136. 姫路
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昨年から今年(2013~14年)の高知県への旅はすべて列車を利用した。
車窓から姫路城の天守保存修理事業が眺められた。何回か通過するうちに、
天守にかけられていた素屋根が解体され、真っ白の白壁が見えるようになった。
私は列車で大きな観測機器を運んでいたが、今回の2014年11月3日の
室戸からの帰途は荷物が少なく、姫路城を見学することにした。
瀬戸内海に架かる瀬戸大橋は2階建て構造で、上部が自動車道、鉄道はその
下にあり、車窓の瀬戸内海は橋脚が邪魔になる。香川県から瀬戸大橋に入ると、
列車は左カーブとなり吊り橋の構造が見え、橋脚に邪魔されない初めての瀬戸
内海を撮影できた(写真136.1)。
写真136.1 車窓からの瀬戸大橋。
写真136.2 姫路駅からの姫路城の遠景。
姫路駅の真正面に姫路城がある。城がビルで隠れないように都市計画したのか
道路幅が広い。城へ向かう歩道も特別に広い(写真136.2)。
国宝姫路城は木造建築の美的完成度が高いことから「世界文化遺産」と
なった(写真136.3)。白鷺城とも呼ばれている。改修後の白壁が「白過ぎる」と
言う人々がいたが、私は本来の漆喰の白さだと感じた。3連休の11月3日、
観光客も多く、三の丸の広場では菊まつりが開かれていた(写真136.4)。
写真136.3 姫路城。
写真136.4 菊まつり。
本丸と天守に入場できるものと思っていたが、一般公開は来年春だとのこと。
西の丸櫓群・百間廊下(ひゃっけんろうか)を見学。長い廊下と多数の部屋がある。
説明書には約240mと記されている。本多忠刻と徳川家康の孫・千姫の居館
として造営された建造物群である。
千姫は豊臣秀頼と死別して正式に縁を切る
ために縁切寺へ入らねばならなかったが、実際には代理を寺に入れて離縁を成立
させて本多忠刻と再婚した。ところが長男が病死、その後も流産などで子宝に
恵まれなかった。禍の原因は豊臣秀頼のたたりによると占われ、それを鎮める
願文を納め、伊勢の慶光院に祈祷をさせたと掲示されている。
今年のNHK大河ドラマでは黒田官平衛が放映されている。官兵衛はキリスト教
に入信しており、「にの門楼」の唐破風屋根に乗っている鬼瓦に十字紋が
彫られている。キリシタンの名残とか魔よけともいわれており、日本の城では
珍しい紋瓦である。
官兵衛は1546年に姫路城で生まれ、家督を継いだが、1580年に姫路城
を豊臣秀吉に譲る。関ヶ原の戦いの後、家康の女婿・池田輝政が秀吉の築いた
天守などを壊し、石垣などは活かして現在の五重の姫路城を完成させた
(説明書による)。
見学を終えて大手門を出ると槍を持った昔の門番役を挟んで記念撮影する
観光客が(写真136.5)、濠には観光客を乗せた遊覧舟があった(写真136.6)。
写真136.5 大手門で記念撮影する人たち。
写真136.6 濠の遊覧舟。
姫路駅前通りには縦横のアーケード街が賑わい、駅前の芝生の広場では腰を
おろした親子連れが木製おもちゃで遊び、演台では和太鼓を打つグループが
あった(写真136.7)。
写真136.7 姫路駅前の芝地広場の和太鼓。
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