言葉(6)
「んなー、泣くこたぁないよ」
涙で歪む世界に突如として飛び込んできたのは、見覚えのある影だった。
暗い室内に射し込んできた光と一緒に、それは入り口にたっていたのだ。
長い、長い、長すぎる一週間。
何度も、何度も、帰ってくるから、と一人の少女を元気づけながら待ち続けた。
それもかなわず、とうとう意識をなくしてしまった彼女を前にして。
本当は知っていたのだ、最初から希望なんかないのだということを。
それなのに、方法はそれしかない、と彼を勧め行かせてしまったのは自分。
もう目を覚まさない彼女の看病をあれやこれや、としていたのは、なにか罪滅ぼしでもするような気持ちでもあった。
もう、半ば、、、いや、もうずっとそれ以上、彼が帰ってこないと思っていた。
自分が行かせたせいで帰ってこない兄と、意識のなくなった友人。
どちらに謝ることさえもできず、苦しみ流した涙をミコトは袖でこすった。
信じがたい光景ではあった。
見間違いかもしれない、とぼんやりとしてしまうそれを、はっきりさせようとミコトは何度も何度も目をこする。
だが、やはり間違いではなかったのだ。
「ジタンっ!」
真夜中にも関わらず思わず大きな声をあげてしまい、ミコトは慌てて口をふさいだ。
そんな彼女が目を見張って見上げた彼は、廊下の明かりを背に受けてたっていた。
その背に明かりを受けた姿が、ミコトからは後光をうけているように見えて、彼女はその一瞬に彼がお別れでも告げに天国からおりてきたのではないかと疑ってしまったほどだ。
彼女の驚きように、その彼が笑った。
実際は、笑う気力など残ってもいないはずだったが、そこは心配をかけさせぬよう、といった彼の優しさ。
いつも冷静なはずの妹が泣いていたことは多いに驚きだったが、彼はわざわざそれを指摘したりはしなかった。
彼としてはミコトが涙を流してくれた、という事実は限りなく嬉しいものだったからだ。そして、
「ただいま」
出て行く前と、なんらかわりのない笑顔で彼はそういった。
再び向かった地で、再び死にそうになったことなどおくびにも出さず。
いつもいつもの無邪気すぎる笑顔で、彼は帰還の挨拶を告げたのだ。
「ダガーは?」
ミコトがそうしていなかったので、暗いにもかかわらず彼はあえて明かりをつけずに部屋の中に足を踏み入れた。
窓からの白い月光と、あけたままの扉から入る廊下の光。
床がギシと鳴いて、懐かしい木の香りがした。
やっと帰ってこれたのだと実感するその部屋の中の景観に彼は思わず深呼吸をせずにはいられなかった。
「え?あ、大丈夫よ、ギリギリだけど」
愛しい人が、見たこともない機械に囲まれている。
出ていく前には存在しなかった機械がそれぞれ、ジタンには何の役目をしているのかはわからなかったが、ダガーの病状の悪化を示していることに違いはなさそうだ。
奇妙な音を立てるそれを珍しそうに眺めながら、彼はダガーのベッドの横に膝をついた。
ジタンがベッドのふちに手をつくと、彼女の首筋にかかっていた黒髪の一房がさらりとこぼれおちた。
「ただいま」
今度は恋人に向かってそういった彼。
涙で視界がぼやけていたさっきまではわからなかったが、近くにきて初めて、ミコトは彼が傷だらけであることに気がついた。
かすり傷なんてものは数えられるほどでなく、相当出血したと思われる深手の傷も片手では数えられない。
