159. 真姿の池(国分寺市)

著者=近藤 純正
国分寺崖線下の湧水を訪ねた。(完成:2016年12月31日)

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東京国分寺市の崖線下に湧水「真姿の池」があることを知り、2016年5月1日 (日曜日)、中央線国分寺駅で下車。南口から西に向かうと日差しが強く、 とても暑い。

 20分ほど歩き、左折すれば真姿の池へ下りていく入口の近くである。その右方に 公園がある。入口に「都立武蔵国分寺公園」とある。旧国鉄の「中央鉄道学園」 などの跡地を利用して造られた公園である。公園の北側は、外周500mの「円形 広場」(写真①)や、池などから成る。道路を挟んだ南側には木々に囲まれた 「こもれび広場」や、国分寺崖線につながる「野鳥の森」などがある。

 公園の入口に戻ると、夏の暑さをしのぐ噴霧が出ている(写真②)。

国分寺公園
写真① 武蔵国分寺公園(2016年5月1日撮影)。

噴霧
写真② 公園に設置された噴霧の装置。

 国分寺崖線の下に降りていくと湧水「真姿の池」(ますがたのいけ)がある (写真③)。この付近には湧水が多く、「東京都指定名勝真姿の池湧水群」として 昭和60(1985)年に環境省(当時の環境庁)の名水百選に選ばれている。 遊歩道と複数の湧水は「お鷹の道・真姿の池湧水群」と名付けられている。

真姿の池
写真③ 湧水「真姿の池」、中央奥の石垣の下端から湧き水が出ている。

 国分寺市教育委員会の案内板によれば、崖の地層は上から雨水を透すローム層、 その下が礫層、さらに下は水を透さないシルト層であり、礫層に沿って流れる 地下水が崖下から湧き出て、小川を経て野川に注いでいる。

国分寺崖線は、長い年月をかけて自然が作り上げたローム層や礫層などの地層を 多摩川の流れが削ってできたものである。崖線は標高差約15mあり、「ハケ」 と呼ばれている。

 真姿弁財天(写真④)の鳥居脇の案内板(東京都教育委員会)に「真姿の池」 の由来が次のように書かれている。

 『嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため 国分寺を訪れて21日間参詣すると、一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、 この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところ、 たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った。それから人々はこの池を真姿の池 と呼ぶようになった。』

 遊歩道「お鷹の道」(おたかのみち)は、江戸時代、この付近に尾張徳川家の 鷹狩り場があったことから、崖線下の清流沿いの小道は、いつのころからか 「お鷹の道」と呼ばれるようになり、昭和47~48(1972~73)年に 国分寺市が遊歩道として整備したものである。

弁財天
写真④ 真姿弁財天。

水車
写真⑤ ミニュチュア水車。

 遊歩道「お鷹の道」は観光で歩く人々、団体でハイキングする人々が多い。 遊歩道沿いの流れにはミニュチュア水車があり、回転に合わせて上部には玉が 往復する仕掛けがある(写真⑤)。

案内板(国分寺市民団体・ミズモリ団)によれば、水車デザイン・製作は 造形家・栗田昇によるもの、大正時代にあった水車の写真が示され、水路には 延べ12台の水車が稼働していたことが説明されている。

 また水路には、「ほたるのすむ川」とある(写真⑥)。しかし、その季節に ホタルが飛び交うのか、それとも最近は見られなくなったのか、不明である。

ホタルの立札
写真⑥ 「ほたるのすむ川」の立札。

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