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すれ違い(3)



ひどい雨。
黒い空。
美しいはずのアレクサンドリアの街並。それが今はひどく痛々しく見えた。
もう、何も聞こえない。何も聞きたくない。
激しい雨の音は、彼女の望みを叶えるのに好都合だった。
ダガーの頬に落ちた雫は無言のまま彼女の涙をさらっていく。
人を好きになることが、こんなにも辛いことなのだということを初めて知った。こんなにも哀しい恋が、本の中ではなく現実に存在するのだと言うことを初めて知った。

でも、もういい。もういいの。

何もかもがどうでもよくなってしまう。今は、哀しいことも辛いことも、なるようになればいい。そんな思いは強くなるばかりだった。
雨の飛沫の中で、白い霧に溶けていく世界。
このまま時が止まってしまっても構わなかった。
そして、フラフラとついたのは街の全貌が見渡せる、少し高台になった小さな広場。
頼りない街灯が一本、薄く霞みながらそこにただ横たわる木のベンチを照らす。
ダガーはゆるゆるとベンチの後ろに近づき、その背もたれに手を置いた。
オレンジの灯がまかれた街。強い雨足に誰も外に出ようとはしない。
ベンチに置いた手はかじかんで感覚はなかった。濡れて体にはりついた服は、容赦なく彼女の体温を奪っていく。彼女は震える体を自分でぎゅっと抱きしめた。
そのとき、雨の奏でる単調な旋律の向こうにゆっくりとした足音が混じった。
その足音が、ダガーの後ろで止まる。
突然頭上に青い影が差し出されて雨が遮られたので、彼女はそれが誰だかすぐにわかった。
だから、振り向くことをしなかった。
「ごめん、、、」
その声にダガーは答えることもしなかった。
謝りとはただの反省、事実の消去には決して繋がらない。
「帰ろう」
青い傘を差し出した金髪のシッポ男は、弱々しく言った。
誰かが見たら、ダガーとシッポ男はアイアイガサをしているように見えることだろう。
「帰ろうよ」
そんな甘い恋の中にいたこともあった。そんな不確かな夢を見ていたこともあった。
事実を知ってしまうまでは。
「・・・・・・・・」
「ダガー、、、」
沈黙が続いた。
時が異様なほど長く感じられた。
実際には、数分の間にも、数呼吸の間にも満たない沈黙だったのかもしれない。
ガツンっ、
一瞬、全ての音が消えた。何が起きたのか理解するには少し時間が必要だった。
ブルーの傘が石畳に落ちて柄が音を立てた。
後ろから強く抱きしめられて、抵抗する隙もなかった。
「ごめん」
耳元でささやかれたただの反省の言葉、意味のない言葉。
涙腺が熱くなるのはとめることが出来なかった。
二人に降り注ぐ雨。
金色の前髪からダガーの首筋に落ちた雫が冷たかった。抱きしめられた肩が温かかった。
「ごめんな」
泣いてしまうことはたやすかったが、それは嫌だった。精一杯顔を歪めながらダガーは口を閉ざした。
雨で遮られた視界。彼女は瞳を何度もまたたいて静かに闇に瞳を上げた。
「やめてよ、、、」
傷が深くなるのは仕方がない。もう、決めていたから、傷つく覚悟は出来ていた。
「放してよ!!!!」
ジタンの腕から力が抜けていく。本当はずっと包まれていたかった。儚い温もりは消えて、ジタンがダガーから離れた。
「ごめん」
謝ってばかりの大好きだった人。
彼はゆっくりと落ちた傘を拾うとダガーの前にきた。そして、そっと傘をダガーに渡した。濡れた金髪が額や頬に張り付いていて、知っているはずの顔がいつもと違うように見えた。
優しい笑顔。それはよく知っていたけど、今のそれはとても哀しそうだった。
真っ白な雨のカーテン。
何が悲しいのか、闇はなかなか泣きやもうとはしない。
少し目立つ盗賊の衣装がその向こうへと消えていく。ずぶ濡れの後姿は充分に重々しかった。
雨を遮るサファイアみたいなブルーの傘が雨に打たれ、音を立てて嘆いている。
「どう、、、して、、、っ、、、」
ダガーの涙声を聞くことができたのは、たぶん、そのサファイアブルーだけだっただろう。
「どう、、、して、、、、こうなっちゃっ、、、、たのかなぁ、、、、、?」
彼女は構うことなく雨の中に座り込んだ。
もういい、なんて口先だけの嘘。
失いたくなかった。彼の優しさを。
無くしたくなかった。その温もりを。
でも、
もう、戻れない。もう、取り返せない。
もう、どんなに願っても、幸せなあのときが再び訪れることは、ない。


