152. 熊谷の自然の里「しのさと」
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埼玉県熊谷駅の北東約6kmの上中条には自然の里「しのさと」がある。
篠竹があることから「しのさと」と名づけられた。ここは吉野可彦さんが
つくった自然公園である(写真①)。
写真① 自然の里「しのさと」、南側の道路から撮影。写真中央に高さ
50mの無線用アンテナが見える(2016年8月7日)。
30年ほど前のこと、私が東北大学に勤めていた時代、熊谷市の吉野さん
から電話があり、気象について知りたいという。それ以来、時々電話で話す
ようになっていた。吉野さんは音楽の先生で、アマチュア無線をされている。
学校の先生を退職された現在は、農業をするかたわら、広い敷地に自然の里
をつくり維持管理をされている。
私は最近、湧き水や井戸水の水温と自然環境の関係に興味を持ち、各地の
湧水温度を測っている。5月13日に熊谷の吉野さんを訪ね、初めて顔を
合わせることになった。
「しのさと」は吉野さんが自宅の周辺につくったもので、初夏にはホタルが
飛び交う。森の中に水路をつくり、ホタルの幼虫の餌となる「カワニナ」
を育てている(写真②)。
写真② 森の中に作られた水路、ホタルの餌となる「カワニナ」が生息する。
2か所のポンプで汲み上げられた井戸水は森の中を循環し、沼地に注がれている。
ポンプから出た太い塩ビ管に蛇腹管を取り付け、汲みあげられた井戸水の
水温を測れるように工作させていただいた(写真③)。
写真③ ポンプで汲み上げられた井戸水の水温を測る仕掛け。
写真①の手前にある沼地状の水田に気温計を設置し、6月26日から観測
を開始している。熊谷は2007年8月16日に40.9℃の最高気温を
記録し、夏の気温が高いことで有名になった。この異常高温は都市内の
気象台での記録であり、周辺の田園地帯では、それほどの高温にはならない。
2016年の7月と8月の気温を自然の里「しのさと」と比較してみると、気象台の
平均気温は7月は1℃、8月は1.3℃も高温、晴天日には時々3℃(7月)
~3.5℃(8月)も高温になることがわかった。
帰途、熊谷駅北口にラグビー・ボールの像があった。2019年秋に
ラグビーワールドカップが熊谷ラグビー場で開催されることが決り、
熊谷の名を世界に知ってもらうチャンス、それをアピールするために
つくられたという(写真④)。
その像の北側には騎馬像があるが、バスなど車の通行が激しくて近づけない。
観光案内所で聞くと、熊谷次郎直実の像だという。平家物語にある源平
の戦の武将である(写真⑤)。
写真④ 熊谷駅の北口に設置されたラグビーの像。
私は当初、熊谷直実について、小学校のとき学んだ「屋島の戦」における平家
の軍船に掲げられた「扇の的」を弓で撃ち落とした人物だと勘違いしていたが、
それは那須与一である。熊谷直実は「一の谷の戦」で平敦盛を討つ場面にでてくる。
熊谷直実は源氏の武将・平敦盛を組み伏し首を取ろうとして顔を見ると16歳の
少年であった。自分の息子と同じ16歳で、憐れに思い逃そうとするが、
いずれ源氏の武者から逃れることはできまいと泣く泣く敦盛を討ち取った。
その後、熊谷直実は無情を悟り、出家している。
観光案内所の女性は、私を熊谷に興味をもつ観光客とみたようで、
96頁の「熊谷市文化財ガイドブック」(熊谷市教育委員会、
平成28年3月18日発行)を手渡してくれる。
帰途の列車で読むと、
私が気温計を設置してある上中条の西方、妻沼には国宝「歓喜院聖天堂」
という近世装飾建築がある。この境内には、源平合戦の英雄で、聖典山を
開いたとされる斎藤別当実盛の老武者の像がある。実盛は若者に侮られ
まいと白髪を染めて最後の戦にのぞむ場面で有名である。
源平合戦の源氏方の武将はこの地方の者が多く含まれている。ガイドブックに
よれば、熊谷には多くの武士団が現れ、成田、別府、中条、熊谷、市田などの
名が掲載されている。
熊谷には時々くるので、機会があれば国宝「歓喜院聖典堂」や斎藤別当実盛
の像など見学してみたいと思った。
写真⑤ 熊谷次郎直実の像。
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