どれも自分で止血したりしてあるが、痛々しいことはかぎりない。
「約束どおり」
彼が少し苦しそうに息をついて言った。
「採ってきましたよ、ピモピモ草」
彼は、それを未だジタンの帰還を信じられず、何かとんでもないものを見るように驚いた顔をしている妹に手渡した。
ただ、その妹は彼の帰りが信じられないのではなくて、彼の傷に驚いていたのだが。
ミコトは様々な理由に思わず震える手で確かに万能薬の素を受け取る。
彼が命を懸けてとってきたその草は今の彼のようになんだか危なっかしくて触れると壊れてしまいそうだった。
「ね、ジタン、、、大丈夫?あんたも休んだほうが、、、、、」
実に慎重にピモピモ草を受け取ったミコトが彼の顔を覗き込んだときだった。
彼の表情がほんの少しだけ微笑みの形になった。
え、とミコトが不思議そうな顔をした次の瞬間、その瞳は光をなくしたように宙をさまよったのだ。
「ジ、、、、、、、?」
どうして今まで平然としていられたのだろうか。
彼がここまで帰ってくることが出来たのはもう、奇跡に等しいことだったのだ。
彼の体力は限界だった。
発病してから一週間、ダガーがジタンを信じ続けていたのと等しく、帰ってくるまで一週間、ジタンはダガーを救うことを諦めなかった。
それが、奇跡を起こしたのだろう。
ミコトが受け止めるまもなく、彼はふらりと床にくずれおちたのだ。
ドタン、とあまりにも派手な音を立たもので、ミコトが慌てて顔を覗き込むと、そこには既に彼の寝顔があった。
子供のような安心しきった顔。
「、、、、、、、、、、あれま」
彼女は無意識のうちにしっかりと握っていた草と、床に倒れた彼を交互に眺めた後、ふっと微笑んだ。
出血も霧の影響も不安だが、気持ちよさそうなこの寝顔ではその心配もそうはすることはないだろう。
今夜は忙しくなりそうだ。
「はい。後は任せてね。ご苦労様」
ミコトは涙の頬をぐいっとこすると、床で眠ってしまった兄の肩をぽんと叩いた。
どれくらい眠っていたのだろうか。
眠っていた?私、眠っていたの?
最後に意識があり、誰かと会話をしたのは、遠い、遠い昔のことのように感じられる。
今は、いつなのだろう。
彼女は、目を開けた。
真っ白だ。
何もかもが眩しく、見えるものはすべて真っ白だった。
長い間眠っていて、目に光が入ってくるのが久しいせいだろう。
彼女は、開けたばかりの瞳を眩しさのあまり再度閉じた。
体にあるはずのすべての感覚が鈍ってしまっているようだ。
目を閉じたとたん再び眠りの森へといざなわれそうになる。
「目、覚めた?」
そのとき、誰かが話しかけてきた。
そのことはわかったのに、返事が出来なかった。
話しかけてきた人が誰なのか、今がいつなのか、ここがどこなのか、考えるのに忙しかったからだ。
霧のそこに沈んだ記憶の糸をたぐり寄せ、徐々に様々なことを思いだし始めたとき、彼女は唐突に不安になった。
自分は、生きているのだろうか、と。
もしかすると、話しかけてきたのは天使で、今天国にいるのかもしれない、と。
「ダガー??お腹、すいてない?」
空腹を尋ねたりと、天使にしては現実的すぎる質問に、彼女は訝しんでもう一度ゆっくりと目を開けてみた。
眩しさに顔をしかめながら、それでも目を閉じぬよう目を開けていると、今度はぼんやりと白い
世界の中に、何かが映った。
茶色い木目。
天井?
