ

 追伸 能鑑賞のチケットが、意外に手に入りにくいことを知り、驚きました。人気があるのですね。


一人静さま

「まんまじゃーん」といわれる一人静さまのご詠歌に、温まらせていただきました。何にもかえがたい幸せですね。

 しろかねもくがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

と、憶良と同様に私も思います。かしこ

 写真は、隣の家の子たちがつくった雪だるまです。



 雪の玉水    ..一人静    
      2006/01/24(火) 16:09  No.925
 
 
招き猫様
こんにちは。以前こちらに歌を寄せられてみなさんのご感想を・・すごいなぁ・・と思いながら読ませていただいたことがあります。
今回も内親王様の歌に寄せられてのご詠歌楽しませていただきました。

それにしても「雪の玉水」という言葉の美しいことを改めて感じています。

逸爾散士様
油谷倭文子様の歌の万智ちゃん風はとてもわかりやすく楽しい歌になっていましたね。元歌の味を損なうことなく作り変えることは至難の業と思いますのに。2・3首目などそのままでも歌になっていると思いました。手枕がベッドカバーになっているところなどいかにも現代的で、ある時は古語、またある時は口語と自在に使っての歌作りはさすがと拝読させていただきました。

水垣様
和歌歳時記の紫陽花のコーナーに新しい歌が増えていましたね。好きな花なので喜んでいます。「花のよひら」という言葉もまた美しいです。
例歌の最後の歌
 あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あさねさす昼
の最後の「あさねさす昼」は美しい紫陽花を見て朝寝坊して気が引けている気持・・でいいのでしょうか。

 よき歌に触れて今年も過ぐさむと胸に小さな灯りをともす

子供に「まんまじゃーん」といわれる私の歌です。  かしこ



 RE 招き猫様    ..紫草    
      2006/01/24(火) 13:35  No.924
 
 
雪も消え冬の陽射しを浴びて寒椿が咲きだしました

お問い合わせの件ですが芳名録NO・901・917・919に掲載いたしました、風景写真を眺め思いを文書にしたため感想を述べたつもりです。世阿弥の「風姿花伝」を読みますと無常観が漂い「時分の花」に心を引かれこのように在りたいものだと自己の願望を述べたものです。
お尋ねの言葉ですが仮名送りを間違えたかと思いますのでスペルは(fantastic)で空想的、幻想的、とでも訳しましょうか、無常観
の反意として記しましたのでご了承して下さい。



 「歌仙の饗宴」展    ..山桜 [URL]    
      2006/01/24(火) 11:02  No.923
 
 
水垣様、皆様、おはようございます。

先日、出光美術館で開催中(〜2月12日)の
 古今和歌集1100年記念祭「歌仙の饗宴」展に行って参りました。

分割された「佐竹本三十六歌仙絵」のうちの九点(展示換えで
七点ずつ)
が出展されています。
後半の31日〜は「斎宮女御」も展示される予定です。
なかなか無い機会と存じますので、ご都合が合えば是非!

(ブログに恥ずかしながら拙いレポがあります。)



 雪の玉水    ..逸爾散士    
      2006/01/23(月) 20:55  No.922
 
 
招き猫様

式子内親王さまのお歌
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
の御歌をもとにした御作ですね。

式子様の歌はおそらく昼の景できらきらした明るいイメージ(寒そうですけどね)。雪の玉水(雪が溶けて滴り落ちる水)という詞が、光り輝くイメージを与えるのでしょう。
招き猫様の作は、その水滴が月の光できらめくイメージかと思います。実際に月光で雪の玉水が見えるのか覚束ない気もしますが、そういうベタなリアリズムより冷え寂びた夜の景に「雪の玉水」を見るのは一つの世界かと思います。
ただ、四句の字余りの必然性が薄いし、ちょっと調べは苦しいかもしれません。「春近く」もわざわざ季節を最初に規定したみたいに思えます。「咲き添う」というと梅の花は雪解けの水滴とともに咲いているのかしら。「とどめて」というのは、水滴が枝に残っているということですよね。

春は近く、月が澄み渡る夜、梅の枝に雪解けの水滴が残り(月光に照らされ)、梅の花に咲き添っている…

イメージがわかないこともないけど、梅の花はまだ咲いてないとするのはどうでしょうか。

月澄みて蕾も固き梅が枝にまづ咲き初むる雪の玉水

……やっぱり初句は浮いてますね。


一人静様

ご挨拶が遅れました。
わたしはいろいろこ難しげなことを言いましても、「調べ」とか「歌の姿」などという語に逃げております。
もう少し精密に思考できればいいのですが。



 雪解け    ..招き猫    
      2006/01/23(月) 12:16  No.921
 
 
 春近く月澄み渡る梅が枝にとどめて咲き添ふ雪の玉水

水垣様、皆様、遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。恥ずかしながら式子内親王に習い、雪解けに詠みました。いかがでしょうか。

今年の北国は大変な豪雪で、痛ましい事故がたくさん報道されたので、雪を詠むのがなんだか心苦しく、申し訳ない思いです。何とかしたいと思いつつ、いろいろと考え合わせると、力のなさを情けなく思うこの頃です。

紫草様へ
 紫草様のお問いかけに対してコメントすることは、私にとっては容易ではありませんが、少し考えて、また書き込ませていただきたいと思っております。いろは歌には柿本人麻呂の死にまつわる暗号が隠されているという話もあってたりして、とても興味深いです。
 質問なのですが、「ファンダルチェク」はどのような意味ですか。勉強不足で恐縮です。

 写真は、世田谷区の羽根木公園です。だいぶつぼみが膨らんでいました。下手な写真ですみません。かしこ



 無題    ..Harada Carmen    
      2006/01/22(日) 21:37  No.920
 
 
はじめまして。原田カルメンです。宜しくお願いします。メキシコ人で、日系人3世です。趣味は書道で、4年前から習っています。2年前から仮名もやっています。この間、小倉百人一首のカルタの博物館のぺジーを見て、とても気にいりました。すぐカルタの印刷をしていて、お手本として、仮名の練習をしはじめました。しかし、カルタは、上のカルタだけで、下のカルタはありません。下の巻きも載せていただきたいのですが、宜しくお願いいたします。下手な日本語で申し訳ございません。
原田カルメン。メキシコより。



 残りの雪    ..紫草    
      2006/01/22(日) 21:37  No.919
 
 
昨日の雪は淡雪だったのでしょうか、一面を真っ白に染めた積雪は一日にして消え日陰に残りの雪となって遺すのみと成りました。

きのふといひ けふとくらして あすか川 流れてはやき 月日なりけり

紀貫之の歌のように儚く過ぎ去った時は移ろう四季を雪は伝えているのでしょうか

「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日こえて浅き夢見じ酔ひもせず」                 この、いろは歌はこの偈(げ)の意を詠んだものという。

即ち、雪山偈 仏教の根本思想である涅槃経にある四句の偈。            

「諸行無常」万物は常に変化して少しの間もとどまらないということ。       

「是生減法」あらゆるものは、変転して尽きないもので、これが生滅の法である   

「生減々己」生滅無常の現象界を超越し生死を脱して涅槃に入ること       

「寂滅為楽」生死の苦に対して、涅槃の境地を真の楽とする意           

このように雪の消え行く姿を無常観に捉えるのでなくファンダルチェクに捉えるべきなのでしょうか?ご意見のある方おりましたら教えて下さい。




 RE:雪の日に思ふ>紫草様    ..水垣    
      2006/01/21(土) 23:15  No.918
 
 
やはりどこか武蔵野らしい風情を感じる雪景色ですね。つくづく素晴らしいお庭です。
鎌倉辺りでも雪は珍客です。日常見慣れた風景の一変する雪景色は、やはり心躍るものがあります。

今日は『光厳院御集』の冬の部を読んでおりました。

 冬枯の草木の時をあはれとや花をあまねくふれる白雪
 (冬枯の草木しかない時節を哀れと思ってか、花をあたり一面に咲かすように降った白雪よ)