「うぇぇ!?オレのせいかよっ!?」
ブランクは思わず丸めて持っていた薄っぺらい台本をぐしゃりとつぶしてしまった。彼の声に驚いたのか近くにいたルビィが首をすくめる。
ジタンは不貞腐れたようによそを見ながらぼそりと呟いた。
「お前がただの遊びだろ、とかいうから、、、」
「そのせいでダガーが怒っちまったって?」
昨夜はひどい豪雨だった。
だが、本当にひどかったのは雨ではなく、ジタンとダガーの関係だったのだろう。届かなかった想い、それはむなしく雨の中に消えていった。
ブランクはふんっと鼻で笑うと潰してしまった台本を机の上において直した。
「人のせいにすんなよな。違うって思ってたんならそう言えばいいじゃないか」
雨はやんだがどんよりととした冬の雲はジタンの心境を映したみたいだった。しかも、地下になっている劇場には光もほとんど入ってこない。
人口的なライトが照らす劇場。それにはひどく冷淡な雰囲気を受ける。
ジタンは子供のようにすねた顔をしたまま何も言うことができなかった。
「自分が原因で起こったことは自分で何とかする!これ、タンタラス、第一の掟だぜ」
ブランクは先輩ぶった様子で、机をコツンと叩いた。小さいが音響は良いようで、叩いた机の音が劇場内に響く。ジタンは眉をそびやかし、頬杖をついてどうでもいいような顔をしながら横目でブランクを見た。自分よりも先にタンタラス団に入っていたブランク。確かに先輩だ。
「なんならブランク様特製のホレ薬でもつくってやろうか?」
不満そうな年下の盗賊仲間にブランクはいたずらっぽく笑っていった。案の定不満そうな年下の顔はさらに嫌そうになる。
「やめろよ。お前のホレ薬だけは危ないそうじゃないか」
「マーカスに聞いたのか?」
ブランクは壮快に笑いながら椅子から立ちあがった。彼は薬の調合も得意とする。薬剤師の免許を持っているわけではないが、長年の経験から使える薬草などをよく知っているのだ。
しかしホレ薬なんてものは作れるわけもない。彼がホレ薬だと作りだしたものはたいてい毒々しい色をしていたり異様な臭いをしていたりする。
彼はしょうがないなぁ、という風に微笑んだ。
「一週間後にさ、リンドブルムで狩猟祭があるの知ってるか?アレクサンドリアの女王様は、それを見学するのが義務付けられてるんだと」
ジタンは年の割に幼く見える顔をあげた。紺碧の大きくきれいな瞳が興味ありげにきょろりと動く。
ブランクはその、先を聞きたそうな顔を見て童顔の友人の肩をぽんと叩いた。
「出場していいとこ見せればいいんじゃない?」
鳥を高く飛び上がらせるには。
「ダガーがいないとだめだろ?」
「・・・・・・・」
「ダガーがいないと、お前の一日は始まらないんだろ?」
そう言った彼の顔は、どことなく面白がっているように見えた。


