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TRANCE

永沢準基様


   〜人物相関図〜



ベアトリクス・アレクサンドリア唯一の女性戦士。だが、夫のスタイナーを亡くし、息子を一人で育てる。
        今は戦士としての力を無くす。それからある誘拐事件を捜査するのだが
        あることが重大なことが起きる。


マザミサオ・アレクサンドリア警察の警部。戦士たちに異常な敵対心を持ち、女性刑事を信じない。
       ベアトリクスとは、捜査過程で、よくもめる。



サチキャンドル・誘拐事件の主犯。元中学教師だが、問題を起こし辞める。




キャンパスター・世界地図にも載っていない南の国(アトラン)の人。サチと出会い
          肉体関係を持ち誘拐事件を持ちかける。




サクラレオラ・サチの中学時代の教え子。彼氏でもあるケンとともに誘拐犯に加わる。





ケンシェパード・誘拐の実行犯。教師のサチと関係を持っていた。卒業後、サチと出会い、犯罪に手をつける。





「TRANCE」


第一回  「正義の女、悪魔の女」


アレクサンドリア

あの戦いから七年が過ぎた。住民は幸せに暮らしていた。
つつじが通学路に咲きほこっている季節になってきた。
小学三年のタケシユマが、追いかけてくる若い女教師から逃げるように歩いている。
「待ちなさい、タケシ君」
女教師は追いつき、タケシの腕を取った。
「痛いよ!」
「ごめん」
パッと放すが、その腕に青痣があるのに気づく。
「タケシ君、これ学校のケガじゃないよね。先生に正直話して。お家で何があったの?」
「・・・・・・」
タケシは言いたくない。
「いつもこんな痣くっ付けて学校に来るよね。先生、すごく心配なの」
「僕、転んでばっかいるから」
タケシは嘘を言って、先生の腕を振り払って帰る。
「辛くなったときは、どんなことでもいいから先生に相談してね!」
タケシは足早に歩き去る。路上駐車のワゴンから、ケンとサクラがねっとりとした眼差しで
タケシの動きを目で追っている。太陽の下は似合わない、金髪と刺青の若者二人。
道を走るタケシ、自販機で缶コーヒーを買っている女(サチキャンドル)とすれ違う。
サチもタケシの動きを捕捉している。


川の支流のほとり。堤防に座って、タケシがランドセルから携帯電話とモバイルを取り出す。
接続し、インターネットにアクセスする。タケシの顔に初めて笑みが浮かぶ。
電脳世界で癒されている少年だ。近くに老人たちがゲートボールに夢中になっている。
すると、窓に黒いシールを貼ったワゴン車がするするとタケシの背後にやってくる。
廃工場の二階、タケシの姿が見える位置にサチが立っている。
ワゴン車から出てきたケンとサクラが、堤防からタケシを引きずり下ろした。
ゲートボール場の老人たちは競技に夢中で、目撃証言にはなれそうもない。
工場の二階にいるサチは、若者たちの凶行を監督しているかのよう。
タケシはワゴン車に飲み込まれた。



次の日。


15歳のエミクレレが、40代ぐらいの男と歩いてくる。
住宅街の谷間に小さな公園があり、道路沿いにラブホテルの看板が並んでる。
「じゃ、行こうか」
男が嬉しそうな顔で言う。
「うん・・・・」
中に入って行く二人。ホテルの中には色々な道具が置かれている。
「遊ぼっか」
男がエミを押し倒した。されるがままのエミ。

二時間後。エミと男が出てくる。
その場で別れる二人。すると、前からサクラがふらふらと歩いてくる。
そして、わざとエミにぶつかる。
「痛ぇーな!バカ!」
「ごめんなさい」
「え・・・ちょっと、エミじゃない!え、マジ?久しぶり!!」
「え・・・・あの・・・・」
もちろんエミはサクラと初対面。
「あ!今から遊ぼうよ!車に乗って」
サクラはエミの腕を掴んで、無理やり連れて行く。
エミは訳がわからず、されるがまま。
ケンが運転席に乗っている、ワゴン車にサクラはエミを乗せる。
周りには誰もいなかった。でも、彼らを見渡す位置には、やはりサチが立っている。



次の日の休日。アレクサンドリアにおととし建った巨大遊園地。
七歳のタクがグッズ売場から「パパ!」と呼ぶ。
木陰のベンチで、徹夜明けの父親、エイキ・ダルネットが横になっていた。
「うん?」
眠そうな目で見やる。タクが嬉しそうな顔でチョコボのマスコットのついたキーホルダーを掲げる。
エイキの妻、ユキは土産を物色している。
「ママ、もうちょっと買い物するから」
と店の奥へ行ってしまう。
「タク、写真撮ってやるよ」
休日なのに仕事の疲れを癒すこともできない父親だが、精一杯、家族サービスをする。
タクはキーホルダーを持って笑顔でポーズ。エイキは最高の構図で撮ってやる。
「パパ、おしっこしたい」
ともじもじしている。
「えーと・・・・・・あそこだ」
と周りを見て、トイレを発見する。
「早く行ってこい。一人で行けるだろ。キーホルダー無くなさないようにポケットに入れておけ」
「はあい!」
とトイレに走っていく。エイキはトイレの入るのを見届けると、仕事が気になり始める。
携帯電話を取り出して、かける。
「・・・・・・あ、アキラ君?俺だけど。先生の原稿、どう?一応押さえとけよ。会社の部屋を・・・・・」


男子トイレの中。


外の賑やかさが嘘のように、静まり返っている。
タクがトイレを済ましているその後ろを、金髪のケンが大きなバッグを持って通り過ぎ、個室に入る。
タクはおしっこをし終わり、シャツをズボンの中に入れ直す。
背後に個室のドアが音もなく開く。


エイキの目がトイレから離れた。
「ゴルフとかキャバクラとか、いちいち聞いてたら完全に先生のペースだぞ・・・・・閉じ込めばこっちのもんだ。そのために会社にああいう部屋を作ってもらったんだ」
トイレから若者が出てくる。金髪を黒髪のかつらで隠したケンが、大きなバッグの引いて出てくる。
パンパンに膨らみ、重そうなバッグ。エイキの視界を横切るが、目に留めず。
「じゃ頼んだぞ。俺は今日一日、家族サービスしなきゃいけないからな」
と電話を切る。土産物の袋をぶら下げたユキがやって来る。
「あなた、タクは?」
エイキはトイレを指差すが、見に行く。

男子トイレの中。
エイキが入ってくる。誰もいない。
「タク、どこだ!」
個室の中も見て回るがいない。どこにもいない。
エイキの体内で警戒警報が鳴る。

トイレから出てきたエイキはあたりを見回して、呼びかける。
「タク、タク!」
ユキの顔色が変わる。
「何してたの、どうしてちゃんと見てなかったの」
「タク・・・・どこだ!」
行き交う親子連れが迷子かという目で通り過ぎる。
彼方、遊園地出口に通じる道を、ケンが大きなバッグを引いて歩いている。
そこにガムを噛んでいるサクラが合流する。
エイキはユキと手分けして探す。子供を見失った親の、動物的なパニック状態。
「タク!!」
遊ぶ子供。転んで泣く子供。親とはぐれた子供。
サチがやはりいた。エイキ夫婦のパニックを尻目に、子供たちの風景を眩しげに眺めている。
飽食の国には、肌をテカテカに輝かせた健康優良児がひしめきあっている。




アレクサンドリア戦士の追跡車がサイレンを鳴らし、突っ走っている。

今から三年前の熱帯夜。

深夜、赤信号を突っ切る車を追いかけている戦士(スタイナー)の耳に
アレクサンドリア交通司令室の無線が聞こえる。
「アレクサンドリアのホテル前で発見された盗難車は、検問を突破して北に逃走中。追跡中のアレクサンドリア戦士交通隊員に告ぐ、そこはアレクサンドリア警察の管轄だ、現在地を報告して速やかに追跡を引き継げ。繰り返す・・・・」
スタイナーは無視してスピードをあげる。盗難車の背後に迫る。
スピーカーで「今すぐ止まれ!」と警告を発する。
盗難車はスピードをあげる。スタイナーは追いすがる。急カーブにさしかかった時、曲がれずガードレールに突っ込んだ。車は転倒。スタイナーは衝撃で前のガラスに頭を直撃。ガラスは粉々になった。
割れたガラスが血まみれになる。



