言葉(5)
ジタンが発って四日目の朝。
「ダガー、元気出して?」
ミコトはダガーのベッドの横に椅子を持ってきて、そこに座っていた。
ダガーの容態は目を離すことの出来ないもので、いつ急変してもいいように、ジタンが発ってからずっと彼女につきっきりなのだ。
だが、心配すべきは容態だけではなく、彼女の傷ついた心のほうかもしれない。
ジタンがいなくなってからと言うもの、薄めの寝具を頭からかぶったまま、彼女は一日中ほとんど顔を出すことはなくなった。
無理もないとは思う。
自分のために、愛する人が危険の中へ身を投じたのだ。
元気でいろ、というほうが無理というものだろう。
ミコトは柔らかい声でベッドの中に声をかけた。
「ね、顔見せて、顔色を少し見たいの」
ミコトの言葉に、毛布の中で背を向けていたダガーは素直にミコトのほうに向き直って、顔を出した。
浮かない表情。
ミコトは彼女に優しく微笑むと、そっと彼女の頬に触れ、うーん、と唸ると、もう片方の手を自分の額に当ててみる。
うーんと唸り考えるまでもなく、ダガーの体温が殉情でないことは明白。
しかし、率直にそれをダガーに表現して、わざわざ落ち込ませるわけにはいかないだろう。
「熱は、、、相変わらずね。じゃあ、ちょっと体起こせる?薬飲まなきゃね」
ミコトはそう言うと椅子から立って机に向かい、なにやら陶器や金属がぶつかるような音を立てて薬を煎じ始める。
ダガーはその間に体を起こしてベッドの背にもたれた。
彼女は首をひねり、見える窓から外を眺める。
ジタンがイーファの樹に発ってからというもの、天気はうって変わり、ダガーの心とは逆にカラリとした晴天が続いている。
外から聞こえてくるのは村の者たちの声。
楽しそうな談笑は、やはり続いている晴天を喜んでいるのだろう。
彼らは決して宿で病床につくダガーの事を知らないわけでもなく、また知っていながら彼女のことを心配していないわけでもない。
だが、彼らには彼らの生活もあり、一つのことを気にし続けるわけにもいかないのだ。
それに、自分のせいで村中の活気がなくなってしまうようなことになったとしたら、ダガーの負担は増えるばかりだろう。
「はい、またマズイ薬だけど、良薬口に苦しってね。はい、お水」
ミコトは解熱と痛み止めの効力のある粉薬と水をダガーの口に含ませる。
言われたとおり、ひどく苦味のある薬にダガーは顔をしかめた。
だが、文句は言えない。
毎日決まった時刻頃にミコトの出すこの薬を飲むことで、具合がましなものになっているということは、ダガー自身が体感している。
「ありがとう」
無理やり薬を飲み下したダガーは、不機嫌な自分を見せてばかりいたことを急に申し訳なく思い、椅子に座って自分のことをじっと見つめてくる年下の少女に今日初めて微笑んだ。
急にしおらしく微笑むダガーにミコトが意外そうな顔をする。
ここ数日、落ち込んで落ち込んで、もうダガーには微笑む気力も残っていないと思っていたからだ。
「いいのよ。ありがとうだなんて。こっちのほうがお礼を言っても言い足りないくらいのかりがあるんだから」
ミコトも微笑んだ。
本当は、彼女らは今こうしてこの星で幸せに暮らしていることなんてなかったかもしれないのだ。
ジタンが、ダガーが、彼らがいなかったら。
本当の自分を、本当の心を、こうして手に入れていることなどなかったかもしれない。
それはミコトだけでなくこの村に住む者全員が思っていること。
「助け合い、ね」
久しくダガーが嬉しそうに笑い、ミコトもそれに同意した。
しばらくの間そこに存在しなかった明るい笑い声が部屋を埋め、だがしかし、もう次の瞬間にダガーは視線を落としてしまった。
ふとした瞬間にも、彼女はこうして沈んだ顔になってしまう。
ダガーはミコト達が住んでいるのとは別の大陸の三大大国と呼ばれるうちの一つを治める女王。
彼女に敬語を使わないミコトはダガーを女王としてみることが出来ない。
彼女の目に映るダガーは、普通の女の子で、誰かが守らなければすぐに消えてしまう妖精のようで。
ミコト自身、守ってやらなければ、と感じてしまうほど。
こんな風に哀しそうに目を伏せたとなればなおさらで、ミコトは優しく微笑みかけずにはいられなかった。
「大丈夫。彼は帰ってくるわ」
「・・・・・・」
「淋しい?」
「・・・・・・・」