「と、言われて、オレってもしかしてのせられたのか?」
ジタンは口を尖らせて腕を組んだ。あれから六日後、彼は結局リンドブルム行きの飛空艇の中だった。
観光客用の、なるべく多くの客が乗れるようにシートが並べられた飛空艇。
彼はため息をついて柔らかいシートに身を沈めた。
一番窓際の席。窓から見える景色が新鮮だった。緑の大地がまるで海原のように走ってみえる。久しい飛空艇での旅は、彼が思っていたよりもずっと彼にとって刺激的なものだった。
「君も狩猟祭を見に行くの?」
声をかけられて、窓辺に肘をついて外を眺めていたジタンはのんびりと振り返った。声をかけてきたのは隣のシートに座っていた少女だった。
染色したと思われる茶色がかったブロンドの髪。紺碧の瞳と長いシッポ。
ジェノムだ。
ジタンは自分と同じ種族に出会えたことに、思わず嬉しくなった。テラからジェノム達がガイアに移り住んできて約2年半。ジタンと同じように自らの意思を持ち、感情を持ち人格の現れてきたジェノムは少なくない。
「オレは違うよ、出場するんだ」
「へぇ、弱そうなのに。あ、アタシはハル。アタシも出場するのよ。ライバルだ!お互いがんばろうね!」
「オレはジタン。言っとくけど、弱くなんてないから」
ジタンは少し大人ぶって笑ってみた。自分以外のジェノムはみんな自分より年下。彼はその年下のジェノム達をみんな自分の兄弟達のような存在としてみている。
「ジタン??もしかしてミコトの兄ちゃん?私達をテラから連れてきたっていう?」
ジタンは大きくうなずいた。
「そっか、どうりでどっかで見たことあると思った。ジタンって劇の最中にガーネット女王様に抱きついたでしょ?」
「なんだそりゃ」
ハルはニヤニヤと笑いながらシッポを振っている。
どうやらこのことについて勘違いをしている者は多いようだ。ジタンとダガーの感動の再開のシーン。あの場面で抱きついていったのはジタンではなくダガーのほうだ。しかし、その劇を実際自分の目で見ていた者でも、アレクサンドリアの女王がそんなことをするわけがない、という先入観から記憶を整理する中で抱きついていったのはジタンの方からだ、と記憶してしまう。どうやらハルもそんな一人のようだ。
「そうでしょ?劇を見に行って、『誰よ、あの無礼なやつは!』って聞いたらミコトがあれがジタンだ、って言ってたわ」
「違うよ、抱きついてきたのは女王様のほうからだぜ」
案の定、ハルは疑わしそうな顔をする。まぁ、今更それほどいいわけをしようとは思わないので彼は何も言わなかったが。
「で、どうなのよ?女王様とはラブラブ?」
どこかで聞いたようなセリフだった。思わず笑っていた顔が苦笑いになり、彼は再び窓に目を向けた。
「それがねぇ、、、」
回りの席にはハル以外にもたくさんの客が座っている。多分、狩猟祭に出場するものもいるだろう。優勝するのは困難かもしれない。だいたい、優勝したからといって何になるというのだろうか。ダガーがそんなことで許してくれるとも思えない。
「フラれたんだ?」
やはり、ブランクの口車に乗せられただけという考え方が有力だろう。
「フラれたっていうんじゃなくて、、、ケンカしちゃった、、、というか。オレが悪いんだけどさ。」
口に出して言うのも嫌だった。状況を口にするとなんだかまた気分が憂鬱になる。
へぇ、とハルが呟いて、飛空艇が一瞬がたりとゆれた。
「なぁんて奴だ。ミコトの兄ちゃんって案外やな奴」
「かもね」
傷ついた、というほどではないがやはりショックだった。わかっているけど人に言われると、多少落ち込んでしまう。
ハルは深くシートに寄りかかるとシッポでジタンをつついた。
「大事にしな。あんなかわいい娘、そうはいないぜぇ?仲直りのために出るんでしょ?狩猟祭」
勘がいいというか。誰かさんみたいに面白そうに笑いながらハルが言った。人ごとだと思って、と思う気持ち半分、その笑顔を見ているとなんだか頑張ろうという気持ちにもなったのが不思議だ。ジタンはそのとおりだというふうに、にっと笑った。
「頑張んなよ、いい機会だし。あ、でもアタシは負けないよ〜。覚悟しな、アタシは強いからね」
ハルがこぶしをぐっと握ったとき、急に飛空艇が下降をし始めた。窓の外を見ると景色はもうリンドブルムのものとなっていて、その懐かしい景色にジタンは思わず窓に張り付いた。
「そろそろ到着ね、期待してるわ」
「優勝は絶対オレね」
「言うねぇ、私は負けません」
冬の日が落ちるのは早い。飛空挺をおりてそのまま出場登録をして宿に帰ると外はもう真っ暗だった。
懐かしきリンドブルムの夜景。
アレクサンドリアと同じく、すでに復興作業の終わった街並みは以前よりも新しく美しくはなっているが、彼が育った街の懐かしさは、変わっていない。
明日の狩猟祭を控え、リンドブルムは出場者や見学者で賑わっていた。日は暮れてしまった今でさえ、街からは人気が消えない。
「今日は早めに寝とこうかな」
ジタンは壁掛け時計を見ながら呟いた。
連続したバトルはひどい疲労をもたらす。少しでも体調が万全な状態でいかないと明日の狩猟祭では優勝なんかできない。
「優勝なんかしてもしょうがないと思うけどな」
ブランクに乗せられたことを根に持ちながら、彼は床についた。
しかしながら、ぶつくさと文句を言いながらも、結局は出場登録をしてきた。危険は覚悟。怪我の多少は必至。
ダガーのためならえんやこら。
やはりジタンは、ダガーに弱い。