救急病院。
ベアトリクスが四歳のユウの手を引いて、血相変えてやってくる。
廊下にはアレクサンドリアの戦士や兵士たちが詰めかけていて
女戦士のベアトリクスはこんな時でも敬礼をしてしまう。
集中治療室の前に来て、騒ぎを目にする。交通隊の隊長の(マサ)と
西アレクサンドリア警察のマザミ刑事が殴り合い寸前な雰囲気でいる。
「あんたの部下が職務質問の時に顔を見ているかもしれない、こっちでリストアップした連中のうちの一人かどうか、意識があるうちに確認させてくれと言ってんだよ!」
「無茶を言うな!」
「俺たちが追いかけているのは、ただの車泥棒じゃない。片っ端から高級車を盗んで、工場で解体して、アレクサンドリア港からコンテナでどっか売り飛ばす犯罪集団だ」
「今どういう状態か分かるだろ!」
ベアトリクスは集中治療室の窓を覗く。医師と看護婦によって生命維持装置に囲まれている夫、スタイナー。
交通隊の隊長のマサがベアトリクスの姿に気づき、ハッとして口をつぐむ。
マザミはベアトリクスには気づかない。
「不法でアレクサンドリアに入ってきた、南の国の連中にアレクサンドリアがいいように使われているんだ。やっと奴らの尻尾を掴んだって時に、暴走野朗のあんたの部下が下手な追い方をしやがった」
ベアトリクスは夫を非難するこの男を、凝視する。
「盗難車を発見して目が輝いたんだろうが、逃走経路をちゃんと報告してりゃ、今頃俺たちが逮捕できたんだ。拳句の果てに道で誤ってハンドルを間違って、意識不明の重体だぁ?」
「よせ」
隊長のマサはベアトリクスを気にして言う。
「そういうのを無駄死にって言うんだ」
マザミはやっと子連れのベアトリクスに気づく。スタイナーの妻子だと分かる。
「・・・・・・」
マザミはさすがに黙った。すると、ベアトリクスが口を開いた。
「・・・・今、無駄死にって言いましたか」
「機械の力を借りて、まだ息をしているよ」
「・・・・・・」
ベアトリクスはマザミを睨みつける。
「旦那の目が醒めたら、言っといてくれ。事故るなら、自分んとこの道で事故ってくれってな」
マザミはふらっと去る。ベアトリクスは怒りを通り越した目で、見送る。
四歳のユウが無邪気な瞳で母を見上げる。
「ねえ。お父さんどうしちゃったの・・・・・・?」
ベアトリクスは息子をひしと抱きしめる。

集中治療室のベッド。
人工呼吸で生かされている夫。ユウは父親の手を動かす。
「ジャンケンしてよ。ジャンケンポン!」と遊んでいる。
隊長のマサがくる。
「医者の説明は聞いたね?」
「はい・・・・・」
「頭を強く打っていて、意識を取り戻す見込みは、ないそうだ。脳死状態らしい」
「まだ心臓は動いてます」
「プルート隊から、日頃、命の危険にさらされている交通隊に出世したからこそ、スタイナー君は決意したんだ。公務中に事故に遭い、脳死状態に陥った場合には、自分の臓器を役立ててほしいと・・・・・・」
「汗もかいてます」
「遺志を受け入れたらどうだね」
「体も温かいんです。なのにどうして死んだって言えるんですか?」
マサは何も言えなくなる。ベアトリクスは泣くのはまだ早いと思う。


後日、戦士官舎のベアトリクスの部屋。
仏壇に夫のスタイナーの遺影と遺骨があり、線香の煙がたなびいている。
葬式が終わり、喪服のベアトリクスがぼんやり座っている。
息子のユウは玩具で遊んでいる。



『スタイナーは、無謀な運転による事故死として処理された。命を張って追いかけた正義を、組織は認めなかった』
『結局、私はスタイナーの臓器提供には同意しなかった』




朝、女の一人暮らしの部屋だ。生活必需品しかないような殺風な部屋。
ベッドで寄り添って眠っているサチと、まだ幼なく、髪もちゃんとしてたケン。
目覚ましが響いている。のそのそとサチが起き出し、目覚ましを止める。
「ほら、起きなさい。学校、遅刻するわよ」
「えー・・・・二人で休んじゃおうよ」
半眠状態のケン。
「駄目」
サチはタオルケットを裸体にまきつけ、ベッドから出る。
ケンは全裸のままうつ伏せ。
「大丈夫かな?」
「何が」
「昨夜、ブツ付けないでしちゃったけど」
「危ない時は呼ばないから大丈夫よ」
「そっか。先生は、大人だもんね」
「先に行ってて」
サチは下着をつけ、化粧道具を持って洗面所に行く。
「化粧しないでよ。素のほうが可愛いじゃん」
サチは、遥か年下の男に「可愛い」と言われ、失笑してしまう。


アレクサンドリア城より、西のほうの通学路。
中学の女生徒たちが「先生、おはようございます」とサチを追い越す。
「おはよ」
愛想のない教師だが、不思議と生徒には人気がある。
前を歩いていた男子生徒の一団。くるりと振り返った制服姿のケン。
「おはよう先生!!」
ひときわ元気に言った。
「はい、おはよ」
女教師と生徒の秘めたる関係だ。


中学の教室、三年生。
サチが数学を生徒たちに教えている。
ケンと周りの生徒たちが、下ネタで話が盛り上がっている。
「そこ、うるさいわよ」
とサチが注意する。
「は〜〜〜い!」
とケンが言う。


生活指導の部屋。

生活指導の先生にサチが呼ばれている。
「サクラレオラという女子生徒が、派手な身なりで街中をうろついているという噂ご存じですか。生徒の話によると、どうやら東区のデートクラブで金を稼いでいるみたいで」
「このところ休んでいる子ですね。どこの子でしたっけ?」
とクラス写真を見ているサチ。
生活指導主任が指差す。どこにでもいそうな女子中学の顔だ。
クラス写真には、サチも副担任の教師として写っている。
「担任のクラレ先生は入院中ですから、ここはクラスの副担任として、サチ先生に何とかしていただかないと」
面倒事を押しつけられたサチは、生活指導主任をどこか見下ろす。
「捕まえて問い質せばいいんですね?」
「はい。夜のアルバイトをやめて学校に来れば、これまでのことは不問にします。説得の仕方は先生におまかせしますので・・・・・」
「分かりました」
言われたことを淡々とこなす女教師だ。


夜、アレクサンドリア東町あたり。
大人ぶた化粧のサクラ、ふらふらとネオン街にやってくる。
ある雑居ビルに入った。道の向こう側から見ているサチ。
近くの電話ボックスに入る。看板に記されている電話番号にかける。
「はい、ウーマン・ザ・トップです。今夜もあなたを興奮にさせちゃいまーーす!どんな女の子がお好みですか?」
「背が高くて、赤いミニスカが似合って、長い髪の毛をポニーにしている女の子」
と、サクラの外見を言う。
「え・・・?っつーか、あんた女でしょ?」
「そういう趣味だからしょうがいないのよ。お金三倍にして払うから、すぐ連れてきて」


ラブホテルの一室。

ノックをするとドアが開く。サクラは部屋で待っていた客を見て、唖然となる。
「先生・・・・・?」
「入んなさい!」
とサクラを部屋に引きずりこむ。
「へえ、先生ってレズなんだー」
「なわけないでしょ」
「・・・・・あ、なるほどね。生活指導の突撃ってワケだ」
「一泊料金払ってあるから、時間はたっぷり」
「説教なら、早くしてねー」
「最近のホテルっていろんな物あるのね」
と、設備をいじって回るサチ。


備え付けのカラオケが鳴っている。
サチとサクラがヒット曲を歌っている。
サクラはベッドの上で飛び跳ねる。
サチのノリも悪くない。
「もーだめだよ先生。喉がカラカラ!」
「ほら!次が入ってるわよ!」
ただ歌いまくって、夜が更ける。



三ヵ月後。

昼の東区の裏町。
タコ部屋に入れられていた不法入国の南国の女性たちは保護される。
元締めのチンピラに手錠をかけた生活安全課の戦士が、女性たちをワゴン車に乗せる。
その戦士がベアトリクスに近づく。
「彼女たちの話を調書にまとめて、今日中に隊長の判をもらってくれ」
「はい」
ベアトリクスは女たちに南国の言葉をまじえて話す。
「そんなに泣かなくて大丈夫、強制送還って決まったわけじゃないんだから、さあ早く乗って」