「ねー、ダガー?気がついたのよね???それともまだ寝てるの?目は開いてるようだけど、、、、?」
視界いっぱいの天井に、彼女を覗き込む顔がひょいと現れた。
はっきりとしない映像の中に、彼女はそれがだれだか見分けることが出来なかった。
「、、、、だ、、、」
「うん?」
今、一番会いたい人に、よく似ている気がする。
輪郭も、目も鼻もぼやけてはっきりしない。
でも、小麦色の髪や綺麗な蒼の双眼が妙に印象に強くて、彼女は必死にそれが誰だか見極めようとした。
眩しい光が降り注ぎ目をくらませる。
「、、、だ、、、、れ、、、?」
「わからないの?」
次第に全身の感覚がもどってくるのがわかる。
それに伴って耐え難い体のだるさを思いだした。
「て、、、、、んし、、、、、、?」
戻り始めた記憶に、彼女は念のために尋ねてみた。
半分では何もかもを思いだしているのに、半分ではまだ夢の中にでもいるようで、不安になった彼女は無意識にそれを聞かずにはいられなかったのだ。
「やだ、私そんなに綺麗に見えるのかしら?」
嬉しそうな、またからかうような微妙な声色が答えて笑い、その笑い声にダガーは今度こそはっきりと目を覚ました。
鉛のような、重すぎる腕を持ち上げ、かすむ目をこすると、そこには懐かしいようでいて、それでも見慣れた顔があったのだ。
ミコト!!
そう叫ぼうとしたダガーだが、のどがひどく渇いてうまく声が出なかった。
とりあえず何かが言いたくて口を動かすが、魚のように口はぱくぱくするだけで、焦る彼女のには声を出すことが出来なかった。
「無理しなーいの。何にも言わなくていいわ。」
ダガーが自身でもわからない言いたいことを、ミコトはすべて悟ったかのように微笑んだ。
その笑顔がまるで本当に天使のようで、ダガーは彼女を眩しそうに見た。
だが、それはやつれた笑顔だった。
もしかすると自分の意識がないも徹夜で看病でもしてくれたのかもしれない。
そう思うと言葉に出来ない感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
「もう、何の心配もいらない。あなたはよくなる」
聞いていて、本当に安心できる声にダガーは目を細めた。
感謝しても、感謝しきれない。
ミコトがいつかそんなことを言っていたが、ダガーは今、まさにその思いでいっぱい。
どうしても感謝の言葉を述べたいのにそれも出来ず、苦しいくらいだった。
「ジタンが、薬を持って帰ってきてくれたんだからね」
信じられないような、ずっと待っていた言葉を聞いたような気がした。
よく覚えていない。
ミコトが顔を覗き込んだときには既に、彼女の意識は急速に再び眠りのそこに引きずり込まれていっていた。
あれから三日後、ダガーは再び目を覚ました。
早朝。
眠っていたダガーはそれが三日後だとはわかりもしなかったが。
その三日前とは違う、だるさの全くないすっきりとした目覚めだった。
そう、城にいたころは当たり前だったすがすがしい朝の目覚め。
熱も下がったと思われる全くの健康体は急に思い出したかのようにひどく空腹だった。
ダガーはそっとベッドから起きあがった。
久しぶりに地に付いた足は、フラフラとしてしまったが、それはもう高熱のためではなく、ただの空腹によるもの。
ダガーは軽くなりすぎた体をよろよろとさせながら周りを見回した。
窓の外の白い景色、朝日がまだ完全に顔を出し切らず、神聖さを保った透明な世界が、そこには広がっていた。
思わずそれに見入っていた彼女の目に、次に移ったのは
「ジタン、、、、!」
隣のベッドの彼。
確かに、彼が帰ってきていることは知っていたような気がする。
たぶん、ミコトが言っていたんだと思う。
だが、彼女は今、彼の姿を見て初めてそれを実感した。