「、、、、、、、、、、、訊くまでもないわね。暇つぶしに誰か連れてきましょうか?」
ミコトの言葉の意味がわからず、ダガーは首をかしげた。
ジタンの妹がいたずらっけたっぷりに微笑んでいる。
「??」
「お気に召すかは分からないけど、マシな男くらいはいるわよ?」
「え?」
「ジタンの代わりになればいいのだけど、、、、」
「ミコト!!!!!!!」
ジタンの代わりなど存在しないと考えているのに、代わりを連れてくるか否かを尋ねられ、思わず憤慨したダガーにミコトはごめんごめん、と笑った。
冗談よ、と微笑む彼女はダガーがそれで怒るのを確認したかったのだと言う。
「それだけ帰ってくることを信用してるんだったら、彼は絶対帰ってくるわ。いいわね、ラブラブ?」
ミコトが薬を煎じるのに使った道具を片付け始めた。
彼女の乙女チックなセリフにダガーは思わず赤面する。
一瞬、血が沸き立つような想いを抱いてしまったが、ダガーをそうさせた言葉にミコトのそんな意図があったことに気づけなかったことが恥だった。
「はい、薬飲んだらまた横になってね。ジタンに無駄足を運ばせるのは悪いけど、早く治さなきゃね」
わざとなのかそうでないのか、ミコトはジタンがよくするように、ダガーの頭を少し乱暴に撫でた。
にっと笑ってみせる彼女に、愛する人の姿を重ねながら、ダガーは頭を押さえながら笑い返した。
「えぇ」
翌日。
洗濯をしにいくため、席を空けたミコトと入れ替わりに、クルルが見舞いにやってきた。
この村の住人には、炊事や洗濯など、そうした一つの家で行うような家事を、村一帯共同となって行っており、その役割は決められているらしい。
水くみが仕事であるクルルは、それを終わらせてきたばかりのようだ。
クルルの革手袋の手は、まだ少し濡れていた。
「おい、これはなんなんだ?」
彼は、その手でダガーの枕もとの卓に置いてあったガラスのコップを指した。
9分目まで澄んだ水を満たしたそのコップには、何か一輪の草が浮かべてある。
「四つ葉のクローバーよ」
ダガーはもう殆どでない声を絞り出した。
ジタンが村から姿を消してからというもの、ダガーの体力の消耗が激しい。
それは、病の進行という物理的なものだけでなく、ジタンがいなくなってしまった、という精神的なものも大きい。
体に現れる目に見える変化のスピードが限りなく速い。
すっかり弱り切った彼女はそれでも、不思議そうに首をかしげる少年に、四つ葉のクローバーが願い事をかなえるジンクスであることを説明してやった。
「へぇ、面白い習慣があるんだな、あっちの大陸には」
「えぇ、そうね」
クルルの感想に、ダガーはひび割れた唇を微笑ませた。
確かに、と思ったのだ。
別の地に行ってしまえば、それはただの、面白い習慣、であり、迷信であり。
その願いがかなう、という保証など、どこにもない。
それなのに、彼女は本気になってそのクローバーに願をかけた。
そんな自分自身が、おかしく、健気で、実に微笑ましかったのだ。
ダガーはベッドから体を起こすこともなく、視線だけをその水に浮かぶ緑に向けた。
このコップに浮かべられたクローバー。
城の中庭でつんで、押し花にしてここまで持ってきたのはダガーだが、このようにコップの水に浮かべたのはダガーでもミコトでもない。
ジタンがイーファの樹に一人で行ってしまった翌朝、気がついたときには既にこうしてコップにクローバーは浮かべられていた。
おそらく、ジタンがやっていったのだろう。
彼がそのクローバーに自分のとは別に願をかけたことを知らないダガーには、その理由はわからないが。
その後はミコトが毎日水をかえてくれている。
ベッドとコーヒーセットと、小さな机があるのみの質素な部屋には、この、水に浮かぶ自然の緑がとても新鮮だ。
ダガーは、ジタンがインテリアとしてこのようにしていったのだろう、と思っている。
「で?あんたは、この草にどんな願い事をしたんだ?」
クルルの質問に、ダガーはほんの少し顔をゆがめた。
自分のかけた願い事。
それは、本当は願ってなんかいないこと。
本当は願っているけど、正直に心から願うことが出来ないこと。
「ジタンにね、新しい彼女が出来ますようにって」
「はぁ?」
「ほら、私、もうすぐ死んじゃうから」
浮かんでいるクローバーが、静かに水面を揺れる。
一度はしなびてかすんでしまった緑だが、ジタンがこうして水に浮かべてくれたおかげで、それは僅かながら植物らしい色をとりもどした。