アレクサンドリア城のガーネットの部屋。
いつも、子供をガーネットに預けている。保育園に預けようとしたが
ガーネットが自分で世話をしたいと言ってくれたので、ベアトリクスは任せた。
「すみません、ガーネット様」
「いいのよ、子供は可愛いから、一緒にいると楽しい」
ガーネットはジタンの子を身ごもったが流産。子宮を摘出してもう子供を産めない体になってしまった。
「ジタン君は、まだ、世界を飛び回っているんですか?」
「そうなの・・・・・忙しいんだって。公演が続いているみたい」
「そうなんですか・・・・・じゃ、また明日」
一瞬、重い空気が流れたが、ベアトリクスはガーネットに挨拶をし
眠っている四歳のユウリをおんぶして、帰る。
ベアトリクスは帰り道で、眠っているユウに語りかける。
「ごめんねユウちゃん、起きている間にまた会えなかったね・・・・・ダリ村のおばちゃんがね、仕事なんかやめて帰ってこいって。また喧嘩になっちゃった。アレクサンドリアで頑張って、ユウちゃんを一人前に育てることがお母さんの役目だもん・・・・・でもね、そんなのつまらない意地だって言うの。お父さんのことを『無駄死に』だと言ったり、仕事中の殉職だと認めなかった警察に、ただ意地を張っているだけだって・・・・・ユウちゃんはどう思う?」
答えてくれなくても、息子を相手に喋っているだけで気持ちが安らぐ。



翌年の春。中学校の校庭。


卒業式を終えた生徒たちが、教師と在校生に拍手で見送られ、校門を出て行く。
正装のサチがいる。ケンがおどけて、手を振っている。サチは、フッと笑う。
別のクラスのサクラが、卒業証書の筒をマイクみたいに握って見せる。
サチは、またフフッと笑う。校門を出て行くと、生徒たちは解放される。
するとケンとサクラが駆け寄り、手を取り合った。
「・・・・・・・」
サチは初めて二人の関係を知った。
ケンとサクラは手を結んだまま、生徒たちの間を突っ切っていく。
二人の旅立ちを、サチは感傷の入り交じった面持ちで見送った。
校庭に立ち尽くしているサチを、舐め回すように盗み見ている教師がいる。


後日の夕方、元三年生の教室。
教室でサチが教材のスライドを映している。
手元のスイッチでカシャッカシャッとスライドを切り換える。
そのうちプライベートの写真も映しだされる。
ベッドの上のケン少年。DJ風のポーズをとっている。
サチとのツーショットもある。
「・・・・・・・」
甘い日々を振り返っている。
そこにドアが開く音がした。社会を教えている教師が入ってきて、その体にケンの裸体が映る。
サチは慌ててスライドを切り換えるが、映るのはケンの写真ばかり。
社会の教師は自分の体に映る写真を見る。
「生徒に捨てられるって、結構痛いでしょ」
「・・・・・・・」
「アパートにちょくちょく連れこんでるんでしょ?いいなあ、そういう特別授業」
教師はサチに寄ってきて、一緒にプライベート写真を鑑賞する。
「今はまさに、心に穴が開いたって感じなんでしょうね。ここら辺かな?」
脇の下からするりと手を通して、サチの胸を握る。
「僕が、穴を埋めてあげますよ」
「・・・・・・・」
サチが無表情で見返す。
「僕にも色々と教えてくださいよ、サチ先生」
サチは教壇にあったカッターを手にして、刃を出す。
そして、社会の教師の太腿に突き刺した。
「ああああーーー!!!!」
絶叫する。
「危ないですよ。カッターは」
サチは床をのたうち回る社会の教師を見つめていると、過去の出来事を思い出す。




サチの少女時代。



殴り合いの果てに裸で抱き合っている父親と母親の影。
肉屋の厨房で、豚ロース肉に包丁を刺している十歳のサチ。
獣のような両親の喘ぎ声を聞き、サチは肉をザクザクと刺す。







「お願いします、救急車を!」
と社会の教師が、涙目でお願いしている。
サチは暗幕を開く。血の色の夕陽がサーッと差しこむ。
校庭でラケットの素振りをしている女子生徒の影が、ここに伸びてくる。



アレクサンドリア城の廊下。
補導した中学生の事情聴取を終えたベアトリクスは、刑事課の刑事に声をかけられる。
「調書を取る人がいなくてさ、悪いけど頼めるかな」
「あ、はい・・・・・」
同行する。


取調室。

刑事課のベテランがサチを取り調べている。
部屋に入ったベアトリクスは、隅のテーブルにペンを手にしてパイプ椅子に座る。
サチの斜め後ろに位置し、顔はよく見えない。
「いつもその教師に言い寄られていて、頭がキレてカッターを手にしたって訳でもないんだろう?」
「・・・・・・」
「床でのたうち回る男を、しばらく腕組みしたまま観察してたっていうのは本当か?」
「・・・・・・」
サチは頷く。
「・・・・・・」
ベアトリクスが、その後ろ姿をじっと見ている。
「かなり荒れた学校らしいが、生徒はあんたに一目置いているらしいね。肝の座った女教師って、もっぱら評判みたいじゃない」
反応の薄いサチに、刑事は取りつく島がない。


そして、取り調べを始めてから三十分が経った。


何も話してくれないサチに、刑事は弱り果てているが、室内にはベアトリクスがペンを走らせている音がする。
「何・・・・書いてんの?」
「いえ・・・・・」
「彼女は何も喋ってないんだぞ」
と言って、ベアトリクスから調書を取り上げて読む。
「かねてから交際を強要されていたのは事実ですが、凶行に及んだのはそれだけが理由ではありません。周りにいるのは、弾圧的なバリアを張っている同僚教師たちと、無気力な子供ばかりで・・・・・・」
「・・・・・・」
ベアトリクスは作文を読まれた生徒のように恐縮。
「・・・・・・」
サチは斜め後ろのベアトリクスをふと見やる。
「職員室という村社会で窒息しそうな日々を味わっていました・・・・・・被害者の気持ちを勝手に作ってどうするんだよ。誰がカウンセラーになれと言ったよ」
「すみません。違っていたら破り捨ててもらって構いませんから」
「・・・・・・」
サチには、言い当てられた。
「職員室の刑事部屋に置きかえれば、自分の気持ちになるって訳か」
「・・・・・・」
そこに刑事課の刑事が入ってきて、ベテラン刑事に耳打ちする。
ベテラン刑事は重い溜め息をついて、サチに喋りだす。
「運がいいな。相手の教師が告訴を取り下げたよ。不注意で自分の足にカッターを刺してしまったんだとよ。そんなことあり得ないけどな」
「・・・・・・」
ベテラン刑事は腹立たしげに、ベアトリクスの書いた調書を破く。
「あ、急に呼んで悪かったね」
「あ、いえ・・・・・・」
ベアトリクスは、サチを気にしながら取り調べ室を出ていく。
こうして二人の女の人生が始まった。


アレクサンドリア城の射撃訓練場。

地下にある。二十三メートル離れた直径五十センチの標的に向かって
何人かの戦士たちがリボルバー式の拳銃を撃っている。六発全部を標的に撃ちこんでいる。
制服に身を包んでいるベアトリクスが、耳当てとゴーグルをはめ、ボードを持った教官が見守る中
片手撃ちをしている。五発を撃ち終わる。ベアトリクスと教官はゴーグルを外して標的に目を凝らす。
弾はどこにも当たっていない。
「おい・・・・これでも、昔は優秀な女戦士だったんだろ?」
ベアトリクスは恐縮しつつ、次の五発をこめる。
「左右握力はあるんだろ?」
「右は20で、左は18です」
「おい!!・・・・・それでも大剣を持っていた女か!?」
「はい。下がってしまったようで・・・・・」
「下がりすぎだ!!もっと鍛えろ!握力が弱い上に、衝撃ではね上がった銃身を元の位置に補正できない。しかも緊張による震えで照準が左右にぶれる。こんなに問題が多くてどうすんだよ。本当に昔はセイブンザクイーンを握っていた女なのか?」
「はい・・・・・・・」
「元の強さに戻せ」
そう言って、教官は戦士たちに語りかける。
「最近の世の中は、剣で戦っても無駄な死にかたしなしない!銃で戦う世代になった!だから、ここで鍛えて、世界を平和にしようじゃないか!!」
そう語っても、ベアトリクス相手に、射撃訓練軽視の風潮を愚痴ってしまう。
「ほとんどの警官、戦士が定年になるまで現場で拳銃を抜くことがないっていうのは、平和な治安国家で何よりだが・・・・・考えてみろ。出稼ぎ南国人が年に何十万の単位で日本んいやってくるご時世だ、いつ街が戦場になるか分かったもんじゃない。そういう危機意識、現場はゼロだろうが」
ベアトリクスは装弾した銃を構える。
「こんな成績じゃ、拳銃を構えなきゃいけない場面に遭遇しないことを祈るしなかないな・・・・・・まあ、撃ってみろ」
ベアトリクスは引き金を引いて、撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
最後の一発が標的の隅をかろうじてかすった。
ベアトリクスは思わず笑顔になって教官を振り返る。
「たかが、かすったぐらいで喜ぶな」



