79. 宮城県秋山沢川改修後
著者:近藤 純正
宮城県蔵王町の渓流・秋山沢川の水を利用した養魚場で1994年夏に稚魚が
大量死する事件があった。この渓流は1989年8月の台風による豪雨で氾濫
したことから災害復興のために改修され、川の幅は約3倍に広げられ、
河床は平らとなり、さらに付近の樹木が伐採されたことにより、日当たり
がよくなり、河川水温が異常に上昇することとなり、稚魚の大量死をもたら
したのである。このことは学術誌でも報告され、新聞でも報道されたことから、
宮城県は秋山沢川を再改修することになった。
今回、その河川の再改修の状況について現地を視察した。
1994年の時点で平らに改修されていた広い河床には2~3m幅の溝(水路)
が造られ、低水時(渇水時)の河川水はこの水路を流下していた。一方、
広い河床は水が流れることがめったになく、草木が生え茂り、改修以前の
状態に近づきつつあった。つまり、林内を流れていた昔の渓流がやがて
復活する兆しが見え、自然の力の大きさを知ることができた。
(完成:2007年11月3日)
もくじ
(1)はしがき
(2)秋山沢川(1995年との比較)
(3)秋山沢川(2007年)
文献
(1)はしがき
1994年は全国的な異常渇水であった。とくに西日本の各地では、生活用水、
工業用水、農業用水に異常事態が生じた。また、晴天の高温日が続き河川水
の昇温で、川魚や養殖中の魚が大量死する事件があった。
宮城県蔵王町では、秋山沢川の水を利用した3つの養魚場で1994年の夏に晴天の
異常高温が続き、快晴日の7月15日にギンザケの稚魚約15万匹づつが死亡した。
また8月7日の快晴日には残っていたニジマスが死亡全滅した。
養魚場の経営者によると、この30年間稚魚を育ててきたが、1994年のように
水温が異常に上昇したのは初めてだったという。
蔵王町の遠刈田温泉から国道457号線を南へ約5km行くと秋山沢川に架かる
秋山沢橋がある。この橋と直交する秋山沢川は南蔵王山麓にあり、1989年8月
6~7日の台風13号による豪雨で氾濫、付近の別荘地が浸水し一人が死亡する
災害があった。
災害復興として、莫大な経費が投じられ、川の幅を約3倍に広げる
などの工事が行われた。工事に伴い樹林は広い範囲まで伐採され、日当たり
が平坦地と同程度によくなった。
河川の拡幅により水深が浅くなり流速が小さくなったことと、樹林の伐採で
日当たりがよくなったことが河川水温の異常をもたらしたのである。
このことを熱収支の計算から定量的に明らかにし、河川改修は自然を
できるだけ保つような方法であるべきことを指摘した。
この結果は宮城県の担当者にも渡し、新聞に報道されたことから、
宮城県は河川改修の方法が適当でなかったことを認め、河川水の流下に伴う
水温上昇が自然に近くなるように、再改修を実施することになった。
同年11月24日の新聞には、「宮城県河川課は、渇水時にも水深が保てるよう
に、環境に配慮した形で秋山沢川の再改修の方針を固めた」と報じられた。
今回の秋山沢川訪問の目的は、その再改修が実際には、どのように行われたか
を知ることである。
2007年10月21日は仙台市定禅寺通りのケヤキ並木の繁茂状況を観察し、
翌22日朝、仙台駅前8:58発の宮城交通の特急バスに乗車、10時過ぎ遠刈田温泉
に到着。
タクシーにて秋山沢橋の少し上流にて下車。3時間ほどかけて秋山沢川を見学。
13:40に秋山沢橋から歩いて遠刈田温泉へ、遠刈田温泉14:50発のバスにて
仙台へ、仙台から新幹線にて帰宅した。
(2)秋山沢川(1995年との比較)
魚の大量死事件があった1994年には、秋山沢川は上流部を除き河川改修が
済み、川に沿う工事用の道路の周辺は樹木が伐採されて、見通しは
よかった。1995年から1996年に本谷研博士が撮影した写真でも同様であった。
今回の秋山沢川の見学に際しては、本谷博士の写真と同じ地点を撮影してくる
予定であったが、河床、護岸堤防、工事用道路には草木が生い茂り、それらに
阻まれて同じ位置からの撮影はほとんど不可能であった。
秋山沢橋(標高380m)から上流約2320mには第1号砂防ダム、さらに上流
約300mには第2号砂防ダム、さらに上流約300mには第3号砂防ダム
(標高610m)がある。秋山沢橋から第3号砂防ダム(1994年には工事中)
までは約2920mある。
1994年当時、第3号砂防ダムの上流100m以上は樹林に覆われていたが、そこ
からの下流(秋山沢橋までの3020mの区間)では周辺一帯の広い範囲は
樹木が伐採されて見通しもよかった。
今回、上流に行くほど草木は繁茂し、第1号砂防ダムより上流では、流路の