クルルが、おいおいおいおい、と言いながら小さな手をのばし、机の上のそのコップを手に取った。
彼の手に収まったコップの中で、クローバーがくるくると回転した。
「あんた、やな奴だな」
彼は不機嫌そうに呟いた。
呆れた声。
急に嫌な奴、と言われて驚いたみたいに何度も瞬きするダガーに、彼はため息をついた。
「ジタンは、あんたを助けるために行ったんだぞ?」
クルルは手にしたコップを窓からはいる日に透かしてみた。
光が屈折してちょうどダガーの顔にあたる。
「だって、そうでしょう?ジタンがどんなに頑張っても、私、もう、、」
眩しそうに目を細めながら、彼女は口元に笑みを浮かべていた。
そうでもしないと、涙が出てきてしまいそうだった。
場違いの笑みは無意識の防御反応。
そんな彼女を見るクルルは、眩しさとは別の理由で目を細くした。
「あんたのためにあんな危ないところに行ったジタンを、信じてやらねぇのかよ?」
「私は、、、、、、私はそんな風に、私のために、なんて行ってほしくなんてなかったわ!!」
クルルが押し黙り、ダガーははっとした。
思わず、本気になって叫んでしまった。クルルは悪くなんてないのに。
彼女は叫んだつもりでも、その声はほとんどかすれて迫力を欠くものではあったが。
つらすぎたのだ、ダガーには。
自分のために愛する人をも危険にさらしてしまっている、という事実が。
クルルは静かに首を振った。
「何でそんな言い方するんだよ。あんたを好きだって言うジタンの気持ちだろ?あんまりじゃないか」
「・・・・・・・・・」
ダガーは、複雑そうに思い詰めたように顔を曇らせた。
確か、ジタンも言っていた。
「あんたはジタンを好きなんじゃないのか?」
それ以上言わないで、とあのときもダガーは否定してしまったが。
「ほんと、やな奴だよ。あんた」
愛シテイル、と。
「・・・・・・・・・」
否定、してしまったけれど。
もう言わないで、なんて言ったけど。
本当はーーーーーーーーー。
本当は、嬉しかった。
「そうよね、ごめんなさい」
彼がクローバーを受け取らないでいてくれたことも、
自らの手で自分を救いたい、と言ってくれたことも、
複雑ながら、
やっぱり
嬉しかった。
ダガーは力無く微笑んだ。
「そーだぞ。ジタンが戻ってくるまでにはいい奴になってろよな」
クルルが生意気に言う。
子供のクルル。
自分より、ずっとずっと人生経験は浅いのに。
彼の言うことは、やっぱり正しいのだ。
どんなに性格が違っていても、やはり彼はビビの子供なのだ、とダガーは納得せずにはいられなかった。
思わぬところで、納得反省させられたダガーはクルルに、毛布からだした白い手でVサインをして見せた。
「反省&了解よ」
ジタンがたってから5日目の昼のことだった。
「クソッ!」
肩口の傷に、包帯代わりに裂いた布を縛り付けると、彼は足元に邪魔するかのごとく張り出した根を蹴りつけた。
生命活動が停止し、脆くなったそれは、簡単に崩れ落ち、同時に霧を含んだ粒子となって煙のようにその場を濁す。
「げほっ、げほっ、、、、、」
予想だにしなかったその塵を、すっかり吸いこんでしまって彼は思わず咳き込んだ。
彼の気障にのばした金の後ろ髪も、森狐の毛皮のような美尾も、既に常時空気中を漂う塵で白く霞んでいる。
服にはところどころ赤黒いしみも浮いている。
苦痛に顔を歪め、布を縛りつけたところに触れると、既に白い布は赤く染まり、そこを触れた彼の手にも血がついた。
「なんてありさまだ」
ジタンは自嘲的に呟くと地に腰を下ろした。
その動作をするだけにも、体中に痛みが走る。
村を発って既に6日がたっていた。
その六日目の夜、徒歩で来た彼は、ようやく目的地のイーファの樹についたのだ。
ここまで来る道は、樹の暴走によってめちゃくちゃにされ、歩きにくいこと限りなかった。
だからこそここまで来るのにさえ6日もかかってしまったのだ。
だが、ようやくたどり着いたと言うのに、まだついたばかりだと言うのに、彼は既に傷だらけであった。
ミコトの言う『狂暴化したモンスター』は、彼が予想したよりはるかに強力であったのだ。
何度か既に遭遇したそれらをなんとか倒しつつも、無数の傷を負った彼の体力は限界に近かった。
今は暗すぎて、明るくなるまでは目的の薬草を探すことも出来ない。
