言葉(3)
ジタンは宿の窓際に置いた椅子に腰掛け、外の空を見上げていた。
昼になり、雨が上がった空は眩しいほどに晴れていて、張り出している屋根を伝って雨露が落ちてくる。
スタイナーは、ガーネット様が目を覚ましたら果物など欲しがるかも知れぬ、と森へ出かけていったが、常緑樹林にそんなものがなっているわけがない。
そのこともしっかりスタイナーに伝えたが、彼は行くと言ってきかなかった。
じっとしていられない、というのが本音だろうと思う。
ミコトたちは本来ならどんな病にも効くはずの万能薬を煎じてダガーに飲ませたが、様態は変わらなかった。
彼女らは出来る限りのことはすると約束してくれた。
彼は鼻でため息をついた。
雨上がりの濡れた地は、顔を出した太陽に暖められて、雨を蒸発させる。
そんなときの空気は、雨が降っているとき以上に湿っぽくて雨臭くて、、、、。
ジタンは雨上がりの日が嫌いだ。
彼は仏頂面で硬い底のブーツの踵を木の床で鳴らした。
「ジタン?そこにいるの?」
日の光が、灰の雲の後ろにかげったとき、ダガーの声がした。
ジタンの立てた音で目を覚ましたのだろう。
すぐにでも消え入ってしまいそうな彼女の声はうっかりしていると聞き逃してしまいそうだった。
彼は椅子から立ち上がってダガーが横たわるベッドの縁に腰掛けた。
「いるよ」
ジタンは彼女の顔のほうにずりおちていた濡れタオルをとってやり、枕元の水の入ったおけにそれを浸した。
「願い事、思いついたの」
彼女は体力を消耗していているため、弱々しくいかにも儚げに微笑んだ。
「願い事?」
優しく微笑みながら彼は濡れて額に張り付いた彼女の前髪を梳いた。
安心したように微笑む白い顔のダガー。
彼女はこのままどうなってしまうのだろうか。
ジタンがその押しつぶされそうなほどの不安を顔に出すことはない。
森で貧血になったのも、この病の前兆だったらしい。
彼はただ微笑み、桶の中に浮かべた濡れタオルを引き上げて絞り、丁寧に折り畳むと再び彼女の額に乗せた。
「んっとね」
彼女が重い体をゆっくりと起こす。
あげられたばかりのタオルが落ちないように額に手を当てたまま。
これほどの衰弱状態の病体に無理は禁物なわけだが、テンテキによって体を起こすくらいは可能になっているようなので彼は彼女に手を貸した。
彼女が自由に体を動かすことができるのが、あとわずかかもしれない、ということもあるかもしれない。
束ねられずにシーツに広がっていた黒絹のような髪が吸い寄せられるようにすべり、上半身を起こした彼女の背中に集まった。
ここ数日ずっと病床についていて、着ている服がどんなによれよれになってしまっていても、彼女の髪のつやつやが失われることはないらしい。
「これ」
お?、とダガーの黒髪に向いていた彼の視線が彼女の手に移った。
一体どこにしまっていたのだろうか。
ダガーの手には以前城の中庭で見つけたものだろうと思われる四ツ葉のクローバー。
乾燥してすっかりしなびてしまったそれを彼女は今まで大切に持っていたらしい。
彼女は目を閉じるとそのクローバーに祈りを込めた。
「ジタンに素敵な新しい彼女ができますように」
「!?」
なんだって
ダガーが憧れている有彩色の瞳が大きく見開かれる。
それと対照的に、彼女の目は穏やかな笑いの形に細められている。
その言葉の意味するところはなんなのだろう
「私のことを、はやく忘れられますように」
これまで大事に持っていたそのクローバーを彼女はジタンに差し出した。
「おい」
差し出されたそれを、彼が受け取ろうとはしなかった。
今にも葉が落ちてしまいそうなクローバーがふらりと揺れ、彼の顔に近づけられる。
「私の命はもう、永くない、そうでしょう?」
クローバー越しのダガーが作り笑いをする。
彼女の作り笑いは美しく、全く作り笑いには見えず、普通の人にはわからない。
見抜くことが出来るのはジタンくらいのものではないだろうか。
バカか。
ジタンはクローバーを持っている力の入らない彼女の手をぎゅっと包み込むように握った。
冷たい。
昨晩まで、あんなに熱にうなされていたのに、なぜ、今はこんなにも死んだ人間のように冷たいのだろう?
