80. 長野県の旧飯田測候所

著者:近藤 純正

地球温暖化など気候変動の実態を調べる目的で、2007年11月14日、長野県の 旧飯田測候所の周辺環境を視察した。旧測候所は地形的にみて、よい場所に あるが、周辺に民家が増えてきたことのほかに、樹木の生長によって風速が 弱まり、日だまり効果によって年平均気温が若干上昇していると判断できた。 (完成:2007年11月18日)

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  	  もくじ
		(1)はしがき
		(2)旧飯田測候所(馬場町)
		(3)飯田特別地域気象観測所(高羽町)
(1)はしがき
日本における気温の長期変動のうち、比較的短い20年程度以下の変動を 無視するならば、基準とする観測所は5~6ヵ所程度でよいのだが、これ を基に日本各地の大・中都市における都市化による気温上昇(都市昇温)が 時代によってどう変わってきたかを知るには、基準地点は20ヶ所以上が必要 である。

ところが日本の多くの気象観測所は、都市化や日だまり効果の影響を受けた ものが多く、それらの影響が小さい観測所は数地点しか存在しない。 そこで、それらの影響を多少含む観測所も基準地点に入れ、補正を施して 利用することにしている。

長野県南部の旧飯田測候所では1897年から長期にわたり観測が続けられて おり、中都市で都市化の影響や「日だまり効果」を含むが、 基準観測所の一つに選び、今回、その周辺環境を視察した。

気象庁年報(CD-rom、気象庁編集、財・気象業務支援センター発行)によれば、 飯田観測所の移転は次の通りである。

1897年1月1日:気象観測開始(標高500m)
1900年12月1日:標高のみ521mに変更、移転の記載はない
1923年1月1日:北西方向へ1200m移転、馬場町3-400(標高482m)
2002年5月27日:合同庁舎へ移転、高羽町6-1-5(標高516mへ)
2006年:無人化、特別地域気象観測所(名称変更)

飯田と他所の年平均気温の差について予備解析の結果によれば、飯田に おける都市化や日だまり効果による年平均気温の上昇は1975~1985年頃に 起きている。そこで、環境パラメータとしての年平均風速と年間の霧日数の 経年変化について調べておこう。

気象要素に影響を及ぼす空間的スケールは次のように考えられる。
気温:観測露場のごく近傍、10m~100m、~1kmの環境に影響される。
風速:測風塔の影響のほか、100m~1km、~10km範囲の地表面粗度に影響される。
霧日数:やや広域、1km~数10km範囲の環境変化に影響される。

このことに注意して次の図80.1、80.2を見てみよう。

風速の経年変化の図80.1によれば、飯田では1960年頃から風速の弱化が 始まり、1985年頃にほぼ安定したように見える。これは全国的な傾向と 同じで、日本各地の国土開発の時代に対応している。

飯田風速
図80.1 飯田における年平均風速の経年変化。プロットは観測値、太い赤線は 風速計の特性により4杯式は過大評価、発電式は過少評価の傾向があること を考慮して描いた真の風速の推定値である。太い緑線は合同庁舎に移転し、 風速計高度が12.7mから36mに高くなってからの平均風速。

1985年に風速の不連続があるので、言及しておこう。1985年2月12日から80型地上 気象観測装置に変更されるに際し、風速計高度の変更はなかった(12.7m のままで変更の記載はない)。それゆえ、この不連続は何によって生じた のか不明であるが、風速計の取り付け場所が水平方向にずれたため、 それ以前にあった障害物の影響がなくなったことによるのか、あるいは 1984年頃、風の観測に邪魔になっていた樹木の枝が切り落とされたのかも しれない。

年平均風速は1960年頃に2m/sであったが、1985年に1.5m/s(または1.7m/s) に減少したとみなされる。これは周辺に建物が建てられたことによるの かも知れない。

図80.2の上図は飯田の霧日数であり、参考のために下図に長野のそれを示した。

「研究の指針」の「K21.都市と田舎の霧日数 長期変化」で示したように、田舎では霧日数はほとんど変化していないが、 都市では都市化によって平均気温が上昇し霧日数が減少する傾向にある。

