78. 稚内と宗谷岬の観測所

著者:近藤 純正

地球温暖化など気候変動の実態を調べる目的で、都市化の影響の少ない 北海道の稚内地方気象台と声問(稚内空港内)アメダスと宗谷岬アメダス の周辺環境を視察した。 (完成:2007年10月4日)

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  	  もくじ
		(1)はしがき
		(2)声問アメダス(稚内空港内)
		(3)稚内地方気象台
		(4)宗谷岬アメダス
(1)はしがき
2007年9月25日9時50分羽田発のANAにて稚内空港に11時40分到着。昼食後、 空港出張所気象解説官の荒井さんに案内していただき、空港内に設置されて いるアメダスを見学した。

9月26日には防災業務課長の高橋敏彦さんと防災業務係長の津田知志さんの 案内で稚内地方気象台と宗谷岬アメダスを見学した。そのあと、稚内空港 15時30分発のANAにより札幌へ向かった。

これら一連の観測所周辺環境の視察の目的は、日本における気候変動 (バックグラウンド温暖化量:都市化などの影響を含まない気温の 長期変動)をより正確に知るためであり、資料解析は次の順序で行っている。

第1次解析:おもに田舎の区内観測所(現在のアメダスの前身)の資料 を解析し、2006年までに終了した。この結果によれば、気温の長期変動の 上昇率は従来いわれているほど大きくないことがわかった。

第2次解析:第1次解析から、より正しい長期変動を知るには、 観測法や観測時刻が時代によって異なることから生じる観測値の差を補正しな ければならないことがわかった。2007年現在、24地点を選び解析を進めている。 おもに測候所(現在無人化されたものを含む)における資料を解析している のだが、室戸岬など数地点を除き、いずこも都市化や日だまり効果の影響が あり、その補正をしなければならない。それには、現地の周辺環境 を観察するとともに、昔の状況について聞き取り調査をしたり、古い写真 を調べなければならない。

日本における気温の長期変動(バックグラウンド温暖化量)のうち、 比較的短い20年程度以下の変動を無視するならば、基準とする解析地点は 数ヵ所でよいのだが、これを基に日本各地の大・中都市における都市化による 気温上昇(都市昇温)が時代によってどう変わってきたかを知るには、 基準地点は20ヶ所以上が必要である。

基準地点は多ければよいのだが、現在選んだ24地点はほぼ限界で、その他に 適当な観測所は今のところ見当たらない。

第3次解析:田舎にある測候所(現在無人化された特別地域気象観測所 を含む)でも、周辺環境はますます悪化する傾向にあり、第2次解析で選んだ 24地点のうち今後は解析に利用できない所も出てくる可能性がある。

そこで、今後については、アメダス地点から周辺環境のよいものを「気候変動 観測所」として選び、基準地点に加える。これまで見てきたところ、 周辺環境のよいものは、約1,100ヶ所のアメダスのうち、1%程度の数(数ヵ所) しかないように思う。北海道の襟裳岬などがその候補である。

今回の稚内方面への旅では、宗谷岬アメダスと稚内空港内にある声問アメダス が「気候変動観測所」として適当かどうかを見学したい。

空港の観測所は広い敷地にあり、都市化や日だまり効果の影響が無視できる ように思われがちだが、以前に函館空港について調べたところ、滑走路の ほか誘導路、エプロン(駐機場)、駐車場の舗装が時代とともに拡張された。 2005年のエプロンは1985年当時の1.9倍に、駐車場も1985年当時の1.9倍の面積 に広がっている。そのため、気温の観測値に影響していることがわかった。

今回の旅のもう一つの目的は、稚内地方気象台の周辺環境を知ることである。 年平均気温について、周辺観測所と比べる予備解析の結果によれば、 稚内では概略1970年頃から1980年代にかけて、都市化・日だまり効果による とみなされる0.1~0.2℃程度の気温上昇がある。この時代に、周辺環境の 変化がなかったかどうかを知りたい。

稚内は古くから漁業の街として発展してきた。戦前は樺太(現在のサハリン) への渡航の玄関口としても栄えていた。稚内市北方記念館の資料、稚内市役所 ホームページその他によれば、次の記録がある。

1879(明治12)年:宗谷村に戸長役場が設置(稚内市の開基)
1922(大正11)年:稚内に鉄道が敷かれる
1938(昭和13)年:旧築港事務所で気象観測を開始、翌年測候所新庁舎建設
1964(昭和39)年:中央埠頭の使用開始
1965(昭和40)年:稚内市都市改造5ヵ年計画を策定
1968(昭和43)年:気象台合同庁舎に移転
1975(昭和50)年:総合福祉センター開館、稚内公園ロープウエイ完成
1978(昭和53)年:稚内の開基100年記念塔・北方記念館の開館
1979(昭和54)年:日・ソ友好会館の建設
1980(昭和55)年:市社会教育センター開館
1989(平成01)年:稚内市総合計画の第2期基本計画を策定

(2)声問アメダス(空港内アメダス)
空港出張所の所長の鈴木鉄雄さんから、空港における気象について説明を うけた。 卓越風向は10月から3月までは南西から北風だが、4月から9月には南南西風と 東風が特に顕著となる。

稚内空港は稚内市内から東方約12kmの海岸線に近接した広い平坦地の中 にあり、北側が宗谷海峡に面している。海岸線と空港の間には樹林帯があり、 その中を稚内から宗谷岬へ向かう道路がある。