彼女は、自分の体の状況を理解している。
「ね?」
儚い笑顔が小首を傾げてみせる。
眠っていたと見せかけて、ミコトの話を聞いてでもいたのかもしれない。
アホ。
恐ろしかった。
四つ葉のクローバーなど、ただの信ずる根拠のどこにもない、他愛もないまじないでしかないのだが、魔法の使えないジタンにとって白魔法を自在に操るダガーが念を込めたクローバーを受け取ることはこの上なく恐ろしかった。
そのまじないが、本当に効いてしまいそうな気がして。
握りしめたダガーの白く細い指が折れてしまいそうなほど、彼は力を込めた。
「、、、、、受け取ってよ」
花のような笑顔が次第に崩れる。
ジタンは彼女の冷たい白魚の手に唇をつけた。
「いやだね」
絶対に
「受け取らない、そんなもん」
隙間から吹き込んだ風が、卓上の白く小さな花を揺らす。
ビビの子供たちが、早くよくなるように、と森からつんできてくれたものだ。
人は自分の死期が近いことをしたとき、どうするのだろうか。
焦ったり、鬱状態になったりするのではないだろうか。もし、自分がそういう状態になったなら、そんな醜い自分は人には見せたくない。
ダガーはそう思っていた。
だが、今まさに死が訪れようとしているというのに、不思議と落ち着いていられるのだ。
ただ、
ただ彼女が、唯一、感じているのは、
それは、
死の恐怖でも、
人生の焦りでもなく、
途方もない、
寂しさ
もう、限られた時間しか大好きな人と一緒にいられないという、
淋しさ。
彼の瞳が、ダガーを正視しようとすることはない。
「大丈夫よ」
全然。
「淋しくないわ」
嘘。
「ジタンには自由でいてほしいの」
ダガーは彼の前髪に触れた。
「もうすぐいなくなる私の想いで、あなたをずっと縛り付けておきたくなんてない。」
それは別れを惜しんでいるようにも見える。
「あなたが幸せでいてくれたら」
言葉とはなんて軽いものなのだろう。
口を開いて声を発するだけで、相手に意志を伝えることが出来る。
たとえそれが、
本当の想いじゃなかったとしても。
「私はそれでいい」
ジタンに自由でいてほしい、自分の記憶などすぐに忘れてほしい。
それは、決して全くのウソじゃない。
でも、
私、
「だから、ほら」
まだ、
まだずっと。
「クローバー、持っていて」
あなたといたい。
忘れないで、私だけの側にいて。
そう思ってしまう自分を醜いものに思いなしてしかめがちになった顔をダガーは無理に笑わせた。
泣きそうになる。
もしかすると前言を撤回せねばならないかもしれない。
死が怖くない訳なんてないのだ。
大好きな人たちの別れが、どうしようもなく、怖い。
もう、誰もどこにも行かないで、という願い以上に、
私、どこにも行きたくないよ
初めて出会ったのは、確か、晴れた空の日だった。
夕方になり、星々が美しくなるにつれ憂鬱になっていった心。
大好きなお芝居が公演される中、耐えきれずにずっと心に思い続けていたことを実行したあの日。
彼女はジタンの強い瞳に魅入られた。
ガーネット王女だと認められてしまい、理由がわからないままに追いかけられた。
それが仕事だったとは後から聞いたが、その彼の執念深さをそのときはかったのかもしれぬ。
だが、それ以前に、なぜだか、彼なら連れ出してくれる、とそう確信したのだ。
人を助けるため、生き残れるとは決して思えない場に立ち向かっていった彼が、長き年月を経て還ってきたとき、ダガーは、彼と出会ったことが偶然でなかったのだ、と運命だったのだ、と確信した。
それなのに、
せっかく巡り会えた運命の人なのに、こんなに早く別れを告げねばならぬなど、哀しすぎるではないか。
「クローバーねぇ」
自分を救ってくれるとダガーが信じて疑わなかった彼の瞳が困ったように微笑んだ。
「っ?」
しおれたクローバーの握られた手から彼の温もりが不意に離れる。
そして、肩に伸ばされた手がふわりと彼女を抱きしめた。
おのずと頭を彼の胸に預ける格好となり、彼女は怪訝そうに睨む。
だが、ただそれだけ。放してくれと暴れることもしないのは、彼女にそれだけの気力がないからだ。
「心にもないこと言うんじゃない。」