 ときは木のその色となき雪の中も松は松なる姿ぞみゆる
 (常磐木の緑の色もそれと見えない雪の中でも、松はやはり松らしい姿が見えるのだ。)

写真は今日の裏庭の楓です。



 雪の日に思ふ    ..紫草    
      2006/01/21(土) 18:34  No.917
 
 
今年は大雪で雪国の人にとっては生活に困窮を来たすほどに成っているそうですが、!                     当地武蔵野では5年ぶりの降雪とか、朝から降り出した雪が庭に冬の花を咲かせ幻想的な風情を感じさせております。

白雪のふりてつもれる山里はすむ人さへや思ひ消ゆらむ

雪ふりて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ

柞原が雪に覆われると静寂な思いと別世界に住んで入るような時間の流れを感じさせてくれる。                 昔読んだ鈴木牧之「北越雪譜」を思いそれに繋がる川端康成「雪国」立原正秋「紬の里」など雪の情景が抒情性を醸し誘ってくれる。



 お返事遅れ申し分けありません    ..水垣    
      2006/01/16(月) 23:08  No.916
 
 
>八重葎様

こちらこそ本年もよろしくお願い致します。
一月も半ばを過ぎ、トップページの歌はもとに戻してしまいましたが、蓮月尼の歌に元気をもらって今年も一年更新に励みたいと思っております。

>Graham様

本年もどうぞよろしくお願い致します。
式子内親王の歌との出会いのお話、興味深く拝見しました。
私もやはり最初は百人一首でしたが、さほど強い印象は残っておらず、高校生の頃ふとしたことから愛読し始めた新古今集で、ことに好きになったのが式子内親王でした。

 花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
 しづかなる暁ごとに見渡せばまだふかき夜の夢ぞかなしき

など、静かな感じの歌が好きでした。Graham様が引用された

>日に千たび心は谷に投げ果てて有にもあらず過ぐる我が身は

のような激しい歌を知り、さらに惹かれるようになったのは、私もそんなに昔のことではありません。

また式子内親王や宮内卿の話題で盛り上がると嬉しいです。

>武隈里様

ご訪問とサイトのお知らせ、まことに有り難うございます。
陸奥はいにしえの歌人憧れの地、私も何度も訪れておりますが、まだまだ見残した所がたくさんあり、武隈もその一つです。こちらこそ勉強させて頂くところが多いかと存じます。
なお誠に勝手ながら当サイトの名所歌枕一覧から貴サイトへリンクを張らせて頂きました。宮城県の武隈のふたつめの▲です。もし不都合などございましたらお手数ですがご一報下さい。よろしくご諒解頂ければ幸甚です。

>七彩乃風様

ようこそおいで下さいました。
余りお勉強向きにサイトを作ってはおりませんので「勉強させて頂きます」と言われますたびに恐縮というか冷汗の思いですが、何かのお役に立てるのでしたら幸いです。

>ハンス様

誤りのご指摘まことに有り難うございました。昨日の更新で、訂正しておきました。
地名についてはミスが多く、たびたびご指摘を頂いておりまして、お恥ずかしい限りです。
本当に助かりました。



 Re一人静様    ..紫草    
      2006/01/15(日) 14:44  No.915
 
 
小説、「その年の冬」立原正秋著を思い出し
水仙を白磁の壷に活けてみました。                      

寒中お見舞い申し上げます。

>「雪の小面」の由来ですが、豊臣秀吉は能楽を好み名人の作った能面を側近や大名、能楽師に下げ渡し愛蔵した龍右衛門作の「雪月花」三種の小面を、 金春太夫に雪を、花を金剛太夫に、月は徳川家康に与えたと云われ、現在は所蔵者が替わっているそうです。

能、「井筒」についてですが昨秋、拙宅にて茶会を催した折、趣向に井筒を用い待合の部屋の床に設えたものです。

「能」の演目の中に伊勢物語から取り入れた曲目は六曲あり夫々を
紹介いたしますと長文になりますので概略と致します。
と言いまして、「やまとうたblog」ですから能のなかに取り上げております和歌を主に探ってみました。

昔男ありけり。初冠して奈良の都、春日の里に知るよしして狩にいにけり。
そういう言葉で始まる「伊勢物語」美男で知られた在原業平の一代記と言われています。

「井筒」筒井筒井筒にかけしまろがたけ 生ひにけらしな        妹見ざるまに。

女返し。くらべこし振分髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき。

  風吹けば沖つ白波龍田山 夜半にや君がひとり 越ゆらん

  君があたり見つっををらん生駒山 雲なかくしそ雨は降るとも

  君こむといひし夜ごとに過ぎぬれば たのまぬものの恋ひつつぞふる

「小塩」大原や小塩の山も けふこそは 神代の事も 思ひ出づらめ。

「右近」  見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは、あやなくけふやながめ暮らさん。
 
返し歌。知る知らぬなにかあやなくわきて言はん、思ひのみこそしるべなりけれ。

「隅田川」 名にし負はば、いざ言と問はん都鳥、わが思ふ人は、ありやなしやと。

「雲林院」 月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身ひとつは、もとの身にして。

「杜若」  白玉か、なにぞと人の問ひし時、露と答へて、消えなましものを。

      か ・・  唐衣 
      き ・・  着つつ なれにし
      つ ・・  妻しあれば
      ば ・・  はるばるきぬる
      た ・・  たびをしぞ思ふ 

上記は伊勢物語を題材した演目ですが三十一文字に過ぎない和歌に人々はどれだけ思いを込めるのでしょうか。「能」の中心に位置する歌も、訳するだけならば単純なものなのですが、物語を構成し展開される様は幽玄な世界へと誘ってくれる。

他に、源氏物語、平家物語、小野小町、を始め数々の演目が数百を数え作られています。



 訂正をお願いします    ..ハンス    
      2006/01/15(日) 00:29  No.914
 
 
こんにちは。地名に間違いがありますので訂正をお願いしたく書き込みします。
・・・・・・・・・・・・・・・・
賀茂真淵のページ 
「大比叡大比叡(びえ)や小比叡(をびえ)の雲のめぐり来て夕立すなり粟津(あはづ)野の原」

【語釈】◇粟津野の原 滋賀県粟田郡瀬田・橋本・膳所あたりの原。
・・・・・・・・・・・・・・・・
上の部分、滋賀県粟田郡(あわたぐん)になっていますが、正しくは「栗田郡 くりたぐん」です。
尚、後に栗太郡になり、さらに2001年10月、栗東町が市になって栗太郡の地名は消滅しました。

どうも失礼しました。




 はじめまして    ..七彩乃風 [URL]    
      2006/01/13(金) 13:16  No.913
 
 
庄内拓明さまのブログでこちらを知り、おじゃまいたしました。
七彩乃風と申します。

膨大なお歌の研究や紹介などなど 一度ではとても見て回れませんでしたが、文語短歌の真似事などをしておりますのに まったくの不勉強で・・・こちらでしっかり学ばせていただきたいと思います。



 歌枕 武隈の松    ..武隈里 [URL]    
      2006/01/12(木) 12:50  No.912
 
 
宮城県岩沼に住まいするものです。ここへきて早、2年半、故郷も忘れがたいですが、ここ陸奥の歌枕の地も終の棲家と決めました。岩沼は太古から「武隈」と呼ばれました。「武隈の里」でHPを書いています。陸奥には歌枕の地が多くて、今いる岩沼とか名取あたりにも結構多くあることを知りました。能因法師とか、西行とか、藤中将実方とか、源重之とか、ここのサイトで歌を勉強させていただいています。まずはご挨拶まで