狩猟祭当日の朝。
冷え込みは厳しく、ベッドから転げ落ちて目を覚ますと、息が白かった。宿の窓からは商業区の大通りが見える。通りは人でいっぱいだった。
それほどやる気になっていたわけではないのだが、その人混みを見ていると否応にも緊張してきた。
「うっし、いっちょ優勝してやっか」
力強い一言も冷たい空気の中に霧となってから素っ気なく溶けて消えた。
狩猟祭が始まるのは午後からで、午後になると寒さに加えて雲行きまで怪しくなってきた。冬らしい低く暗い雲に空全体が覆われて、雨でも降りそうな気配。
「おいおい、雨天中止かぁ?」
商業区の指定の場所で多くの出場者とともに開始合図を待っていたジタンは苦い顔をしながら空を見た。
狩猟祭をやるならなるべく今日がいい、いや、今日でなくては困る。
ブランクの情報によるとアレクサンドリア女王のなかに予定取られている狩猟祭見学の日付は今日一日。もしも、延期、なんてことになればダガーはアレクサンドリアに帰り、ジタンは彼女にいいところを見せることはできずに狩猟祭に参加しなければならなくなる。
彼女の見学なしにはジタンが狩猟祭にでる意味はなくなってしまうのだ。狩猟祭はなにが何でも今日やらねば。
祈るような気持ちでジタンは雲をにらみつけた。
「いや、雨でもやるそうじゃ」
聞き覚えのある声に話しかけられて、唇をかんでいたジタンは振り返り、そして顔を輝かせた。そこには紅い衣装に身を包んだ女性が、槍をかついでたっていたのだ。
「フライヤ!」
「久しぶりじゃな」
その竜騎士は大人びた涼しげな笑みを浮かべる。
「こんなところでおぬしに会えるとはな。目的はアレか?」
そして彼女は城の方を指さした。
そこには大きな高門の上におかれた立派な椅子。そしてそれに座る、アレクサンドリア女王とリンドブルムの王家達が見える。
鋭いな、と苦笑しつつもジタンはとぼけて見せた。
「おっ!エーコじゃんか!いやぁ、立派になったもんだねぇ」
「おぬしは、、、、、」
あきれたようにフライヤが目を細めた瞬間、狩猟祭開始の合図である鐘の音が響いた。出場者達は一斉に歓声を上げ街にちっていく。
「まぁよい、おぬしには負けぬぞ」
「そう簡単には優勝はさせないぜ」
「どうだか」
フライヤも生気に満ちた顔をして言うと高く飛び上がってその場を去った。
参加者の歓声は遠ざかる。人で埋め尽くされていたその場所がいっきにがらがらになるまで、彼はしばしその場にとどまった。遠くに見える愛しい人に自分が見つけられるように。
だが、その愛しい人はわざとなのか偶然なのか、自分の方には目を向けてくれない。
「・・・・・・」
ジタンは顔を上げた。
灰色の空。
雨は、降るだろうか。
「いくかっ!」
彼は街の通りを駆け出した。
宿屋、民家に武器やと軒の並ぶ大通りを彼は全速力で走り抜けた。ぼーっと突っ立った遅れを取り返すために。
「・・・・・・・・」
足音が響く。
「・・・・・・・・・・・」
空気が冷たい
「・・・・・・・・」
彼は走る速度を少し落とした。
「なんか、、、、」
様子がおかしい。
ここまできて、ようやく彼は異変に気づくことになった。
「どうしちゃったんだろ」
絶対におかしい。
彼は走る速度を更に落としあたりを見回した。
「モンスターが、、、、」
いない。全く。
街に放されてなければいけないモンスターが一匹も、いない。
「何なんだよ」
彼は思わず立ち止まった。顔をしかめながら足元の小石を蹴ると、それは宙に飛び、放物線を描いてから音を立てて落ちた。
モンスターは全くいないわけではなかった。
所々にいるのだ、しかも、死骸だけが。
誰かが倒したんだろう。
でも、しばらくぼーっと突っ立っていたとしても、それほど時間がたったわけではない。街のモンスターを死骸だらけにするにはごく短い時間だったはず。
何かがおかしかった。
「・・・・・・・・」
聞こえる?
歓声か。
悲鳴か。
遠くの方が、なんだか、騒がしい。
「劇場区?」
いやな予感がした。
ジタンは急いでエアキャブ乗り場へむかった。


