すれ違い(1)
「あっ」
バサバサバサっ。
机の上に山積みにしてあった書類が、次々に床に落ちた。
「わぁ、ごめん」
情けない声を出しながら、ジタンは自分が落としてしまった書類を拾い始めた。順番
通りに重ねてあったはずのそれは、落ちたときにばらばらになってしまった。なかに
は折れ曲がって汚れてしまったものもあるかもしれない。
「マジでごめん」
本当に申しわけなさそうにジタンはダガーの顔を見上げた。性格からしても彼女はそ
んなことで怒りはしない。だが、彼女の大変な仕事の邪魔をしてしまったと言うこと
に対して、ジタンはひどく自責した。
「うん、いいよ。平気。それよりも、悪いんだけど、これを1階まで持って行ってく
れる?」
案の定ダガーは彼を責めることなく笑顔で、書き終えた書類をジタンに渡した。すま
なく思っていたジタンは素直にそれを受け取ると、彼女の部屋の出口へ向かった。
「ごめんねジタン。せっかく来てくれたのに手伝わすようなことして」
「いいよ、別に」
『ごめんね』
、、、謝られた。
悪いのはオレなのにな
「はぁ、、、」
書類を運ぶのはこれで何回目だろうか。
別に、書類を運ぶのは嫌だ、とかそんなんじゃない。最近はダガーとの関係も実に淡
白だった。一度は死にかかって、感動の再会を果たしたと言うのに、女王としての仕
事が忙しいらしく、最近はまったく構ってもらえない。恋人のはずなのに、二人の間
に、それらしい関係は見当たらなかった。
自分は、そんなに彼女から想われていないのかもしれない。
「いいよ、別に」とはいったが、彼女の仕事を手伝ってばかりで、これではただのお
手伝いさんのような感じがするのだ。
「はぁ、、、」
またひとつため息をつきながら、彼は赤い絨毯のひかれた階段をトロトロと降りる。
柔らかな絨毯のせいで足音さえ響かず、見るからに絢爛なアレクサンドリア城。
そこはジタンの場所ではなかった。彼が好むのは素朴で目立たぬところ。でも、彼の
大切な人はこのような豪華な場所がよく似合う女性なのだ。
0二人は、合わないのかもしれない。
「考え過ぎ?」
誰に言うでもなく、彼は冗談めかした口調で言った。ここでは、どんなに小さく喋ろ
うとも声はよく響く。予想していたよりもずっと声が響いたことにびっくりしてジタ
ンは口を閉ざした。
だが、閉ざした口の中からため息が漏れた。
「はぁ、、、」
書類を1階に届けて街にでると、空に白いかもめが飛んでいた。
海が近いことを示すかもめ。
ここからなら、港もすぐ近くにあるのだ。
どっか、行っちゃおうか
船に乗ってどこまでも、遠い遠い異国の地へ。自分の見知らぬ新しい大地に旅立って
行きたい気分だった。
青い海は穏やかに自分をどこかへ連れて行ってくれるだろう。あのカモメは道案内を
してくれるかもしれない。
風まかせ、波まかせ、どこまでもどこまでも遠くへ、、、。
ムリだね
ジタンは苦笑した。見知らぬ地なんてそんな簡単に行けはしないのだ。それに、第一
そんな金がない。現実的な話だが、本当に金欠である。金がなくなったら少しバイト
をして、安宿に泊まる。
毎日繰返される日々。
それに恋人を残してどこかに行こうと考える自分を自嘲した。
一度はダガーに城に入ることを勧められたが、彼は丁重に断っておいた。
オレのガラじゃないしね
とはいうものの、毎日することもなくダガーを訪ね、忙しい姿を見学しながら書類運
びをやって、、、。
「はぁ、、、」
そして、彼女のつれなさを実感するのだ。
寂しくなった。
寂しいなんて言うと、男としてカッコ悪いかもしれないが、本当に寂しかった。忙し
くしているダガーの姿は、『ガーネット』というジタンの知らない女性に変わってし
まっている気がするのだ。ブラネが他界して、ダガーが初めて女王としてこの地に戻
ったときのような疎外感を味わうのは嫌で、そして寂しかった。
「はぁ、、、」
今日何度目かのため息は、なにも思いとどまることなく、またしても彼の口をつい
た。
「ガーネット様。お食事はどうなされますか?」
アンティークな木のドアがコンコンと叩かれる。その声を聞き、ガーネットはもう夕
