149. ママ下湧水(国立市)
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快速列車の湘南新宿ラインに乗車。横浜の次の停車駅・武蔵小金井駅で南武線に乗り換え、
立川方面に向かい、矢川駅で下車。南西方向の約600mの所へ行くと、崖下からママ下湧水
が湧き出ている。「ママ下」は、聞き慣れない名前である。案内板には次の説明がある。
青柳段丘とママ下湧水
このあたり一帯には、高さ8メートル前後の段丘崖が連なっており、北側には青柳段丘が、
南側には古来多摩川の氾濫原であった低地が広がっています。
がけのことを地名で「まま」とも呼ぶことから、ここから湧き出る地下水を「ママ下湧水」
と呼んでいます。昔からこの一帯は豊富な湧水群で、昭和初期までは、わさび田が見られ
ました。
平成二年三月 国立市教育委員会
別の案内板には、この付近一帯の階段状の地形断面図が描かれている。もっとも高い平坦な
部分が武蔵野段丘面、続いて急崖部分の国分寺崖線、平坦な立川段丘面、立川崖線、平坦な
青柳段丘面、平坦な多摩川沖積地、一番下に多摩川がある。立川段丘は約2万年前に、
青柳段丘は約1万5千年前にできたものである。
写真①はママ下湧水の南方から撮影したもので、湧水の西側(写真の左手)には老人ホーム
がある。付近には畑地・水田が広がっていたが、最近は住宅が急激に増えてきたとみられ、
新築住宅が多い。
写真① ママ下湧水の遠景、左方の建物は特別養護老人ホーム「くにたち苑」。
写真② ママ下湧水、フェンスの中が湧水源。
豊富な湧水が崖下の砂礫層から湧き出ている(写真②)。別の場所に立てられた掲示板には、
「ママ下公園の会」が毎月、みんなで集まり草刈りなどして公園整備をしている様子が書かれ
ている。
掲示板に貼られた「ママ下通信75号」には、下流の洗い場で毎月測った湧水量がグラフで示されている。
少ない2月には毎秒10リットル、多い8月には毎秒35リットルとある。
湧水の温度はその涵養域の環境によってきまる。森林など植生地であれば水温は低いが
都市化されてビルや舗装道路が増えると水温は上昇する。
私は崖の上段に広がる畑地・住宅地を観察しながら西方に向かうと青柳稲荷神社がある
(写真③)。
写真③ 青柳稲荷神社。
案内板には次の説明がある。
青柳稲荷神社
青柳と石田は、明治22年の谷保村との合村までは、それぞれ村として独立していました。
現在は「大字」としてその地名を残しています。
青柳は、その昔、今日の府中市本宿の多摩川南岸の青柳島にありました。寛文11(1671)
年多摩川の大洪水により青柳島は流出、現在地に移住し、青柳村を開拓しました。
石田も青柳と時を同じくして、今日の日野市石田から移住したものです。
青柳稲荷神社は、青柳、石田の鎮守であり、1間半×2間の覆屋で、2月初午、9月大祭等
の例祭が行われています。
平成3年3月 国立市教育委員会
ママ下湧水一帯の見学を終えて矢川駅に向かう途中、赤屋根の「五智如来」の前で老夫婦に
出会う。「ママ下湧水はどこですか?」と訊かれた。私は見学してきた道を教えた。
写真④ 五智如来。
「五智如来」の脇の案内板には次の説明がある。
五智如来
矢川と甲州街道が交差する付近は、「はしば」と呼ばれ、大正の初めごろまで「矢川橋」が
架かっていました。橋のたもとには五智如来の祠(ほこら)があり、江戸時代に八王子から
移住した人々が、それまで信仰していた五智如来を祀ったのが始まりと伝えられています。
五智如来は、仏教でいう五種類の智(大円鏡智、妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)
を備えた仏のことで、大日如来の別名ともいわれています。
昭和35年代まで、夕方になると五智如来の前に燈明や線香、供花が絶えませんでした。
現在でも毎年10月12日には、地元の人たちが集まり、念仏をあげ、五智如来を供養する
「おこもり」が行われています。
平成23年10月 国立市教育員会
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