135. 室戸岬灯台まつり
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はじめて体験した灯台まつりで、私は演者・奏者たちの一所懸命な生きざまに感動した。
2014年11月1日~2日は第37回室戸岬3大扉一挙公開の室戸岬灯台まつりである。
その前日10月31日に市民講座「室戸海岸の朝・冬は暖か、昼・夏は涼しい」を開催
するため2泊3日の室戸への旅であった。
大扉その1は四国88カ所開創1200年を記念した第24番札所・最御崎寺
(ほつみさきじ)の宝仏殿の公開、国指定の美術工芸品・彫刻の重要文化財3つが
展示されている(写真135.1)。
写真135.1 最御崎寺宝物殿の重要文化財。左から石造の如意輪観音半跏像、木造の
薬師如来坐像、木造の月光菩薩立像。
左端には如意輪観音半跏像(にょいりんかんのんはんかぞう)がある。この像は弘法大師が
唐より持参したものと伝えられ、この寺の登り口東方の岩屋で発見されたもの、全国の重要
文化財唯一の大理石像である。
大扉その2は、11月1日の夕刻の灯台まつり開会セレモニーで子ども灯台守任命式
及び点灯式のあと、灯台内部が公開された。
室戸岬灯台は明治32年(1899)に点灯、直径2.66mの日本一の第1等レンズ
が使われている(写真135.2)。
写真135.2 一日灯台長の川村風夏さんと灯台を撮影する観光客。
見学者の一人が、高知海上保安部次長の本多康伸さんに訊ねた。「わたしのお祖父さんは
この灯台建設に従事し、その際に地中を深く掘ったと聞いているが、灯台の基礎は深く
造るものでしょうか?」と。次長は「灯台の基礎は深くない」と答える。しかし、次長が
灯台内部を探すと、大黒柱に相当する大きな鉄の円筒柱に扉がついている。開扉して覗くと、
深さ約4mの井戸の構造になっている。現在は使われていないのか、底には水が
溜まっており、真の深さは不明である。
現在は、灯台のレンズはモータで回転させているが、昔は鳩時計の原理を利用していた。
つまり、重りを人力で巻き揚げて、ゆっくり落下するときのエネルギーがレンズを回転
させていたはずだという。鉄の円筒柱は重りの上げ下げの通路であったわけだ。
翌日、再び灯台を見学すると、本多次長が見つけた重りが倉庫に置かれていた。
びくともしない重さであった。昔の灯台守は、夜を通して重りを巻き揚げレンズを回転
させていたのである。
大扉その3は、11月2日の13時~16時、室戸岬特別地域気象観測所の公開で
ある(写真135.3)。この観測所では、日本最初のレーダ1号機が昭和35年(1960)
に設置され、翌年には第2室戸台風の眼が観測された。
写真135.3 室戸岬特別地域気象観測所(旧測候所)見学者に対して高知地方
気象台長の齊藤誠台長が説明している。
一方、11月1日の灯台まつり開会セレモニーの後、宝仏殿公開記念夜会として、
最御崎寺を会場にして豊山太鼓、ヨガのパホーマンス、ジャズバンド、オカリナの演奏、
ソプラノ歌手によるステージがあった。
ピストルジャズは別名室戸の海賊とも呼ばれ、熱気を帯びた激しい演奏が披露された。
3名のメンバーは室戸市出身とのこと(写真135.4)。ギター演者は上半身裸である。
ピストルジャズと共演したHIBOさんはジャズの印象を特徴ある絵にして表現
した(写真135.6)。
写真135.4 ピストルジャズ、別名室戸の海賊による演奏。
写真135.5 ジャズと共演して特徴を絵に描いたHIBOさん(左端)。
続いて、オカリナ奏者のホンヤミカコ(本谷美加子)さんが登場(写真135.6の左)。
彼女は、北海道出身で国内外でのコンサートを行なっており、2014年5月より四国
遍路結願のお礼参りや慰問コンサートなどのために、四万十市に移住、高知県観光特使
として活躍されている。
最後の登場はソプラノ歌手の青木寛子さんである(写真135.6の中)。彼女は高知県立
丸の内高校音楽科卒、武蔵野音楽大卒業、同大学院主席修了である。
写真135.6 左から順番にオカリナ奏者のホンヤミカコさん、
ソプラノ歌手の青木寛子さん、アコーディオン奏者の坂野志麻さん。
この記念夜会に登場した彼ら彼女らの生きざまに私は感動した。翌2日の灯台まつり
本祭では、灯台の旧官舎敷地内でライブが行われ、室戸高校吹奏学部&音楽部による演奏、
続いて坂野志麻さんによるアコーディオン演奏があった(写真135.6の右)。坂野志麻さんは
安芸市生まれ、高知県内各所で活躍中。来年には、世界一周の豪華旅客船内で旅客相手に
演奏される予定とのこと。
演奏が終わり、彼女に訊くと、現在は高知市内に住み、音楽活動だけで生活している
という。収入には波があり、ぎりぎりだという。この日も、彼ら彼女らの一所懸命に
活動している姿に心を打たれ、私は励まされる思いをした。
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