ある夜、アレクサンドリア街。

サチが教師の時と同じ服装で、賑やかな街にやってくる。
軽薄な男は寄せつけない雰囲気がある。


アレクサンドリアのクラブ。
ホステスたちが客と同伴出勤する頃。
フロアの廊下から離れて、カウンターでサチがこの店のママとビールを飲んでいる。
「・・・・・被害届を取り下げてくれて、ラッキーだったじゃない」
「校長があたふたしながらモミ消してくれた。教師を辞めるのにいいタイミング」
「辞めるの・・・・・だったら、ここで働かない?」
「え?」
とサチは笑い飛ばす。
「アレクサンドリアの先生って失業手当とかないんでしょ?」
「・・・・・・」
「サチは教師より水商売の方が絶対合ってるよ」
サチはホステスたちの働きぶりを眺める。
「私、愛想ないから」
「客扱いはどうでもいいの、うちの子たちの担任教師をやってよ」
すると黒服の店員が、ママに耳打ちする。
「キャンパスターさんがきてますよ」
目鼻立ちの濃い男が、ジーンズ姿の南国系の女二人を連れてきた。
ママがサチにその男を紹介する。
「キャンパスターよ。ちょっと見はアレクサンドリアの住民だけど、れっきとした南国人のお兄さん。なんていう村だっけ?」
「アトラン村」
とキャンが答える。
「世界地図にも載っていない国よね。あ、キャンに紹介するわ。大学の同級生のサチ。新しいチーママ」
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
「よろしく」
「・・・・・・・・」
サチは会釈する。ママは女の子二人を品定めする。
サチはキャンと目が合う。男の微笑が気になる。
「何がおかしいの」
「いえ・・・・・」
サチの渇きを見透かしているような。





サチとキャンが出会ってから、三年後。
3月・春一番。



戦士官舎。
洗濯物を取り込んでいるベアトリクス、突風でタオルだ飛ばされた。
「あっ!!・・・・あ〜あ・・・・」


戦士官舎のベアトリクスの部屋。
小さな仏壇に亡き夫(スタイナー)の遺影。
二段ベットと、並んでいる勉強机。母と息子の密着した生活。
今年七歳のユウが真新しいランドセルを背負う。
ユウは遺影の父親の前に立つ。
「カッコいいでしょ!!」
「じゃあ!喜びの表現!」
ユウは得意のヒップホップを踊る。
ベアトリクスはそんな息子に拍手。
「お母さんもね。もうすぐ一年生!戦士の特殊犯捜査係っていうところに転勤なの」
「出世したんだ」
「ほんのちょっとだけどね」
「試験、全然ダメだったのにね」
「お父さん死んでから、柔道とか剣道とかてっぽうとかそういうのは駄目になっちゃったけど、他が優秀なんだから!」
ユウは学童帽をベアトリクスの頭に乗せる。
「二人とも一年生だね、歌おうか!」
「うん!」



後日、アレクサンドリア城の門。
ベアトリクスが緊張の面持ちで入っていく。

捜査一課の特殊犯捜査係。
整然とした一流企業のオフィスを思わす、無味乾燥なフロア。
ベアトリクスの机の上に、モダル刑事が何冊もの捜査資料を積む。
ベテラン部屋長のマサヌが、部屋の神棚にパンパンッと手を合わせている。
「手始めに、過去三十年間に起こった誘拐事件と失踪事件のデーターを入れてくれ。事務屋が作ったデーターベースとやらは、大雑把で使い物にならん」
「・・・・・・あの、私は資料作りのためにこの係に呼ばれたんでしょうか?」
「いざ事件が起きたら、嫌でも外に放り出されるよ」
とモダル刑事が言った。
「被疑者や参考人と打ち解けて、気持ちの通った調書を書けるんだって?だから被害者対策には抜擢されたんだ」
マサヌは小馬鹿にするように言った。
「身代金目的の誘拐事件が起きると、犯人の多くは『母親を電話に出せ』と求める。なぜか分かるか?」
「父親より、母親の母性愛に訴えようとするためです」
ベアトリクスが答えた。
「ところが本物の母親では冷静に対処できない。電話の逆探知のために時間稼ぎもしなくてはいけない。そこで被害者対策の女性戦士は、取り乱している母親から子供についての情報を事前に聞き出し、犯人から電話があった場合は、恐怖におののく母親を演じなければならない」
「女優になれるか?」
「はい・・・・・・精一杯頑張ります」
ベアトリクスは首を傾げて官給品のノートパソコンを開く。


夜、アレクサンドリアの路上。

覆面パトカーにモダルとマサヌとベアトリクスが乗っている。
ビルの谷間の公園に、ボストンバッグを抱えた食品会社の総務担当が突っ立っている。
「実際の誘拐事件に対処する訓練は、こういうところで積むしかない。企業恐喝とは、言うなりゃ、商品を人質に取った誘拐事件だ」
「・・・・・・」
ベアトリクスには一つ一つが勉強。
「ベアトリクスはなぜ戦士になった」
とマサヌが聞いた。
「大卒女子は就職難でしたから。アレクサンドリアで就職しないと、故郷に連れ戻されて花嫁修業をさせられそうだったので」
「ま、戦士や警察官っていうのは安定性では抜群だからな」
「鎧や剣への憧れもあったのかもしれません。女性戦士の鎧を着れば、強い女になれるんじゃないかって・・・・・」
「最初の頃は?」
「こそ泥を捕まえたり、魔物の退治、二十五でブラネのボディーガードをやっていて・・・・・夫が死んだ後、戦う力を無くして心身ともに弱って、生活安全課で・・・・・」
「一度は国の女王のボディーガードまで出世して、今は戦士の特殊犯捜査係か」
「だけど体育係の試験がまったく駄目なもので、なかなか捜査講習に推薦されなくて・・・・・」
「ボディーガードをやっていた頃か、旦那と知り合ったのは」
「はい」
「よく戦士に残ったな。あんなふうに旦那の事故を処理だれたら、普通はケツをまくるもんだ」
「そうですね・・・・・」
と苦笑いのベアトリクス。
「見返したいだろう、戦士を」
「そういう気持ち、ないと言えば嘘です」
「それでいい。組織なんて信用ならないと思っている戦士が、一人ぐらいウチの係にいてもいいと思った」
「・・・・・・・」
モダル刑事は動きを見た。
「部屋長」
「どうした?」
「どうやら犯人からです」
と車のエンジンをかける。
総務担当が携帯電話を耳に当てている。



サチが勤めるクラブ。
常連客を送り出すサチ。この世界に入って三年、客扱いは堂に入ったものがある。
サチは一人のホステスが異様な状態なのを気にした。
そのホステスは、テーブルの水割りをこぼしても、けらけら笑い転げている。
サチは異変を悟り、客で賑わっているフロアから、そのホステスを控え室に連れ出す。
控え室で二人になる。
「バッグの中身を出しなさい」
「こわ〜〜〜い、持ち物検査ですか先生、じゃスカートも短すぎて校則違反ですね!」
「よこしなさい」
サチはバッグをもぎとる。
「やめてくださいー!」
取り返そうとする。するとサチはそのホステスの頬に平手打ちをして
バッグの中身を探って錠剤の束を見つけた。
「これどこで買ったの」
「オクリンっていうクラブ」
「誰から買ったの」
「最近いるのよ、売人のカップルが。まだ二十歳にもなってないような子供だけど、いろんなクスリを取り揃えてて、しかも激安!」
「やってるのは、あなただけ?」
「そのうちヤク中だらけになっちゃうかもね!この店!!」
サチはまた平手打ち。体罰主義のチーママだ。この事態を放ってはおけず
外出するため自分のロッカーから上着を出す。



別のクラブ前。
総務担当が「オクリン」とネオンパイプの点いたその店に入っていく。
覆面パトカーから降り立つモダル、マサヌ、ベアトリクス。
「これがク・・ラ・・ブ・・ってやつか?」
「こんな格好で入れるのか?」
「大丈夫だと思います」
ベアトリクスはそれほど堅苦しい服装ではなく、先頭に立って店へ入っていく。
別の方角から戦闘的な顔つきのサチがやってくる。