両脇、つまり洪水時の河床への立ち入りは困難になっていた。それゆえ、
詳しく見たのはその砂防ダムの下流2120mの範囲であり、上流側はその砂防
ダムの壁上から遠望するにとどめた。
1995年に撮影された写真を見ながら同じ地点から撮影したかったのだが、
樹木などに邪魔されたので、可能な限り近い位置から撮影できた3つの写真
について最初に比較しておこう。次の3組の写真の左側は今回2007年、
右側は1995年の撮影の写真である。
図79.1 養魚場付近、2007年10月22日(左)と1995年6月10日
(右:本谷研博士撮影)
図79.1(右)では、護岸堤防には大きな草木はないが、(左)では背丈の高い
草木が生い茂り、同じ場所からは河床は見えなかったので、河床の近くから
撮影せざるえなかった。
図79.2 養魚場付近その2、2007年10月22日(左)と1995年6月10日
(右:本谷研博士撮影)。
写真の右上方向に養魚場取水口の水門が写っている。
図79.3 9号床固工(支流との合流点)、2007年10月22日(左)と
1995年6月10日(右:本谷研博士撮影)
(3)秋山沢川(2007年)
1994年当時、第1号砂防ダムから下流の河床の大部分は床固工により、
平らにされていた。河道幅は25~42m(平均27m)、河道に沿って約25~120m
ごとに落差約1.3~2.7mの人工の滝が設けられ、河床勾配は 1/50~1/25
であった。
今回見学したところ、平らな河床には2~3m幅の溝(渇水時の流路)が切られ
てあった。この溝には岩が埋められたり、両脇に岩を並べた流路も造られ、
自然にかなり近い状態に見えた。
以下の図は、秋山沢橋から上流に向かって第1号砂防ダムまでの写真を
順番に並べた。途中には谷井養魚場の池を挿入してある。
図79.4 秋山沢橋から上流の眺め(左)と、岸からの河床の眺め(右:
白く見えるのは干上がった最初の改修による川床、流水はその右方にある、
上流側を見た写真)
図79.5 養魚場付近の河床から見た上流側(左)と下流側(右)の眺め。
低木が最初に改修された平らな河床に生えている。
図79.6 谷井養魚場の上流方向(左)と下流方向(右)の眺め。
図79.7 養魚場の上流からの上流方向(左)と下流方向(右)の眺め。
図79.8 第1号砂防ダムの少し下流から上流方向(左)と下流方向(右)の眺め。
図79.9 第1号砂防ダムを見上げた写真(左)と、砂防ダムの壁上から見た
上流域の写真(右)
図79.10 第1号砂防ダムの壁上(左)とすぐ上流側の水溜まり(右)
第1号砂防ダムの壁上から上流側を見ると、すぐ眼下は広く水溜りがあるが、
それより上流側の河床は樹木が一面に生え、水流は見ることができない。
1994年から13年間も過ぎた現在、洪水時の河床には生長し繁茂しつつある
樹林があり、驚いてしまった。
ダム壁上から下流側を見ると、平らな河床に切られた溝(渇水時の水路)が
一筋に見え、最初に改修された河床にも護岸堤防の上に造られた工事用道路
にも草木が生い茂っていた。
図79.11 第1号砂防ダムの壁上からの下流の眺め
聞くところによれば、谷井迪郎さんの養殖池は現在、渓流魚販売・卸業の
菅原(有限会社)さんに貸しているとのことである。今回の訪問時には、
ちょうどその会社の従業員が作業していた。
1994年当時、養殖池にはその少し上流側にある取水口から秋山沢川の水が
引かれていた。今回は上流から地中に埋められた大きなパイプで導水
された水が取水口の上から放水され、取水口を経て池に取り入れるように
なっていた。
文献
近藤純正、1995:河川水温の日変化、(1)計算モデルー異常昇温と
魚の大量死事件ー.水文・水資源学会誌、8、184-196.
近藤純正・菅原広史・高橋雅人・谷井迪郎、1995:河川水温の日変化、(2)
観測による検証ー異常昇温と魚の大量死事件ー.水文・水資源学会誌、
8、197-209.
近藤純正・本谷 研・松島 大、1995:新バケツモデルを用いた流域の
土壌水分量、流出量、積雪水当量、及び河川水温の研究.天気、42、
821-831.
Motoya, K. and J. Kondo, 1999: Estimating the seasonal variations of
snow water equivalent, runoff and water temperature of a stream
in a basin using the new bucket model. J. Japan Soc. Hydrol.& Water
Resour., 12, 391-407.