ジタンは、眠っている。
ダガーは、彼のベッドの横に置いてあった椅子に音を立てぬよう座った。
彼の腕に、なにやら管がつながっている。
確か、テンテキ、、、、とか、、、、言ってたっけ
彼女は目を細めてその管の先を目で追った。
長い管はずっと上に続いていて、そこには液体の入ったビンがつながっている。
ついこの間まで、彼女の腕にもこんな風に管がつながっていた。
死ぬか生きるかの狭間をさまよっていた自分と同じほどこしをされている彼が急に心配になって、ダガーは白い手をそっと彼の顔に延ばした。
かすり傷切り傷だらけの顔は、ミコトがやったのだろうガーゼや絆創膏だらけ。
ダガーは痛そう、と少し顔をしかめながらジタンの頬に触れた。
そこには、確かに暖かい彼の肌の感触があった。
一度ならず二度までも危険な場所に立ち向かっていった彼の体。
どれくらいぶりに触れるだろう、と考えてしまったことに自ら赤面し、彼女はそっと呟いた。
「こんなに傷だらけになって、、、もう、、、、やっぱりおバカね」
誰が聞いても嬉しそうに聞こえるその言葉は形だけでは彼を批判するものであって。
彼の輪郭を指でなぞると、ようやく生気の戻った唇をダガーは微笑ませた。
眠っていて少しも動かなかった彼が、うっすらと口を開けたのだ。
眠っているだけだとわかっていながらどこかしら心配している部分があったダガー。
安心した。
「、、め、、、ね」
聞こえてはいないとわかっているのに、呟いた謝罪の言葉は言いづらくて自分自身にも聞こえないほどに収縮してしまっていた。
それは謝ることに抵抗を覚えていたわけではなく、彼が目を覚ましていたなら謝られることを嫌ったかもしれない、という予想に先立ったものだった。
その気持ちを感じ取ったかそうでないか、ジタンの手が毛布からでてベッドから滑り落ちる。
ふふっ、と微笑んだダガーはその手を毛布の中に戻してやる。
「ううん、ありがとう」
謝罪よりも、もっともっと今言うべき言葉に近い気持ちをみつけ、ダガーは優しく言った。
ミコトの時と同じく、そのひとことでは、表しきれない思いがあったが、いいよ、と珍しく無防備に眠っているはずの彼から聞こえた気がして、彼女はもう一度小さくありがとう、と呟いた。
どんなに話し掛けても起きる気配がないので、ダガーは彼の傷に負担をかけぬように注意しながらそっと彼の胸に耳を当てた。
力強い鼓動が聞こえる。
「、、、、、、、、、、、、よかった、、、、、」
規則的なその音色が響き、言葉こぼれた。
不安と戦いながら、緊迫した日々を送り、生きているか死んでいるわからないジタンを待つというのは、3ヶ月前までの出来事とあまりに酷似していた。
どちらも帰ってきたことに変わりないのだが、今までどれほど息が詰まっていたか、それを言葉に言い表すことは出来ない。
ただこぼれたその言葉は、そのつらさを言葉にするよりずっと正確に、今ダガーが一番思っていることだった。
「よく寝てるね」
彼の胸に耳を当てたまま、首を回して彼の顔の方を見てダガーは残念そうに呟いた。
男性らしい顎の骨のライン。
彼が呼吸をするたびに喉元がゆったりと動く。
気持ちよさそうに眠るジタン。
ダガーが目を覚ましたときに彼が幸せそうにダガーの寝顔を見つめていたりすることはあっても、こうしてジタンの寝顔をダガーが見る機会などはあまりないのだが、彼女は面白くなかった。
彼女には彼を待っている間の胸を締め付けられる思いと比例して、言いたいことが山ほどあった。
話したい内容はちっともまとまっていなかったが、それでも、ダガーは切実に彼の声が聞きたかったのだ。
翡翠みたいな美しく蒼い双眼が、早く見たかったのだ。
「つまんないの」
