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言葉(1)





陽光に包まれた城の中庭。
城の主であるダガーがスカートの裾を持ち上げて走ってくる。
もしこれが、城の中や街の中であったなら、なにをなさる、と誰かに注意されてしまったことだろう。
だが、今は彼女を注意するものは誰もいない。
汚してしまえば、誰かに多少の迷惑がかかるということは百も承知で、彼女は豪華絢爛なドレスのスカートを膝と一緒にだきしめて地に直接座った。
庭を埋め尽くす背の低い草は、まだ生まれたばかりの若草色。
この中庭は、ダガーのお気に入り。
暇なときは気がつくと足がここに向いている。
落ち込んだときも、嬉しいことが会った日も、彼女はよくここにきてぼんやりと空を眺めていた。
幼い頃、晴れた日などは、昼食を弁当箱に詰めてここで食べたりもしたものだ。
今日も仕事の合間に暇を見つけて彼女は城を抜け出してきた。
「あったかいね」
彼女は、先にそこで日の光を満喫していた隣に座るジタンに言った。
「そうだな」
こんな時、彼女が来ることを知っていたかのように偶然タイミングよく彼も中庭に来ていたりする。
それが普通のことのようになってしまっていて、彼女はジタンがそこにいることが当然のように感じている。
だが、それは決して偶然なわけではなくて、彼が自らダガーが暇になる時間を調べているから。
ただ、ダガーがそのことを知らないだけなのだ。
しかし、ジタンはそれを偶然だと信じ込んでいるダガーを純粋でかわいらしいと言う。
そんな彼はここに来る途中、慌しく女王を探すスタイナーの姿を見ていたが、それは言わないでおいた。
バカが付くほど真面目な彼をからかうのは、今でも面白い。
少しくらいは申し訳ない、とも思うのだが。
新芽の香りを運ぶ風が、草の絨毯に小さな波を作る。
「四ツ葉のクローバー」
彼の隣に座ったダガーが、足もとの草を一本プチリと摘んだ。
通常ハートの形をした葉三つで構成されるはずの草の中に、四つ葉が混じっていたのだ。
それは願いをかなえる幸せのおまじない。
「ほんとだ。願い事は?」
「考え中」
ポカポカ陽気。
ぼーっとしているだけで、うとうとしてくる。横になって目をつむれば、すぐにでも意識は落ちてしまいそうだ。
ただの休憩なのだからこんなところで寝てはならない、とダガーは首を振る。
「そういえば」
それで思い出したようにダガーは呟き、摘んだ四ツ葉のクローバーをくるりとまわした。
何が?、とジタンが首を傾げる。
「もう一年経つのよ」
「え?」
ジタンにはその一瞬に、彼女が何のことをいっているのかわからなかった。
覗き込んだダガーの瞳がほんの少し憂いげに伏せられたのを見て戸惑ってしまう。
「ビビが、いなくなってから」
「あ」

そうか。

すっかり気づかなかった自分の側頭を、彼はコツンと叩いた。
なぜそんな大切なことを忘れるんだ、と。
だが、無理もない。
「そう、ビビがいなくなってからもうすぐで一年」
ダガーは自分の膝に顎を乗せて、ほんの少しだけ寂しそうに振り返った蒼い瞳に、あえて微笑みながら言った。
小鳥の囀りは絶えず聞こえてくる。
息を吸い込むと、肺が新鮮な空気でいっぱいになる。
「もう、そんなになるんだな」
暖かなその陽光の色によく似た髪色のジタンは、寂しそうな瞳を青空に向けると、ばたんと仰向けに草の絨毯の上に倒れた。
彼らの大事な仲間は一年前のこの新しい命の生まれる春という澄んだ季節に、彼らの前から姿を消した。
ある日突然。何の前触れもなく。
「さよならも言えなかったな、オレは」
「そうね」
ビビが姿を消したのは一年前。
だが、しばらく姿をくらませていたジタンがこの地に戻ってきたのはたった3ヶ月前。
残念ながら彼は、大事な仲間の最後に立ち会うことができなかった。
だから、彼はビビがいなくなってから経過した時間を、あまり実感できていない。

