152 台湾再訪 (2011.4.24) 3月11日を境に日本の空気が変わってしまい、何を書いたらいいか模索しつつしばらくお休みしてました。何はともあれ亡くなった方々のご冥福を祈り、被災者の復興を願います。
私としては三男の受験が一番の気がかりで随分神頼みもしたし、縁起も担いだ。本人の望む進路が開けたことで全てはOKのつもりでした。ホッとしたのも束の間、この天災に見舞われ心が落ち着きません。それでも3月の半ばに予定した夫婦での旅行に行ってきました。
地震が起きたときは既にキャンセル料が発生する時期であったし、事前にかなりの調査や休みの都合をつけていたので引くに引けなかった。余震が続く中、子供達だけを残す不安もあったが、スーパーが品薄のなかで食料品を買い込み、万が一の時のために保険と銀行口座などの一覧を書き残した。
旅行の最終行程表も送られてき来た後になって旅行会社から「予定通り行くのか? キャンセルが多いけど」と連絡があった。次に「予定した便が変更になり、朝7時発が11時発になった」と再度連絡。地震の影響で渡航者が減って減便された模様。それでも諦めない私たちに異国の地で災難が襲うとはこの時は露も知らず。
さて行き先は台湾の台北。2008年に母と訪れて人々の親切さ、物価の安さ、食べ物の旨さに感動し、再訪したかったのだ。台北市は地下鉄MRTの新線が開通し、市街地近くの松山空港と羽田間に定期便も通った。ネットで調べてホテルとエアのみ、空港の出迎えもない激安ツアーを選んだ。
当初は5時に羽田集合だったので車で行こうと思っていたが、集合時間が遅くなったので京急で行く。飛行機の時間が曖昧なので出来るだけ身軽に2泊3日分を手荷物で持つ。新しくなった羽田国際線ターミナルから出発。
松山空港では放射線の検査を受けさせられたり、空港から乗ったタクシーでは別のホテルに連れて行かれたりしたが何とかホテルに到着。日本語の分かるスタッフのいる中華系ホテルで一階にセブンイレブンがあり、MRTの駅も近くで便利な場所でした。
事前に台湾観光協会からMRTの悠遊カードを貰っておいた。これは便利。現金で切符を買う料金の2割引だし、残金がマイナスになっても使える。台湾観光協会では故宮博物館のチケットなども貰えるので台湾に行かれる人は事前にチェックを・・・
もっと寒いかと思ったが、到着時は半袖でも大丈夫な位に暑かった。早速、遅めのお昼に担仔麺を食べて、行天宮にお参り。夫は台湾の味付けが気に入ったみたい。台湾の人も親切で道を聞けば目的地まで連れていってくれるし、悠遊カードのチャージに手こずるとさりげに助けてくれる。
夫が唯一行きたがった台湾の秋葉原、光華商場を訪ねる。5階のビルが全て電気屋さんやアニメ・同人屋さん、上に行くほどマニアック。台湾の人はLEDでピカピカ光らせるのが大好きでこれまた、夫の心を和ませる。次に言った龍安寺もLEDで飾られた目も眩むようなお寺でした。地元の人々の信心を集めています。近くの夜市で晩ご飯、珍しいモノが一杯でワクワクし通し、漢字の国なのでメニューカードを見れば何とか通じるのも嬉しい。
こうして、朝から晩までMRTやバス(料金体系が難しいので悠遊カードが超便利)に乗って中正堂、淡水、台北101、士林夜市など台北の観光地を見ながら、美味しそうな物があれば素早く食べまくり、楽しい日々でありました。
しかし最終日の朝、夫が持参のキンドルで帰国のチャイナエアの状況を見てみると、なんと私たちの乗る予定の18時の飛行機がキャンセルになっていて飛ばない。旅行会社から連絡はなかったので気付かなかったらどうなっていたことか。
すぐにホテルから旅行会社の台北窓口に電話して違う便の確保をお願いする。結果的に翌日の便になって、ホテルの延泊料は自腹、でも格安の料金で延泊でした。これが決まるまで何度もやり取りしたが、海外ローミング対応の携帯電話を持っていて助かった。日本に帰って料金を見たらローミング料金が高くて、いつもの料金の倍ぐらいの請求だった。
もう1泊することになったので、猫空の茶芸館でお茶を飲み、市内で小籠包を食べた後に予定には無かった故宮博物館を訪ねた。団体ではないのでゆっくりと廻れ、カフェでお茶など楽しみ、アクシデントのお陰でノンビリとした時間が持てました。
翌日は午前の飛行機で羽田に帰国。私たちの席の後ろは全て空いていたので、最後の搭乗券を貰ったようでした。留守中の子供達にも携帯やキンドルからメールしておいたので、案外心配してなかった模様。トラブルもよい思い出となりました。
今回はキンドルや海外ローミング対応の携帯電話などハイテク機器に助けられた旅でした。子供だけで留守番もできるようになったのでもっと長く、もっと遠くに珍しいモノを見に行きたい。
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