飯田の霧日数
図80.2 霧日数の経年変化、オレンジの線は5年移動平均。上:飯田、下:長野

1950年代以後に注目すると、霧日数は長野では斬減しているのに対し、飯田 では1980年ころ減少している。

以上の予備知識のもとに飯田を訪問する。

注:飯田の霧日数:
図80.2(上)によれば、年々変動が大きいため断言はできないが、 1980年を境に霧日数が不連続的に減少しているようにも見える。この件に ついて、観測・統計方法に変更(たとえば、午前3時の観測の中止)が なかったかどうか長野地方気象台に問合せをした。防災業務課・松川基 さんからの返事によれば、そのような変更はなかったとのことである。 なお、飯田の霧は天竜川を源とする川霧がほとんどであることも教えて いただいた。

(2)旧飯田測候所
2007年11月14日の朝8時過ぎ、JR飯田駅前から南東方向にのびる中央通りに あるビジネスホテルの玄関を出ようとすると、同宿だった小松弘明さん (1935年生)に会う。小松さんは、現在大阪にお住みだが飯田の出身だという ので、旧飯田測候所のことを尋ねると、「昔の測候所は街はずれの淋しい ところだった」と教えてくれた。

昭和22(1947)年4月20日に飯田の中心部の大半は火災で焼失した。 飯田は1960年ころまで昔の面影が残っていたが、昭和40年代(1965~1974 年)以降に現在の都市の形となった。

ホテルで教えてもらった道順に従い、中央通りを下り4つ目の信号で左折、 橋を渡りすぐ右折して南東方向にゆるい坂道を下っていく。左手に住宅が並ぶ 尾根、右手に崖を見ながら進むと、左手に旧測候所の門があった。

旧測候所は北西から南東にのびる尾根の先端にあり、南西側~東~北側が崖 である。東側の崖下には3階建てのアパートがあり、その北側は「飯田子供の 園保育園」である。ちょうど保育園の園長先生にお会いでき、次の ことを教えていただいた。この保育園の敷地は測候所 敷地より5~6m低い崖下にある。

保育園は1948年設立、1961年に南側に増築する。
保育園の南側には、以前には2階建ての民家と畑があったが、民家は 1983年に解体された。
この敷地には、1994年に現在の3階建てアパートが建築された。
このアパートの3階部分は測候所敷地のレベルより上に出ている。

斜面にある保育園の下のほうは、昔は大部分が畑であったが、少しずつ住宅 が増えてきている。

旧測候所の敷地は、飯田市が買い上げて災害時の避難所とすることになって いるという。

旧測候所敷地と同じレベルの西側には2階建ての住宅(地下は駐車場:道路に 接続)があり、尋ねると、この住宅には20年ほど前から住むようになったが、 それ以前は平屋建てだったという。この2階建て住宅は遠方からもよく認識 できる(後掲の図80.9に赤字①)。

旧測候所の敷地に上ってみると、露場は広々としていたが、周囲の樹木が 生長し、風速等の観測値に影響を及ぼしていると考えられる。 約350m遠方の西方向にある大手町の飯田合同庁舎から眺めると、旧測候所の 周辺には樹木が生い茂っていることがより明瞭である(後掲の図80.9と 80.10参照)。

北から1
図80.3 旧飯田測候所露場、北から撮影、横に2枚を結合したため多少歪んで いる。手前のフェンスが旧測候所 と公園の境界、向こうの白いフェンスが露場、その左手の建物 は崖下の3階建てアパートの3階部分。左手の並木の左側の崖下に保育園の 建物があり、後方に崖がある。

北から2
図80.4 旧飯田測候所露場、北側の広場の滑り台頂上から撮影、横に3枚 を結合したため多少歪んでいる(滑り台は 崖下の庭につながっている)。中央付近の 樹木の陰に測風塔と庁舎が写っている。