ビビ。

その寂しさにジタンは目を細くした。
ゆったりと真っ白な雲が浮かぶ空。
ひらけたその場所で青空の中に落ちてしまいそうな錯覚にとらわれながら、仰向けになったジタンは目を閉じた。
そうしていると、まるで生命の声が聞こえてくるようだ。
もういない黒魔道士の少年の顔を、声を彼は今でもはっきりと思い出せる。
「オレのこと怒ってるかな?」
ジタンは彼の記憶の中の少年が恥ずかしそうにとんがり帽子をかぶりなおす様を描き、呟くように言った。
衣擦れの音がして、目を閉じていた彼にもダガーが首を横に振ったのがわかる。
「ビビの子供たちにはあったでしょ?」
「あぁ、驚いたな。ビビがプレイボーイだったとは」
「バカ」
お笑いのつっこみのごとく、ダガーの裏手がジタンの脇腹に当たった。決して痛いではなく、むしろくすぐったいくらいで、彼はちょっと身をよじらせる。
こんなやり取りはしょっちゅうだ。
「ビビはね、あの子たちに沢山の記憶を伝えていた」
生命とは続いていくもの。
去年の春に姿を消した彼らの仲間の「死」と呼ばれる別れも、その続いている生命の流れの一部。
「もちろん、ジタンの記憶もたくさん。すごく大事な人だったって。」
「よかった」
ジタンは満足そうに笑った。
あのビビが自分に腹を立てるわけはない。
そんなことはわかっていた。
嬉しかったのは彼が腹を立てていなかったことではなく、自分を大切な仲間として記憶を語り継いでくれたことだ。
「仲間と一緒になって、やっぱ幸せなのかな」
「あら、私達だって仲間よ」
明るい声が答え、瞼の向こうの、日光のすみで影が動く。
少しまぶしかった光が遮られた。
「だからね、」
若き女王は、生命の音に耳を傾ける彼の顔をそっとのぞき込んだ。
ぱちりと目を開けた彼と、微笑む彼女の目が合う。
「久しぶりに、ビビに会いに行こうと思うの」
やがて、終わりの来る生命。
その、「終わり」を迎えた生命を忍ぶことに、本当は意味などないのかもしれないが。
それでも、、、、、、
それでも、もしかすると見上げるようなこんな綺麗な青空から、自分たちを見守ってくれているのかもしれない、そう信じていたいから。
「そうだな、行こうか。ビビのところに」
ジタンは穏やかに微笑んだ。



懐かしい大地が見えてくる。
ぶうん、とプロペラの回る音が大きくなるのは、その大地に音が跳ね返ってくるから。
深い森の木々が飛空挺の起こす風でざわざわと揺れ、夜行性のフクロウ達は驚いたように目を覚まし飛び去っていく。
飛空挺が地に付き、エンジンが停止すると、ダガーは一番に飛空挺の外に出て渇いた大地を踏んだ。
そこはもう、すっかり景色は変わってしまった。そこかしこに大蛇を思わせる緑の根が張り出している。森を作っている常緑樹も、倒れてしまっているものは少なくない。
イーファの樹に近かったこの大陸は、その暴走の被害を一番受けた。
彼らがこれから目指す村や、エーコの故郷が崩壊してしまわなかったことは、奇跡に近いように思う。
ここに来るのは一年振り。
イーファの樹の暴走がおさまってまもなく、少しも動かなくなってしまったビビと共に、ダガーはここにきた。
黒魔道士の村。
それは、彼の体をその仲間達と共にしてあげたいという、彼女の思いやりだった。
「ガーネット様?」
後ろからスタイナーに声をかけられて、彼女ははっとする。
エーコに呼び出され、リンドブルムに行って動くことのなくなったビビを初めて見たときのことを思い出していた。

いつかは。

分かっていたことだったが。心臓が縮まったような気がした。
引っ込み思案でもあったが、元気で明るかったビビが、もういなくなったと知ったとき、彼女は大事な人を二人も失ったのか、と絶望に押しつぶされそうになっていた。
「おい、おっさん。早く行けよ」
彼女が入り口で立ち止まっていたせいで後ろがつまっていたらしく、後ろの方からジタンの声が聞こえる。
ダガーは自分がぼんやりしていたことに気づき、慌てて道をあけようとし、すぐ足元にあったイーファの根につっかかった。
「っと!」
彼女が木の根に引っかかったとしても、そのまま転ぶことはない。
彼女には大変運動神経のよろしい盗賊がついているから。
ジタンが、バランスを崩した女王が地面に倒れ込む前に彼女の華奢な腰を素早く引き寄せたのだ。
「あ、ありがと」
「おドジ」
ジタンが笑う。
そんな彼の笑顔を見るたび、ダガーは安心した。
そして、失ってしまったかと思った大事な人の一人は、こうして自分の元に還ってきてくれたのだということを、実感するのだ。
「ドジとは何よ、おバカ」

もう、誰も、どこにも行かないで。

自分に向けられた笑顔が嬉しくて、その照れ隠しに彼女は思わずジタンの頬をぐにっとつねる。
もちろん痛くはない。
なのに、彼はわざわざ痛そうな顔をしてみせる。
春につがいの小鳥が囀りあうような、そんな光景を、スタイナーはすかさず遮った。
「貴様っ、ガーネット様をドジ呼ばわりするとは!!許せんっ!」
がちゃんがちゃんと鎧がけたたましい音をたてる。
二人のやりとりに腹を立てたわけではないのだが、スタイナーはそこで邪魔をせずにはいられなかったのだ。

『貴様が姫様に見合う男になるまでは、地獄まででもついていくぞ!』

いつか彼はジタンに言った。

『姫様に見合う男になるまで』

「おっさんに許してもらおうとは思わないよ」
「ぐぬぬぬぬぬ〜〜〜っっ」
もう心配などしていない。とうの昔にジタンのことは認めている。

奴は、奴だけが、ガーネット様に見合う男なのだ。

今はそんな風にさえ考えている。
それなのにこんな口出しをしてしまうのはやはり、立場上。
それに、こうでもしていないと調子が狂ってしまう、というのが本音だ。
こんな言い合いも、面白いと今では思うようになってしまったのだ。

