4.父が残した新之丞伝説
=近藤純正=
以下の約1,400字の文章は、高知新聞社
から掲載の許諾を受けたものである
子供の頃、仁淀川の南に、山頂付近が人工的に見え
る山があり、「波川玄蕃の城があった」と聞かされてい
たが、不便な山頂の城を不思議に思っていた。
二十年ほど前に知ったことであるが、小学校教諭を
していた父が教材用に作った紙芝居「御用紙物語」の
中に、その城のことがあった。紙芝居の内容は、戦国
時代から江戸時代にかけて成山村(現在は高知県伊野町に合
併)で、土佐七色紙が創製されたころの新之丞伝説で
ある。
母の記録によれば、成山小学校では四年生に父の絵
を手本に大きな絵を描かせ、近隣の小学校を回り自分
たちの村を紹介させた、とある。それは今の総合学習
に相当している。
紙芝居は終戦直後の物資不足の時代に作ったもので、
用紙は悪く破損している。しかし、内容がよく出来て
いるので、私はこれを何とかしたいと思いながら年月
は流れた。
最近の電子技術は素晴らしく、絵などの作品の破損
部分は画像上で修復できるようになった。この技術を
駆使して、父の紙芝居を画像上で修復し、ホームペー
ジに掲載しようと考えた。
まず紙芝居の舞台となった成山の現在を知るために、
去年の七月、歩いて訪ねた。また、いの町紙の博物館
を見学した際に偶然、館長さんから、十一月に紙芝居
コンクールがあることを教えてもらった。
紙芝居コンクールのあと、紙芝居に出てくる三つの
城跡を訪ね、戦国時代の人々に思いを馳せることにし
た。まず友人の案内で、波川玄蕃城に登ってみると、
遺構の真ん中にテレビ塔が建てられており、残念に思
った。
二つめは安芸城跡。土佐くろしお鉄道・安芸駅の売
店で道順を聞き、歩き始めると、まもなく店員が追い
かけてきて「無料の貸し自転車があります」と教えて
くれた。安芸城跡の周辺は武家屋敷も残され、落ち着
いて、きれいである。また訪ねたいところとなった。
三つめは浦戸城跡。桂浜はこれまで幾度となく訪ね
ていながら、その背後の小高いところに浦戸城跡があ
り、天守跡など一帯が公園となっていることを、この
時初めて知った。
一方、修復した電子紙芝居「御用紙物語」には思い
がけない反響があった。去年の十一月と今年の三月に
福祉施設のデイサービスセンターや、父の勤めていた
小学校の村、その他を訪れ、パソコンとスクリーンを
使って上演した。お年寄りの中には父を知る人もいて、
「懐かしい」と昔話に花を咲かせた。中には新之丞伝
説に涙ぐむ人もいた。
成山では、父は当時の青年団に、生け花を教えてい
たと聞かされて驚いた。当時の青年団のひとりから、
ガリ版刷りの生け花教本を見せてもらった。「華道は教
育の要法、礼儀の要法・・・・・」とあり、生き生き
とした挿絵で草花の生け方が説明されている。器用で
あった父を再認識した。父が残した紙芝居のおかげで、
思い出深い旅ができた。
父は、どの児童生徒をも大切にはぐくみ、さまざま
な境遇の人たちにも親身に接し世話をしていた。
最近、父が俳句も作っていたことを知った。『起ち(立
ち)たるも、這いたるもよし寒の菊』の句には、父の
思想が表れている。何人も自由・平等で人として尊ば
れ、その生き方は尊重されなければならない。社会に
とって、それぞれが大切な人々であるということを教
えているように思う。
(高知県吾川郡伊野町出身・神奈川県平塚市中里49の6)
―2004年5月12日付高知新聞朝刊『所感・雑感』に掲載―