 明けまして式子内親王(笑    ..Graham    
      2006/01/11(水) 20:16  No.911
 
 
水垣様、常連の皆様、明けましておめでとうございます。

いつの間にやら正月も過ぎ、ご挨拶が遅れてしまいました。
ともあれ、本年も何卒よろしくお願いいたします。

さて、僕も式子内親王の話題に花を咲かせたいと思います(笑
小学生の時に百人一首のカルタで式子さまの札を見た時以来のファンですが、本格的(個人的にはですが)に入れ込むようになったのは、実はここ数年だったりします。

最初に手に取ったのは馬場あき子先生の「式子内親王」で、古書店で「懐かしいな」と実は軽い気持ちで買って帰ったのですが、学生時代ろくに勉強しなかった僕には読むのが大変でした(笑
実はこれ限りのつもりだったのですが、これ限りで終わらなくなってしまうきっかけになった歌に出会いました。

日に千たび心は谷に投げ果てて有にもあらず過ぐる我が身は

恥ずかしながら、僕はこの時点で「玉の緒よ〜」しか知らなかったのですが、そんなウブな僕にはあまりにも衝撃的でした。
正直、この歌によって式子さまの歌に強い関心を持つようになった事実にとても戸惑いました。
このような絶望的な歌を愛してしまう自分はなんなのか…と。

そういった戸惑いを吹き飛ばしてくれたのが、同時期に読んだ白洲正子先生の「私の百人一首」「花にもの思う春」の2冊での白洲先生の自由自在なコメントでした。

自分がいいと思った歌を、素直に読んで感じていこう。
僕が和歌を鑑賞する上での、白洲先生の精神的影響は大きいと思います。

そんな感じで自分なりに式子さまの歌を鑑賞し、いろんな関連本を手にし、その経過で宮内卿とも出会ったと言うわけです。

そんな駆け出しの僕にとって、こちらのようなサイトはとても学ぶ所が多いです。
まだまだいろいろ知りたい事感じたいことがありますので、皆様何卒ご教授いただきますよう、よろしくお願いいたします。

長くなってしまって申し訳ありませんでした(汗



 蓮月尼の歌    ..八重葎    
      2006/01/11(水) 12:42  No.910
 
 
水垣様

本年もよろしくお願い致します。
ご挨拶遅れ申し訳ありません。

表紙のお歌が蓮月尼のものにかわっていましたので、
味読させて頂きました。
だれか歌をよまざりけるという古今仮名序の
言葉を思い出させる良い歌と思います。
いつもありがとうございます。



 無題    ..水垣    
      2006/01/10(火) 21:20  No.909
 
 
>逸爾散士様
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
逸爾散士様やGraham様のお蔭でしょうか、当掲示板では式子内親王の話題が多く、私も嬉しい限りです。

>ぱぐさん
同じような企画が今年もあるとよいのですが。ご紹介頂ければ幸甚です。
「鶴下絵和歌絵巻」も光悦と宗達のコンビですね。こちらは鶴の下絵に三十六歌仙の歌を書いたもの――と、私の持っている1991年東博「詩歌と書 日本のこころと美」展図録の解説にありました。こちらは鹿下絵よりも躍動感があり、また違った趣です。

>一人静様
明けましておめでとうございます。
いえいえ、丁寧にコメント頂き、まことに有り難うございます。
吾亦紅も野生は少なくなっているのでしょうか。高原などではまだよく見られるとの話も聞きましたが。
和歌歳時記は今日また「百合」を追加しましたので、お暇な折にご覧頂ければ幸いです。



 あけましておめでとうございます    ..一人静    
      2006/01/10(火) 16:46  No.908
 
 
明けましておめでとうございます

紫草様
去年の「井筒」のお話、伊勢物語がこのような形で能に取り入られていることを知り、小面の使い方を含めて何度も読ませていただきました。
年頭の話も私には難しい・・のですが、わかる範囲で読ませていただいています。

逸爾散士様
書き込みも、時々披露していただくお歌も私には難しい・・のですが、わかる範囲で読ませていただいています。

水垣様、そういうわけで、今年も年頭から稚拙なコメントで申し訳ありませんが、こういう読者もいると安心する方もいらっしゃるかと、臆せず書かせていただきました。

ワレモコウ・・何年か前に埼玉に行った時、公園の脇の日陰に咲いていたのを覚えています。四国では自然の姿で見たことがありません。
斎藤史さんの歌・・自分に厳しい人・・ですね。この歌が印象に残りました。

皆様、今年もよろしくお願いします。






 早めにご紹介すればよかった    ..ぱぐ [URL]    
      2006/01/09(月) 20:40  No.907
 
 
>水垣さん、逸爾散士さん
12月の初めくらいにご紹介すればよかったですね。
一回申し込むと次からは封書で案内が来るんですよ。
わたしはこれでたしか二回目の寄付です。

次回以降、和歌に関係があるようでしたら、早めにご紹介
します。

ネットで調べたところでは、「鶴下絵和歌絵巻」というのも
あるようでした。すると冬の和歌が書かれているのでしょうかね。



 しみじみとした御歌    ..逸爾散士    
      2006/01/08(日) 00:59  No.906
 
 
水垣様、皆様 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

ぱぐ様
ご教示ありがとうございました。「鹿下絵和歌絵巻」って始めて知りました。(あるいは見聞きしたことがあって銘記していないのかもしれません。疎漏な者ですから)

式子内親王様のお歌、しみじみしますね。
いづかたにあれども、こころわぶことの尽きないと内親王様自身が一番わかっていた上でのお作でしょう。

うき雲のとかくや月にかかるらん秋のほかなる宿なればとて

洗った食器を拭きあげる間に、感想の一首。「とかくや」は近世調で俗かも。「澄みける月に」でいいのかもしれません。



 >ぱぐさん    ..水垣    
      2006/01/07(土) 22:24  No.905
 
 
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

「鹿下絵和歌絵巻」は五島美術館や山種美術館の所蔵品を見たことがあります。光悦と宗達という豪華な顔合わせで、書と画の競演として最高の名品ですね。シアトル美術館にもあったとは存じませんでした。
カレンダーはとうに申込期限が切れてしまったのですね。知っておりましたら私も申し込んだものを…。

「鹿下絵和歌絵巻」ですが、下記サイトで見られます。

http://www.moa-inter.or.jp/japanese/setsugekka/setsu-pic05.html
http://www.suntory.co.jp/sma/jp/collections/s_kaiga01.html
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2005/12/post_02d9.html



 あけましておめでとうございます    ..ぱぐ [URL]    
      2006/01/04(水) 09:02  No.904
 
 
最近はやまとうたを拝見するのが古典に触れる唯一の時間に
なっています。
本年もよろしくお願いいたします。

ところで、ひとつわたしからも出せる話題がありますので、
ご紹介を。

「鹿下絵和歌絵巻」という絵巻をご存じでしょうか?
本阿弥光悦の書、俵屋宗達の絵で、紙本墨書金銀泥下絵、と
いうものなのだそうですが、この下巻がアメリカのシアトル
美術館にあるのだそうです。

海外にある日本の古美術品を修復するプロジェクトに賛同す
るために作られた基金が、毎年12月に新聞広告を出してい
ます。
ここに一定額を寄付すると、対象の古美術品をカレンダーに
仕立てたものがもらえるのです。

2006年版はこの鹿下絵和歌絵巻(読み方は<しかしたえわ
かえまき>?)で、新古今集の秋の歌が書かれています。

いろんな歌がありますが、掲示板の読者に式子内親王のファン
がいらっしゃるので、内親王の歌をご紹介しますと、

 ながめわびぬ秋より外<ほか>の宿もがな
  野にも山にも月やすむらむ
(新古今集380番)

今年はこのカレンダーを見ながら階段を上り下りします。
長文失礼いたしました。



 明けましておめでとうございます    ..水垣    
      2006/01/03(火) 23:53  No.903
 
 
年末から年始にかけ、わざわざご挨拶を有り難うございました。
お正月、どのようにお過ごしでしたでしょう。
写真は今日の鎌倉若宮大路、二の鳥居と狛犬です。阿吽の「あ」の方ですが、笑っているように見えます。