クラブのフロア。
光と音楽が鳴り狂っている。
ボストンバッグを持ったままテーブルにいる総務担当。
遠くから監視しているモダル、マサヌ、ベアトリクス。
地味なスーツ姿の男二人は浮いている。すると横から男の声がした。
「目立ちすぎだ、戦士」
三人は振り返る。雰囲気にそれなりに溶けこんだマザミと、後輩のクリキがいる。
「!!・・・・・」
ベアトリクスはあの時の刑事だ、と思う。
「しばらくだな」
「何者だ?」
とモダルがベアトリクスに聞いた。
「西アレクサンドリア警察です」
「西アレクサンドリア暑のマザミだ」
「警察がこんな所で何してる」
「クスリ絡みのいざこざでウチの管轄を荒らした売人が、この店を根城にしていると聞いた。お宅らは?」
「威力業務妨害だ」
「へえ。捜査係に出世か」
とマザミがベアトリクスに言った。ベアトリクスは相手にせず、総務担当の動きから目を離さない。


踊る人々を縫って、サチが探す。
「男は金髪で・・・・女は刺青・・・・」
ホステスから聞いた売人の特徴だ。
バーカウンターに、それらしき二人を見た。
二人を見て、サチはアッとなり。それはケンとサクラだった。
サチはかつて教え子の姿に大きな溜め息を洩らし、フロアを突っ切って近づこうとする。
そこでアンテナが捉らえた。モダルとマサヌは明らかに客層と違う。その服装と目つきから分かる。
「戦士・・・・・」
サチは人波をくぐり抜けて、南国人と片言の南国語で交渉しているケンとサクラの背後に近寄る。
「私にも一錠くれる」
ケンが振り返る。サクラが気づいた。
「先生・・・・・!!」
「しばらくね」
「こんな所で何やってるの」
サチは店のマッチをケンに渡す。
「ここで働いているの」
「へえ、学校辞めたことは聞いてたけどさ」
「懐かしいよね、また夜どおし歌おうよ」
「話はまた今度。いい、振り返っちゃ駄目よ。警察や戦士の人間がいる。別々にここから出ていきなさい」



マザミが酒を飲みながらフロアを見回している。
その死角をケンが通り過ぎる。
「金髪の男と刺青の女だ、どうだ?」
「そんなのばっかりですよ」
サクラも出口へ向かっている。



マザミの遠くに、戦士の三人がいる。
「・・・・・あれが西警のマザミか」
「・・・・・?」
「西の川の向こうの岸から、戦士たちのとりこぼした犯人に投網を投げて、片っ端からしょっぴいてるっていう奴だ。特に不良南国人の摘発には異様な執念を燃やしてる」
踊る若者の間に見え隠れするマザミの姿。
「確か、東国の留学生の女を女房にしたんじゃ・・・・・・」
「それは知らなかったな」
「事件関係者の女だったことが後で分かって、署長が慌てて本人を呼んで言ったそうですよ。そういう女と手を切れないなら警察をやめろって」
「・・・・・・」
ベアトリクスはマザミという男に興味を示す。
総務担当の携帯電話にまたかかってきた。
「移動だろ。ベアトリクス、外で待機しててくれ」
「はい」


ベアトリクスは飲み物を手にしてウロウロしているマザミと再び出くわす。
マザミは道を空けてやる。ベアトリクスは行きかけて振り返る。
「あなたに感謝してる」
「・・・・・感謝?」
「あなたの一言。無駄死に」
「・・・・・・・」
「あれを何度も思い出して、決心したの、戦士の仕事を続けようって」
「・・・・・・・」
マザミはベアトリクスをひたと見つめる。
ベアトリクスはその視線を振り払って、ゆく。
「組織を恨みながら、組織にいるのか」
ベアトリクスは振り返る。
「恨むだけじゃなくて、壊すようになったら、俺みたいな刑事が完成する」
「・・・・・・」
「で、いつの間にか組織だけじゃなくて、周りのものまで壊すようになる」
「家族も・・・・ですか?」
マザミはそれに答えなかった。
「・・・・・息子、いくつになった」
「小学一年生」
ベアトリクスは反面教師としてのマザミの姿を目に焼きつけ、仕事へ。
そして女と肩がぶつかる。
「失礼」
それはサチだったが、お互い覚えていない。



後日の夜、サチの住処。
雑居ビルのワンフロアを自宅に改造している。
ベッド、バスタブ、ベンチプレス、パソコンといったものが
広い部屋にばらばらに配置されている。室内は黒一色で統一され
青いネオン管が幾何学的に光を描いている。
キャンパスターとの激しいセックスを終えたサチ。
弾む息を整えながら冷蔵庫へ。ビールを取り出し、キャンにも放る。
「ねえ、さっきの話、もう一度聞かせて」
「さっきの話?」
「私を抱く前にしてた、話よ」
「密売関係の話に興味でもあるの?」
「腎臓や肝臓の病気で苦しむアレクサンドリアの患者。中でも先天的な病気を持つ子供の場合、親はどんなに高いお金を払っても、子供に健康な臓器を移植させたいと思う・・・・・それから?」
「ところが臓器を提供する子供のドナーっていうのはどうしても少ないから、親は闇のルートを探してでも移植を希望する。俺の知り合いでモルターっていう、女とチャラチャラしてる奴だけど腕はいい外科医がいてさ、そいつが移植希望者をアレクサンドリアから連れてきて、俺は向こうで子供を調達するっていう役割分担」
「臓器提供に同意する子供が、南国には沢山いるってこと?」
「っふ」
キャンが含み笑いを浮かべる。
「どこで見つけるのよ?その子供を・・・・」
キャンはそれに答えず
「人間っていうのは臓器だけじゃない。全部パーツとして売り物になるんだ」
「パーツ・・・・・」



後日、サチの勤めるクラブ。
ブランド品で身を固めたモルターブレンシャンが、ホステスたちをはべらせて
連射砲のように喋っている。モルターは隣のホステスに触れる。
「この髪の毛も、このきらきらした目玉も、すべすべした皮膚も、カルシウムたっぷりの骨も、みーんな部品として売り物になるんだから」
ホステスたちは「え!ホントに!?」「いくらで売れるの?」と面白がって聞いている。
バーカウンターにいるキャンパスターが、パワー全開のモルターを眺めている。
サチはじっくり品定めの目でモルターを見ている。ホステスに触りまくりだ。
「血管も、骨髄も、鼓膜も、気管支も、心臓弁も・・・・・アキレス腱だって、半月板だって、みーんなギルになる。君たちは言わば、人間デパートだな!」
ホステスたちはただ笑っているが、サチはそのおぞましい話に妙に惹き付けられる。
「そもそもアレクサンドリア住民には、会ったこともない他人のために自分の臓器を提供するっていう思想が風土としてないわけだ。これは宗教の問題だ。他の国の人間には、霊魂が抜けた肉体は公共の財産で、それを効率よく利用することは善きことっていう美しい博愛主義があるんだよ。言ってること分かるか?」
ホステスたちはほとんど理解できないが、尊敬の眼差しで聞いている。モルターは隣のホステスに指を差す。
「お前は腎臓が傷んでる。分かるんだよ、俺ぐらいの医者になると外から見ただけで。もっとよく見せろ」
とホステスのドレスをめくって腹を指差す。
「ここだ、問題はここだ。手術のやり方を教えてやろう」
と果物ナイフを手にしてメスのように扱う。
「こう切る、次にこう切る、そして傷んだ腎臓を取り出す」
ホステスはくづぐったくて笑い転げる。
「お前はそうやって笑ってるけどな、腎臓の弱い患者は深刻なんだぞ。国内の移植希望者は数万人。ところが死体から腎臓移植は一年に数百件しかできない。つまり全希望者が移植を終えるまで五十八年もかかっちゃう。これじゃ、悪徳臓器ブローカーの天下だよ」
と、チラちキャンパスターの方を見て言う。
「・・・・・・」
キャンは苦笑い。サチはモルターの毒に触れたようとしている。
「ところが!このアルバイトは長続きしなかったのよ」