食時であることを知った。だが、はっきりいってそれどころではなかった。彼女は几
帳面で、書類には順番通りに印をつけておいた。そのためジタンに書類を落とされた
ことはその原因にはならなかった。しかし、この書類の量には相当困らされる。全部
中身を読んで、サインと印を記入して、その繰返し。何枚かいても終わらない。
食欲など湧きはしなかった。
「あぁ〜、ごめんなさい。今日はいらないわ」
彼女は拾い集めた書類の山を整えながら答えた。
ペンを握り続けた手はもう痺れきっている。机の上で紙切れを眺め続けたせいで目が
チカチカとした。
彼女はうんざりしながらもう一度机に向かった。
「……」
「ガーネット様、お茶をお持ちしました」
ドアが再び叩かれる。
入ってきたのはベアトリクスだった。
「ありがとう、ここにおいておいてくれる?」
ガーネットは机の端をこつこつと叩いた。
カチャカチャとカップの鳴る音がして、ベアトリクスが近づいてきたのがわかる。
「ガーネット様……」
ベアトリクスはそっと机の端にティーカップを置くとガーネットの横顔を見た。
ずいぶんとお美しくなられた
それはたぶん成長によるものだけではないのだろう。女王としての自身と誇りも持ち
合わせ、彼女は以前よりもずっと大人らしく美しくなった。
その横顔が、眩しかった。
しかし、そう感じれば感じるほど、同時に胸の痛みを覚えた。
少し、痩せたのではないだろうか。
ガーネットは笑顔を絶やすことがない。もしかすると、自分達の見ていないところで
はため息ばかりついていたりするのかもしれない。
最初は心配などしていなかった。
嫌なことやつらいこと、それに愚痴などは自分達には話してくれなくても城によく出
入りするガーネットの恋人にもらすのだろうと思っていた。さすれば彼は励まし、
ガーネットも頑張っていけるだろう、と。
しかし、若き女王はどうやら恋人にさえ愚痴もこぼさず、なにもかも一人で背負い込
もうとしているようだった。
「少し、お休みになられてはいかがですか?」
心配そうな顔をしていえば、ガーネットは逆に心配をかけまいと更に無理をすること
だろう。ベアトリクスはなるべく微笑んでいった。
「ありがとう。でも、そういうわけにはいかないわ」
ガーネットのペンを握る手は止まることなく忙しく紙の上を動き回る。顔をこちらに
向けてくれさえしない。
「ですが、少しはお休みにならないと」
ベアトリクスも引くわけにはいかなかった。言い出したからには引かぬ。それが彼女
のやり方だった。なんとかガーネットを席から立たせる方法はないものかと考えるベ
アトリクス。
「では、こうしましょう」
彼女はようやくいいことを思いついてガーネットの目線と高さが同じになるようにす
こしかがんでその顔を覗き込んだ。
「書類の内容は私が確認しておきましょう。あとから内容を簡単に説明しますわ。こ
れでガーネット様はサインと印を入れるだけでよくなりましょう?」
「でも…」
「いいんです、私は何もすることはありませんし、そのあいだガーネット様は少し休
んできてください。その方が効率も上がりますよ」
ガーネットがやっと顔を上げた。
「いいの?」
「いいんです。たまには息抜きも必要ですよ」
ベアトリクスは悪戯っぽい笑顔を向けた。そして二人だけの秘密ですよ、というよう
にそっと人差し指を唇に当てた。
「ほんとにいい?」
「いいですとも」
「じゃぁ…」
やっとガーネットが席を立った。そして、大きく伸びをした後彼女はベアトリクスに
軽く会釈をした。
「ありがとう」
ドアの向こうでガーネットの足音が遠くなる。ベアトリクスはふっと笑みを漏らし
た。
まだまだ、かわいらしくらっしゃいますね
女王と言っても、やはりまだガーネットは若いのだな、と思った。その理由は二つ。
なんだかんだと言いながらも、ガーネットは嬉しそうに部屋を出ていったこと。そし
てもう一つは彼女の伸びのしかたが彼女の恋人にまるでそっくりなことだった。
ベアトリクスは満足そうに微笑むと女王の変わりに席に座り、書類の山に目を通し始
めた。
ジタンはどこにいるのかしら?
