130. つくば市の農業環境技術研究所
トップページへ | 小さな旅の目次 |
半世紀以上も昔、谷田部町館野と呼ばれていた1957年、私は館野高層気象台敷地内
の灌木・草地を開いた広場で気象観測をしたことがある。この広場は、高層気象の観測
器械を付けた気球を揚げる場所である。そのとき以来、現在のつくば市には、たまに行
くことはあったが、この2年間は行く機会が増えた。
戦後の復興にともない東京は人口が急激に増え、過密化がはじまり首都機能の一部が
移転することになり、1968年ころから筑波研究学園都市の開発が始まる。現在は
約300の研究機関・企業が活動しているという。
東京秋葉原からつくばエクスプレスが開通し、最近では終点・つくば駅の周辺は大都会
の様相を示すようになった。
筑波学園研究都市は南北に長く、北のほうには防災科学技術研究所や筑波大学、南の
ほうには森林総合研究所、畜産草地研究所、農業環境技術研究所などがある。
農業環境技術研究所(農環研)の前身・農業技術研究所が東京西ヶ原にあった時代に
井上栄一という偉大な学者がいて、前記の1957年の観測のとき、はじめてお会い
した。そんな思い出のある現在のつくばである。
JR常磐線牛久駅からバスで行くと、きれいな並木道を通る。これは、筑波研究学園
都市の建設にともなってできた道路に植樹されたものだと想像する。歩道もよく完備
されている(写真130.1)。
写真130.1 並木道(2014年6月16日)。
写真130.2 農業環境技術研究所。
農環研は、農業と環境にかかわる広範囲の研究・技術開発を行なう、職員数165名を
擁する国の独立行政法人である(写真130.2)。
ここには、気象庁にはない広い観測露場がある(写真130.3)。
写真130.3 気象観測の露場。
写真130.4 不織布で囲んで作った狭い露場の模型(2013年5月5日)。
気象庁の気象観測所のほとんどは、創設当時は広い場所に設置されたが、時代とともに
周辺は宅地化され、あるいは里山の周辺では炭焼きが行われ大木は無かったが、炭焼き
産業が衰退して樹木は大木となり風止めとして作用するようになった。こうしたとき、
気温の観測値がどのように変化するかを調べるために農環研の露場を利用することに
なった。
この広い露場で測った気温を基準値とする。研究所内の狭い芝生地や、不織布で囲った
模型の狭い空間の中で気温を測り、基準値との違いを調べる(写真130.4)。気温計
を設置する観測露場が狭く
なるにしたがって日中の気温は上昇、夜間の気温は下降することがわかってきた。
トップページへ | 小さな旅の目次 |