北西から
図80.5 旧飯田測候所、露場の北西側から撮影、横に3枚を 結合したため多少歪んでいる。ほぼ中央に百葉箱、その向こう側 の建物は崖下の3階建てアパートの3階部分。

南東から
図80.6 露場の南東側から撮影、横に3枚を 結合したため多少歪んでいる。中央に測風塔が見える。

南西から
図80.7 露場の南西側から撮影、横に3枚を 結合したため多少歪んでいる。薄いオレンジ色の建物の向こう側 に測風塔、その左手が庁舎。

西から
図80.8 旧飯田測候所(赤矢印が庁舎)、北西の民家の畑から撮影、 横に2枚を結合したため多少歪んでいる。

旧測候所周辺の全景を撮影するために、来た道を戻ることにした。
馬場町の南西側は崖であり、その谷沿いに国道151号線が北西~南東にのびて いる。国道151号線の南西側にも崖があり、その上には追手町の飯田合同庁舎 がある。この合同庁舎敷地から東方向の約350m遠方に旧飯田測候所の 測風塔が見える。次の図80.9、80.10は追手町の合同庁舎から遠望した写真 である。

飯田測候所望遠1
図80.9 旧飯田測候所付近の遠望、350m西方の追手町の飯田合同庁舎敷地 から撮影。
左:眼下の国道151号線(見えない)が走る谷の対岸の右端付近が測候所、
右:望遠写真。赤矢印①が測候所西隣の2階建て民家、その右側に測候所庁舎 と測風塔があるが、この写真ではよく見えない(次の望遠写真を参照)、 ②が崖下の3階建てアパートの3階部分(大きな樹木に隠れている)、 その左手に露場があるが樹木に隠れて見えない。

飯田測候所望遠2
図80.10 旧飯田測候所の望遠写真、350mの西方の追手町の飯田合同庁舎敷地 から撮影。 赤矢印は測候所の庁舎(左印)と測風塔(右印)

(3)飯田特別地域気象観測所
飯田駅前に戻り、こんどは高羽町の合同庁舎にある飯田特別地域気象観測所 を訪ねることにした。

飯田に到着したのは前日(11月13日)の夜であり気づかなかったのだが、 飯田駅舎はリンゴを連想する建物である。飯田は大火後、りんご並木の大通り 「並木通り」が造られている。

飯田駅
図80.11 JR飯田駅舎

飯田線のガードを通り北西方向に上っていくと、頂上に風向風速計が設置 された円筒計のドーム状の測風塔が見え、合同庁舎があることに気づく。 この庁舎は大手町で見た庁舎とは別のもう一つの合同庁舎である。

高羽町庁舎
図80.12 左:合同庁舎の遠景(写真中央に見える円筒形の塔が測風塔)、
右:南方向から見た露場(白いコンクリート壁上の一段高いレベル)。

4階建ての合同庁舎は飯田東中学校と道路を挟んで北西側にあり、露場は 道路より一段高い敷地にある。現状では露場の風通りはよい状態にある。

北からの露場
図80.13 飯田特別地域気象観測所の露場の北側から撮影、横に3枚の結合の ため歪んでいる。露場の手前の芝生地は露場より高くなっており、その下は 駐車場である。写真の右端の円形コンクリートの塀越しに下の駐車場が見える。

合同庁舎の4階へ上り、廊下のガラス窓を通して露場の写真を撮らせて もらった(図80.14)。

さらに、南側の道路脇にある3階建ての建物から露場を見下ろす写真も撮ら せてもらった(図80.15)。この付近一帯は、新しい建物が多い。

4階からの露場
図80.14 合同庁舎4階から見下ろした露場、横に2枚の結合のため歪んで いる。露場の南東側の2階建て民家と露場の間は通路となっている。その 民家の遠方の広場は飯田東中学校の運動場である。

南3階からの露場
図80.15 露場南側の向かいの建物の3階から見下ろした露場、横に3枚の 結合のため歪んでいる。露場の西側(左側)は空き地であり、数台の車が駐車 しているが、将来は建物が建てられるかも知れない。

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