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49   世代を越えて楽しめるWC?/PC? (2002.7.7)

ワールドカップも終わって、祭りの後の虚脱感ですね。前話に書いたように決勝戦も横浜国際球技場に再び出掛け、お祭り騒ぎを見てこようと思ったのです。子供達に「うちわ1本も買ってくれない、ケチ親とは行かない」と言われてしまい、自宅で観戦してました。

にわかサッカーファンの私でも数多く試合を見ていると、動きの良い選手や素晴らしいプレーがだんだん解ってきてサッカーの楽しさちょっとだけ理解できた。世界中が注目して、開催国の日本の生の姿も各国のメディアに紹介されたし、共同開催国の韓国に親近感が持てたのも良かった。ワールドカップがなければ絶対に日本に観光に来ない国々の人たちが来日して、日本の電車運行の正確さに感嘆なんて言う記事も嬉しかった。心配したフーリガンだって騒ぎは起こさなかったし、むしろ日本人が便乗して騒いだよね。

しかし、この後のスタジアムの有効利用はできるのかな? 維持費だけでも相当かかるよね。それから、テレビ局毎に採用されたサッカー解説者の再就職先も心配です。サッカーの指導者として全国津津うらうらの少年サッカーチームに就職するのだろうが、老後に不安はないのだろうか?

でもサッカーの試合は前後半合計1時間半は長すぎる。同点だったら2時間以上だ。いつゴールを決めるのか、目を離さずに試合に没頭するにはちょっと長いよ。野球みたいにチェンジとかもないからトイレに行けない。

それからテレビの中継でまとまった空席を目にすると、チケットの販売方法に改めて怒りが… 別に損をしてる訳じゃないが見たい人がいるのに本当にもったいない。これだけインターネットが進んだ社会でこんなことが起こるなんてあきれるよね。まぁ、そのネットでも随時試合結果を更新して、職場のお父さんも楽しめたみたいけど。ゴールの後ろにずらっと並んだ新聞報道写真用のカメラはデジカメだった。試合の途中でもどんどん写真を新聞社に転送してるのだ。

4年後にはどんな技術が普及しているのか楽しみですね。その時は家のテレビも大型プラズマになっているかな?

技術・家庭、技術分野の教科書「情報通信ネットワークの利用」

さてワールドカップの期間は長男の初めての期末試験でした。本当は試合の結果よりこちらのほうに力が入ってました。地理の試験は「40ヶ国の場所・首都・歴史・産業等を調べておく」という範囲の広い出題でした。自分で調べる勉強のやり方がよく分からない息子に代わり、教育ママ(親バカともいう)の私は「エンカルタ」や「サーチエンジン」を使って勉強用の資料を作った。

教科書にもパソコンを使って調べましょうとの記述がありましたが、一回もパソコンを授業に活用していません。家の息子はパソコンに詳しい親を持って本当に幸せだ(自画自賛)と、勝手に思っていました。

しかし、結果は親の心子知らず、笛吹けど踊り踊らず。私が苦労して作った資料も、読んだだけでは身に染みなかった。当たり前のことだが本人が努力して調べなければ何も覚えられない。調べる課程で考えることが大事なのにそれをすっ飛ばし、結果だけを覚えること強制しても知識も何も残らなかっのでした。人を育てることの難しさをヒシヒシ感じ、トルシエ監督の偉大さと苦悩がよく分かった(何と大げさ!!)。

今回は主要5科目の他に音楽や家庭科、体育なども試験もありました。勉強を手伝いがてら(ますます過保護)教科書を眺めてみると、技術・家庭の技術分野の教科書の最後のほうにパソコンやインターネット、電子メールの仕組みなどがありました。これなら楽しくパソコンの入門ができそうですが、中学3年間でここまで辿り着くのでしょうか? さらに、「選択」と書かれたページには、フローチャートを使っての迷路を通るロボットの制御などがありました。なんだか凄い。私はフローチャートなんて大学に入るまで知らなかった。

ちなみに技術の試験範囲は「製図」です。私のころは女子は家庭科、男子は技術科に別れていて、大学時代に製図の知識がなくて苦労した思い出があります。最近は男女とも技術・家庭を勉強します。いま思うと30年前は「男は仕事、女は家庭」が当たり前だった。こういうことを考えると、少しは世の中がよい方向に向かっているのだと思う。

息子の祖母である母からもSOSがきた。すっかりWordの文書作成に慣れたと思っていたのに、急に文章の更新ができなくなったという。修正を始めるとWordが消えてしまうというのだ。よく話を聞いてみると異常終了しているようで、何度やってもだめな様子。どうも「○○○.doc」のファイルが壊れたようだ。一度、その文書はあきらめて、新規文書で作るように電話でアドバイスした。

しかし、母は新規で文書を作る方法もよくわかってないようだった。近所の人にも見て貰ったらしいが「パソコンが壊れたんじゃないか」といわれたようで落ち込んでいる。上手く操作できないパソコンに見放されたような気分になったらしい。結局、取り敢えず必要な文書は前のワープロの「オアシス」を引っ張り出して間に合わせたようだ。

どうも電話での指導には限界があるし、母も焦ったり、落ち込んだり、パソコンに振り回されているようだ。上手くパソコンが操作できないとショげて元気ない声で電話してくるので心配になる。しばらくして、何とか解ったと電話があるとホッとする。いろんなことに引っかりながらも母も少しずつ進歩しているよと励ました。これは息子も同じだけど、苦労して覚えたことは忘れないよね。私ももう少しパソコンやインターネットで色々できるようになりたい。

まぁ、母のパソコンや息子の行動に一喜一憂して暮らしているのもある種の幸せじゃないかな、とちょっと思いましたね。何かに関わって生きていくそれが人生。

話は突然変わりますが、ナンシー関さんの急逝はショックな最近の出来事でした。彼女のサイトも面白くて楽しみにしていたのに同世代人として鋭い視線で世情を切っていくコラムを楽しみにしていました。ご冥福を祈ります。

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