123. 大磯

著者=近藤 純正
新島襄終焉の地、その他で有名な大磯を歩いた。(完成:2014年5月2日)

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新島襄終焉の地
NHK大河ドラマ「八重の桜」で、新島襄の終焉の地が大磯であることを知った。明治の大教育者で ある(二〇一三年一二月一日)。

大磯は私の住む平塚の隣町、さっそく訪ねた。ここは明治・大正・昭和時代に多くの有名人が過ごした 地である。新島襄の記念碑も見たはずだが、その時は意識していなかったので私の記憶に残ってい ない。

新島襄
写真123.1 新島襄終焉の地の碑。 

かすかな記憶の場所に記念碑があり(写真123.1)、国道一号線側の案内板に次のことが書かれて いる。

明治の先覚的教育者新島襄は、一八四三年二月一二日(天保一四年一月一四日)江戸神田の安中藩邸内 で、藩士新島民治の長男として生まれた。

その当時は、近代日本の黎明期に当たり、新島襄は憂国の至情抑えがたく、欧米先進国の新知識を 求めて一八六四年(元治元年)函館から脱国して米国に渡り、苦学一〇年キリスト教主義教育による 人民教化の大事業に献身する決意を抱いて一八七四年(明治七年)帰国、多くの困難を克服して、 一八七五年(明治八年)十一月二九日京都に同志社英学校を設立した。

その後宿願であった同志社大学設立を企図して東奔西走中病にかかり、一八九〇年(明治二三年) 一月二三日療養先のここ大磯の地 百足家旅館で志半ばにして四七歳の生涯を閉じた。



この場所は、井上蒲鉾店の近く、現在の国道1号線と旧東海線が分岐する三角計の敷地である。


鴫立庵
旧東海道を西方へ行けば、日本三大俳諧道場の一つとされる鴫立庵(しぎたつあん)がある (写真123.2)。

鴫立庵
写真123.2 鴫立庵。 

入口に、湘南発祥の地大磯の由来を記した次の銘文がある。

崇雪と言う人が寛文四年(一六六四)頃 西行法師の詠んだ名歌「こころなき身にもあはれは知られ けり鴫立澤の秋の夕暮」を慕って草庵をここに結び標石をたて東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し 「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです。

中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南 と呼ばれるようになりました。



日本初の海水浴場
大磯港の西北の隅に、大きな「松本先生謝恩碑」がある。そばの「海水浴場発祥地」の案内板には 次の説明がある。

明治十八年天与の自然に恵まれた大磯照ヶ崎海岸に日本で最初の海水浴場を開いた軍医総監松本順先生 は国民の健康増進と体力の向上をはかるため海水浴が良いと説き その頃の有名な歌舞伎役者を大勢 連れて来て祷龍館に泊らせ海水浴をさせて大磯町の名を日本中に広めました

昭和五十九年六月二十四日
親しまれて百年
 逢いに来て 大磯の夏



大磯港
大磯港の南岸壁から見ると、北には大磯の背に相当する山が東西にあり、頂上の湘南平にはテレビ 電波中継用のアンテナがある(写真123.3)。

大磯港
写真123.3 大磯港(2枚の写真を横に合成してある)。 

この山の尾根尾には「関東ふれあいの道」の「大磯・高麗山のみち」があり、私がよくハイキング するコースである。

漁港では毎月第三日曜日に「大磯 魚の朝市」が行われている日程表が掲げられている。朝市では、 大磯沖の定置網で捕れたばかりの鮮魚が販売される。

明治天皇観漁記念碑
海岸堤防につくられた大磯から平塚までの遊歩道を歩く。歩道脇に「明治天皇観漁記念碑」がある (写真123.4)。

明治天皇記念碑
写真123.4 明治天皇観漁記念碑。 

これは明治元年、京都から東京へ行幸の途次、明治天皇は本陣小島才三郎宅に行在所にされ、 この海岸で漁夫の網曳きをご覧になられた。その漁の様が御意に適い、お菓子を賜った光栄を後世に 伝えようと建碑されたのがその由来である。

どんど焼きの浜
堤防の遊歩道の海側は広い砂浜である(写真123.5)。ここでは毎年一月一四日に大磯のどんど焼き 「左義長」が行われる。

大磯海浜
写真123.5 大磯海岸の砂浜、遠方が大磯港。 

この砂浜で、私は昔のことを思い出す。
昭和六四年(平成元年)一月一四日、私の心臓バイパス手術後の二〇日を経過した日、仙台の大崎 八幡神社恒例のドント祭であった。東北公斉病院の看護婦さん、検査室の女性たち、それに男性の お医者さんと検査室の男性たち総勢約五〇名が玄関前に並ぶ。私を手術してくれた佐藤成和先生と 佐藤尚先生もいらっしゃる。

尚先生は羽織袴で「裸まいり」の先頭に立ち、女性たちは白のハッピに白短パンツ姿、裸の男性たちは さらしを腹に巻き白短パンツ、全員は頭に白のむこう鉢巻き、腰にしめ縄を巻き、白足袋のワラジ履き である。お神酒で清めてから、「患者の快復祈願」のために幟を掲げ、提灯を下げ、鈴鐘を 「チリンチリン」と振り鳴らしながらドント祭の大崎神社へと向かった。

あの心臓手術の時から、もう25年も経ってしまった。

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