ダガーは久しぶりに出た外の待ちから夜空を見上げた。冬の星座が美しく輝いて、そ
こはよく透き通っていた。気温は厳しかったが、その冷たさが空気の透明度を更に高
めているようだった。
嬉しかった。
早く会いたかった。
ずっと会っていなかったわけじゃない。昨日も会った、今日だって会った。
それでも、早く会いたかった。
彼女は両手に息を吐きかけながら回りを見渡した。ちょうど夕食時だということもあ
って、どの家からも暖かそうな光が漏れ、美味しそうな物の匂いが鼻をついた。急に
空腹を覚え始めた時、彼女は遠くに見覚えのある姿を見つけた。
あ、ブランクだわ。彼ならジタンの居場所を知っているかもしれない
声をかけようとダガーが走り出すと、ブランクはふいっと、路地を曲がった。慌てて
追いかけたが路地にはもうブランクの姿は見当たらなかった。どうやら建物の中に入
ってしまったらしい。まわりは殆どが民家だったが1ヶ所だけ民家に挟まれた店があ
った。酒場のようだった。どうやらブランクはここに入っていったらしい。
彼女はそっと店のドアを開けた。
とたんに暖かい空気に包まれる。ダガーは店の中をぐるりと眺めた。
そして探し人を見つけた。
後姿だけどすぐにわかる。
しなやかな長い尻尾と癖のない金髪。それを後で束ねた姿は間違いなくジタン。
彼女が追いかけてきたブランクはその隣にどっかりとすわって何やら話をしていた。
う〜ん、こういう時って邪魔しちゃいけないのかしら
声をかけたかったけど我慢した。
ダガーは話しかけるタイミングをはかろうとそうっと気づかれないように彼らの近く
に座った。
シャレたメロディーの流れる夜のバー。
左端のカウンターが彼の特等席となっていた。
周りの客に聞こえないようについたため息が、静かにメロディーに混ざる。薄いコー
スターの上に、グラスに付着していた水滴が音もなく滑り落ちた。
ジタンはカラン、とグラスの氷をならした。
楽しそうだね、お二人さん。
彼のちょうど後ろにあるボックス席のカップルの声が耳をつく。
彼は音を立てないように静かにコースターの上にグラスを戻した。
「ジタンじゃないか」
木目の美しいカウンターテーブルの上に置いた透明に透き通ったグラスをぼんやりと
眺めていると、懐かしい声に呼ばれた。
長年ともに盗賊として仕事をした仲間だったので、彼を誰か判断するのは容易だっ
た。どうやら、今では城下町の小さな劇場で元の盗賊仲間のルビィと芝居をしている
ようで、ときどきその招待状が来ていたりして、たまにジタンはぼんやりとそこを訪
ねていた。
「よぉ、ブランク。久しぶり。」
ジタンは懐かしい姿に手を振りながら、バーテンからまた新しくアルコールの入った
グラスを受け取った。既にアルコールの回った彼の頭では、その行為が今日何回目だ
ったのかは判断できなかったが。
「元気にしてたか?」
久しぶりに会う友人に言うのにお約束の台詞。そんな言葉でも、今の彼には嬉しかっ
た。たくさん話をしたいのに、忙しくそれも叶わぬ恋人。誰でもいい、話がしたかっ
たのだ。
「元気元気。も〜ぅ、元気が有り余って仕方ないさ」
ジタンはパタパタと手を振ってみせた。
それにあわせて子犬のように尻尾も振っていたかもしれない。
「そっちは、どう?劇場のほうは流行ってんの?」
「まぁまぁいい調子。また見に来いよ。」
「暇があればね」
ジタンがグラスに口をつける。ブランクは頬杖をついて横目でその姿をじっと見た。
「毎日暇なくせに」
痛いところを突かれた。確かに、、、
オレって、暇人
認めたくないことを指摘されるのは悔しいものだ。それが、今現在悩みの種となって
いた場合は、悔しいを通り越してつらさにかわる。
「ところで、どうなのよ?」
「なにがさ?」
「なにって姫君とさ。毎日ラブラブってか?」
ブランクはにやりにやりとしている。さっそく嫌なことを聞くものだ、ジタンは苦笑
した。暇人と言われるのも嫌だったが、その話題に触れられることはさらに苦い思い
だった。
「オレ、捨てられるかも」
「どういう?」
「最近構ってくれないんだよなぁ。まぁ、忙しいんだろうけど」
なるべく、その言葉が淋しそうに聞こえないように、ジタンは笑って言った。
オレンジのライトがメロディーにあった雰囲気をかもし出す。
流れるjazz
「愛想尽かされたんじゃないのかぁ?」
フォローしてくれればいいのに、という気持ちとは対称的に次々と飛び出すブランク