満たされない思いにほんの少し唇をとがらせたとき、ふいに暖かな手が彼女の髪に触れてきた。
「えっ?」
淋しさを忘れるくらい驚いたダガーが顔を上げようとすると、その手が彼女を抱きしめてそれをさせなかった。
とがらせていた唇が思わず切なそうにうっすらと開き、ダガーは瞳を揺らした。同時に耳までも赤面し、頭から蒸気でも吹き出してしまいそうになる。
なぜなら、彼はぐっすりと眠っているはずだったからだ。
だからこそ、子猫のように普段はしないように何の遠慮もなく彼の胸に耳を当ててみたりと彼にくっついていたのに。
これは、反則というものではないだろうか。
「起きてたなんて聞いてないわっ!!」
恥ずかしさのあまり思わず金切り声をあげてしまう彼女に、ジタンはこともなげに言ってのけた。
「そりゃあ、言ってないもんなぁ」
彼の腕から抜け出そうとダガーはもがくが、傷だらけで弱っている彼に全力で抵抗する気にもなれず結局中途半端に大人しく彼の腕の中に収まった。
不機嫌そうな顔はだまされた悔しさと恥ずかしさと、そして嬉しさへの照れ隠し。
熟れた果実のように染まった顔を極力見られないようにするには、彼の胸に顔を埋めるしかなかった。
ジタンは、ははは、などと恥ずかしそうに自分の胸に顔を埋めてくる彼女を笑う。
そのせいで、ダガーまでもが笑っているように体がゆれている。
「いやぁ、本当はね。もうちょっと寝たふりしてようと思ったんだよ。」
「なんでよ」
「だってさ、寝たふりしてたらこんなに擦り寄ってきてくれただろ?」
「…………」
「もーちょっと寝てたらチューでもしてくれるんじゃないかと思って」
「!!!」
「ぐぇっ」
効いた。
一瞬顔を歪めながらも、そんなことをする彼女が可愛らしくてジタンはまた笑った。
狙ったかそうでないのか(狙っていないとは思うが、、、)恥ずかしさに繰り出した彼女のヒヨコパンチは見事に今回のことでできた傷口に決まっていたが。
「だけどダガーが胸に耳当てたりするからさぁ、ドキドキしちゃうじゃん?心臓の音でバレると思ったし、もう幸せすぎて我慢できなかったんだよね」
「……」
底抜けに明るい台詞に、ダガーは怒ったように顔を上げた。
怒っていたわけではない。
その明るい声につられ、彼の笑顔が見たくなったのだ。
恥ずかしさに、意識せず怒ったような顔になってしまっただけ。
自分の胸に頭を預けたまま上目遣いに自分を見てくる彼女にジタンはにこっとした。
ダガーはそれには答えずふいっと視線をそらしてしまう。
「でもさ」
と、ダガーを捕まえていた手を離すと、彼女は急いで頭を上げてジタンのベッドの横の椅子に座りなおした。
彼女は、何か文句でもありげな瞳を揺らしながら、紅色の頬を両手で包み込みながら、子供のように唇を尖らせる。
癖である彼女のそんな仕草が大好きで、彼は目を覚ましてすぐにそれを見ることができた嬉しさに思わず吹き出した。
「いいんじゃない?たまには、そっちからキスしてくれたって」
「!!!!!!!!」
「ぶっ!!!」
隣のベッドに手を伸ばしたダガーの手が投げた枕が顔面に直撃し、ジタンは顔を抑える。
彼が動けないことをいいことにやり放題だが、キスの話になる度恥ずかしがる彼女を、ジタンは面白がっていた。
ひどーい、などとひどくなさそうに言ってから、彼はダガーに向かって両手を広げた。
「照れることないって。ほら」
「何よ」
「お帰りのチュ〜」
「いや」
「いいじゃん、ケチ」
「ケチでもなんでも。いやなものはいやなんです!」
「嘘だぁ〜、ホントはしたいくせに〜」
「枕、、、」
再び、床に落ちていた枕をつかみかけたダガーだが、目をやったジタンが手を広げたまま瞼を閉じていたもので、彼女は手にした枕を投げることができなかった。
「………・・」
「―――――――――」