>もも様

お久しぶりです。慌ただしい年の瀬にご投稿まことに有り難うございました。
ゲストブックは訪問者の方が気軽に足跡を残して行って下されば、との思いで設置しております。堅苦しくお考えにならず、またお書き込み頂ければ幸いです。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

>招き猫様

こちらこそ昨年はお付合いを有り難うございました。ご投稿には、私自身が和歌にのめり込み始めた頃の情熱を思い出させてくれるようなところがあり、楽しみに拝見しておりました。今後とも当サイトで和歌を楽しんで頂ければ幸いです。
お写真もありがとうございます。年の瀬の東京の雰囲気を感じさせて頂きました。

>ためかぬ様

歌の歳時記がおっしゃるような形でお役に立てるのでしたら、これほど嬉しいことはありません。こちらこそ有り難うございます。

暖かみの感じられる素敵な賀状ですね。

>紫草様

こちらこそ旧年中は様々なことをご教示賜わりまことに有り難うございました。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
世阿弥の芸術論は人の一生ということに対しても示唆に満ち満ちていますね。「面白く萎れ」た方々が大勢出て来ることを私も期待したく存じます。

柞原のお写真も有り難うございました。お庭を逍遥するだけで四季折々の風情が楽しめるとは、なんと贅沢なことでしょう。

>むらじ様

お久しぶりです。こちらこそ御無沙汰してしまいました。
大変ご多忙とのこと、くれぐれもお身体にはお気をつけください。お正月はのんびりされたでしょうか。
また歴史のことなどご教示頂ければ幸いです。今年もどうぞよろしくお願い致します。

最後になりましたが、皆様の一年のご健勝をお祈り申し上げます。



 謹賀新年    ..むらじ    
      2006/01/02(月) 10:25  No.902
 
 
すっかりごぶさたしております。むらじでございます。
旧年中は大変忙しくなってしまい、ほとんどお邪魔することがかないませんでした。
忙しさ、しばらく続きそうですが・・・
そればかりにかまけずに、美しい世界への目も養ってまいりたく思います。
どうぞまた、いろいろとお教えくださいませ。



 迎春    ..紫草    
      2006/01/01(日) 16:44  No.901
 
 
今朝の拙庭の柞原です
寒風にさらされながらも春を待つ
姿は萌芽を予告し新春を告げてます

昨年は水垣様を始め皆々様にはご教示頂き有り難く思います今年も宜しくお願いいたします
一年の計は元旦にありと申しますが齢い古希を迎えますと余命幾許を思う時、世阿弥の生涯に感銘を受けました。
「老い木になるまで散らで残りしなり」
生活が豊かなのか、怒ることを忘れた諦めか、それとも老熟して達観の境地にあるからだろうか。                人生、誰しもピークがあり、峠を越えた晩年の人生は寂しく、侘しいものである。                       しかしまだまだ踏ん張って、一花も二花も咲かせたいものだ。
世阿弥は能の芸術論「風姿花伝」で年代ごとに咲く「時分の花」は「誠の花」ではなく「誠の花」は「老い木になるもで散らで残りしなり」と述べている。                    そして、「花の萎れたらんこそ面白けれ」と言い、「萎れたる風体、返す返す大事なり」と。
これは私たちの人生に言えることだ。生きるとはその人なりの「誠の花」をさかせることで、                  年老いればその花はおのずと萎れる。しかしそれを醜いとは見ずに面白く感じる時、あるいは面白く萎れたなら、より深い人生がひらける。                           中世日本からの無常観の美と言ってもよく、こうした価値観は西欧にはなく、効率第一のアメリカにあろう筈は無く、日本人だけの心の豊かさである。                      生涯現役とか元気印老人も悪くは無いが、面白く萎れた花ある晩年を送る人々が増えた方が楽しく深みがある。
しかし世阿弥はこうも言っている。花が無いのに萎れたふりだけしても無益だ、と。
「花は萎れても色香を残す」ような人に成りたいものだ。
 「秘すれば花、秘せねば花なるべかざる」。

  色みえで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける



 新年おめでとうございます    ..ためかぬ    
      2006/01/01(日) 00:36  No.900
 
 
祖父母 母への便りに 歌の歳時記から引用させていただけることで、送り手、受け手共に、季節にあった歌をより多く味わうことができたいへんありがたく、あらためて感謝、御礼申し上げます。
今年も、美しい写真と、歌を楽しみにしております。

拙い賀状ですが、子どもに送信してもらいました。



 私も、ありがとうございました。    ..招き猫    
      2005/12/31(土) 14:34  No.899
 
 
 今年も今日1日となりました。私にとっては、千人万首を足がかりにさまざまに和歌を楽しんだ最初の年として、忘れがたい一年となりました。こちらで快くお付き合いいただきましたことにも、心より御礼申し上げます。

 日々の諸事に忙殺されながらも寸暇を惜しみ、他を放っても和歌に親しんだ今年のようなエネルギーが、来年も沸いてくることを自分自身に期待しつつ、今年を送ります。

 水垣様、皆様、どうぞよいお年をお迎え下さいませ。かしこ

 追伸 写真は昨日、所用で通りかかった東京駅、丸の内ミレナリオです。思いがけず渋滞に会ったおかげで、カメラに収めることができました。新聞等でおなじみですが、年末を彩る一枚として掲載します。



 いつもお世話になっておりました。    ..もも [URL]    
      2005/12/30(金) 21:51  No.898
 
 
こちらに書かせて頂くのは、二度目?もしかするとはじめてかもしれません。
今、かなりの勇気を奮ってご挨拶させて頂いております。

水垣様、ご常連の皆様お邪魔いたします。m(__)m

以前から、拝見させていただくだけが精一杯、ただただ皆様のお話に日々感嘆符ばかりを羅列しております。

まだまだお仲間に入れて頂くことも出来ない身ではありますが、今後ともお世話にならせて頂くことをお許し下さい。m(__)m

良いお年をお迎え下さいまうように。m(__)m



 >紀州の姫様    ..水垣    
      2005/12/30(金) 00:13  No.897
 
 
お忙しい中、ご投稿をありがとうございます。
私のブログと共に日々を…とは、本当に嬉しいお言葉です。「ブロガー(ブログ運営者をこう呼ぶそうです)」冥利に尽きると申しましょうか。
鎌倉に引っ越して来て、ネットの方でも何か新しいことに取り組んでみたいとの思いもあり、始めたブログでした。私自身、ブログの更新に励まなければ、おそらくこれほど「四季の移ろい」を感じる一年にはならなかったのでは、と考えております。好き勝手なことを書いてきただけですけれども、見て下さっている皆様と思いを共有できたのでしたら、まことに幸甚でした。

今年一年、こちらこそありがとうございました。お身体とパソコンをお大事になさって、よいお年をお迎え下さい。



 >ひよきち様    ..水垣    
      2005/12/29(木) 23:53  No.896
 
 
いよいよ一年も押し詰まって来ましたね。
お忙しい中、毎日楽しみに見て下さっているとのこと、何よりの励ましです。こちらこそありがとうございます。

ネットに割ける時間が年々短くなる中、無謀にも始めたブログでしたが、「毎日更新」の目標は遠いにしても、良い習慣付けが出来つつあるかなと思えて来たところです。その意味で今年はささやかながら私のターニングポイントの一年であったのかもしれません。
それもメールやコメントを通じて、当サイトを引き立てて下さった皆様のおかげです。

大掃除にお正月の準備、最後の一がんばりですね。さわやかに新年をお迎えになられますよう、ひよきち様もくれぐれもお身体にお気をつけてお過ごし下さい。
それではまた来年もよろしくお願いいたします。