の追い打ちの言葉。
やめてよね
彼にはそんなつもりないのだろうが、言葉の一つ一つがジタンに傷をつけていくよう
だった。
「上手くいってないんだな?もう終わりなんじゃないのか?」
「そうかもな」
嘘。
そうかもしれないなんて少しも思ってなかった。だが、「そうじゃない」と言い切る
自信がなかった。ただ認めたくないだけなのかもしれない。
冗談調の言葉にさえ、落ち込まされてしまう。
「やっぱりな、じゃあ賭けは俺の勝ちってことで」
ブランクは得意気に自分のグラスを指で弾いた。澄んだ音が小さく響く。
「賭けぇ?」
ジタンは素っ頓狂な声を出した。
「おいおい、忘れたってか?」
あ、そうだ
『お城の王女様と盗賊じゃつりあわないんじゃねぇの?』
いつのことであったか、ブランクにそう言われたことがあったのだ。
なんてことを言うのだろうと思った。
そんなわけがない。ハートさえあれば身分の違いなど関係ない。
少なくともその時はそう思っていた。
だからジタンは自身を持って言ってのけたのだ
『ご冗談!!もしすぐ終わっちゃったら1000ギルでもよこしてやるさ!』
そうはいかないぞ、とばかりに笑うブランクをよそにジタンはテーブルの一点を見つ
めたまま動かない。金を払うのが嫌だということではない。いや、もちろん払うのは
嫌だが、それ以前に賭けに負けたと認めてしまうことが嫌だった。
認めてしまうこと=彼女とおわったと認めること。
「諦めろよ」
「・・・・」
そんなに簡単に言うなよ
背後のカップルの声が楽しそうに笑っている。
グラスの中の氷は溶けて、原型をとどめず曖昧な形に残っている。
「もしかして、落ち込んでる、とか?なんだよ、タダの遊びとかそういう考えでもい
いじゃねぇか。」
「ん〜?タダの遊び?まぁ〜…ねぇ〜…」
ジタンはうやむやに返事をした。
ただの遊びだなんて思っているわけではない。でも、こんなに上手くいっていないの
に本気で思っている、というのはなんだか滑稽な気がした。本気だ!とこたえるとバ
カにされるような気がしたのだ。
しかし、言ってみてなんとなく罪悪感が残った。冗談でもこんなことは言うべきでは
ない。
ダガーが今のを聞いたらどう思うだろうな?
「だよな。あんたにはあんなお嬢様似合わねーし」
ブランクはこちらの気も知らずカラカラと笑っている。またも苦笑いをしたジタンの
手は無意識に空となったグラスに伸びていた。それが空となっていたことに気づき彼
はグラスをバーテンに差し出す。
「こら、オマエ未成年だろ。」
ブランクがグラスをバーテンに差し出す彼の手を止めた。
「なんだよ」
「飲みすぎってやつ」
ジタンは素直にグラスをテーブルに置きなおしたが、そのままべろりと突っ伏してし
まった。
別に、酔っていたわけじゃない。でも、そんな気分だった。本当ならもういやだ、と
泣き言をいいながら突っ伏したかったところだったのだが。それはあまりにも情けな
かった。
この際、酔ったフリでもしてしまおう。
「ブランクだって未成年だろぉ〜?」
バタリと倒れたジタンの右手が、ブランクのグラスを倒しそうになったが、彼は素早
くグラスの位置をずらした。
「ざんね〜ん。オレ、もう二十歳だもん」
「うっそ」
「マジだよ」
なんとなくショックだった。
この前まで18だと思っていたブランクがいつの間にか二十歳になっていた。それ
は、時間の経過の早さを思わせる。自分ももうすぐ19になることを思い、ジタンは
なんとも言えぬ不思議な感じを覚えた。
自分も、遊んでばかりはいられない。
「はぁ、、、」
カランカラン。
うしろでベルが鳴った。入り口のドアについたベル。客が一人、出ていったようだ。
ドアはかなり乱暴に閉められた。
そのおかげでベルの音はなんとなく悲鳴のように聞こえた。
その時に開かれたドアから入ってきた外の冷たい風がバーの中を駆け抜ける。ジタン
はそっと身体を縮めた。
今出ていった客は、どんなにやなことがあったんだろうな?
きっと、自分が今、共感できるような出来事でもあったのかもしれない、と彼は微笑
んだ。
だが、
彼は気づかなかった。
その出ていった客が女王ガーネットであったということを。
彼女が、今にも泣きそうな顔で出ていったということを。
彼は予想すらしなかったのだ。
To be continued
ひさしいぞ!連載もの!
でも!最後まで書けるのか!?自分!