「だいたいさ、なんでおっさんがついてきてるんだよ」
森を歩き出してしばらく、ジタンが不満そうに口を開く。
「貴様にガーネット様を任せるのが心配だからだ!」
「オレはおっさんに任せる方が心配だけど」
「うるさい!賊に任せて安心なんぞできるかっ!!」
パキリ、パキリ、と一歩足を出すたびに小枝が折れて小さな音を立てる。
草を踏み分け、ジタンとスタイナーのうしろをついて歩いていたダガーは二人の言い合いにクスリと笑った。
顔を真っ赤にして怒鳴るスタイナーに、涼しい顔で、いや、どちらかというとからかうような笑みを浮かべたままジタンが同等に返しているのが面白い。
二人はいいコンビなのだと思った。
こんなことを当人に言えばどう反論されるかわからないが。
込み上げてきてしまう笑いをこらえようとダガーが口を閉じた時、彼らの頭上を大きな影が覆った。
高く絡み合う枝々から、生い茂る葉がざわざわと落ちる。
最後尾を歩いていた女王がそれに気づくことはない。
「危ない!!!」
「えっ?」
わけもわからないままかなり乱暴に突き飛ばされて、ダガーは勢い良く湿った土に突っ込んだ。体を守るためについた腕は、落ちていた樹の枝で擦り剥いてしまった。
「い、た、、、」
泥のはねた顔を上げて彼女はぎょっとする。
どうやら、彼女を突き飛ばしたのはジタンのようだった。その理由は、彼女を巨大な怪鳥の一撃から守るため。
もし突き飛ばされていなかったら、怪鳥の鋭い嘴はダガーの延髄でも突き刺していたかもしれない。
二本の短刀のみで動きを完全に止められた怪鳥の左翼に巨大な剣が振り下ろされ、鮮血が飛ぶ。
逆上した怪鳥は左翼を傷つけた鎧の戦士に矛先を向けた。
巨大な嘴がアレクサンドリアの紋章が入った立派な剣を抑えつけ、太くがさがさした脚の鉤爪がスタイナーを襲う。
しかしスタイナーは動じない。
その鉤爪がスタイナーに傷をつけることなど決してないのだ。
「ギャァァォォォーーーーーーーーーーッッッ」
そんなことが起こる前に、ジタンの短刀が怪鳥の首を宙に飛ばす。
ダガーが気がついたときには戦闘はほぼ終わっていたも同然。
首のない巨体が地響きを立てて崩れ落ち、血まみれの首がゴトリと湿地に落ちる。
「やだっ!!」
ダガーはただ、足元に生首が落ちてきたもので、慌てて飛びのいたのみだった。
ジタンとスタイナーの絶妙なチームワーク。
彼女はそれに感心するばかりだった。
さっきまで、傍から見れば犬猿の仲といわれるような言い合いをしていたというのに。
「大丈夫かっ!?」「ガーネット様!!」
心配して駆け寄ってくる様も、二人は息が合っているとダガーは思った。
「えぇ、大丈夫。二人ともありがとう」
「どうしたんだよダガー。前ならあんな不意打ち気づけただろうに」
ジタンは血の滴る短刀を拭い、鞘に収めると当然のようにダガーに手を差し出す。未だ生首に腰を抜かしていたダガーはその手を握った。
「仕方ないであろう!ガーネット様は女性なのだ!それにしばらくの間、戦闘などしていらっしゃならかったのだからなっ!」
「そうね、久しぶりで戦い方なんて忘れちゃったわ」
無邪気に笑いながらダガーは湿地の中からジタンに立たせてもらう。
すっかり汚れてしまった衣服。
こんなこともあるだろうと動きやすく汚れてもいい格好をしてきたのに、すぐに戦いに参加できなかったのは確かにひどい運動不足だ。
「お城に帰ったら、筋トレをする時間でも設けようかしら?」
冗談混じりでそう言ったとき、彼女は異常を感じた。
「えっ?」
せっかく立たせてもらって、彼の頼りになる手が離れた瞬間。
目の前が歪んだのだ。
一瞬世界がひっくり返ったのではないかと思った。
「ダガー?」
ジタンの不思議そうに尋ねる声が嫌に遠くから聞こえる。
気がつくと彼女は再び湿地に尻をついてしまっていた。
ひっくり返ったのは世界ではなくダガーだった。
「どうなさいましたっ!?」
スタイナーが心配そうに見てくる。
どうしたのか。
知りたいのは彼女自身だった。

「た、立てない」

力が抜けてしまっていて、立てなかった。
ぼんやりと頭の芯がしびれるような鈍痛がある。
泥の中につっこんでしまった手が、あがらない。

「ど、どうしてっ、、、、?」

木々の揺れる音と、時折聞こえる不気味な獣のうなり声。
その中に、ダガーの血の引いたような、ひきつった声だけが、響いた。


To be continued


            



連載物第二弾!!
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