こんなにも簡単なこと、見透かすなど容易いのだろう。
彼は窓の向こうへ目をやり、一瞬だけ顔をしかめる。
ジタンの言葉にダガーは平気そうに首を傾げた。
「心にもないことなんて言ってないわよ?」
彼の視線がダガーに戻る。
「んなことばっか言ってると、オレ、本気にしちゃうよ?」
「いいよ、それで」
「オレって色男だし?すぐに新しい彼女作っちゃうぜ?」
「そうしてくれるのが一番いいわ」
「いいの?」
「いいよ」
「ほんとに?」
「本当よ」
「ふーん?」
「なっ、、、、、、、げほっ、、」
にやにやした彼に顔を覗き込まれ、真剣に言い返そうとした彼女がむせる。
急に胸と息が詰まってしまったのだ。
いやだ、平気そうな顔してようって決めてたのに。
途端に涙腺が熱くなる。
涙があふれそうになり、彼女は視線を彼からずらし、下を向いた。
彼を困らせてはならない。
決めていたことを破りそうになり、必死に声を上げてしまわぬよう唇をかむ。
「嘘だよ」
ジタンの大きな手が彼女の頭を、自分の胸に押しつけるようにそっと引き寄せた。
「嘘に決まってんじゃん」
その瞬間、溢れそうだった涙がとうとうダガーの瞳から駆け下りた。
ちょうどジタンには見えない状態だったのでダガーはそれを拭わなかった。
「いつか言ったろ」
低い声が囁く。
「オレに必要なのは」
心地良い響きに、ダガーは思わず目を閉じた。
「ダガー」
瞼に追いやられた涙が居場所をなくし、今度はジタンの服に落ちる。
「君だけだ」
ダガーは必死に首を横に振ってそれを否定する。
だが、ジタンはそれを気にする様子もない。
「だからね、そんなクローバーもらっても困るわけ」
彼はダガーの顎に手を添えて顔を上げさせると、ちょっとびっくりしてから彼女の涙を指で拭った。
「あぁ、そうだ」
そして、ジタンは何か言おうとして、急に微笑んだ。
「まだ、ちゃんと言ったことなかったよな」
「、、、、なにを?」
ジタンは笑顔のまま、頬に涙の後のあるダガーの髪を撫でる。
「!」
彼はその一瞬に、これまでにほんの数回しか交わしたことのないキスをした。
短く、切ない口付け。
幸せともつかぬ哀しみにダガーはすぐに顔を背けた。
ジタンはそっと彼女の耳元に口を近づけた。
まだ、正式に言ったことのない言葉。
なんとなく恥ずかしい気がして、一度も言葉にしなかった想いを。
言葉にするにはもう、遅すぎるかもしれない。
なぜ、神は自分たちをそっとして置いてくれないのだろうか。
せっかく出会えた二人を引き裂くことの何が楽しい?
彼は愛しい顔を見つめた。
「愛してるよ」
いやだ
今までどれだけにほしいと思っていた言葉だろうか。
きっとかわいいくらいに赤面して、私もだ、と言っていたかもしれないのに。
今、ダガーは赤面するどころか青白い顔でそれを聞いていた。
「君のことを愛してる」
やめて
「誰よりも」
「やめて!!!!!!」
突然、ダガーが両耳をふさいで泣き崩れた。
愛し合う、という行為をするには、二人に残された時間は少なすぎるのだ。
「それ以上言わないで!!!」
続かない幸せなら、もう、これ以上その幸せに浸っていたくはない。
別れるときが必ず来るとわかっているのに、もう、これ以上寄り添っていたくはない。
後が苦しいとわかっているのだから。
「ダガー、、、?」
「私、、、」
彼女は耳をふさいでいた手をバタリと下ろした。
うなだれて頭を振る。
「、、、、淋しくなる。あなたから離れたくなくなってしまう。」
涙はもう止まらない。
ジタンは再びダガーを腕の中に閉じ込めた。
「だから、もう言わないで、そういうこと」
もはや泣き顔を隠そうとさえしなくなったダガー。
「それでいいよ、オレがいるから」
かみ合っていない返答をするジタン。
それが最後にかわした言葉。
時折ダガーがすすり泣く以外、部屋の中に音はない。
彼の胸に頭を預ける彼女は、いつしか泣き疲れて眠ってしまった。
to be continue
うはっ!
ワンカット(?)に1話つかってしまったわっ!
ココは力を入れてみましたが、いかがなものでしょう?
っつか、一生懸命感動的なの書こうとしてるに、
後書きにこんなの書いてたらしらけます?もしかして