 私も、有難う御座いました    ..紀州の姫    
      2005/12/29(木) 22:12  No.895
 
 
水垣さま

師走に入った途端どうもパソコンが不調で、今も夫のパソコンを借り、一言この一年の御礼を申し上げたくてしております。

最初、ブログというものがどういうものか解らず、なかなか付いて行けずあたふた致しましたが、今や水垣さまのブログと共に日々を過ごしていると言っても過言ではないかと思います。

四季の移ろいを感じ、皆様のお話からその方のお気持ちが感じられ、共感したり、心の安らぎを得たり、勇気付けられたり・・・。
本当に有難う御座いました。

早く私のパソコンを直して、またお邪魔させて頂きます。
どうぞ皆様、良き新年をお迎え下さいませ。



 ありがとうございました    ..ひよきち    
      2005/12/28(水) 22:12  No.894
 
 

慌ただしい年の瀬となって参りました。

この1年、水垣さまのサイト、ブログにて
たくさんのことを学ばせて頂き 心より感謝致しております。

本当にありがとうございました。


水垣さまの文章、お撮りになったお写真、
そして皆様の書き込みを拝見しますのが 毎日の楽しみとなっております。

いつも胸躍らせつつ 拝見させて頂いておりました。



寒さもいよいよ厳しくなって参りますので
どうぞお身体にはくれぐれもお気をつけ下さいませ。

この1年、お世話になりまして本当にありがとうございました(*^_^*)





 RE:中世和歌>逸爾散士さん    ..水垣    
      2005/12/26(月) 23:55  No.893
 
 
平安後期から鎌倉初期にまたがる新古今時代はちょっと別としますと、私も中世和歌の入口は玉葉・風雅でした。京極為兼や永福門院の歌を初めて読んだのは何だったか思い巡らしますと、学生時代に愛読した折口信夫に行き着きます。「短歌本質の成立」という論考に引かれた為兼の作、

 沈み果つる入り日の際にあらはれぬ 霞める山のなほ奧の峯(風雅集)
 波の上に うつる夕日の影はあれど、遠つ小島は色暮れにけり(玉葉集)

に驚き、また旧版全集第八巻の「短歌の鑑賞」には

 のどかにも やがてなりゆくけしきかな。きのふの日影 けふの春雨(玉葉集)
 山もとの鳥の聲より 明けそめて、花もむらむら 色ぞ見えゆく(玉葉集)

といった伏見院・永福門院の歌が引かれていました。これらの歌を初めて読んだ時の感動は今も鮮明に思い出すことができます。

玉葉風雅は鎌倉時代後期から南北朝にかけての新風でしたが、室町時代になると古典復興の気運が高まり、源氏物語・新古今集の研究が盛んになって、和歌にも新しい世界が展けてきますね。この辺の面白さに気づいたのは、私も割と最近のことでした。
代表的な歌人としては、正徹と三条西実隆を挙げたいと思います。

 咲けばちる夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ嶺の白雲(正徹「草根集」)
 ほのかなる霞を人のこころにてさらになげきの花の夕かげ(実隆「雪玉集」)

今の私は、こういった歌に一番関心を惹かれますから、逸爾散士さんのご意見には共感するところ大です。知られざる和歌のもう一つのピークがこの時代にあると思います。



 和歌歳時記>一人静さん    ..水垣    
      2005/12/26(月) 23:19  No.892
 
 
今晩は。和歌歳時記にコメントありがとうございます。

葛の花はその季節になるとよく山道に散り敷いていますね。それだけでも目を奪われますが、釈迢空の歌は踏みしだかれた色を詠んで非常に印象的です。
国文学者・民俗学者折口信夫の作ということで、私はどうしても下句に重点を置いて読んでしまうのですが。

なにしろ我が家は山に囲まれていますので、初夏、時鳥は聞き放題。夜中でも明け方でもよく耳にします。静まり返った闇の中で、周囲の山に谺するその声は言いようもなく深い趣があります。

>白紙の欄に自分の好きな歌を見つけたときに書き込もう・・

コピーまでして読んで下さっているとは、大変嬉しいお話です。
余白にどんな歌を書き込まれるのでしょうか。良い歌が見つかりましたら、お教え頂けると幸いです。

今年はブログを始めて和歌歳時記のコーナーを新設できたことが当サイト最大の事件だったでしょうか。あっと言う間でしたが、ネットの世界ではお励まし頂いた皆様のおかげで充実した一年だったと思います。重ねてお礼申し上げます。



 中世和歌    ..逸爾散士    
      2005/12/23(金) 23:21  No.891
 
 
塚本邦雄氏の『清唱千首』で伏見院や永福門院などの歌が目立って、中世和歌のことを知った程度の浅学な私ですが、このHPに中世歌人の歌が次々に掲出されていくのを読むうちに、これから世の中でも中世和歌が見直されるようになるのではとの予感も感じます。
王朝や五山の漢詩文や近世軟文学、江戸漢詩など、そんなに一般的な関心ではないにせよ、だんだん国文学の中で鑑賞の対象は広がってきたと思います。研究の積み重ねもあるのでしょうね。
中世和歌もその美しさに魅力を感じる人は少しずつでも増える気がする。高度成長のような時代ではないから、自分の内面に沈潜したい心持もあるでしょうし、技巧を尽くした言葉の使い方をゲームのようだと面白がる人もいそうだし。
精緻な銀細工、朝露に濡れる森の小道、内声部が豊かに響く弦楽四重奏…。私の持つ中世和歌のイメージはというのは、地味だけど奥が深いもの。
多くの歌に「秋夕感思」「寄霞花」といった題がついているなあ、という印象ももちます。古今時代なら物語りめいた詞書が目に立つけど。
現代人の文学意識、作品意識に近くなっているのかな。



 今晩は    ..一人静    
      2005/12/23(金) 20:19  No.890
 
 
和歌歳時記、追っかけてますよ〜
拙いコメントですが少しだけ・・
葛の花・・葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
この歌は山歩きでよく見かける葛を見るたびに思い出しては口ずさんでいます。私としては先人に思いをはせるというよりは踏まれたあとの色に気持が惹かれます
雨夜の時鳥・・夜中の時鳥の声は聞いたことがありませんでした。黄泉路への使いとか、方丈記などにもでてきます。夜中に鳴く声を聞いたらそんな気持がするのかなぁと思いつつ。時鳥は卯の花との取り合わせの楽しい歌がすきだなぁと思いました。
扇・・ここ数年夏には小さな扇子をバッグに入れています。冷房がきいていない時のために。日常生活ではまず使いませんので身近にあった頃だともっと歌が楽しめただろうと思いつつ。
相模さんの
手もたゆくならす扇のおきどころ忘るるばかりに秋風ぞふく
この歌は大好きです。
こんなことを思い巡らしながら楽しませていただいています。
時々チェックしては新しく更新されているとコピーして100円ショップのファイルに入れるのです。
白紙の欄に自分の好きな歌を見つけたときに書き込もう・・なんてだいそれたことを考えながら・・そんなとき来るのでしょうか・・・

今年も残りわずかとなりましたね。
沢山の歌に出会い、メモ書きし、台所に貼り付け、大いに楽しませていただきました。
ありがとうございます。



 RE:収録年や詠まれた年など    ..水垣    
      2005/12/16(金) 21:00  No.889
 
 
>とーりすがりさん
ありがとうございます。『千人万首』はデータベースともアンソロジーともつかぬ、中途半端な代物ですが…。
歌が詠まれた年は、書いておいた方が何かと便利だと思い、判明した場合はなるべく【補記】に書くようにしておりますが、そうするようになったのは割と最近のことです。しかも、詳しくは追究していない場合が多いです。
少しずつでも充実させてゆけたら、と思っております。