「お、おいおい、、、、」

じょ、冗談じゃねぇぞ

劇場区についたジタンが思わず固まってしまうのは無理もないことだった。無意識に飲み込んだ唾が食道をゆっくりとおりる。ひどく息苦しい。
冷や汗のふいてきた手のひらを、彼は乱暴に衣服にこすりつけると、武器を握りなおした。
血の海。
そんな表現が一番あっているだろう。
「全部こいつが?」
彼は苦しそうに肩で息をするフライヤに短く尋ねた。
彼女はゆっくりと頷く。
深手の傷を負った彼女も、かろうじて立っているだけ。そう長くはもたないかもしれない。
だからといって、慌てても仕方がない。

まずは、こいつを、倒してから。

深く吸い込んだ空気は冷たく、肺を突き刺す。
彼は目の前のモンスターを睨み付けた。
見たことのない黒い翼をもった獣の魔物。
周りには血を流して倒れる人々。たぶん、この魔物を仕留めようと試みた挑戦者。

でも、残念だったね。たぶん、こいつはリンドブルムで用意されたモンスターじゃない。ポイントには入らないんじゃないか?

「フライヤ、さがってな」
ジタンはフライヤの前にでるようにしながら言った。狩猟祭でポイントの対象になるはずだったモンスターと、出場者を襲った黒い魔物はその様子を楽しんでいるようにも見えた。
「バカが。おぬし一人でどうにかなる相手ではないぞ」