「しないわよ、キスなんて」
「―――――――――」
「……・・」
嫌なわけではない。
言葉にはしないものの、彼はダガーにとって大切な人なのだ、いや、大切すぎるからこそ言葉にできないのだろう。
恥ずかしすぎて嫌といえば嫌ではあるのだけれど、こんな時だ、キスくらいあったっておかしくはないとは思うし、時には自分からというのも悪くはないだろう。
そう思いながら嫌だ嫌だというのは、ただ、勇気がないというかなんというか。
「そうやって待ってても無駄よ?」
「――――――――」
「ね、聞いてる?」
「――――――――」
「…………・」
ダガーの言葉に反応なしのジタン。
どうしていいかわからなくなったダガーはしばらく動けなかった。
視線を部屋中にさまよわせ、最後に入り口の扉に目をやった彼女は覚悟を決め、あきらめたようにため息をついた。
何度も何度も部屋の扉をの方を気にしながら、そっと椅子から身を乗り出した彼女はジタンに顔を近づける。
そうして、ちょっとためらった後、彼女はきわめて短く、彼の額に唇をつけたのだ。
「え゛」
ダガーが顔を上げる瞬間、至近距離で目が合ったジタンが不満そうに声をあげる。
「なんでおでこ、、、」
あまりにも心外だったので彼は離れていこうとする彼女をその至近距離のまま引き止めた。
鼻が触れ合うようなそんな距離で、肩をつかまれて動けない。
ダガーは顔をしかめた。
「な、何よ」
「おでこなのかい?」
「そうよ」
「普通キスって言ったらさぁ」
「おでこでしょう」
「違うだろ〜?」
彼が困ったみたいな顔をして見せる。
思わずどきりとして体を放そうとしたダガーのつかまれていた肩がギュ、とほんの少し引き寄せられ、ジタンが枕に預けていた頭を少し上げた。
少しひんやりとした朝の気温と、小鳥の囀り。
ダガーがびっくりして大きく目を見開いたのと、彼女が窓の外の、まだ朝露に葉先の柔らかい木々が揺れる音を聞いたのは、ほぼ同時だった。
「キスって言ったらさぁ。やっぱりこっちだよね」
結局、唇を盗んで見せたのはジタンのほうからだった。
彼が笑い、ダガーは再度頬を染めた。
早朝の爽やかさに、甘すぎない口付けは彼女に魔法をかけた。
肩が放されたにもかかわらず、ダガーは至近距離のまま顔を上げなかった。
それが切なそうな顔になっていることにも気づかず、うっとりと彼の顔を眺めてしまう。
彼女はようやく薄紅に染まった頬を穏やかに微笑ませた。
細めた瞳で彼の深い海を覗き込むことも、彼の笑顔に甘えることも。
すべて、それは彼が、唯一、ダガーの許した人だから。
時間が止まってくれたらいいのに
そう呟くことがなくても、笑顔でみつめあう時に互いがそう感じていることはわかっていた。
「信じらんないわ」
熱に浮かされたみたいな表情のまま、ゆったりとしか流れなくなったときを彼と共有して、どれくらいがたっただろう。
ダガーがそう呟いたとき、急にガチャリ、と無粋な音がして入り口の扉から細い影が入ってきた。
「!!!!!!!」
「あ、ジタン、目、覚めたのね。
、、、、、、、、何してるの?ダガー、、、具合は治ったの?、」
入ってきたばかりのミコトはジタンが目を覚ましているのを見つけた後、床を見下ろして怪訝そうな顔をした。
「え?あの、ちょ、ちょっと物を落としちゃって、、、;;」
などと嘯く女王様がミコトの足元の床に転がっていたためだ。
ダガーは苦笑いをした。
ジタンが、扉が開いた瞬間ベッドから飛び退いた彼女の反射神経に恐ろしく驚いたことなど露も知らず。
to
be continue
ついに六話めまできました♪
ほんと、こんなに長くなるなんて思いもしませんでした!
次で完結する予定です。
いつ頃になるかな?多分もうすぐ出来ると思います。