 収録年や詠まれた年など    ..とーりすがり    
      2005/12/14(水) 13:59  No.888
 
 
データベースで和歌をここまで収録しているところは他にありません。すばらしいですね。ただ、できれば各々の歌が何年(元号・西暦併記で)書いていただけると、最強です。


 RE:寒い一日となっています    ..水垣    
      2005/12/11(日) 23:17  No.887
 
 
すっかり寒くなりましたね。東京都心では今日初雪とか。鎌倉でも真冬並の気温です。

和歌歳時記読んで下さっているとのこと、ありがとうございます。
四国でも野生の女郎花や桔梗は見られませんか。私もやはり自然の状態で見たいという気持が強く、なるべくあちこち歩き回るようにしています。もっとも狭い土地ですから、野原で群をなして咲いているのなど期待はできませんが…。道端や崖地などに咲いている花を見つけるのは嬉しいものです。



 RE:歌語    ..水垣    
      2005/12/11(日) 23:16  No.886
 
 
私もこの歌に籠められた式子内親王の思いをじゅうぶん理解できたとは到底思えません。余人には窺い知れないものを抱えておられて、それが時にふと「生々しい」語句として現れてくるのでしょうか。と言っても式子内親王の歌に同様の例があるかどうか、すぐには思い付かないのですが。
それにしても新古今集はやはり勅撰集としては例外的な存在で、新古今の時代もまた和歌史においては異例の時代だったと思います。



 枯れ薄に想う    ..紫草    
      2005/12/10(土) 23:35  No.885
 
 
床掛け 雪の小面(こおもて)
花   枯れすすき
花入  井桁(筒井筒)

今日庭の枯葉を掃いて居りましたら薄が朽ち果てようとしておりましたので「能」 井筒を思い出し床に挿して見ました。     ご存知のことと思いますが伊勢物語二十三段と二十四段から物語が作られ世阿弥が作成したものです。              

あらすじ

諸国一見の僧が、奈良から初瀬へ行く途中、在原寺に立寄ります。もの寂しい秋の夜、時はすでに西へ傾く月が荒涼とした軒端の草を照らしています。                      僧が業平とその妻を弔っていると、木の葉と数珠を手にした里女がさみしげに現れました。                   閼伽の水を汲み上げて、何やら古塚に手向けている様子です。僧は訝しく思い、もしや業平にゆかりの人かとたずねると、女は否定しつつもその古塚が業平の墓であると教え、問われるままに昔語をはじめました。                        その頃業平は、紀有常の娘と夫婦として仲睦まじく暮らしていましたが、一時、高安の里の女の許に通うようになりました。    

しかし「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君が独り行くらん」  とよんだ歌から、自分の身を案じる妻の真心を知り、以後高安へはいかぬようになりました。                  またその昔、井戸のそばで遊び戯れていた幼馴染が長じて恋をし、

「筒井筒井筒にかけしまろがたけ生ひにけらしな妹見ざる間に」

「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして誰か上ぐべき」   

と互いに歌をよみ交して夫婦になったということなどを話し、自分こそ筒井筒の女と呼ばれた有常の娘だと名のって、井筒の陰に姿を消しました。                        僧は奇特の思いにかられ、懇に回向して仮寝します。すると井筒の女の霊が現れ、見れば業平の形見の冠装束を身につけています。 そしてあたかも業平が乗り移ったかの体で優美に舞を舞い、舞い上げると井筒のかたわらに来て薄をかきわけ、自分の姿を水に映して業平の面影を偲びます。                   やがて在原寺の鐘が鳴り、夜もしらじらと明けそめ、余情を残して女の姿は消え、古寺には松風の音と、芭蕉の葉のそよぎが聞こえるだけで、僧も夢から醒めるのでした。
能面のことは、元来、面(おもて)といい、小面というのは、小女(こおんな)の面の略称で、                 小女とは少女、つまり、処女のことである。この小面のことを無表情で、冷いと、一般に評するが、               まだ色気のつかない処女というものは、無表情なものだし、この小面が無表情であればこそ、どのような能の曲目にも、舞台の場面にも、仕ぐさにも、万遍なく通用するのだ。無表情ではなく、超表情と評すべきで、そこに小面の美しさの本質があると思います。



 寒い一日となっています    ..一人静    
      2005/12/05(月) 15:48  No.883
 
 
今年の寒波がやってきて四国でも寒い一日となっています。庭の杏子の紅葉もこちらで教えていただいた 柞の色というのかなぁ・・と思い出しています。

さて、和歌歳時記、更新を追っかけ、追っかけ読ませていただいています。オミナエシ、キキョウ・・四国でも庭で咲かせられても、里では見かけられません。
それで自然の状態で眺めるのを楽しみに山歩きをしています。
虫食いだったり霜に傷んでいたりしますが、野の中にある花は自然ならではの美しさを備えています。
長野県を旅行したときに、田の畦にオダマキの花が咲いていたのは今でも忘れられない光景です。

そんなことを思い出しながら和歌歳時記、楽しませていただいています♪




 歌語    ..逸爾散士    
      2005/12/04(日) 11:23  No.882
 
 
 自分はついに式子様のお心がわからないのかと傷心ぎみの逸爾散士です。
 古典和歌の世界に惹かれた入り口は新古今なのに、せいぜい後拾遺ぐらいの歌しかなじめないのかなあとがっかり。
 『やまとうた』で次々更新される中世和歌の世界は、新古今以上に踏み込んだ詞遣いで「苔深き袖」どころではないですけど、最初から連歌の時代の余情、連想が中心の歌だと思うから、少々“尖がった”詞遣いも気にならない。何の前提もなく、ぽっと出されたら「危なっかしい歌だなあ」と思うでしょうけど。

 この前、五島美術館でうかがった小町谷照彦氏の講演では、歌風の変遷について、傑出した歌人の業績とともに、歌語の開拓という面にもふれていました。
 資料として『古来風躰抄』の「歳月の改まり変る花紅葉につけても、歌の姿詞は思ひよそへられ、その程、品々も見るやうに覚ゆべきものなり」以下が引用されていました。
 ここで俊成卿が花紅葉として述べているような季節のものとは言えないでしょうが、「杉の庵」も「苔の衣」も歌語としての姿を持っていると思います。そうした共通感覚としての歌語の世界の安定した連想の体系に身をゆだねて、マンネリズムこそ伝統の本義という感じで(もちろん個人はそんな言葉を使うわけはないですが)「歌らしい」作品を詠んでいくのが古歌の世界と思えます。でももちろんその中に「新しさ」も目指され、歌人たちは妄執となるほど表現を磨こうとしてもいるのでしょうけど。
 私のような歌語の世界で居眠りをしがちな凡俗は、「いまやわれ」というような主観的自己表出には驚かないけど、「松の柱」という語の、ある種の生々しさは扱いに困り、「なにかの縁語かなあ」と戸惑ってしまうのですね。 
 式子様の歌にうじうじ拘っているのは、歌語の世界と歌人の個性との関わりが、いまだよくわからないからかもしれません。



 RE:卒論かいてます。>くみ様    ..水垣    
      2005/12/03(土) 16:39  No.881
 
 

文意がよく解らないのですが、「海の歌を詠んだ新古今歌人を全て教えてほしい」ということでしょうか? それなら、和歌の知識の深浅に関係なく、調べることが可能です。
例えば、大きめの図書館へ行けば、新編国歌大観のCD-ROMが置いてあるでしょう。「海」「わたのはら」「わたつみ」「浦」などで語彙検索して、ヒットした歌の作者が新古今歌人かどうかを調べればよいのです。



 >八重葎様    ..水垣    
      2005/12/03(土) 16:38  No.880
 
 

お話を伺ってやはり何としてもご住職のご案内で拝観させて頂きたいものだと思いました。こちらこそありがとうございます。
拙い写真ですが楽しみにして頂いているとのこと、励みになります。
慌ただしい季節となりますが、お身体大切に。



 RE:楓葉経霜紅>招き猫様    ..水垣    
      2005/12/03(土) 16:38  No.879
 
 
「楓葉経霜紅」から私はベートーベンの「苦悩を経て歓喜へ」を思い出しましたが、ちょっとニュアンスが違いますね^^ ともあれ理を語るにも自然に託して述べる東洋の言葉、心に染みます。