わかってるさ。あんたがそんなに怪我させられるくらいだからな。

「誰がバカだよ。こいつはポイント高そうじゃん。オレが倒さずして誰が倒すって?」
心意気だけはあるのに、足はずるずると後ずさっているのが自分でもわかった。殺気が、異常。
「フライヤは、倒れてる人たちを安全なとこに避難させてくれるかい?」
握りしめた拳がぎりぎりとなる。
「わかった。戻ってくるまで、死ぬのではないぞ」
「誰が死ぬかっての」
フライヤがまだ意識のある者をつれて立ち去る。
牙をむく血の海を作った魔物。
「お前がモンスターを倒しちゃったから」
ジタンは腕を引いて盗賊刀を上げた。魔物も身を縮めて攻撃姿勢に入る。
「狩猟祭が台無しになったじゃねぇかよっ!!!!」
無我夢中で彼は魔物に向かって突進した。邪険そうに彼を払おうとする鋭い爪の並んだ前足をかいくぐり、彼は宙に身を踊らせるとその額に向かって盗賊刀を振り下ろした。
ばしん、と鋭い衝撃。
吹っ飛ばされたのはジタンだった。黒い艶のある尾がジタンの顔面をとらえていたのだ。頬の骨が曲がったかのような激痛。
それでも彼は身をひねると見事に着地した。
「いってぇな」
口の端から流れ落ちた血をジタンは手の甲で拭った。口の中に鉄っぽい血の味が広がる。魔物は嬉しそうに大きな翼をゆっくりとひろげた。
「ジタンさん!!」
自分を呼ぶ声。
この緊急事態にリンドブルムの戦闘兵達が武器を持って駆けつけた。こちらに向かって走ってくる兵士達。

来ちゃだめだっ!

なにが起こったか。
閃光が走り、耐えられないような衝撃が全身を駆け抜けた。
「うぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
その絶叫は誰のものだったのかは定かではない。ジタンの体はその衝撃に再び数メートル吹っ飛ばされた。
一瞬、気を失った。全身の感覚が消え、恐怖も消えたが、次の瞬間に地に叩きつけられた衝撃で気がついた。
体がしびれて思うように動けない。
かろうじて動く指先で石畳に爪をたて、なんとか盗賊刀で体を支えながら立ち上がった。
「火、を吐くなんて、聞いてねぇ、、、ぞ」
彼は周りを見回した。
無残に横たわるリンドブルムの兵士達。彼らが起きあがる気配はない。魔物の火炎放射を逃れたリンドブルム兵も、震え、それ以上近づくことはできなかった。それはその魔物の威力を物語る。
「ジタン!エーコも手伝うよ!」
後ろからあどけない声が聞こえた。
ジタンはゆっくりと振り返った。エーコと、それに手を引かれ困惑気味の顔をしたダガーが走ってくる。
エーコは杖をかざし回復の呪文を唱えた。薄緑の光が彼の体を包み込んだ。だが、回復の呪文はひどく傷ついた彼の体にそれほど効果を与えてくれることはなかった。
「だ、だめだっ!くるなっ!」
叫んだとたん体がきしんだ。痛みに歯を食いしばり、必死に来てはならないと訴えるが、二人の白魔道士と魔物の距離は近くなるばかりだった。
黒い魔物はちらりとジタンの方を見た気がした。あざ笑うように前足を振り上げ、鋭い爪を振り下ろす。彼は無意識のうちに走り出していた。
ざくり、と嫌な振動が伝わる。左腕から感覚が消える。
「ジタン!!」
エーコか、ダガーかどちらかが悲鳴に近い声を上げた。ジタンは彼女ら二人を抱えて石畳を転がって魔物から離れた。転がった後には血の線が残った。
すんでの所で魔物の攻撃を自身で受けた彼の左腕が血塗れだった。
「はやく、逃げな」
彼は二人を安心させようと無理矢理笑顔を作って言った。青ざめて泣き顔のエーコが首を振る。ジタンはダガーの方を見た。
「エーコをつれて、安全、なところへ行くんだ。で、きるね?」
アレクサンドリア女王は真顔で頷くと泣きじゃくるリンドブルムの王女の腕を引き走り出した。彼は安心してため息をついたが、一呼吸もおかないうちに彼は動くことができなくなった。
背後からものすごい殺気を感じたから。
だらだらと鮮血が流れる左腕の痛みを忘れてしまうほどに、彼は久しく恐怖した。
「うっ、、、、」
背中に激痛が走る。深々と斬りつけられた傷口。気がつかぬ間に彼の体は再び宙にとばされていた。それは真っ赤な血の尾を引いて、まるで彗星のようだった。鈍い音と同時に人形のようにぐったりとしたその体は地に叩きつけられ、少し遅れて彼が持っていた盗賊刀が乾いた音を立ててカラカラと転げ落ちた。
リンドブルムの兵士たちは立ちつくし、それに気がつき振り返ったダガーは顔を覆った。
腹の奥の方まで響いてくるような獣の喉音。俯せになったまま、ジタンはぼんやりとそれを聞いていた。

