160. 武蔵国分寺跡(国分寺市)
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国分寺市の崖線下の湧水「真姿の池」を見学したあと、水路に沿う「お鷹の道」
を西に向かって歩き、資料館の前にくると、史跡ガイドの小笠原さんから、
「ご案内しましょう」と声をかけてくれた。
私は下調べせずに来たのだが、ここは武蔵国分寺があったことを初めて知る。
武蔵国分寺は、府中の国府から北約2キロメートルの所に僧寺と尼寺が天平宝字
年間(757~765年)の頃に建立された。国分寺としては七重塔が建立される
など規模が大きい寺であった。東西約1500メートル、南北約1000メートル
もある。
僧寺の配置説明図(写真①)によれば、中央奥に講堂が、その南に金堂が、
その東西にはそれぞれ東僧坊と西僧坊がある。これらの建物は高い敷地にある
(写真②)。
写真① 案内板に描かれた武蔵国分寺の講堂と金堂の配置説明図。
写真② 講堂跡。
周囲より一段高く盛られた建物の土台のことは「基壇」と呼ばれている。
ガイドの小笠原さんによれば、基壇の側面は瓦で装飾されている(写真③)。
復元するのに古代の瓦を再現・製作して埋め込んだとのことである。
写真③ 講堂跡の基壇に使われた瓦。
七重塔跡は金堂・講堂跡の南東約200メートルにあると教えられて見学した。
高さは60メートルあったと推定されており、当時はすごい塔があったものだ。
元に戻る途中、国分寺楼門がある(写真④)。案内板によれば、間口
約6.2メートル、奥行約3.7メートル、鈑金葺きで、江戸時代の建築様式とある。
この門は、米津出羽守田盛の菩提寺とされた米津寺(東久留米市)の楼門を
明治28(1895)年に移築したものである。
写真④ 国分寺楼門(東久留米市の米津寺の楼門を明治28年に移設したもの)。
写真⑤ 七重の塔の十分の一模型。
武蔵国分寺跡資料館の庭に七重塔推定復元模型がある(写真⑤)。案内板に
よれば、武蔵国分寺の七重塔は、主要な建物の中でも最初に造られ、高さはおよそ
60メートルあったと推定されている。創建から80年後の承和2(835)年
に雷で焼失、その後、再建された。塔の10分1模型は国分寺市の田中為義棟梁
が製作したもので、市が寄贈を受けて市役所旧本庁舎前に設置されていたが、
平成24(2012)年に旧庁舎解体に伴い、ここへ移設されている。
資料館に入ると、国分寺の縮小模型がある(写真⑥)。中央に僧寺(講堂や金堂
など)、右手前(南東方向)の隅に七重塔がある。背後は森で崖となり、崖下の
方々から湧き水が出て、多くの人々が暮らしてきたのである。
写真⑥ 武蔵国分寺跡資料館。
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