閉店後の店。
モルターもさすがに喋り疲れた。
ホステスたちを帰らせて、サチとキャンパスターが席にいる。
モルターがまた喋りだす。
「・・・・・現地で新型の肝炎が流行しちゃってさ、汚染された臓器のために移植手術から一ヵ月後にバッタバッタと患者が倒れる有り様。あっちでいくらドナーを集めても、もう以前のような商売にはならない」
「鉱脈だったのに・・・・・」
「ざくざく黄金が埋まってたよな。これからは健康な臓器が集まらないことには、話にならない」
「サチにいい智恵があったら、教えてほしいよ」
「・・・・・・・」
サチは黙ったまま。
「三年前に施行された臓器移植法なんて、俺に言わせりゃ臓器移植禁止法。表面上は脳死を認めていながら、六歳以下の脳死は認めてないんだよ。子供の脳は大人に比べて回復力があるっているのが理由。ここで決定的に子供の臓器提供者の数が狭まっちゃう。しかも子供自身が臓器提供の意思表示をできるのは十五歳以下って決まってんだから。ガーネット姫も考えるよなー」
「大人の臓器じゃ、子供には移植できないの?」
サチがようやく喋った。
「だって大きさが違うでしょう。要するに、臓器移植を望んでる子供とその親にとっては、この欠陥だらけの臓器移植法では、『死ね』と言われているに等しいわけよ」
「子供が犠牲になってる・・・・・・」
とサチが呪文のように呟いた。そこでキャンパスターの携帯電話が鳴る。
南国語で会話している。
「・・・・・・あ、連絡ありました?・・・・・・もう限界まで来てる。じゃ明後日の夜ってところかな・・・・・・了解、じゃあ船を用意しといてもらえますか。俺が直接行きますから」
と電話を切る。
「密入国ブローカーの方は儲かってるみたいじゃない」
「冗談じゃないよ。南国から漁船でやってくる三十人をアレクサンドリア海でこっちの船に積み替える。それだけ手間かけて、一人頭のマージンは・・・・・・これだよ」
「どこも景気悪いねー」
サチは二人のおかわりを作りながら、今まで聞いた話を整理している。
すると店のドアが開く音がした。
「すみません、今夜はもう閉めたので」
現れたのはケンとサクラだった。
「この間はサンキュ!先生」
「飲ましてよ、一杯」
サチはどことなく教師の顔になる。
「おいで」
「サチ、こいつら誰?」
キャンが言った。
「教え子、中学の先生やってた時の」
「へえ・・・・・この教師にしてこの教え子ありって感じですねえ、ははははは!!」
と、モルターがケラケラと笑って、ケンとサクラは「何だコイツ」という目で睨みつける。


早朝のアレクサンドリア

カラスが都会のゴミを漁っている。
一晩飲み明かしたサチとケンとサクラが、早朝の町を歩いている。
「コックの修行と美容師見習いで、ちゃんとした社会人になってると思っていたのに・・・・・先生、悲しいな」
「社会の先公にカッターぶっ刺して学校やめたなんて、教え子として悲しいな」
ケンが言った。
「ホントホント」
とサクラも。
「・・・・・・・」
「でもさ、店の女の子をクスリ地獄から守るために売人を懲らしめようとしたなんて、いいとこあんじゃん」
「先生らしいよ。昔からあったもん、そういうとこ」
「クスリ売りの少年少女なんてやめなさい。同じ悪さでも、他に何かないの?」
住宅街にさしかかり、小学生の集団登校に出くわす。朝日に照らされた子供たちが、眩しく見える。
「あたしもああいう時代があったなんて、信じられないよなあ・・・・・」
「最近のガキはマッチョだよなあ。栄養がいいんだろうね」
「あなただって、ついこの間までプリンプリンの子供だったでしょ」
と笑って、子供たちを見ているうちに、サチはふと真顔になる。
「・・・・・・・」
「どした?」
子供たちの元気な登校風景。
サチは天啓のようにひらめいたのだ。
「先生、何笑ってるの?」
サチはゆったりと微笑んで呟いた
「いるじゃない、そこら中に・・・・・いっぱい」



後日、アレクサンドリア城・特殊犯捜査係。


ベアトリクスが資料の山をさばいている。
今、タケシユマとエミクレレのデーターを入れ
次のファイルを手にしたところ。
エイキが撮った写真が資料として挟まれている。
タクがチョコボのマスコットと顔を並べている写真を、パソコンに取り込んだ。
「タク・ダルネット、七歳・・・・・」
デスクの片隅には息子のユウの写真が飾ってある。
ユウと同じ年なので、気になった。



夕暮れの海岸
サチが海の照り返しを受け、魔物めいた表情を輝かせている。
後ろにはサクラ、ケン、モルターが立っている。
海に突き出たボート・ウォークの桟橋、その先に一隻の鳥賊釣り漁船が停泊している。
操舵室には最新式のナビゲーション・システムが設置されている。
キャンが誰かと南国語で交信し、船のエンジンをかけた。
桟橋から見送るサチ。
「一時間後に向こうの船と落ち合う」
「気をつけて」
「サチ・・・・・この国は馬鹿だな」
「馬鹿じゃない、大馬鹿よ。さようなら、子供たち」
漁船は沖へ、沖へと。浜辺では、サクラとケンが浜辺に落ちていたゴムボールで流木を拾い
野球の真似事をする。凶悪犯の素顔はまるで子供のよう。
サクラの腰には、タク・ダルネットが遊園地で買ったチョコボのマスコット付きのキーホルダーがぶら下がっている。
「さ、帰るよ」
船の出航を見届けて、四人は車に戻る。
サチがモルターに
「気になったことがあるんだけど」
「何だ?」
「子供のあの扱い。あんな場所に閉じ込めて、あんな服を着させて、あんな食事をやる必要がどこにあるの?」
「元教師としては許せない光景だった?子供たちをもっと有効利用するためには、徒順な動物に変える必要があるんだよ。そのための実験」
「子供たちをそう言う動物に変えると、どういう有効利用ができるって言うの?」
「この場合の客は、ぺドフィリア」
「何それ」
サクラが知っていた。
「聞いたことある。子供を相手にする変態野朗のことでしょ」
「ただの変態じゃない。金持ちの変態野朗だ。臓器を摘出するのは、奴らが玩具に飽きてからだって遅くない」
「あなたって、悪魔ね」
「類は類を呼ぶ・・・・だろ?」
と笑うモルター。サチたちは三人のワゴン車に乗り込む。
モルターだけ高級車に乗る。夕焼けの空にボールが立っていて、親子鮭をデザインした旗がたなびいている。
そこには『マリーナ・建設予定地』と囲まれていて、近づく人間はいない。



六月。アレクサンドリア駅前
ベアトリクスが疲れた足取りで改札を出てくる。
通勤通学の人波に逆らうようにして、家路を行く。


戦士官舎。
出勤する私服の兵士と挨拶を交わす。
「どうだった、戦士試験」
「丸暗記じゃ追いつきませんよ」
「戦士に上がる試験って、応用力を問われるからなあ・・・・・」
がっくりきている若い兵士を慰め、ベアトリクスは階段を上がって二階の部屋へ。
チャイムをリズミカルに鳴らす。それが合図で鍵が外され、ドアが開く
ユウが朝食の最中でモグモグしながら出てくる。
「お帰り」
「ごめんね。結局、徹夜になっちゃった」


官舎・ベアトリクスの部屋。
仏壇に夫(スタイナー)の遺影。その前に戦士の手帳を置いて、ベアトリクスは戦士から主婦の顔になる。
ユウは母の皿にコーンフレークを入れ、ミルクを注いでやる。
「ありがと。そろそろ夏休みの計画を立てないとね」
「どうせまた事件が起きるんじゃない?」
「そうねえ・・・・・夏休みの間だけでも世の中が平和だったらいいけどね」
テレビの朝のニュース番組が流れる。
「五月二十六日から三日間連続で、アレクサンドリア内に住む小学生二人と十五歳の少女が失踪した事件は、すでに発生から三週間経過してますが、依然として手がかりはありません。まさに現代の神隠しと言えるような状況の中・・・・・」
タケシ・ユマ、エミ・クレレ、タク・ダルネットの写真が映される。
「遊園地でタク君を見失った父親のエイキさんは、再三管轄の警察署を訪れて、捜査の続行を求めていますが・・・・・」
エイキが警察署の前にいて、出てくる課長クラスの人間に詰め寄っている。
「単なる未成年者略取の事件じゃありません。三人がたて続けにいなくなってるんですよ。戦士には誘拐事件専門の捜査班があると聞いてます。警察管轄の壁をとっぱらった広域捜査としてやっていただくわけにはいきませんか!」
警察管轄の課長は「ですから、三件に共通するものはない以上は・・・・・」と説明する。
「専門の捜査班って、お母さんのとこでしょ?」
「そうなんだけど・・・・・身代金の要求がないと動けないのよ」
「可哀そうだね、このお父さん」
課長に食い下がっているエイキの姿。
ベアトリクスはひとごとのようには思えない。