これで、終わりかな。

いいところなんて、見せるどころじゃなかった。なんてカッコ悪いんだろう、と彼は自嘲気味に微笑んだ。自分の背中を切り裂いた悪魔が再び爪を振り上げても、彼は動こうとしなかった。

キスくらい、しておきたかったな

観念して微笑んで、彼は目を閉じた。不思議と恐怖は感じなかった。
だが、次に訪れたのは彼の死ではなかった。
甲高い金属音が響く。
目を開けると白刃の長剣を持った少女が魔物の一撃を止めていた。その姿に、見覚えがあった。
「ハル、、、、、!?」
「なーんだ。情けないわね、やっぱり期待はずれー」
調子っぱずれな口調でハルは笑った。だが、剣を握るその腕が細かく震えていた。
そして、ふん、とまるで呆れたかのように魔物が鼻を鳴らし、ハルの身体はあっけなく飛ばされた。
「・・・・・・・・・・」
ゆっくりと魔物はトドメを刺しに、未だ立ち上がっていないジタンに近づいてきた。
「・・・・・・・・・・」
黒き獣は大きく息を吸い込んだ。一気に多くのリンドブルム兵達を戦闘不能にさせた火炎放射。
今度まともに食らったら、たぶん、たえきれない。
「・・・・・・・・・・」
「サンダガ!!!!!」
その時、唐突に立ちこめた黒雲から、魔物の身体に雷撃が突き刺さるように落ちた。咆哮がとどろき黒光りのするその毛皮がぶすぶすと黒煙を上げた。
目を剥いた魔物が振り返る。
「油断したねぇ、魔物君。あたしは黒魔法も使えるのよ」
ハルが倒れたまま、両手を突き出していた。額に汗を浮かべながらも、彼女は軽々と言って見せた。
怒り狂った魔物がハルに向かって息を大きく吸い込んだ。
比較的近くにいたダガーが、彼女を助けようと走り寄る。
炎のたてるすさまじい轟音がジタンの耳をつんざく。
ハルの手を引き、ぎりぎりその攻撃を交わしたダガーだったが、その高熱によって火傷を負い、その黒髪が少し焼き切られていた。
「・・・・・・・・・・・」
次は逃さないといった様子で魔物が再び息を吸い込む。
「貴様」
その時、濃紅色の血が飛んだ。
激痛にのたうつ黒い魔物。その背にはジタンの盗賊刀が深々と突き立てられていた。
「許さねぇっ!」
ジタンは高々と飛び上がった。
「グランドリーサルっっっっっ!!!!!!!!!!」
ほとんど無意識だった。疲労も激痛も限界を超え、それらの物は感じられることはなかった。絶叫したこともよく覚えていない。肺の奥が焼けるような怒りを覚えてからは、ほぼ意識を失っていた。
ただ気がつくと黒い悪魔が天に向かってのび、2、3度痙攣すると、ばったりと倒れた姿が目に入っただけだった。
倒れた魔物が再び起きあがらないことを確認すると、まとまって固まっていたリンドブルムの兵士達は歓声を上げた。
傷つき倒れた者を助け起こし、彼らは運んでいく。
そして、ようやく安心していい時が来たことを理解するとジタンは腰を抜かして座り込んで、今度こそ本当に気を失った。


                                          To be continued
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