滑走路は1本であり、誘導路はなく、着陸した飛行機は滑走路を戻って空港 ビル前のエプロンへ到着する。

空港内を巡る場周道路を一周しながら案内してもらった。
滑走路と場周道路以外は芝生が一面に生えて、よく手入れされている。場外の 南側(フェンスの外側)は雑草が自然のままに生えている。そのため、 アメダスは理想的な場所にあると判断できる。

現在の空港ビルは滑走路の南側にあるが、以前は反対側(滑走路の北側)に あり、気象観測場もその近くにあったという。

稚内空港北と東
図78.1 稚内空港内のアメダス、左:北方向、右:東方向を望む

稚内空港南と西
図78.2 稚内空港内のアメダス、左:南方向、右:西方向を望む

  稚内空港北東端から
図78.3 稚内空港の北東端からアメダスの方向を見る、アメダスは遠方に 見える空港ビルの左方にあるが、写真では見えない。

  稚内空港北西端から
図78.4 稚内空港の北西端からアメダスの方向を見る、アメダスは空港ビル の左方にある。

  稚内空港滑走路図
図78.5 稚内空港滑走路とアメダスの位置関係。滑走路は西南西(図の左) から東北東(図の右)の方向にのびている。緑の丸印がアメダスの位置である。 空港出張所提供

現在の滑走路は2,000mだが、近い将来には東側に200m延長されるという。

(3)稚内地方気象台
気象台長の井手和夫さんから業務概要の説明をうけた。 気象観測は1938(昭和13)年1月1日に開始し、1968(昭和43)年6月1日 に、南の方向470mにある稚内港湾合同庁舎に移転している。

図78.6は旧気象台周辺の航空写真であり、気象台は北側の海岸線から約100m 余の位置にあった。この写真が撮影された1964年当時、写真の左方に3~4階 のビルが見えるが、他は平屋か2階建てが多い。

稚内昭和39年
図78.6 稚内市街の航空写真、1964(昭和39)年10月1日、写真の上が北西 方向。写真中央部に当時の稚内地方気象台がある。右上に気象台敷地内の 配置説明図を挿入してある。充てん室はラジオゾンデ気球に水素を充てん する部屋を示す。稚内地方気象台提供

旧稚内気象台の位置
図78.7 旧稚内地方気象台の位置(緑色範囲)を示す地図、ただし現在の地図に 重ねて示した。図の左が北方向である。東側(図の上側)の隣地は、現在 は中央公園である。

稚内港湾合同庁舎周辺地図
図78.8 稚内港湾合同庁舎周辺の地図、左が北方向。緑色の範囲が合同庁舎 の敷地、赤色は建物を示し、大きい赤色が合同庁舎である。図の上右端 (青色)に稚内港がある。合同庁舎の北側(左手)には富士油業、出光興産、 日本石油、蔦井石油などの油槽タンクがある。稚内 地方気象台提供

稚内北と東
図78.9 合同庁舎屋上から見た周辺、左:北方向、右:東方向を望む

稚内南と西
図78.10 合同庁舎屋上から見た周辺、左:南方向、右:西方向を望む

屋上から見下ろした露場
図78.11 合同庁舎屋上から見下ろした露場、横に3枚を合成し歪んでいる。 手前のパイプ材は工事中の足場である。写真中央の白い建物はラジオゾンデ 水素充てん室、左端の白い物体は富士油業の油槽である。

露場遠方と北方向
図78.12 左:合同庁舎屋上から見た露場の東方向と、右:地上から 撮影した露場の北方向の写真。正面のタンクは隣地の油槽である。

見上げた合同庁舎
図78.13 地上から見上げた合同庁舎の屋上、やや右方の測風塔とパラボラ アンテナの塔が重なって見える。ラジオゾンデ用のドームの右側にある 風向風速計は海上保安庁の測器である。

今回の稚内地方気象台訪問時には、合同庁舎屋上の防水工事のため足場が 組まれており、見通しが悪かったので、以下では稚内地方気象台業務概要 (平成19年9月25日)に掲載された写真を引用する。

合同庁舎
図78.14 稚内港湾合同庁舎、手前に露場があり、右端にラジオゾンデ用の 水素充てん室の一部が写っている。稚内地方 気象台業務概要の表紙から転載

稚内露場
図78.15 露場、その左手の建物がラジオゾンデ用の水素充てん室である。 稚内地方気象台業務概要から転載

(4)宗谷岬アメダス
これまで見てきた多くの岬と違い、宗谷岬は断崖はなく、先端はゆるい カーブを描くような地形である。北方にサハリンを望むことができる。 坂道を登って行くと、灯台があり、その敷地の南に少し離れてアメダス があった。

アメダスの周辺は雑草が生い茂っている。この雑草は夏に繁茂し、冬に枯れる ことを繰り返すという自然状態ならば、気候変動の観測所として推薦できる。 アメダス敷地内は平らに整地されているが、数m西側が1m程度高く、 数mの幅で南北にのびている。その高い部分の西側は断崖となり低くなって いる。

アメダスに到着した時刻から写真撮影する短時間、西から東へ移動する 通り雨に遭った。

アメダス周辺の雑草地の南側には草丈の低い牧草地が広がっている。

宗谷岬アメダスの北と東
図78.16 宗谷岬アメダスから見た北方向(左)と東方向(右)。

宗谷岬アメダスの南と西
図78.17 宗谷岬アメダスから見た南方向(左)と西方向(右)。

宗谷岬アメダスの北から
図78.18 宗谷岬灯台の門柱から見た宗谷岬アメダス(赤矢印)、横に3枚を 合成し歪んでいる。

宗谷岬アメダスの南から
図78.19 南方の遠方から見た宗谷岬アメダス(赤矢印)、横に3枚を合成し 歪んでいる。この写真を撮影した周辺一帯は広い牧草地である。

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