しかし、夜が明けるまでには、まだ少し時間がある。
だが、彼には仮眠を取ることさえ出来ないのだ。
なぜなら。
「グゥォォォッ!!!!」
一息ついたジタンの耳に凄まじい咆哮が届く。
彼は振りかえり、間一髪で再びあらわれたモンスターの一撃を交わした。
さきほど肩に手傷を負わせてくれたモンスター。
一人ではとても敵わない、と逃げ出してきたのだが、血のにおいでもかぎわけてきたか。ジタンを執拗に追いかけてきたようだ。
「マジ、冗談もいいかげんにしてくれよなっ!!!」
咄嗟のことながら、彼はとんずらでその場から逃げ出した。
彼が仮眠さえとることが出来ないのは、こうして無防備になった途端モンスターが襲いかかってくるからなのだ。
朝になっても、まともに薬草を探すことすら出来ないかもしれない。
「クソッ!いそがなきゃならないってのに!!!!」
彼は歯を食いしばった。
その彼の腕を、肩の包帯からしみだした血が駆け下りる。血が止まらない。
身軽さゆえ、ジタンは邪魔な根っこの合間をとぶように走った。
ダガーを救うことを一心に、自らも無事に帰ることを一心に祈りながら。
自分が助からなければ、ダガーも助からない。
絶対に、生きてかえってダガーを救うのだ、と。
彼は固く誓った。
「はぁっ、、、、」
どれほど走ったのだろうか。
気がつくと、夜明けだった。
僅かに光が射し込む程度の明るさの中に、彼はようやく歩みを遅くした。
夜中中、走り回っていることが出来るほどの体力が残っていたことに、自ら感心しながら、彼は辺りを見回した。
奴らは日光が嫌いなのだろうか。
さっきまではずっと追いかけられている気がしていたのに。
モンスターの気配が、今のところはないようだ。
そのことを確認すると、ジタンは改めてその場に座り込んだ。というよりも、疲労のため、ほぼ倒れるような状態。
そうしている間にも、見る見るあたりは明るくなってくる。
朝日が、ぐるぐると複雑に絡み合う白い枝の隙間から差し込んで、眩しい。
「疲れた」
と彼はようやく口に出した。
今までは、疲れたなどと言う余裕さえなかった。
しかし、口にした瞬間それが実感となり彼は急に睡魔に襲われた。
耐え難い脱力感に、ジタンは意識を保つことを半ば諦めた。
日が大地を照らす時間帯は、比較的モンスターの活動が沈静化することを知った彼は、睡魔に抵抗することなく、静かに瞼をおろし始めた。
もし、万が一モンスターが寝込みを襲ってきたとしても、白昼なら瞬時に目を覚ます自信が、彼にはあったのだ。
少し、寝てしまおう、暗くなるまでに目を覚まして、ピモピモ草を探そう。
そう考え、完全に瞼を閉じようとした時、ジタンは急遽その考えを撤回した。
ジタンは瞬きをすることのない魚並に目を見開いた。
ちょうど視線の先、20メートルほどの上の高さにある、風化した無彩色の枝に、不釣り合いなほど鮮やかな緑を見つけたのだ。
それはちょうど、ミコトが見せてくれた図鑑の植物にそっくりで、、、、。
「ピモピモ草、だよな?」
独り言で、誰かに尋ねるジタン。
返事をしてくれるものはいなかったが、彼は確信していた。
傷だらけのジタンをよそに、立ちすくんでしまうほど落ち着いた様子でイーファの樹の枝に根を据えるその植物が、彼が探し求めていたものだ、ということを。
「よっ、、、、」
彼は慎重に枝に手をかけた。
ちょっと蹴りを入れた程度で崩れてしまう脆さだ、うっかり無造作に手をかけでもしたら、転落、なんてことにもなりかねないだろう。
ピモピモ草を見つけて喜ぶよりも先に、集中してのぼることが要求される。
そんな壊れやすいものに、人一人の全体重を預けても大丈夫なものか、と危ぶみもしたが、躊躇してもしょうがない。
彼がここへ来た目的は、あの枝に生える草であり、あの草を手に入れないことにはこの危険な地帯から逃れることもできないのだ。
それに、愛する人は、一秒でも早い自分の帰りを待っているはずだ。
彼は手をかけ足をかけ、慎重ながらちゃくちゃくとのぼり始めた。
落ちていく体を止めてくれる命綱などはない。
目的のものを見つけたからといって、手に入れたも同然、とはいかないのだ。
半分くらい上っただろうか、ジタンは緊張に疲労を覚え、一時手足を止めた。
そして、ため息をつきつつ彼はどれだけ登ったろう、と振り返り思わず息をのんだ。
決して彼は高所恐怖症ではない。