ご紹介の歌と句、大変興味深く読みました。
井伊直弼は家集を残したという話は聞かないのですが、辛うじて幾つか歌が伝わっているようですね。『新名将言行録』という本には、死後、直弼邸の居間に残っていたという歌が収められています。

 咲きかけしたけき心の一ふさは散りての後ぞ世に匂ひける

まだ己の人生が「咲きかけ」と思っていたのでしょうか。咲きかけのまま散ってしまった、さぞや無念の最期だったでしょうが、今まさに「散りての後ぞ世に匂ひける」となったわけですね。

五島美術館は盛況だったようですね。私は結局こちらは行きそびれてしまいました。良いお天気で、美しい庭園を御覧になれたとのこと。お写真もありがとうございました。

(上の写真は出光美術館そばのお濠です。)



 RE:雪月花>紫草様    ..水垣    
      2005/12/03(土) 16:35  No.878
 
 
まさに真紅の艶やかな楓ですね。
茶の湯は私も全く分からないのですが、能などと共に中世の美学・思想の精髄のように感じられます。それはつまり日本独自の美の完成された様式を今に伝えているということでしょう。そして「雪月花」という語こそはそのエッセンスを簡潔に、滋味豊かに言い表しているのですね。



 式子内親王の歌について>逸爾散士様    ..水垣    
      2005/12/03(土) 16:34  No.877
 
 
>いまはわれ松の柱の杉の庵にとづべきものを苔深き袖

題は「山家」ですから、要するに「今は出家して深山に閉じ籠もるべきなのに(なお俗世に留まっている)」という歌でしょう。

「松の柱の杉の庵に」、ちょっと調べが渋滞するというか、少なくとも流麗とは言い難いですね。しかしそれも意図的だったかもしれません。
「松の柱」は、和歌には例が少ないですが、さほど珍しい語ではなく、例えば建久元年(1190)の定家の「花月百首」に

 竹の垣松のはしらは苔むせど花のあるじぞ春さそひける

があります。また後深草院二条の『とはずがたり』には

 杉の庵松の柱に篠すだれ憂き世の中をかけ離ればや

という歌がありました。尤もこれは式子内親王の歌の本歌取りにも見えますが。

松の木をそのまま柱にし、杉の皮で屋根を葺いた粗末な庵、ということですね。手を加えない、あるがままの素材を用いた、奥山の庵住まいが強く印象づけられます。しかも「松」「杉」は結句の「苔深き」と一種の縁語となっているかもしれません。
なお「杉の庵」からは古今集よみ人しらず「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門」も思い出されます。「とづべきものを」と言いつつ、やはり恋しい人の訪れを待つ心情が匂います。
「苔深き袖」は、「苔の衣」(法衣)をきつくした表現とでも言いましょうか。閉じ籠もりの末のあわれな孤絶の姿が思い浮かびます。

改めて味わってみますと、調べはやや異色だとしても、やはり式子内親王らしい、内攻する抒情の激しさは出ている歌ではないかと思いました。

因みに私はやはり詞遣いに異和感を感じたものか、千人万首には採っておりませんでした。



 松の柱の杉の庵    ..招き猫    
      2005/12/03(土) 08:49  No.876
 
 
逸爾散士さま

 お声かけいただき、光栄です。井伊掃部守は石州流の茶人のようですね。「喫茶去」をご教示くださった紫草さまがよくご存知ではないでしょうか。私は、茶の湯の世界は未体験です。しかし、禅の哲学と結び付き極めるようになったという茶道とはどのようなものなのか、禅の哲学と併せて感じてみたいと思いました。

 春あさみ野中の清水氷居てそこのこころをくむ人そなき

が雅でないこと、同感です。

 この歌が詠まれたのは、安政の大獄のあとです。その心持、そしてこの歌が詠まれたときの状況で、もしも直弼が雅一辺倒の歌を詠んでいたら、私は「招き猫」のハンドルネームを考え直すかもしれません。「招き猫」の由来と直接関係はないようですが、同じお寺にいる猫なので。しかし、この状況にあってこれだけの歌が詠めるということは、相当な人物なのでしょうね。もし私が同じ立場だったら、と考えると体がおかしくなります。
 権力を切望したり依拠したりする暮らしが、いかに愚かで、人間にとって一番大切なものを見えなくさせる力があるのか、否応なく突きつけられます。武士の歴史は、知れば知るほど、嫌になることが多いです。しかしながら、徳川家茂が、皇女和宮に対して深い愛情をもって接していたということは、知り得てよかった同時代の真実です。お二人の境遇に心を痛めながらも、救われるような思いがします。

 ところで、逸爾散士さまは、最愛の式子様のお御歌がよほど気になっておられるご様子ですね。
 私はまだ和歌の門に触れた程度で、和歌のさまざまな詞つかいが身に染みておらず、逸爾散士さまが言っておられる「けじめなき詞の姿」や「危なっかしい詞つかい」、「言葉の破綻」といったものや歌が詠まれた背景などがよく分からないので、コメントすることができませんが、さまざまに詠み手の思いに想像をめぐらせております。今後ともご教示いただけますれば幸甚です。かしこ。

 写真は、五島美術館庭園内、見晴台の休憩所「こぶし亭」です。「松の柱の杉の庵」というには、少々日当たりがよすぎるようですが。



 松の柱    ..逸爾散士    
      2005/12/03(土) 00:26  No.875
 
 
式子内親王様のお歌の話題の続きです。

いまはわれ 松風かよふ 庵のうちに とづべきものを 苔の狭衣

かりにこういう歌だと、私はそんなに変な感じは持たなかったと思います。ただなんか俗というより、べたっと平凡な歌の姿とも思う。「狭衣」は物語の名にあったり過剰な連想をよぶから他の言葉があればそのほうがいい。「松風かよふ」も別の情趣を惹起するかも。
でも元歌の「松の柱」もなにか唐突。
内親王様は、言葉の破綻を恐れずに表現上の冒険をしていて、凡庸な私がついていけないのかもしれませんが。

招き猫さま
「茶湯一会集」は、嫂の「茶道古典全集」にあったので斜め読みした覚えがあります。井伊掃部守は石州流の茶人でしたっけね。

春あさみ野中の清水氷居てそこのこころをくむ人そなき

「そこのこころ」というところ、いかにも寓意という感じで、良し悪しではなく、雅などとは別の役割を持った歌ですね。



 卒論かいてます。    ..くみ    
      2005/12/01(木) 00:29  No.874
 
 
新古今和歌集における海の歌について卒論を書いてます。あまり和歌に関して知識がないので率直に、新古今歌人を全員教えていただけませんか。


 水垣様    ..八重葎    
      2005/11/29(火) 12:26  No.873
 
 
最近の覚園寺の消息ありがとうございます。
多分昔と変わらないお寺なのでしょう。
水垣様の鎌倉のお写真はいつも楽しみにしています。
寒さの折どうかご自愛ください。



 楓葉経霜紅    ..招き猫    
      2005/11/28(月) 09:05  No.872
 
 
 「楓葉経霜紅(ふうようはしもをへてくれなゐなり)」
 気温の差が大きいと、錦繍を織りなす色あざやかな紅葉を見る意。秋の茶席によくあがる句とのことで、禅語にあるそうですね。世田谷龍雲寺住職・細川景一氏は著書『枯木再び花を生ず−禅語に学ぶ生き方−』で「拙寺の近くに豪徳寺という曹洞宗の寺があり・・・」として、井伊直弼の『埋木舎の記』の生き様を例に挙げて「楓葉経霜紅」を解説しています(なぜ最近かように犬{猫?}も歩けば井伊直弼にあたるのか不思議でなりません)。
 直弼は「一期一会」と「独座観念」の茶書『茶湯一会集』を著し国学研究にも没頭し、13歳から彦根清涼寺(曹洞宗)の歴代の和尚に参じて修禅に励んだとのこと。
 安政の大獄後の安政6年(1859)、侍臣たちが直弼に大老職を退くことを勧めた時に直弼が詠んだといわれる歌と、いつ詠んだかは分かりませんが、俳句をあげます。
 