陽炎の彼方から、エイキ・ダルネットがゆらゆらとやってくる。
荒廃した顔つきだが、内にはどうしようもなくみなぎるものがある。
下町のごみごみした住宅街。通行人の主婦に行き場所を教えてもらう。
「ユマさんのお宅はどちらでしょうか?」
と訊く。主婦が指差す。路地の緑側で白いシャツの男が昼間から冷や酒を飲んでいる。
これが、誘拐されたタケシ・ユマの父親のカズ・ユマだ。
「タケシ・ユマ君のお父さんですよね?」
「何だあんたは。またマスコミ関係だな」
「タク・ダルネットの父親です。タケシ君が失踪した二日後に、遊園地でいなくなった子供の父親です」
「・・・・どっかで見た顔だと思った。よくテレビに出てるよな。ご苦労なこった」
家の中で会話を聞いていた母親のチリコ・ユマが出てくる。
「あんたそろそろ行く時間でしょ。しょうがないわねえ、こんなに酔っ払っちゃ仕事にならないじゃない」
玄関の脇に左管の道具が積まれている。
「三件の失踪事件は必ずつながりがあります。同じ犯人の仕業です。お母さんもそう思われるでしょう」
「・・・・・・」
「ビラを作ろうと思ってます。三人の子供の写真を並べるんです。もし犯人が兄弟でもない三人の子供を一緒に連れて歩いていたら、必ず目を引いたはずです」
「ビラを作る金なんて、ねえよ」
「そういう心配はご無用ですから。とにかくタケシ君の最近の写真を一枚、お借りできないでしょうか」
「ねえよ」
「・・・・ない?」
「最近、写真なんて撮ってやったこと、ねえよ」
「・・・・・・」
チリコは夫の剣幕を恐れて黙ってる。
「帰ってくれねえか。そういうことは警察に全部まかせてるんだ」
「警察は当てになりません」
「知ってるよ。ガキがいなくなってまず疑われたのは俺だ。女房の連れ子が邪魔になって、ぶっ殺して埋めたんじゃねえかって」
「誰もそんなこと言ってないわよ・・・・・」
「これがあの子の運命だったんだよ。九歳で神隠しにあって世の中から消えていく運命だったんだよ。そう思うにしないか、あんたも」
「お母さん、いいんですか、それで」
「すみません・・・・今日のところは帰ってもらえませんか」
エイキはカズに何倍も言い返したいが、ここは一礼して去る。
路地裏を行きながら、口の中で殺す言葉。
「・・・・・神隠しでいなくなる運命だと?冗談じゃない。冗談じゃないぞ!」



あるスーパーマーケット。
チリコ・クレレがレジ打ちのパートをしている。
エイキが買物カゴを置いて、話かける。
「昨夜、お電話したエイキダルネットです」
チコは顔を見て、うんざりする。
「エミちゃんの写真をお借りしたいんです。私たちの子供はきっと同じ犯人にさらわれたんです。警察なんて頼りになりません」
「ここじゃ、困りますから」
エイキのカゴにある物を手早くレジ打ちする。


スーパーの裏。
エイキが説得している。
ぐったりと腰を下ろしているチコは、エイキの熱弁にも反応しない。
「一緒にビラ撒きをしてくれなくてもいいです。エミちゃんの写真をお借りするだけで結構です。タクの写真と並べて印刷したいんです」
「もう恥を・・・・さらしたくないのよ」
「何ですか、恥って」
「うちの娘は、お宅の息子さんやもう一人の何とかって子みたいな子供じゃないのよ。週刊誌に書いてあった通りよ。援助交際をしていてホテルの帰りに娘はいなくなったの。その時、私はデートクラブの仕事で違うホテルで男と寝てたの。それが世間に知られると、亭主も私の前からいなくなった・・・・・分かるでしょ。恥の上塗りはもう勘弁してって気分なの」
「自分のせいで娘さんがいなくなったと思うなら、尚更じゃないですか。自分の手で見つけて取り戻してやりたいって思いませんか!」
「どこにいるのよ、いる場所を教えてくれたら取り戻すわよ」
「それを突き止めるために写真を一枚貸してくださいって言ってるんですよ、さっきから!」
エイキは自制がきかなくなる。空の段ボールを蹴りつけてしまう。
怯えてしまうチリコ
「・・・・・頭が変になりそうだ。一体どういうことなんだ。どうして身代金を要求しないんだ。どこかに閉じこめられてるなら、どうして周りの人間は気づかないんだ。いなくなったのは人里離れた山奥じゃない、日曜日の遊園地だぞ。どうして誰も、さらわれるところを見てないんだ!」
「私、仕事があるから・・・・・」
チリコは逃げるようにいなくなる。
エイキは足にはまった段ボールを抜こうとして、すっ転ぶ。
「ックソ・・・・・何故だ・・・・・」
そのまましばらく、へたりこむ。


ダルネット家の居間。
息子の失踪で、暗い空気がたちこめている家。
疲れ果てたエイキが「ただいま」と帰ってくると、妻のユキが家族アルバムを広げていた。
「・・・・テレビ局から電話があったわよ。また出演してほしいんだって」
「そうか・・・・・夕飯の材料買ってきた。使えよ」
スーパーの袋をテーブルに置く。
「あなたは、元気ね」
「元気・・・・・?自分をこうやって駆り立てないと、どんどん暗い穴に落ちこむばかりだろ」
タクの写真が数枚ある。
「ビラに使う写真か?こうなったら最近の写真を片っ端から載せるか」
「そうじゃないの。お葬式で使うとしたらどれがいいなかって考えていたの」
「・・・・・何言ってんだ、お前」
愕然とした。
「ねえ、いつになったらタクのお葬式を出してあげられるの?」
「何言ってんだ。何言ってんだよ・・・・・まだ一ヶ月だぞ。よくそんなことが考えられるよな!!」
「わたしには分かるの。母親だから分かるの」
「何が!!」
「あの子は、もう生きてないわよ」
エイキが思わず手が出る。
ユキはぶたれ、床に倒れる。
「しっかりしろよ、母親だろうがお前は!」
「離してよ!」
「この体からタクを産んだんだろう、二十四時間の難産で産んだんだろう。どうしてそんなにあっさり諦められるんだ!」
「離してったら!」
エイキは離した。
ユキは床から恨むような目で見返す。
「あなたが悪いのよ。そうでしょ?二日酔いでベンチで寝てたのは誰よ。遊園地に来てまで仕事の電話をしてたのは誰よ。あの時どうしてタクと一緒にトイレに行ってくれなかったのよ」
エイキは絶句する。
「あなたがタクを殺したのよ。ビラ配りでもすれば、自分の罪が消えるとでも思ってるの?返してよ!わたしのタクを返してよ!!!」
エイキは叩かれる。妻の拳で打たれる。
エイキはされるがままになっている。


後日の朝、サチの住処。
失踪した子供三人の写真が、無造作にテーブルに置かれている。
公園で遊んでいる十数人の子供たち(オフ会参加者)をデジカメで撮った写真。
タケシユマとタクダルネットに白マジックで印がつけられている。
もう一枚、足を怪我して入院中のエミクレレのスナップ写真。
サチが黒いカーテンを開けると、昼の光が暗い室内に流れ込んでくる。
雑魚寝をしていたモルター、キャンパスター、ケン、サクラの四人が、のそのそと起き出す。
サチはキッチンで野菜を適当にミキサーに入れ、ジュースを作る。
「要するに一億ギルを用意しなきゃ、これ以上荷物の運搬はできないって、奴ら言ってるわけね」
問題に煮詰まり、いつの間にか寝込んでしまった四人。
「一週間の航海の途中では、海賊にも遭う。子供たちの健康状態にも気を遣わなきゃいけない。そのための費用なんだと」
キャンが言った。その時、モルターの携帯電話が鳴る。
みんなから離れて会話する。
「・・・・・・どうしてのユカちゃん、こんな時間に。そうだよ、パパは病院。今、手術が終わったところ」
幼い娘からの電話らしい。ケンとサクラが「へっ」と笑い飛ばす。
「ねぇキャン、こっちの足元見てんのよ。キングキッドの奴ら」
「一度大金を握らせてやれば、あと操るのは簡単なんだけど・・・・・」
モルターはまだ電話で話している。
「じゃあ約束だ。ユカちゃんがいい子にしてたら、今夜は早く帰るから・・・・・学校帰りは気をつけるんだよ、変な事件がいっぱい起きてるからね」
「先月の三人はまだ売れないの?」
テーブルにある、三人の子供の写真。
「国境近くの村で、客がつくのを待ってる」
「え?ママ?いいのいいの、替わらなくていいの。じゃあね、勉強しっかりね、バイびー。・・・・・・ドナーが健康でも、新型肺炎が流行ってる国では手術はしたくばいって移植希望者がワガママ言いやがる」
「安全な国まで運ぶことができたら、高い取引ができるわけね」
「要は、ここまで船で運んだガキどもを・・・・」
とモルターは世界地図を前にし、アレクサンドリアから南国まで指で辿る。
「飛空挺に乗せて、いろんな国に輸出できれば、もっと高い金になるってことだ」
「輸出って言ったって貨物の飛空挺で運ぶわけにはいかないし、子供一人一人にパスポートとビザがいる」
「身元不明のガキにビザなんて出してくれんの?」
「この国で、ある人脈を使えばな」
「じゃ使えばいいじゃん」
「それが簡単にいけば、何の苦労もないんだよ」
サチは濃厚なジュースを飲みながら、考える。
大博打を打とうとしている顔つきだ。