しかし、体を預けている場所があまりにも不確かである場合は別だ。
恐怖。
血の気が引くような感覚にめまいを覚えつつも、彼は手足を踏ん張って耐え、再び上へ上へと登り始める。
そして
「つ、ついたぁ、、、、」
情けない声が出てしまうのは仕方ないことであった。
何度も上りながら引き返そう、と思ったが、彼はダガーの顔を思い描きながらやっとの思いで上りついたのだ。
どちらにしても、それを聞く者さえいないこの場所ではジタンは気にもとめなかったが。
彼はぽつりとそこに存在する草に手を伸ばした。
片手を離したことで、分散されていた体重が残りの手足にかかり、壊れやすい枝がミシリ、と嫌な音を立てる。
そっと伸ばした手があと数センチでダガーを救える草に届くところだった。
しかし、彼の手はピモピモ草をつかむことなくぴたりとそこで固まったのだ。
「グルルルル」
巨大なモンスターだ。
奇妙な翼を持って、それは突風を起こしながら彼の目の前の枝に降り立った。
重量はありそうなくせに、身軽なのかモンスターは枝を折ることがない。
ジタンは背中を多量の冷や汗が駆け下りるのを知った。
無理な場所で、無理な体勢で、下手に体を動かせない。
20メートルの高さから落ちるか、モンスターの餌食になるか、彼は判断しかねた。
どちらも嫌だ。どちらも駄目だ。
オレは、帰らなきゃならないんだからなっ!!!!!!
「・・・・・・・」
ジタンが発って7日目の夜。
月はなく星達はうっすらとした雲に隠れて。
気温22℃、湿度57%。過ごしやすい夜だった。
朝からずっとそこに座り続けている彼女は、暗くなったにも関わらず部屋に明かりをつけることを忘れていた。
「ねぇ」
ミコトは呟くように声をかけた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ
と、規則的な機械音が部屋の中を満たしている。
心電図。
人工呼吸器。
ダガーは返事をしない。
「死んじゃ、だめよ」
今朝のことだ。
とうとうダガーの意識はなくなった。
昏睡、危篤の状態。
しゅうしゅうと、機械音の間に、人工呼吸器を通したダガーの呼吸音が聞こえる。
「ジタンは、絶対かえって来るんだから」
もはや、ダガーは医療器具の力を借りてしか、自らの力のみでは生きていることさえ出来ない。
「・・・・・・・・・・・・・」
ダガー、ジタン、スタイナーがこの大陸を訪れて、約一週間がたっていた。
三日前、スタイナーはいったんアレクサンドリアへ帰っていった。
当たり前だが、ダガーを見捨てたのではない。
アレクサンドリアには、女王の外出の期間は十日間と伝えていたため、それの延長と女王の一大事を伝えに行ったのだ。
「・・・・・・・・」
夜は、静かだ。
今夜は虫の鳴き声もしない。隙間から入り込んだ風が僅かに戸や窓をならすのみ。
クルル達がとってきた白い花も、ジタンが置いていったクローバーも生気をなくししおれ始めている。
ミコトははぁっ、と息を吐き出すと、ダガーの横たわるベッドに、顔を伏した。
「、、、、、、、、、遅いよっ」
シーツを通したくぐもった声が低く言った。
低くあって、それでも泣き出してしまいそうなひきつった声。
ミコトは手を強く握りしめた。
「ダガー、こんなに待ってるのに。なんで帰ってこないのよ」
本当は、ダガーの病状が現れてから、一週間今日に至るまで意識があったことは奇跡に近いように思う。
ミコトは、それもダガーがジタンを信じているおかげだ、と思っている。それなのに
「ジタン、あんたはダガーの気持ちを裏切るつもり?」
怖かった。
大切な兄が帰ってこないかもしれない。大切な友人が病死してしまうかもしれない。
それは、情を持つようになったジェノムの少女の心をひどく押さえつけた。
これまで、涙を流したことなど、そうはない。
顔を埋めたシーツが冷たくなって、苦しくて。
ミコトは子供のように嗚咽を漏らした。
そのとき、ガチャリ、と部屋の扉が開いた。
明かりがついた廊下から扉の隙間を通ってスリット状に入ってきた光がミコトの背中にラインを引く。
「んなー、泣くこたぁないよ」
場違いな陽気な声に、ミコトは涙で突っ張った顔をおもむろにあげた。
to
be continue
もう]が発売してしまったにもかかわらず、
まだ完結してないです、、、。
でも、気長に次も読んでやってくださいね♪