 春あさみ野中の清水氷居てそこのこころをくむ人そなき

 それ鞠の行方やおぼろ月一つ

 最終日の五島美術館に行ってまいりました。大変な混みようで、和歌って人気があるのだなあと改めて思いました。軸のかかった壁面のガラスの展示コーナーは行列で、隙間なく人で埋まっていました。美しい筆文字で書かれた歌がたくさん掛かっていましたが、あまりの混雑に途中でめげて、図録を買ってしまいました。中央列の冊子の書は、よく見る事ができました。気候のいい日曜日のひとときに館内の庭園を拝見することができたのは、とてもよかったです。楓や南天の紅葉と、苔の生した地面の色合いが映える美しい風景を目にすることができました。



 雪月花    ..紫草    
      2005/11/26(土) 17:26  No.871
 
 
秋の庭を眺めていると軒先の楓が昼下がりの陽射しを浴びて葉脈までが透け真っ赤に染まりお互いに色調を競うかのようだ。或る葉は風に揺れ、木洩れ日の影に成ったかと思うと、また雲間から陽が覗くと真紅の色した葉が現れ、まるでドビュッシーの牧神の午後を奏で、或いは「能」舞台から笛、鼓、の音が聞こえるて来るようだ。日本の文化は自然の織りなす、雪・月・花・が源泉となり醸成され、和歌・が生まれ、美術工芸・能楽・花道・茶道・建築露地・食の文化・などに取り入れられ現在に至っているのではないのでしょうか。私達の美的感覚もこれ等を基に育まれ繊細な美意識が生まれ、特に茶の湯の世界では、それらが内包され禅の哲学と結び付き極めるようになったと思われます。私も茶の湯を嗜みますが一碗の茶は移ろい行く時一服すると心を癒してくれます。「喫茶去」



 友人とのおばかな掛け合い    ..逸爾散士    
      2005/11/26(土) 12:32  No.870
 
 
毎月、和歌をねだる友人が
「クイズ。誰の?
いまはわれ 松の柱の 杉の庵に とづべきものを 苔深き袖」
と、いってきました。
「とづべきものを」の辺が式子様ふう(内向的な御方にあらせられますから)だけど変てこな歌だと思ったので、
「松の柱の」も「苔深き袖」も変で、歌になってるのかよ、とぼろくそに言ったら、次のメールで、
「式子ちゃまよーん。」
と返事。引っ掛けたなー。
検索したら、「正治初度百首」にあるようです。

式子様の歌と聞いても、変な歌だという印象にかわりはありません。
「松の柱の 杉の庵に」というのが変。杉の庵といっても杉の木で作られている意味ではないでしょうから、松の柱があってもいいんだけど、漢字で松、杉と並ぶと何か違和感。「杉の庵に」というのが浮き気味に思えます。
「いまはわれ 松の柱の 庵のうちに」でもいいように思う。

「とづべきものを 苔深き袖」というのも、「苔深き袖」が浮いた感じがしました。「苔の衣」という詞はありますね。前斎院の場合は僧衣とか隠者の葛衣とは違うだろうから喪中かしら。この歌は父帝 後白河院の喪中の歌かなあ。そういえば『式子内親王伝 面影びとは法然』(石丸晶子著)にこうした歌があったっけかなあ、と思ったりもしますが、「苔深き袖」は飛びすぎじゃない? と感じます。「袖」という字がなじまない気がする。さはさりとて「とづべきものを 苔の狭衣」では、「狭衣」が俗かなあ、とも思いますけどね。

「松の戸」というように「杉の庵」といい、「苔深き」として袖で体言止するところが式子内親王の歌らしいの。内親王の鋭さは、凡庸な言語感覚のお前にはわからないの――とか言われても、式子様の素晴らしさが際立つのだから別に不服はないのですが、やはり危なっかしい詞つかいかなとの感は消えません。
この御歌を古今時代の歌人に見せたら、「けじめなき詞の姿」みたいに感じるんじゃないかしらん。
 
松に「待つ」、杉に「過ぎ」が通ったとしても意味がとれないし、「杉の庵」と「苔深き」の映りはいいけど、「袖」につながるものかなあ、と思ったことでした。



 >招き猫様    ..水垣    
      2005/11/26(土) 00:10  No.869
 
 
わざわざ訂正のご投稿を有り難うございます。
『「かる」心情』の件、お手を煩わせてしまいました。業平と惟喬親王への思いを綴られたのかな、と理解いたしました。

お写真はまたみごとな深紅の楓。
絵画館前の銀杏はまだ緑が多かったとのこと。彼処は東京には珍しい(と言わざるを得ない)首都らしい「重厚感」、そして壮麗さのある風景ですね。もちろん人工的(アーティフィシャル)な風景ですけれども、あれはやはり素晴らしいと思います。

展示会と言えば、出光美術館でも和歌関連の催しをやっています。

2005年11月5日(土)〜12月18日(日)
古今和歌集1100年・新古今和歌集800年記念
平安の仮名、鎌倉の仮名
―時代を映す書のかたち―

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

こちらは間に合うかなと望みをかけております。



 覚園寺>八重葎様    ..水垣    
      2005/11/26(土) 00:10  No.868
 
 

今も覚園寺では自由拝観はできず、時間を決めて拝観者を案内してくれるという形になっています。
このお寺、私の家からは歩いて十分程の近さで、いつでも行けるとの思いから、かえって拝観の機会を逃し続けている始末です。ですからご住職のことも存じません^^;
山門を潜ってちょっと行ったところまでは自由に出入りが出来ます。写真に撮った錦木はその範囲内にあったというわけです。
一番鎌倉らしいお寺とも言われているお寺ですね。拝観者の制限ということも、何か床しい思いが致します。



 楓の紅葉>紫草様    ..水垣    
      2005/11/26(土) 00:10  No.867
 
 
見事に色づきましたね。
ご投稿を拝見して、楓の木のもとで歳月を送り迎える幸福をあらためて思いました。春、夏、秋と目を楽しませてくれる楓は、自然の移ろいの素晴らしさを他の何よりも鮮やかに教えてくれるような気がします。そうしてはかなさも、でしょうか。



 「歌人の個性と時代との関わりあい」>逸爾散士様    ..水垣    
      2005/11/26(土) 00:09  No.866
 
 
時代時代の歌風の変遷は総じて緩やかなのですが、「特異で優れた才能を持つ歌人」が登場すると、当然その時代の中で聳え立って見えますね。拾遺集の曾禰好忠、後拾遺集の和泉式部、金葉集の源俊頼…。で、後の集になってくると、その影響がじわじわ浸透して来る、といった印象があります。曾禰好忠の歌風は金葉・詞花の歌風の先駆と言えるでしょうし、和泉式部の歌風はある意味西行や式子内親王の歌風を先取りしています。飛び抜けた個性の歌人は時代を超えて翔る、と言えそうです。

ところで和歌において決定的に重要なのはやはり勅撰和歌集であって、個人の集(家集)は勅撰集の資料として成された――つまり勅撰集のためにのみ存在したとも言えます。
和歌にとっては、全体の調和(前代と現代の調和も含む)が何より大切であったわけで、個人や個性というものは二の次三の次であったと言えると思います。
後鳥羽院が新古今集隠岐本の編纂にあれほど苦心惨憺したのは、新古今歌人たちの作が大変個性的で、勅撰集全体の調和をはかるのが非常に困難であったことに原因があったのではないか、と私は考えています。新古今集は、まさに極限的な勅撰和歌集でした。定家は新勅撰集で、新古今集を否定しました。それゆえに十三代集が後続し得た、とも言えそうです。


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