夕方、西の河川敷。
マミ・バレットが生暖かい川風に吹かれ、彷徨っている。


「七月三日」


「アイコ、アイコ・・・・!」
夕暮れの土手で、娘の名前を連呼する。
はちきれんばかりの不安感。いつも持ち歩いているヒップフラスコを取り出し
気つけ薬のように飲む。
「・・・・・」
川向こうを、救いを求めるように見えた。



九条物産・地域開発課オフィス。
残業をしているユウキ・バレットと部下のダンク・ベールたち。
東南国の地図を広げている。
「こっちの国はどうやったら金儲けができるか考え、あちらの国はどうやったら金を損しないか考える・・・・・ただ橋をかけりゃいいってもんじゃない。文化の違う二つの経済地域の架け橋になろうっていうビジョンが、上の連中にはまるでない」
ユウキが喋ってる。
「南のダル島経由で原材料を運ぶより、この橋から陸路サンタベルットを通ってアレクサンドリアに運ぶ方が安上がりで・・・・・そんな金勘定しかしてませんよ。俺たちの後に行った連中は」
「せめてあと一年、向こうにいるべきだったんだ」
「俺たちって、プルート隊の兵士みたいなもんですね」
「上陸して、攻め込んで、橋をかけて、役目が終われば次の戦場に送りこまれ・・・・」
すると、電話が鳴り、女子社員が
「課長、奥様から電話です」
とユウキ・バレットを呼ぶ。
「はいよ。・・・・どうした。何泣いてんだ・・・・・え?アイコが帰らない?」


夜、マンション前。
住人の子供が浴衣姿で花火をやっている。

マンションのバレット家。
ユウキが知らせを受けて仕事先から急いで帰ってきた。
「友達の家には」
「全部、電話したけど・・・・」
「通学路以外で立ち寄りそうな所はないのか」
「学校が終われば、橋をわたって真っ直ぐ帰ってくる子供だから・・・・・」
電話がけたたましく鳴った。マミが予感めいた思いで近寄り、受話器を取る。
「・・・・もしもし?」
「アイコ・バレットちゃんのお母さんですね?」
聞こえたのはボイス・チェンジャーで不気味に変えられた声。
「そうですが・・・・」
「アイコちゃんを預かってます。二十四時間以内に一億ギルの現金を、続き番号でない古い紙幣で用意して下さい」
「!!・・・・・」
マミは凍りついた。
「何だ。どうした。貸せ。・・・・・もしもし?」
マミは耳を寄せて聞く。
「ご主人ですね?アイコちゃんのために一億円を揃えて下さい。現金の受け渡し方法は、おって連絡します。決して警察などには連絡しないように」
電話が切れた。
「誘拐だ・・・・・」
パニックをかいくぐって、警察番号を押す。
「ねえ、ちょっと待って、警察に連絡したらアイコが・・・・・」
「うるさい!」
警察に通じた。


官舎の部屋。
風呂あがりのユウがいつまでも裸で走り回っている。
「ユウちゃん、早くパジャマ着なさい、風邪ひくわよ!」
追いかけ回し、捕まると格闘ごっこになる。
ユウはくすぐられてケラケラ笑う。すると、電話のコール音が鳴っている。
ベアトリクスの携帯電話だった。職場からのホットラインだ。
「また・・・・・」
事件発生を予感する。真顔になり、電話を取りにゆく。


川の向こうの西アレクサンドリアにある、マザミのアパート。
二階の部屋、男女の影がもつれるようにうごめいている。
アパートの部屋。下着にエプロンをつけた東国の女(メイ・スプラッシュ)が
汗だくで中華鍋を操っている。マザミが窓辺で、宵闇の河原の風景を眺めている。
「車泥棒を捕まえたから、もうあたし、用はないですか。あなたのためにいろいろ情報集めた。だからあたし。東国人社会の裏切り者。大学に戻っても、あたし、居場所はありません」
マザミは外を見ている。
「署長さんに別れろと言われたから別れる?違うでしょう?警察だってあたしのこと、たっぷり利用しているんだから」
「そんなに作って、誰が食うんだ」
「あなたは変わった。たまにここに帰ってきても、あたしの方・・・・見ようともしない。窓から川ばかり眺めてる」
部屋には生ゴミの袋が山積みになっている。
マザミが東国語で喋りだす。
「ゴミに囲まれてメシか」
ゴミ袋を外に出したら、ドアの前にクリキがいた。
取り込み中の声が聞こえて、ドアチャイムを鳴らすタイミングを悟っていた。
「・・・・・どうした」
「小学生が誘拐されました。身代金の要求が今さっきあったそうです。自宅は中央のアレクサンドリアですが、通学経路はこっちなもので、我々西警にも出動要請が・・・・」
涙まみれのメイ・スプラッシュと顔が合い、会釈を交わす。
「どこの子供だ」
「聖学園初等科一年生、自宅は西アレクサンドリア三丁目・・・・川の向こう岸です」
「!・・・・・」
振り返り、窓外の彼方を見る。
暗くたゆうと川面の彼方に、マンションの明かり。
「・・・・・・」
衝撃と混乱を胸に秘め、凝視。


官舎の表。
外出着のベアトリクスが慌ただしく靴をはきながら
「明日の朝、ヒロコおばちゃんに来てもらうように頼んでおいたから。それまでは誰か来てもむやみにドアを開けちゃ駄目よ」
「いつ帰れるの?」
「うーーん、何とも言えないなあ」
隣の部屋のドアチャイムを鳴らす。
顔を出した警察官夫人に
「事件の連絡がありまして、しばらく留守にすかもしれませんので、すみませんが、うちのユウを・・・・」
「分かりました。ご苦労様です」
外階段を下りていくベアトリクスに、玄関からユウが寂しそうに手を振る。
ベアトリクスは手を振り返し、急ぐ。


マンションのバレット家。
青ざめたバレット夫婦がソファに座っている。
逆探知の装置が設置されている。
制服警官に案内されて、マザミとクリキが入ってくる。
「西アレクサンドリア警察の者です」
「!・・・・・」
マミはハッとして見上げる。
「娘さんの通学経路について、詳しく教えていただきたいのですか」
西川を挟んだ西区全体の地図を広げる。
ユウキが指で辿って教える。
「ここが学校です。いつも河原の道をこう通って、この橋を渡り・・・・」
クリキがマジックで線を引く。ユウキがマザミに
「五月に三人の子供がたて続けにいなくなるっていう事件がありましたよね。アイコもあの子たちと同じ年頃です。まさか同じ犯人の仕業じゃ・・・・・」
「あの三件には今回のように身代金要求はありませんでした。関連性はないと思います」
「アイコを見つけて下さい、よろしくお願いします!」
マミは不意に高ぶり、マザミにすがるような眼差しを投げかけた。
マザミはどう受け止めたらいいのか戸惑った表情になる。
「・・・・・戦士の特殊犯捜査係がきます。誘拐事件専門の捜査班です。彼らにまかせておけば大丈夫でしょう」
マミはそれでも、目の前の刑事に潤んだ眼差しをぶつけている。


戦士・アレクサンドリア門の前。
黒塗りの車から降り立ったのは、キャリア戦士官のスネーク・ギルラ。
マサヌとモダルも同行した。ノンキャリアの西アレクサンドリア警察署の署長・クラセが幹部と共に、スネークを出迎える。
「捜査課のスネーク・ギルラです」
「お待ちしておりました。報道協定は申し入れたのですが、記者クラブの連中が会見を開いてほしいと集まっておりまして」
「テレビカメラも入ってますか?」
「はい、協定が解除になるまで放送はされませんが、一応撮られるかと」
「派手かな?」
「は?」
「このネクタイ」
やや派手めだ。
「よろしんじゃないでしょうか」
と答えた。スネークはテレビ映りを気にする戦士官僚。
続いて到着するタクシーから、ベアトリクスが降り立つ。
「遅くなってすみません」
「家のほうは大丈夫か?何日かかるか分からんぞ」
「大丈夫ですから」
「ベアトリクス」
「はい」
「まず体の力を抜け。緊張してるぞ」
初めての誘拐事件で、緊張のあまり怒り肩になっていた。





               

『この日はやけに蒸暑い夏だった』





『召喚獣の戦い以来の事件だった』





『そして、私は女性戦士に新しく生まれ変わる』



ベアトリクスはひとつ深呼吸して、誘拐捜査の最前線へと足を踏み入れる。



〜続く〜



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